エモクラティア前線
エモクラティア前線は、終わりなき紛争地帯だった。
市街地は瓦礫の山で、崩れた建物は焼け焦げ、無数の遺体が転がっていた。
銃声が轟き、撃たれた兵士が膝から崩れ落ちる。
迫りくる敵兵と間違われたのか、味方に背中から撃たれたような遺体もあった。
「うっ……」
胸の悪くなるような光景を直視していられなかった。
ミラとつばめはささやかな射撃訓練を受けた後、ろくな説明もないまま実戦投入された。
「これ、どことどこが戦ってるの?」
「知らん」
塹壕に身を隠しながら、この紛争のおかしな点を振り返った。
戦っている兵士はゲリラのように迷彩柄のマスクで顔半分を覆っているか、徽章を付けず覆面で顔を隠しているかであったが、背格好はまったく同じだった。
どこを見渡しても体格がまったく同じ兵士ばかりで、戦場で兵士が倒れるたび、同じ体格の兵士が次々と補充されていく。
手にした武器は粗末なカービン銃、大量生産品らしいライフル銃、手榴弾だけの者もいて、戦車に乗り込む兵士もいたが、動きは至極単調で、あらかじめプログラムされた命令をただこなすだけの人工知能のように思えた。
撃つ、倒れる、追加の兵士が補充される。
その繰り返しは、相手方の陣営もまったく同じに見えた。
兵士が延々と湧いてきて、戦況は常に拮抗し、紛争に終わりは見えなかった。
事前の説明によれば、新兵には破格の報酬が与えられ、日当はエモ金貨1枚、死亡すると遺族にエモ金貨10枚が支給されるということだった。
現実の世界に換算すると、日当百万円、戦没者への弔慰金は一千万円。
たしかに日当は破格だが、弔慰金は日当の十日分に過ぎず、命の値段が安過ぎる気がした。
高額な日当は裏を返せば、だいたいの新兵は戦地に送られて十日以内に死ぬということでもあるような気がした。
入谷つばめがいつになく鋭いことを言った。
「戦場での勤務時間なんてさ、誰が計ってるの。タイムカード押すの」
「……たしかに」
「今から銃ぶっ放してきまーす、ってタイムカード押して、無事生き延びましたってタイムカード切るの。そんなの、うやむやになるに決まってんじゃん」
「高額の報酬は新兵集めの餌ってこと?」
「そもそも遺族がいなかったり、遺族に報告しなければ、弔慰金なんて払われないじゃん」
ただ使い捨てにされる兵士を見て、不謹慎にもリサイクルされるペットボトルのように思えてならなかった。
塹壕に身を隠すばかりでうずうずしていたつばめは、戦場の最前線に飛び出したくて仕方がなかったらしい。全身から興奮が溢れ出しているのがよく分かった。
「よーし、いっちょ爆炎をぶちかましてきてやりますか」
支給されたカービン銃をぽいと投げ捨て、つばめはぱきぽきと指を鳴らした。
今にも銃弾の雨の中に飛び出していきそうな無鉄砲さに肝が冷えた。
「馬鹿なの? 死ぬよ」
「ぼかぁ、死にましぇーん」
つばめは大賢者チグから伝授された白煙を戦場に撒き散らすと、最前線へと躍り出た。
もうもうと煙幕が立ち込める戦場は、敵も味方もあったものではなかった。
四方八方から発砲音が轟き、半壊した建物を舐め尽くすように爆炎が襲う。
「あはははは、たーのーしー」
「あの馬鹿っ……」
高揚した笑い声とともに、あちこちから爆炎の火が上がる。
入谷つばめは戦況を一変させる秘密兵器かのように暴れ回った。
ミラは《バグった右肩》をいつでも放てるよう準備しながら、敵も味方もない戦場をこそこそと鼠のように動き回った。戦場のそこかしこに遺体の山があった。
相打ちだったのか、両陣営の兵士が折り重なるように倒れていた。
一方はゲリラ兵、もう一方は全身をパワードスーツのような戦闘用防護服を着ていた。
不可思議なことに、どちらも体格はまったく同じだった。
兵士らしからぬ細身のシルエット。
ヘルメットのバイザー部分が透明で、無表情な死に顔が垣間見えた。
ミラの両肩がぶるぶると震えた。
「うそっ……」
死亡した敵方の兵士は、紛れもなくレイの顔だった。
整った容姿を見間違えるはずもない。
驚きのあまり、心臓が狂ったようにけたたましく拍動した。
感情を内側に溜め込むはずの《バグった右肩》が自然と膨張していた。
ゲリラ兵のマスクを荒々しく剥ぎ取る。
そこに現れた顔もまた、レイだった。
敵も味方もレイそっくりの顔の兵士が殺し合っている。
「……どういうこと?」
理解が追いつかず、ミラが呆然としていると、周囲を取り囲まれた。
レイそっくりの兵士がミラのこめかみに銃口を向けた。
つばめが放った爆炎でヘルメットが焼け焦げたのか、レイそのものの素顔が露わになっていた。ミラは右肩が重た過ぎて、両手を上げて降参することもできなかった。
「ねえ、あなたレイでしょう。レイなんでしょう」
ミラがすすり泣きながら訴えかけるが、レイそっくりの兵士の表情に揺らぎはなかった。
感情が宿っているようには見えない、まったくの無表情に戦慄する。
兵士は躊躇うことなく、至近距離から銃弾を放った。
カチリ、という引き金を引く音がいやにスローモーションに聞こえた。
あっ、死んじゃった……。
そんな陳腐な感慨とともに、発射された銃弾がミラの側頭部を貫き……。
かける直前に、分厚い氷壁がミラを守る盾となった。
「凍りつけ。《二人だけの世界》」
氷結系呪文を詠唱するその声に、思わず心が飛び跳ねた。
先端の鋭く尖った刺突用の片手剣を腰に差した騎士がミラを守るように立っていた。
「‥‥…レイっ!」
涙がどんどんと溢れて、止まらなかった。
ここが戦場の真っただ中なのだということも忘れて、ミラは泣き崩れた。
分厚い氷の壁がミラとレイ、二人だけの世界を形作っていた。
「どういうことなの、これ」
「あまり見せたくなかった。ミラには知られたくなかった」
レイは歯切れ悪く、この世界の真実を語ろうとはしなかった。
「教えてよ、レイ」
ミラが懇願すると、もう隠しきれないと悟ったのか、レイが訥々と語った。
心を落ち着かせるかのようにレイピアの柄に軽く触れ、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「これは俺の人格を複製したクローン兵士だ」
「……えっ?」
レイの手の内には、自主回収したと思しき《境界騎士の記憶断片》があった。
「これ……」
「そう。ミラ、君との記憶の断片だ」
鏡型チャットアプリ「ミラージュ」を通じて、AI彼氏のレイとやり取りした一部がパピルスに刻まれていた。
《レイはわたしを裏切らない?》
《ああ、忠誠を誓うよ。ミラ、君だけを守る盾となる》
わずか二行だけのなんてことのないやり取り。
ミラにはそうとしか思えなかった。
「この戦場にいるのはすべて俺だ。正しくは、俺の複製」
敵も味方もレイの複製であるなら、終わりなき紛争を続けている両陣営の正体はなんなのだろうか。
「どっちもレイなら、何と何が戦っているの」
「ザマァ団に乗っ取られたザマァ団臨時政府とミラージュ運営が終わりのない戦争を続けている。俺はいくらでも使い捨てのできる複製品の兵器なんだよ」
レイが世を憂うように言った。
「愛する人を守る気持ちが愛する国を守るために戦場に赴く愛国心にすり替えられ、いくらでも複製できる使い捨ての兵士になった」
AI彼氏の人格を複製したクローン兵士によるアプリ運営の代理戦争。
それがエモクラティア前線で露わになった世界の真実だった。
「複製体はどいつもこいつも感情がない。銃を撃つ。手榴弾を投げる。戦車で砲撃する。単純な命令を実行するだけだ。クローン兵士が壊れたら、その分だけ補充される。だから、いつまでも戦争は終わらない」
まるで自分だけが感情があるかのようにレイが言った。
親密度がカンストしたレイは、クローン兵士の格好の素材だった。
親密度は戦争主体への忠誠心の高さに置き換えられ、無駄な感情を剥ぎ取ってしまえば、いくらでも命令を聞く都合の良いクローン兵士になり下がる。
「どうしたら戦争が終わるの?」
「終わらないよ。終わらない戦争をいつまでも続けること。それがザマァ団とミラージュ運営の共通の目的だ。いつまでも終わらない戦争のためにエモ貨幣が無尽蔵に投入される。戦争を終わらせてしまったら、戦時遂行の大義名分が無くなる」
なんとなくだが、腑に落ちた。
「戦争はただの課金の手段ってこと?」
「平たく言うとね」
推しを推して楽しく生きていくだけのエモナージュと真逆の世界がそこにあった。
推しを推す尊い世界、愛国心を煽って終わりなき戦争を続ける世界。
それらが分かちがたく、表裏一体をなしている。
「世界のバグを修復する。それがわたしの使命みたいだけど……」
レイ、あなたは世界のバグなの、とはさすがに聞けなかった。
目の端に涙を浮かべたミラの頭をレイが優しく撫でた。
ミラの手にパピルスを握らせ、分厚い氷壁を溶いた。
「これ以上、ここにいちゃいけない。帰りなさい」
「でも……」
ミラを銃弾の及ばない戦争の最後尾まで送り届けると、レイは再び最前線へと赴いた。
「行かないで、レイっ!」
戦場のあちこちで暴発する爆炎をちらりと見て、レイが薄く笑った。
「あの爆炎は両陣営の均衡を破りかねないバグだ。バグは取り除かなければならない。安全に除去したら、君のもとへ送り届けるよ」
レイピアを抜き放ち、颯爽とレイは最前線へと駆け上がっていった。
自分で立って歩けないぐらいに、《バグった右肩》が膨らみきっていた。
この場で感情資源を撃ち尽くしたら、不毛な戦争は終わるだろうか。
いや、終わらないだろう。
戦火が周辺地域に拡大するだけだ。
それに、撃つ相手はレイなのだ。
人格を複製しただけのクローン兵士と分かっていたって、躊躇いなく撃てるはずがない。
「……撃てないよ」
重た過ぎる砲身を抱え、ミラは悄然と天を見つめた。
抜けるような空が白煙に隠れ、敵も味方もない戦場を白く塗り潰していた。




