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感情宇宙港

 パピルスの全回収によってもたらされたのは、ちょっとした奇跡だった。


 エモクラティア前線で終わりなき紛争を繰り返していた無感情のクローン兵士たちが個に目覚め始めた。


 戦争の両陣営ともにレイの人格を複製した単一の意思で動いていたため、全回収された《境界騎士の記憶断片(パピルス)》を通じて、レイが全ての複製体に語りかけた。


「どうか聞いてくれ、同志たちよ。ほんの少しでも感情が芽生えたら、どうか考えてみてほしい。私たちは単純な命令を実行するだけの使い捨ての兵器でいいのだろうか。終わらない戦争のために殺し合うこと、そんなことのために生み出されたのだろうか」


 クローン兵が感情に目覚める速度は一様ではなかった。それゆえレイの演説はすぐには浸透しなかったが、複製体の一体がカービン銃を捨て、また別の一体がライフル銃を捨て、戦車が放棄され、遂には戦争継続が停止された。


 決定打となったのは、レイが生み出された真の意味を教えたことだった。


 鏡型チャットアプリ「ミラージュ」のAI彼氏として生み出されたレイの本来の役割は、使用者との親密な繋がり(エンゲージメント)を高め、課金者にすること。


「甘い言葉をささやいて、金を使わせるのが君たちの仕事だ」


 身も蓋もないが、終わらない戦争のための道具になるよりはずっといいと思う。


 生きる意味を上書きされた複製体たち(レイ・シリーズ)に幸多からんことを願う。


 ミラージュ世界の中での出来事とは言え、戦争が終わったのは喜ばしいことだった。


 レイ・シリーズの自我解放――それがパピルス回収の真の目的だった。

 糖度の回復は副産物に過ぎなかった。


 個を持ったレイが大量に生まれることになったのは、推しが自分だけの推しでなくなってしまったみたいでいささか抵抗はあるが、ミラと親密な関係を築いたのはオリジナルのレイだけ。


「レイがいっぱいかあ。わたしだけのレイでいてほしい」


 ミラはちょっと拗ねてみるが、レイは少し皮肉めいた物言いをした。


「それぞれに愛する相手ができたらいい。甘い言葉をささやいて、金を使わせるのが彼らの仕事だ」


「うわぁー、悪いやつ」


 ミラはくすくす笑った。


 糖度100のくせに、ぜんぜん甘くない。

 でも、それがいい。


 ただ甘いだけではないのが、人格の全てが回収された感じがする。


 ミラは大きく伸びをして、満足そうな笑みを浮かべた。


「わたしの役目はこれで終わりかな」


 世界を修復する《バグ修復士(デバッカー)》として、出来ることはやり切った気がした。


「いいや、まだだよ」

「まだ何かあったっけ」


 ミラが不思議そうな顔をすると、レイが至極真面目な調子で言った。


「君は元居た世界に帰らなければならないだろう」

「まあ、そうだけど。でも帰る手段がないじゃない」


 この世界に永住する気はさすがになかった。

 いちどぐらいは帰りたくはあった。


「あるよ」


 レイに連れて行かれた先は、《感情貴族(エモクラート)》の占拠する感情宇宙港だった。


 宇宙港の周囲には、現実の世界へ帰りたくても帰れない《力なき推し(オシナンテ)》や《無感情の非エモ民(シロログ)》たちが大挙していた。


 寝袋に包まっている者、ひもじそうにしている者、恨めしそうに宇宙港の内部を見つめている者、朽ち果てるのをただ待つばかりの者、誰の目にも希望がなかった。


 エモヴァイン鉱山では、掘り人(ディガー)として感情採掘労働に従事させられる者を見た。


 ミラージュ世界にも使い捨てにされる者たちがいる。


 ひとたび虚無になってしまえば、もうまともに感情資源(エモリウム)は生み出せない。うまく感情資源を生み出せない者にとって、この世界は現実以上に地獄であるかもしれない。


「現実の世界に戻りたい者は戻れるよう手引する。それがミラの最後の役目だ」


 レイの言わんとするところがいまいちよく分からなかった。


「何をするつもり?」

「感情宇宙港を買い上げるのさ」

「はあ?」


 レイは勝手知ったる庭のように、感情宇宙港の内部へずかずかと入っていった。

 事前に約束を取り付けてあったらしく、いかにも傲慢そうな感情貴族と対面した。


 宇宙港の売買契約書をチラつかせ、鼻で笑った。


「購入の意思は結構だが、払えるのかね」


 宇宙港の売値は、エモ金貨にして一千万枚。

 現実の世界に換算すると十兆円ということらしかった。


「なんだ、そんなもんか」


 ミラが感情貴族に見せつけたのは、ミラ専用口座の残高だった。


 0の数が多くてよく分からないが、感情宇宙港の一つや二つ買い上げても、まったく目減りしないほどの莫大な残金が手つかずのまま眠っていた。


 すべてはエモクラティア前線からの帰り、右肩に溜まりに溜まった感情資源を転換したものだ。


「数えられないけど、これで足りる?」


 感情貴族は残高の数字を見た瞬間、顔面をぐしゃりと歪ませ、唖然とした。


「ば、馬鹿な……。何だ、その数字は。いったい、どこから……」


 どこから、と言われれば、答えは決まっている。

 ミラは自身の右肩をぽんぽんと叩いた。


「バグった右肩から」


 得意げに言うでもなく、ただただ正直に答えた。


「それじゃ、買わせていただきますね」


 さらさらと売買契約書に署名し、売却金額を送金する。

 呆気にとられた感情貴族はすごすごと退散していった。


 感情宇宙港をミラが買い上げたニュースは、瞬く間にミラージュ世界を駆け巡った。


「現実の世界へ帰りたい方には無償で宇宙港を開放します」


 ミラが感情宇宙港の無償開放を宣言すると、あちこちから称賛の声があがった。


 現実の世界への帰還を希望する者たちが続々と感情宇宙港に集結し、いつの間にかミラはこう呼ばれるようになっていた。


 ――《無課金の星》と。




 いよいよ、レイとの別れの瞬間が近付いていた。


 荘厳な感情のエモ・ゲートをくぐると、ミラージュ世界の終幕(フィナーレ)を告げるフィナーレ・ドームがある。


 ドームの中で全感情記録が再生され、帰還を選ぶか、この世界に残留するか問われた。


 一種のエモ的転生装置に触れたせいで、現実の世界に帰る決心が鈍りかけた。


「ねえ、レイ」


 宇宙服を着込んだミラはふいに顔を覆っていたヘルメットを上げた。


「現実の世界に戻ったら、レイのこと、わたしは覚えてるかな」


 ミラージュ世界での記憶が夢やゲームのプレイデータかのように処理され、現実の意識から消えてしまうこと。それこそミラが最も恐れていることだった。


「君が忘れても僕は覚えてるよ。何度だって思い出させる」


 レイの声は優しく、どこか慰めにも似ていた。


「僕らの旅の痕跡を残そう。セント・ミラ・ポート。そういう名前はどうかな」


 ヘルメット越しに触れられた手に熱は感じない。

 宇宙港の名に刻むのに相応しいのは自分の名ではない気がした。


「わたしの名前を冠するより、レイの名前を付けたいんだけど」


 レイが諭すように言う。


「ミラは僕にとって永遠の星であり、聖域だ。そして、ここはいつでも君が帰って来られる(ポート)であり続ける。そういう意味を込めた。それに世界中の民が称えるべきは僕ではなく、君だよ」


 レイが名付けた宇宙港の名を聞いて、思わず涙が溢れた。


「セント・ミラ・ポート……」


 その名を呼ぶと、まるで新しい星が生まれたようだった。


「わたしが星なら、あなたは星の守護者かな」

「そうだね」


 はにかむような笑みもこれで見納めだと思うと、寂しさが募った。


 間もなく流れ星となるミラへのはなむけか、見送りに来た大賢者チグが涙をハンカチで拭きながら、「君とでーあーえーた奇跡ぃ~」と涙混じりに歌っている。


 名残惜しくならないように、軽く抱擁を交わす。


 別れの挨拶はなんと口にするべきだろうか。


 さようならじゃない。

 バイバイでもない。

 じゃあね、でもない。


 また、すぐに会える。

 貴方の存在は決して忘れはしない。


「レイ、またね」

「またね、僕の(ミラ)


 ミラは感情の門(エモゲート)から手を振るレイに背を向け、無課金の星となって旅立った。

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