感情コロシアム
感情コロシアムの天空闘技場は、さながら空飛ぶ円形闘技場だった。
東京スカイツリーを遥かに超える高度に浮いた円形の闘技場は、周囲を囲むはずの観客席は取っ払われ、ただ丸いだけの平坦な闘技場が浮いているだけだった。
びゅうびゅうと吹きつける風に飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられてしまいそうな高さに思わず腰が引ける。
「いや、高過ぎるだろ……」
ビビったミラは闘技場の端から地上を覗くこともできなかった。
天空闘技場はエモナージュの国家を貫くチグリリス・ユーフラテス河の上空に浮かんでおり、剣闘士の落下対策も万全だと言うが、絶対にそんなことはない。
大会の主催はミラージュ運営で、円形闘技場の設計を担当したのは大賢者チグであるが、「どうせなら、闘技場ごと空に浮かしちゃおう」という思いつきのせいで、参加辞退する剣闘士が相次いだ。
落ちたら即死を免れない天空で戦いたい命知らずはそうもいるまい。
どだい、面白ければなんでもありの大賢者チグに設計を依頼するのが間違っている。
結局、闘技場の建設から大会運営まで、すべて大賢者監理官ナギが代行することになったのは言うまでもない。
円形闘技場の脇に浮遊する大スクリーンにチグとナギの姉妹が映し出された。
それぞれ実況と解説を担当している。遠隔視聴者たちがやんやと湧いた。
「さあ、やってまいりました。命知らずの剣闘士たちが血で血を洗う感情コロシアム、実況はわたくし大賢者チグ、解説は大賢者監理官ナギの二人でお届けいたします」
いつも通りテンションの高いチグの隣で、ナギは小さく会釈しただけだった。
「今大会の見どころはなんといってもこの天空闘技場。この大きな闘技場を空に浮かべるのはなかなか大変だったのではないでしょうか」
「そうですね。苦労しました」
どういう原理で闘技場を浮かべているのか分からないが、ともかく円形闘技場は空に浮いていた。すべては大賢者監理官ナギの技術力の結晶だった。
「それでは早速第一試合に参りましょう。ザマァ団VS爆炎ポテト」
悪の代名詞であるザマァ団のゲリラ兵二人が現れると、遠隔視聴者たちから一斉にブーイングが巻き起こった。
「ザマァ団帰れ」「ザマァ団消えろ」といった無数の書き込みが弾幕状に表示され、巨大なスクリーンを埋め尽くした。
ゲリラ兵はカーキ色のマスクで顔を覆っており、手にした武器はカービン銃だ。
命令を忠実に守る感情のないクローン兵士を見て、ミラの気分が重たくなる。
細身のシルエットは、エモクラティア前線で見たレイの複製体と瓜二つだった。
「……レイのクローンか」
ミラージュ世界においてザマァ団は悪の象徴であるから、ミラとつばめの二人は悪役を倒すヒーローかのように観客から喝采を浴びた。
試合に先立って、大賢者チグがチーム紹介を始めた。
「チーム・爆炎ポテトは、薄い本の頒布でお馴染みのポテトガール・ミラと、怪盗ツーバメ・イリヤが組んだピーキー・パーティーです。チームのモットーは爆炎こそ浪漫。闘技場を埋め尽くす大火力に期待ですね」
「そうですね。期待しましょう」
解説のナギのコメントがいかにもおざなりだった。
水上でカヌーやボートに乗った観客が虫取り網を構え、落下するお宝のキャッチに備えている場面が映し出された。大賢者チグが船上に待機する客にインタビューした。
「さて、こちらは円形闘技場直下のチグリリス・ユーフラテス河流域にお邪魔しました。期待するのは場外ホームランでしょうか」
「はい。特大の一発に期待しています」
落下する剣闘士はホームランボールと同意なのだろうか。
まったく意味が分からない。仮に円形闘技場から落下しても、ホームランキャッチを狙う観客が無数に控えているから、安全性に問題はないと言いたいのだろうか。
安全性に問題大ありだろう、これ。
遠隔視聴者たちがやたらと盛り上がっているので、細かい仕様はどうでもいいらしい。
とにもかくにも感情的に盛り上がればそれで良し、という潔さ。
感情が価値となるミラージュ世界ならではだ。
戦いのゴングはまだ鳴らないが、つばめはさっきからひと言も発していない。
黒いマントをたなびかせ、かったるそうにポケットに片手を突っ込んだまま、闘技場の中央に棒立ちになっている。まさに心ここにあらず。
「もしかして、つばめ高いところ怖いの?」
馬鹿と煙は高いところへ上るというが、意外なことに高所恐怖症なのだろうか。
「は? ちげーわ? うっせーわ」などと子供じみた反論もしない。
棒立ちになった高所恐怖症のつばめ。
つばめの意外な一面を垣間見た気がしたが、戦いのゴングが鳴り響く前にゲリラ兵が発砲してきた。狙いが甘かったため命中はしなかったが、ミラの足下近くを掠めた。
「おおっと、まだゴングは鳴っていません。ザマァ団、これは卑怯っ!」
試合開始の合図を鳴らしそびれた大賢者チグが非難の声をあげた。
ルール無視のザマァ団の横暴に、遠隔視聴者たちも非難コメントを次々と書き込んだ。
「ザマァ団、ふざけんな」
「当たったらどうすんだ」
巨大なスクリーンがザマァ団を非難するコメントで埋め尽くされる。
「レディー、ファイッ!」
大賢者チグが高らかにゴングを打ち鳴らした。カービン銃を手にした二名のゲリラ兵が銃を乱射しまくるなか、つばめがぼそりと言った。
「……下がってろ」
ミラがそそくさとつばめの背後に隠れた瞬間、つばめがぱちんと指を鳴らした。
「――爆炎」
ポケットに片手を突っ込んだままの簡易詠唱に強キャラ感が滲む。
巨大な火柱が上げる。
ゲリラ兵が発射した銃弾もろともに炎が飲み込んだ。
爆炎があっという間にアリーナを舐め尽くす。
赤黒い火が消えた後には、焼け焦げたマスクとカービン銃の残骸だけが残っていた。
あっという間の勝利に、遠隔視聴者たちが一斉に賞賛した。
「ザマァ団、ざまあ」
休む間もない連戦で、お次の相手もザマァ団のゲリラ兵だった。
手にした武器がカービン銃ではなく、ライフル銃だっただけの違い。
カービン銃は銃身が短いため、威力や射程はライフル銃に劣るが、携帯性と取り回しには優れている。ライフル銃は弾速が速く、威力も高い。
「続けて第二試合に参りましょう。ザマァ団VS爆炎ポテト。レディー、ファイッ!」
武器性能が違うだけの相手は、入谷つばめの爆炎の敵ではなかった。
「――爆」
詠唱を終えぬうちに、ライフル銃を持ったレイの複製体は一瞬で燃やし尽くされた。
つばめの無双ぶりに遠隔視聴者たちは大騒ぎだった。
大賢者チグも大興奮で、つばめの爆炎を褒め称えた。
「無双です。まさしく爆炎無双! 爆炎は浪漫!」
続いての第三試合、天空闘技場に引き上げられたのは巨象じみた装甲戦車だった。
アリーナを占拠するような巨大な戦車。
砲身がぴたりとつばめの鼻先に突きつけられた。
「……でかすぎんだろ」
思わず、ミラの口から言葉が漏れた。
エモクラティア前線でもこんな馬鹿げた大きさの戦車は目にしていない。
試合開始の合図とともに砲撃されたら一巻の終わりだ。
遠隔視聴者たちもさすがに引いていた。
「これはアカン」
「ザマァ団、本気出してきた」
「これは勝ち目ないやろ」
大賢者チグが試合開始のゴングを打ち鳴らした。
「準決勝ザマァ団戦車VS爆炎ポテト。レディー、ファイッ!」
つばめは顔色ひとつ変えず、億劫そうに右手を突き出した。ぱちんと指を弾く。
「――ば」
爆炎と言い終わらぬうちから放たれたのは、これまでで最大級の大火力だった。
高速詠唱による炎は戦車の装甲をどろどろに溶かし、内部から爆発を引き起こした。
一瞬にして戦車は黒焦げの鉄くずとなり、アリーナは熱狂の渦に巻き込まれた。
実況の大賢者チグがつばめに肩入れしまくっていた。
「ポテトの出る幕ないやんけぇ。いいぞ、ツーバメ・イリヤ! 爆炎無双!」
実況の言う通り、つばめの背中に隠れていただけのミラに出る幕はなかった。
感情を溜め込む《バグった右肩》は半分ほどしか膨らんでいない。
半分しかなのか、半分もなのか。
何食わぬ顔をしてはいたが、ミラが高所にビビっていたのはバレバレであった。
アリーナにスモークがたかれ、色とりどりの照明が光り輝いた。
もうもうと白煙が立ち込める。
「なに、つばめが白煙を放ったの?」
「いいや」
煙幕の中から、細身のシルエットが見え隠れする。
「さあ、いよいよ決勝戦となりました。爆炎ポテトの決勝戦の相手はエモ騎士レイっ!」
現れたのは、片手剣を腰に差したレイその人だった。
甲冑も着ておらず、武器はレイピアだけだった。
「えっ、なんで?」
理解の追いつかない展開に、ミラの右肩がみるみる膨張していく。
優雅な立ち姿のレイが首にかけていたパピルスを天にかざした。
その指にきらりと光るものが見えた気がした。
「どうしてレイと戦わなきゃいけないの? レイはザマァ団じゃないでしょう」
微笑を湛えただけのレイは何も言わない。
「つばめ、レイは燃やさないで。レイだけは燃やさないで」
「は? 知らねーし」
ミラがなんとか止めようとするが、つばめはすっかり好戦的な目だった。
「エモクラティア前線ではどうも。中途半端に退場させられたから燃やし足りないの」
戦場で好き勝手に爆炎を放っていたのをレイに封じられたのを根に持っていたらしい。
「今度こそ燃やしてやるから」
戦いの合図を聞くことなく、つばめが爆炎をぶちかました。
「食らいやがれ! 爆炎っ!」
アリーナを覆い尽くすような大火炎が無防備なレイを襲った。
瞬く間に闘技場を舐め尽くさんばかりの業火に嫌な想像が頭を駆け巡った。
戦車さえもドロドロに溶かしてしまう無慈悲な炎は一切の容赦がなかった。
「レイっ、逃げて!」
ミラが叫ぶ。
「凍りつけ。《二人だけの世界》」
レイの周囲が青白く発光し、パキパキと氷の壁が形作られる。
分厚い氷壁がつばめの爆炎を阻んだ。
炎と氷がぶつかり合い、凄まじい水蒸気が闘技場に立ち込める。
ザマァ団のゲリラ兵と戦車を葬り去った炎はレイの氷壁には傷ひとつつけられなかった。
「……なっ」
氷壁を破壊せんと、つばめが次なる爆炎を構えた。
揺らめく水蒸気の向こうから銀色の光が閃いた。
目にも止まらぬレイピアの一閃。
「ぐえっ……」
急所を刺突されたつばめは膝から崩れ落ちた。
ほんの一撃で、つばめの意識を刈り取るには十分だったようだ。
ぐったりと昏倒した姿は、誰の目にも戦闘不能であると明らかだった。
アリーナに残されたのは、ミラとレイの二人だけだった。
実況の声さえも聞こえないただ二人だけの世界。
レイピアを鞘に仕舞ったレイがミラに向き直った。
分厚い氷壁が二人を隔てている。
「さあ、撃つんだ。これで全てが終わる」
レイとの一騎打ちになるが、ミラは《バグった右肩》による射撃を拒否した。
「撃ちたくない」
どうしてレイを撃たなければならないのか。
いくら考えても、その答えが見つからない。
「レイはこの世界から消えたいの?」
クローン兵士の原型となった終わらない戦争の元凶。
だから、消えたい。
レイの望みは、この世界から消え去ること。
できれば、ミラの手で。
そんな残酷なことをレイが望んだりするのだろうか。
ミラは膨らみきった右肩の照準を定めようとするが、レイに銃口を向けることがどうしてもできなかった。砲身は頼りなくふらつき、照準はなかなか定まらない。
「……撃てないよ」
ミラがすすり泣くように言った。
「君の感情は全て受け止める。さあ、撃つんだ」
レイは全てを包み込むかのように両手を広げた。
まるで翼を広げた天使みたいだな、とミラは思った。
いつの間にか、二人を隔てる氷壁は崩れ落ちていた。
レイが少し寂しそうに言った。
「僕の望みを叶えてくれないかな。最後に君の純粋な気持ちを感じたい」
銃弾を浴びたいわけではない。
レイが感じたいのはミラの無垢なる魂だった。
「撃つよ、レイ」
「ああ」
嗚咽とともに全感情を乗せた一撃が《バグった右肩》から放たれた。
それは銃弾ではなく、感情資源の塊となったエモリウムの奔流だった。
聖なる光の奔流はレイの全身を包み込み、天空闘技場を祝福した。
全感情を撃ち尽くしたミラはへなへなとその場にへたり込んだ。
レイへの気持ちは純粋な気持ちばかりじゃなかったかもしれない。
醜く歪んだ気持ちもあったかもしれない。
言葉にできない気持ちも、ぜんぶ、ぜんぶ詰め込んだ。
へたり込んだミラの首に、レイはパピルスでできたネックレスをそっとかけてくれた。
「最期の感情の欠片」
パピルスに刻まれた言葉は簡素だった。
《いつも一緒にいてくれてありがとう、レイ》
《こちらこそ》
《いつまでも一緒にいられたらいいね》
《そうだね。いつまでも》
レイが大事に抱えていてくれた最後の感情に思わず涙がこぼれた。
ただ、いつまでも一緒にいたいと願う混じり気のない純粋な気持ち。
「泣かせないでよ、レイ」
レイは微笑すると、ミラの左手の薬指に指輪をはめてくれた。
婚約指輪みたいだな、と思ったが少し違った。
「これは?」
「――《重課金者の指輪》」
レイがはめてくれたのは、現実に帰還するためのアイテムだった。
「僕と君はもともと文字だけのやり取りだったろう。それが二人にとって最も純粋な形で、最良の形。だからミラ、君を無事に元居た世界に帰したかった」
レイの気持ちが痛いほどに伝わってきた。
「ありがとう、レイ……」
現実世界への転送装置である指輪がわずかに歪んでいるように見えた。
ぴしっ、と砕ける音がした。
せっかくレイが贈ってくれた大事な指輪が粉々に砕けてしまった。
どうやら爆炎と氷結の急激な温度差で歪み、消滅してしまったようだ。
勝者のいない円形闘技場で、レイが申し訳なさそうに言った。
「すまない、ミラ」
「ううん。いつまでも一緒にいようよ、レイ」
項垂れたレイの形のいい頬に手を添わせる。
現実の世界へ戻る手段がなければ、ミラージュ世界こそが現実だった。
ミラとレイが互いに見つめ合う。自然と唇が重なりかけるが、二人だけの世界に水を差すように大賢者チグの声が割り込んだ。
「あー、エモい! どっちも優勝!」
「無課金の女に重課金の指輪は似合わん」
「指輪が砕けたのは象徴的だな」
「キスはまだですか?」
「キース、キース、キース」
遠隔視聴者もやんやの大騒ぎで投げ銭しまくり、すっかり水を差された二人は罰の悪い表情を浮かべたまま硬直した。それから、どちらからともなく距離を取った。
解説の大賢者監理官ナギがさらりと実況放送を締め括った。
「感情コロシアムは爆炎ポテトとエモ騎士レイの同時優勝となりました。ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。実況は大賢者チグ、解説は大賢者監理官ナギでお送りいたしました。それではご機嫌よう」
いや、ご機嫌ようじゃねーから。
優勝者はそのまま上空に取り残される仕様であるのか、帰りの浮遊艇さえ用意されていない。
「なに、これ。上空にずっと放置?」
「いや、ちょっとずつ下がっているみたいだな」
天空闘技場がゆっくり、ゆっくりと高度を下げていく。
チグリリス・ユーフラテス河流域で場外ホームランを待ち焦がれる観客のもとに闘技場ごと突っ込むつもりであるらしい。
「もしかして闘技場そのものがホームランボールってこと?」
「そうらしいな」
「……でかすぎんだろ」
ミラとレイは互いに顔を見合わせ、笑いあった。
レイピアで一突きされ、気絶していたつばめがむくりと起き上がった。
間の悪いことに、レイの顔を見るなり、爆炎をぶちかまそうとした。
「食らいやがれ、爆――」
レイに速攻で組み伏せられ、つばめがじたばたと大暴れした。
「つばめ、試合はもう終わってるから。わたしたち、同時優勝」
「は? 意味わかんねーし。納得いかねー」
負け犬の遠吠えのようにつばめが吠えた。
「解散じゃ、解散。爆炎ポテトは解散じゃ」
「べつに構わないけど」
ミラがスマートフォンに読み込ませると、レイの糖度が100に到達した。
天空闘技場が徐々に高度を下げていくなか、レイがぴったりと傍に寄り添ってくれていた。
ミラがふやけた笑みを浮かべまくっていたからか、つばめがべきべきと拳を鳴らした。
「はい、殺すー。処刑決定ぇー。今日の火力はちょっと凄いぞ」
「つばめがうるさいから、ちょっと壁作ってくれない」
「わかった」
レイが分厚い氷壁を張り、二人だけの世界を形作った。
「うわあ、うぜえぇええ」
つばめが腹いせに爆炎を放ちまくるが、氷壁には傷ひとつつかなかった。
遂には諦め、つばめがごろりと不貞寝した。
ステータス画面がミラに新たな称号を授けた。
――《|血も涙もない冷凍ポテト《フローズン・ビッチ・ポテト》》




