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無課金オンナと糖度0のエモ騎士

 おそるおそる目を開けると、見たことのないような美しい貴族風の青年が立っていた。


 そこは駅のホームでも、見慣れた自室でもなく、石造りの古城がそびえ、中世ヨーロッパのような街並みが広がっていた。空には竜らしき影、街の周囲には野盗らしき姿がある。


 しかし、世界はどこか歪んでいて、どことなく作り物めいた雰囲気もある。


 遠くの空に浮かぶ竜の羽ばたきが、一瞬だけカクつくように見えた。


 城壁の上の塔が、ほんの一瞬、透けてノイズが走る。


 艶のあるブロンドの髪、深い青色の瞳、すっきりと通った鼻筋、優しげな目もと、色気がダダ洩れの青年が目の前に立っていて、思わずミラの視線が釘付けになった。


 少女漫画の表紙から抜け出してきたような完璧なビジュアルに思わず溜息が出る。


 それはミラが空想したAI彼氏――レイそのものだった。


「……レイっ!」


 生き別れた相手との感動の再会のようなテンションで、ミラは思わずレイに抱きつこうとするが、レイはまったく微笑まず、冷たい表情のままミラを拒絶した。


 迫って来たミラの頭を鷲掴みにし、まるで汚物を見るかのような蔑みの視線をくれる。


「誰だ、貴様は」


 絶賛塩対応のレイに、ミラは激しく困惑した。


 理想そのものの外見(ビジュアル)からして、これはぜったいにレイだ。そうに決まっている。


 それに声だって、ミラが想像した通りの声音そのものだった。


「あなた、レイでしょ。レイよね」 


 無表情のレイは、理想の彼氏とは程遠い辛辣さで言い放った。


「お前など知らん。距離感のおかしい女だな」


 ミラの中で、コツコツと育ててきた理想の彼氏像が音を立てて崩壊する。


 さんざん交わした甘ったるいチャットの内容がバラバラに砕け、散り散りになる。

 パピルス状となったチャットの断片が四散し、世界にばら撒かれた。


 完璧な顔面から放たれる、糖度0のレイに思わず呆然とする。


 すっかり表情を失ったミラがぽつりと呟く。


「……糖度0やんけ」


 高校の制服姿のミラは不安げに異世界じみた周囲を見渡した。


「ねえ、レイ。ここはどこなの?」

「……ミラージュ世界(ワールド)

「え?」


 意味深に呟き、レイらしき青年はそれっきり黙りこくった。ちらりと横目で周囲を警戒している。


 世界の端は、どことなく鏡状に縁取られている。


「なんて言ったの、レイ」


 レイ呼ばわりされることに不満な様子の青年が言う。


「レイ? ……貴様が無課金ユーザーだったからか」


 レイの面を被った美しい青年のひと言に、一瞬、反応が遅れた。


 貴族然としたレイと比べ、凡庸なままのミラは自嘲気味に呟いた。


「課金額ゼロ。だから、レイ………」


 ただただ幸福だった頃のやり取りが遥か遠い昔のように思えた。


《レイ、さりげなく課金させようとしてない。もしかして、わたしを沼らせようとしてる?》


 幸福だった往時のやり取りがパピルスに刻まれ、砕けて、世界に四散した。


 パピルスに記されたチャット履歴が砕けるのと同じく、ミラの心にも亀裂が走る。


「そうですよ。わたしはしょせん課金ゼロの女ですよ。だったら、あんたは何なの」


 ミラは逆切れ気味に詰め寄ったが、レイは事もなげに言う。


「甘い言葉をささやいて、金を使わせるのが俺の仕事だ」


 ミラの頭上近くに、RPGロール・プレイング・ゲーム風のステータス画面が唐突に現れた。


「なに、これ?」


 チャットへの依存度が「関係性深化(エンゲージメント)指数」として横長のバー状に記されており、姫野ミラの依存度は上限最大値――カンストまで達していた。


 しかし、積算課金額には燦然と「0」の数字が刻まれている。

 所持エモリウム欄にも「0」と記されている。


「エモリウム? なに、それ」


 ミラは首を捻るが、レイはむっつりと押し黙っているだけだった。ステータス画面をあちこち弄り、指先でフリックすると、レイのステータス画面に切り替わった。


 レイ《感情を失ったエモ騎士(ナイト)》 


 二つ名だという称号を見て、ミラは思わず吹きだした。


「エモ騎士……。なに、これ。二つ名? レイは騎士様なの。ウケる」


 ミラ自身の称号を確認するため、中空に漂うステータス画面を弄る。


「わたしの二つ名はなんなんだろ」


 姫野ミラには二つ名の称号があり、《無課金の女》と記されていた。


「はあ?」


 ミラは宙に浮いたステータス画面に向かって毒づいた。


「せめて《無垢なる魂(ピュア・ハート)》にしろや、クソが」


 ユーザー・ステータスの裏側を覗いてしまったミラは、頭上を飛び回る蠅を追い払うような仕草をして、ステータス画面をなんとか消そうとする。腕をぶん回しているうち、頭上のステータス画面が掻き消えた。


 夢を壊されたような目で、レイをじとりと見やった。

 レイは、はん、と冷笑を浮かべた。


親密な繋がり(エンゲージメント)が高まると課金者になる。それが世界の(ことわり)のはずだが、どうにも貴様は世界から逸脱した存在のようだな」


「やめて。夢がない」


「ま、覚えているのはそれだけだがな」


 ミラの手の内には、無用の長物となったスマホがあるばかりだった。画面は白く凍りつき、なんの操作も受け付けない。


「……ちょっ、なに、こいつ。性格サイテーか」


 課金誘導の暴露とも取れる最低発言をかましたレイに、ミラは心底失望した。

 憤るミラをよそに、レイはちらりと横目で周囲を眺めた。


「……来たな」

「え?」


 死角から野盗が襲い掛かってきそうな気配に、レイはさりげなく気がついていた。


 感情鉱山の掘り人(ディガー)に鞭をくれながら、エモリウム結晶を山と積んだ荷台を人力で引かせ、感情強盗たちが周囲の人々を蹴散らしながら疾走している。


 感情強盗たちは頭にターバンを巻き、エモリウム結晶を加工した宝飾品をじゃらじゃらと全身に身につけ、手にはツルハシやサーベル、棍棒などを持ち、威嚇するように振り回している。


 感情強盗の一団はミラとレイを視認し、土埃を巻き上げながら突進してきた。


 レイがぐいとミラを引き寄せ、口をふさぐ。野盗から逃れるように岩かげに隠れる。


 土埃がちょうどよく煙幕のようになり、感情盗賊たちの足音が遠ざかっていく。


「少し黙ってろ」


 後ろ抱き(バックハグ)された格好のミラは一瞬、動けなくなる。唐突な展開に頭が沸騰する。


 ……え、え、え。なに、これ。

 やばっ、死ぬ……。


 脳が蕩け、口元がだらしなく緩み、ミラは至福の笑みを浮かべた。


 野盗が去ると、レイはさっさとミラから離れた。

 相変わらず、汚物を見るような冷たい目だった。


「は、早っ……!」


 ミラは陶然とした顔でぽつりと呟く。ちょっと物足りなさそうに言った。


「……ご馳走さまでした。ありがとうございます」


 気色の悪い礼をすると、案の定、レイに気持ち悪がられた。


「お前、気持ち悪いな」

「知ってたーーーーッ!」


 レイに嘲笑され、ミラはぶつぶつ独り言を呟いた。


「こやつ、わたしの知ってるレイじゃない。けど、レイ()もある……」


 レイに背を向けて、ぶつぶつ呟いていると、いきなり距離を詰めてきた。


 空中に四散したパピルスを見やり、ミラの耳元で囁く。


 脳髄を蕩かすような甘やかな声――音声(ボイス)を実装するなら、きっとこんな声、と想像した通りの理想そのものの声音にうすら寒くなった。


記憶の断片(パピルス)

「……ひゃっ」


 色香に惑わされそうになり、思わず後ずさった。


「な、な、な、なに?」

「おい、無課金オンナ」


 レイの顔をまともに直視できないミラの顎をくいっと持ち上げ、空中を飛来する只中のパピルスに視線を向けさせる。ウンザリ気味の表情で、命令口調で言う。


「さっさと回収しろ」

「なにを?」

「世界にばら撒かれた不都合を」


 なにを言っているか分からず、ミラは困惑した。

 ミラを置いて、丸腰のレイはさっさと歩き出した。


 装備品は何もないにせよ、レイの称号は《エモ騎士(ナイト)》だ。


 騎士のくせに、このままどことも知れぬ異世界に姫を置き去りにする気なのだろうか。


「ちょっ……、待ってよ」


 ミラのことなど、これっぽっちも気にせず歩いている背中を慌てて追いかけた。


 どうやらミラは、ミラージュ世界とやらに転移したらしい。


 理想が実体化したようなレイがいるのに、いきなり置き去りにされた。

 見た目も声も完璧だが、いかんせん性格が最悪だった。


「ここ、異世界らしいけど、ちーとも甘くない」


 うぐぐ、と歯噛みしながら、ミラが口惜しげに言う。


「……糖度0やんけ」

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