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感情資源変換機

 永遠に続くかと思われたお渡し会が終了し、大賢者チグは興奮しきっていた。


「お疲れ様。打ち上げ行こー。打ち上げ!」


 浮かれきった声に充実感が滲んでいるが、ミラは今にも暴発しそうな《バグった右肩(ライフル・アーム)》が溜め込んだ感情資源(エモリウム)をどこにぶちまけるか、そればかりが頭の中を占拠していた。


 イベント終了後も、聖典頒布殿にはまだ大量に人が居残っていた。


「どこか人のいないところで、ぶっ放したいんですけど。マジで、もう漏れそう」


 すでに感情資源は溢れんばかりで、こんな人混みで感情を一斉に放出したら、どれだけの被害が出るだろうか。どこもかしこも人ばかりなので、近くの人々を必ずや巻き添えにしてしまうし、災害級の被害を引き起こしてしまうだろう。


「ミラっち、打ち上げ行こうよ。打ち上げ」


 大賢者チグは大規模イベントを終えた達成感からか、限りなくハイテンションだった。


 ミラの膨れ上がった右肩など、ほとんど眼中にないようだった。


 腰にさりげなく手を回し、ミラを支えているレイが心配げに囁いた。


「大丈夫かい、ミラ」

「……いいや。ヤバい」


 手押し車で芋を運ぶかのように粗雑に扱ってくれたなら、それなりに冷静でいられたのに、レイがどうにも甘々な態度をとるから、ミラの感情は完全に振り切れそうだった。


 その証拠に、右肩がまるで心臓が拍動するかのように激しく鼓動している。


 大賢者監理官ナギがさり気なく言った。


「後から合流するので、チグは先に打ち上げ会場に向かってください」

「ええ~、私だけぇ?」


 チグが非難がましい目でナギを見つめた。


偶像(アクスタ)と一緒に楽しんでいてください」

「了解。じゃあ、いつもの店で」


 大賢者チグは推しの偶像を握りしめると、るんるんと小躍りしながら人波をすり抜けていった。まるで、つむじ風が吹き抜けていくみたいだった。


「その肩では打ち上げも楽しめないでしょう。どうぞ、こちらへ」

「すみません」


 連れて行かれた先は、感情結晶エモリウムを精製する溶鉱炉だった。


「失礼します」


 もこっと膨らんだ右肩に吸い付く吸盤状のポンプを装着された。


 ポンプの先は、ぐつぐつと泡立つ溶鉱炉に接続されている。


 泥っぽい感情資源、水っぽい感情資源、濁った感情資源、スライム状の感情資源をひとまとめにしてポンプが汲み上げ、溶鉱炉へと流していた。


 どくどくとポンプが稼働するうち、膨らみきっていた右肩が次第に萎んできた。


「これは?」


「《感情資源変換機エモリウム・コンバーター》です。肩に溜まった感情をエモ貨幣に変換しています」


「うわっ、金貨になってる」


 ミラは驚きの面持ちで、エモ貨幣の精製現場を見つめた。


 自らの感情を資源にして、幾枚ものエモ金貨が生み出されていた。


「今回の転換(コンバージョン)で得られたエモ金貨は30枚です」


 出来立てほやほやの金貨は赤々と熱を帯びており、貨幣職人の手によって急冷されると、しゅうしゅうと白煙を立ちのぼらせた。


「報酬だ。取っときな」


 金貨袋を投げて寄越され、ミラはよたよたしながらキャッチした。


 絞った口は、革紐でぐるぐる巻きにされている。


 金貨袋を手に持ったまま歩くと、金貨が擦れて、がしゃがしゃと音がする。


 エモ金貨の価値がどのぐらいあるのか知らないが、ミラが持っていると危なっかしい。


「レイ、持っていてくれる?」

「ああ」


 金貨袋を手渡すと、レイはおもむろに腰に吊るした。手慣れた冒険者風で格好いい。


「あー、肩が軽い」


 右肩のガス抜きをしたおかげで、すこぶる肩が軽い。

 左の肩と遜色ないほど、すっかり右の肩が細くなった。


「ありがとうございます、ナギ様」

「打ち上げ会場に参りましょう。早く行かないと、チグが拗ねますので」

 

 ミラはぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。

 レイの支えも要らず、どこへでも一人で歩いて行けそうだ。


「ちなみに、この金貨って、どのぐらいの価値があるんですか」


 自分の肩から金貨が生み出されるのはどうにも不思議な気分だった。


「貨幣の価値は、貨幣の総流通量によって変動します」


 質問が悪かったのか、直接的な回答が得られなかった。


「現実の世界に換算すると、エモ金貨一枚で一万円ぐらいですか」


「エモ貨幣の現実換算レートは、貨幣量によって変動しますが」


 大賢者監理官ナギは律儀に注釈を入れつつ、断言した。


「エモ金貨一枚百万円。現実換算では、その程度の価値とお考え下さい」


 ミラは一瞬、理解できず、あんぐりと口を開けた。


「……へ?」


 聖典のお渡し会の売り子を務めることで得たエモ金貨三十枚。

 現実換算すると、ざっくり三千万円。


「わたし、めっちゃ金持ちじゃね?」


 ミラは右肩が生み出した法外な価値に慄いたが、感情教会国家エモナージュに架かった橋を渡るのに必要な金貨の枚数を思い出した。


 ――この橋を通りたければ、エモ金貨五十枚持ってこい。


 たかだか橋を渡るのに、五千万円とはいくらなんでもバグり過ぎではないだろうか。


 それに、たしかこうも言っていた。


 ――エモ銀貨やエモ銅貨なんて、ちんけなもんじゃ通さんぞ。


「エモ銀貨とエモ銅貨はどのぐらいの価値なんですか」


「エモ銀貨は一万円、エモ銅貨は百円。そのぐらいの価値ですね」


 ミラージュ世界の貨幣価値について、おおよそ理解した。


 エモ金貨一枚はエモ銀貨百枚に相当し、エモ銅貨だと一万枚に相当する。


「エモ金貨って、誰でも簡単に生み出せるんですか?」


「いいえ。感情が大いなる価値を持つミラージュ世界において、ほとんど無尽蔵にエモ金貨を生み出せる存在はこれまで大賢者チグのみでした。チグは過剰な推し活を通して、生み出した富を再分配しており、貨幣価値は均衡を保っています。しかし消費することなくただひたすら金貨を生み出し続けた場合、《貨幣価値の暴落(ハイパーインフレ)》が予見されます。その意味で、姫野ミラ、あなたは特異点とでも言うべき存在なのです」


 ステータス画面がここぞとばかりにミラの称号を変更した。


 ――《通貨暴落危機(ハイパーインフレ)を招く女》


 通貨危機が起こると、どのような不都合があるのか、いまいち実感がない。右肩に溜まった感情資源をいかに放出するかは、どこまでもミラに付きまとう問題であるらしい。


 感情資源を銃弾としてぶっ放せば、災害級の被害を招く。

 かといって、エモ金貨に転換し続ければ、通貨危機を招く。


 いずれにせよ、災厄の種であるには違いない。


 幸か不幸か、周囲に被害をもたらさずに、安全に感情資源をばら撒くお手本(ロールモデル)がいた。


「わたしも大賢者チグみたいに推し活しまくって、エモ金貨を使いまくれってこと?」


 打ち上げ会場に向かいながら、ミラは薄笑いを浮かべた。

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