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エモ騎士不在の打ち上げ

「打ち上げ会場まで徒歩で移動します。付いてきてください」


 大賢者監理官ナギはすたすたと歩いていく。聖典頒布殿の周囲は薄い本を手にしたお渡し会帰りの参加者でごった返しており、すぐにナギの背中を見失った。


 ミラが急ぎ足で追おうとすると、レイピアを腰に差し、金貨袋を腰にぶら下げたレイがさっと手を差し出した。


「逸れないように手を繋ごうか、ミラ」

「え、あ……」


 騎士のように跪き、ミラの手の甲に口づけこそしないが、公衆の面前で手を繋いで歩くのは平気であるらしい。


 ここでレイの手を取って歩いたら、せっかく感情資源をガス抜きしたのに、またしても右肩がみっともなく膨らんでしまうのは目に見えてしまう。


 レイの手を取ろうとしているのを躊躇していると、嫌な考えがつい脳裏を過ぎった。


 やけに優しいのは、三千万円相当ものエモ貨幣を課金したからだろうか。


 糖度0の時は「さっさと歩け、無課金オンナ」なんて言っていたのとえらい違いだ。


 重課金したお返しとして手を繋いでくれるだけだと思うと、心に隙間風が吹いた。


「ずいぶん優しいんだね。わたしがエモ金貨をいっぱい貢いだから?」


「純粋にミラと手を繋ぎたいだけだよ。少し疲れてみるみたいだね」


 レイが困ったような笑みを浮かべた。


 まったく膨らみのない右肩をちらりと見て、ミラが追及するように言った。


「レイに金貨を預けたのは、わたしが課金したってことになるの?」


 ミラが多額の貨幣を持っていると危ないので、さほど深く考えずにレイにエモ金貨を預けたが、その行為が「課金」に該当するというのであれば、ミラはもはや《無垢なる魂(ピュア・ハート)》ではなく、《無課金の女》でさえない。


 レイの行動原理は、糖度0の時のレイ自身がぶっちゃけていた。


 ――甘い言葉をささやいて、金を使わせるのが俺の仕事だ。


 甘い言葉さえなく、さしたる課金圧もなく、まるで投げ銭するような軽い気持ちで多額のエモ金貨を貢いだミラはチョロい女だろう。


 事実、そうだとしても、チョロい女扱いは許し難い。


 しかし、課金によって手を繋ぐ特別対応(ファンサ)を買ったと受け取れなくもない。


 レイの優しさが純粋なものではなく、課金の代価だとは考えたくなかった。


「金貨を預けた行為が課金に該当するか気になるんだね。ステータス画面の積算課金額を確認してみたらいいんじゃないかな」


「うん……」


 積算課金額にエモ金貨「30」と表示されていれば、課金扱いとなるのだろう。


 ミラがステータス画面を確認しようとするが、混雑した客に押し流され、ステータス画面がどこかへと押し流されていった。


「ちょっ……、ステータス!」


 ミラが叫ぶ。


 突然、レイが腰に差したレイピアを抜き、猛然と走り出した。


「どうしたの、レイ」


「金貨袋を掏(す)られた。ミラは先に打ち上げに行っていて」


 どうやらレイは金貨袋を盗まれたらしい。


 白いぼろ切れを纏った盗人が金貨袋を振り回しながら、人混みに紛れた。


 まるで幽霊みたいに忽然と姿が消えてしまったが、レイが脱兎のごとく追跡した。


 ミラはぽつんとその場に置いてけぼりになった。


 人混みに流されたステータス画面がしれっと戻ってきて、ミラに新たな称号を授けた。


 ――《置き去りにされた無課金オンナ》


 積算課金額は「0」、所持エモリウムも「0」となっていた。


「これ、どっち?」


 レイにエモ金貨を渡したのは課金に該当したが、盗人に盗まれたので課金は帳消し(チャラ)となったのか。


 それとも、ただ金貨を預けただけで、課金には該当しなかったのか。


 どちらか判別がつかなかったが、それよりも問題なのは打ち上げ会場の場所を知らされていないことだった。


「打ち上げ会場の場所、わかんないんだけど」


 ミラは青色の《神託》ボタンを押した。唐突に「ポテト・ガール運搬任務(ミッション)」なる芋運び任務が発動したかと思いきや、ミラは無数の観光客に高々と掲げられた。


「……え? な、なに?」


「そら、運べ、運べ」

「それ、わっしょい、わっしょい」

「ポテト・ガール。擦られすぎちゃったのかな。肩が萎んでるね」


 中空に行き先を示す矢印が表示され、ミラは大玉送りの大玉か、ライブ会場でダイブした観客がステージ前まで運ばれるかのように、打ち上げ会場前まで運ばれた。


 打ち上げ会場は、銅貨一枚でドリンクバーが頼める庶民御用達のカジュアルレストラン「サイゼリ庵」だった。ボックス席は家族連れの客で騒がしかった。


 店内をうろつくと、先着した大賢者チグは辛味チキンを頬張っていた。

 チグの隣には、大賢者監理官ナギが静かに座っている。


「ミラっち、こっち、こっちー」

「お待たせしました」


 手招きされ、ミラは四人掛けのボックス席に腰を下ろした。

 レイが不在であるのに気がついたチグが首を傾げた。


「ミラっち、ひとり?」


「金貨を掏られちゃって。今、レイが追ってます」


「そっかあ。なに、食べる? ドリンクバーは人数分頼んどいたよ」


 メニュー表を寄越されたが、大賢者チグはエモ金貨の盗難にはさしたる関心を示さなかった。エモナージュ界隈では盗難が日常茶飯事であるのか、それとも金貨など、また生み出せばいいじゃん、ということなのか。


 ミラがサイゼリ庵の人気メニューを眺めた。


 エモナージュ風ドリア、若鶏の大賢者風、冷たいポテトスープ、モッツアレラのマルゲリータピザ、ティラミス・エモツィオーネ。


 どれも銅貨数枚の値段で、エモ金貨の価値と比べると、衝撃的な安さに思えた。


「どうしよう、悩む」

「ミラっち、決まった?」

「いえ、まだ」


 せっかちな大賢者チグが店員を呼び止め、追加注文をした。


「とりあえずドリアと若鶏、ポテトスープを三つ、ピザを二枚追加で。あと、エスカルゴも」


「ご注文は以上でよろしいでしょうか」


 チグが次々に頼むからか、ナギは特に何も頼まず、ミラは食後のデザートを注文するだけにした。


「じゃあ、食後にティラミスを」

「ティラミス、人数分。とりあえず三つで」


 大賢者チグが横から口を挟んだ。店員は小さく会釈し、キッチンへ戻った。

 料理がテーブルに並べられても、一向にレイは姿を現さなかった。


「レイ、打ち上げの場所、知らないんじゃ……」


「《神託》でお伝えしています。ご心配なく」


 大賢者監理官ナギはお上品にピザを頬張りながら、盗人の逃走経路をレイに伝えているようだ。


 ナギにとって感情教会国家エモナージュは庭も同然であり、エモナージュに上陸した全ての観光客の挙動をマッピングし、位置情報を追跡しているようだった。


「最高だったねえ、お渡し会。またやろうね」

「はあ……」


 大賢者チグはどこまでも上機嫌だが、ミラはどことなく上の空だった。


 レイは盗人を追い詰めているようだが、それにしては遅い。


 つい、現実の世界にいた時の癖でスマートフォンを眺め、ミラは驚愕した。


 ミラージュ世界での経過時間が一万二千時間を超えていた。


「は? どういうこと? これ、現実の世界に戻ったら、二年経ってるってこと? わたし、高三になってるってことですか。いや、それとも留年してんのかな」


 二年間、ひたすらに続く神話級のお渡し会イベントは、大賢者監理官ナギが主観的体感時間に干渉する《凪のお暇(タイムレス・キーパー)》を発動させたことでどうにかやり過ごせたが、経過した時間は一瞬ではなかった。


 残酷なまでの時間の経過にミラは慌てるが、ナギは相変わらず平坦な声で言った。


「この世界では経過時間はいくらでも操作できます。主観的な体感時間こそが肝要です。ご希望なら、経過時間を0に戻しましょうか」


 まるで時刻の狂った時計をいったんリセットするような気軽さだった。


「時間を戻したら、どうなるんですか」


「どうにもなりません。この世界で重要なのは体感時間だけですから」


 ミラージュ世界での滞在時間――「12,028時間」。


 これがただの数字だというなら、わざわざ戻す意味もないだろう。


「分かりました。ひとまず、そのままで大丈夫です」


 レイはまだ盗人を追いかけているのか、まったく姿を現す気配がない。


 テーブルには食後のデザートが並んでいた。

 大賢者チグはティラミスをつつきながら、不思議そうに言った。


「ミラっちは現実の世界に帰りたいの?」

「……はい」


 ミラは少しばかり逡巡した後、こくりと頷いた。


 ここはどこまで行っても作り物の世界であることは理解している。


「なんでえ? こっちの世界の方が楽しいじゃん。現実の世界に戻ったって苦しいだけじゃん」


「そうですね。だけど味気ない高校生活があったから、理想の彼氏(レイ)にときめいていられた。それが当たり前になってしまったら、いつか慣れてしまう気がするんです。だから、現実の世界に戻る手段があるなら、今すぐじゃなくても帰りたいと思います」


 姫野ミラと大賢者チグには埋めがたい溝があった。


 ミラージュ世界にどっぷり浸かったチグには、現実の世界に帰りたいというミラの心境がさっぱり理解できないようだった。


「現実の世界なんて、なにも良いことないよ。社会人になったって、あんまり変わらないよ。そこそこ給料があっても、半分ぐらい税金に持ってかれちゃうし。何にも考えずに推しを推していられるこの世界は天国だよ」


 ナギは二人のやり取りに加わらず、静かに紅茶を啜っていた。


 ミラージュ・アプリに廃課金したチグはともかく、アプリに課金しそうもない冷静なナギがどうしてミラージュ世界に転移してきたのか、ふと疑問に思った。


「ナギさんはどうしてミラージュ世界に転移してしまったんですか」


 ミラが訊ねたが、ナギは紅茶を啜ったまま、押し黙っていた。


 無言のナギに代わって、申し訳なさそうにチグが異世界転移の経緯を話した。


「ミラージュ・アプリの大規模通信障害があった時、データを復旧させたかったら課金しろ、って迫られたじゃない。ちょうどお金がなくて、半分ナギちゃんに借りたの。それで気がついたらこの世界に二人揃って転移していた」


「なるほど。そういう経緯で」


 チグとナギの姉妹が揃って異世界転移してきた経緯は理解した。


 姉に金を貸しただけのナギはほとんどとばっちりだ。ミラージュ世界を心底楽しんでいるチグはともかく、ナギは現実の世界に未練はないのだろうか。


 ふとナギが紅茶を一口啜ってから静かに言った。


「現実の世界には戻れません」


「……え?」


「現状、ミラージュ世界から現実の世界へ帰投する手段は確認されていません。二つの世界を往還する術がない以上、ここが現実の世界ということになります」


 淡々と無機質な調子で現実の世界へは帰れないと告げられた。


「冗談……ですよね?」


 生真面目なナギは冗談など言いそうもない。


 でも、思い出した。


 たしか、入谷つばめは「現実にいつでも戻れる指輪」を持っていた。


 現実へ帰還できる転送装置の指輪はミラージュ世界に存在するはずだ。


「現状、手段がないということは、かつては現実の世界へ帰る手段はあったんですか」


 ナギがこくりと頷いた。


「従来ですと、二通りの方法がありました」


 まったく感情の混じらない声で、ナギが淡々と説明した。


「一つは、ザマァ団に重課金した証である《重課金の指輪》を身につけること。もう一つは、感情宇宙港から現実世界行きの宇宙船に乗ること」


 どうやら入谷つばめが持っていたのは《重課金の指輪》だったらしい。 火は点けられるけど消せない爆炎使いは、自らが放った炎に飲まれ、貴重な指輪は燃え落ちた。


「その指輪があれば現実に戻れるんですか」


「エモダムの放流によって、ザマァ団の一味のアジトは壊滅しました。しかし壊滅したのはアジトだけです。ザマァ団の残党は《重課金の指輪》を片っ端から廃棄し、どうしても現実世界へ帰りたくば、ザマァ団の配下になるよう迫りました」


「配下になれば、現実に戻れるんですか」


「指輪が失われているので、無理ではないでしょうか」


「そんなの、配下になり損じゃないですか」


「そうですね。一生ザマァ団の下働きに従事させられるだけです」


 大賢者チグがついでのように言った。


「そういや私、《重課金の指輪》は持ってたけど、コラボカフェでエモを使い過ぎちゃって、借金のカタに手放しちゃった。なはは」


 現実へ戻る手段を失っているのに、あっけらかんと笑っていられるところに底知れないの狂気を感じた。現実の世界にこれっぽっちの未練もないのだろう。


「でも、こっちの世界の方が楽しくない? ずっとこっちの世界で暮らそうよ」


 遠慮します、という返事をミラはぐっと飲み込んだ。


 ミラージュ世界から《重課金の指輪》が失われ、現実へ帰還できるのは唯一の手段だけとなった。


 感情宇宙港から現実世界行きの宇宙船に乗ること。


 しかし、この手段も実質的には利用できないものとなっているらしい。


「感情宇宙港は《感情貴族(エモクラート)》に占拠され、現実世界行きのチケットは一般市民には手が出ない価格になりました」


「エモ金貨何百枚とかですか」


 現実の世界に換算すると、数億円。


 たしか火星に旅行するのだって数千万円ぐらいだと聞いたことがある。


 大賢者監理官ナギは静かに首を横に振った。


「まったく足りません」


「つまり、実質的に現実の世界に戻る手段はないと?」


「結論としてはそういうことになります」


 エモ騎士不在の打ち上げ会で、大賢者チグがミラの右肩をぽんと叩いた。


「そういうことだからさ。一生、ここで推しを推して生きて行こうよ。楽しいじゃん。最高だよね。ここが現実だよ、ミラっち。元居た世界なんて、とっとと忘れちゃいなよ」


 感情資源を溜め込むミラの右肩は、今はすっかり萎れていた。


 なんの感情もない虚無状態のミラは呆然とした面持ちで、ティラミスにフォークを突き立てた。


 いつまで経ってもレイは現れず、盗人を追いかけたまま姿を眩ましていた。


 ふと、ミラの脳裏に最悪の想像が過ぎった。


 疑いたくはないが、どうしても最悪の事態を想像してしまった。


 ――甘い言葉をささやいて、金を使わせるのが俺の仕事だ。


 と冷たく言い放った糖度0のレイこそが偽らざる本心を語っていた。


 極めつけのようにこうも言っていた。


「親密な繋がり(エンゲージメント)が一定以上に高まった使用者(ユーザー)が課金者になるまで離さない。そういう仕様だからな」


 課金者になるまで離さない。裏を返せば、課金者になれば離れる。


 すでに親密度はカンストしていた。


 あとは課金させて離脱するだけ。それがレイの仕様だった。


 どだい、《記憶の断片(パピルス)》をひとかけら回収しただけで、糖度30にまで急回復するなんて、よくよく考えればおかしなことだった。


 レイの仕事は徹頭徹尾、ミラに課金させること、それだけだった。


 エモ金貨30枚という報酬を手にして、もうこれで十分と判断した。


 ミラから奪ったエモ金貨をザマァ団に上納したのか、それとも……。


「レイはザマァ団だったんだ……」


 どこまでも嫌な想像が脳内を駆け巡り、罪のないティラミスがバラバラに引き裂かれた。


「くそぅ、レイのやつ……。レイのやつぅ……」


 わたしを裏切りやがって、という言葉が溢れかけたが、すんでで飲み込む。


「《感情を失ったエモ騎士》レイがザマァ団の共鳴者(シンパ)である確率を推計しました。――確率計算不能。エモ金貨の盗難と共鳴者であることの因果律を見出せません」


 大賢者監理官ナギの神託はほとんど耳に入らなかった。


 目に涙を浮かべたミラは、ひと思いにティラミスを口に放り込んだ。

 まったく咀嚼せず、そのままごくんと飲み込んだ。


 ステータス画面がここぞとばかりにミラに新たな称号を授けた。


 ――《|ティラミス・エモツィオーネ《エモいティラミス》にトドメを刺した女》

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