エンドレスお渡し会
虚無的な芋と化したミラが延々と棒立ちで肩を撫でられ続けるなか、お渡し会がいつまで続くのかを推計してみようとしたが、すでに疲労で朦朧としており、ろくに計算ができなかった。
お布施箱はエモ銅貨で溢れ返り、さすがに収納し切れないので、聖典頒布殿の地下空洞に向かって賽銭のように投げ入れてもらうこととなった。
お布施するだけの客は立ち去るのも早かったが、作品交換したがる古の信徒となると、対応に時間がかかった。
「来場者数二十万人を突破しました。エモナージュへの入島者は七十五万人を突破」
大賢者監理官ナギがさらりと来場者数を告げるが、大賢者チグは神ファンサ過ぎて、お渡し会の列は一向に途切れることはなかった。
これまでに対応したのは何百人か、何千人かのものだろう。
このままのペースでお渡し会を続けたら、日が暮れるどころではない。
「ナギ様、このペースだと、お渡し会が終わるまでどのぐらいかかりますか」
「現在の来島者数、各地の感情教会からの巡礼者の動向を加味しますと、来場者数は最大で一〇〇万人に達する可能性があります」
「……げえ」
まだ来場者が増えるのか、とミラは思わずげんなりした。
「一人十秒として、一千万秒……。ええと、つまり何日だ?」
ミラが呆然としながら試算してみるが、頭がうまく働かない。
「大賢者チグがただ一人で一〇〇万人規模のお渡し会を敢行した場合の所要時間を試算してみましょうか」
「お願いします」
大賢者監理官ナギが試算に用いた前提条件がこれまた恐ろしかった。
「神ファンサと称される丁寧な対応の場合、一人あたり平均30秒から1分が目安とされます。アイドルの握手会や声優のサイン会などでも使われる目安で、来場者数は最大一〇〇万人まで膨れ上がる可能性がありますため、二十四時間ぶっ通しで続けたとしますと」
まずもって、二十四時間ぶっ続けでお渡し会を敢行するという前提がおかしい。
「仮に、対応時間を平均45秒と仮定し、二十四時間体制で休憩なしで対応を続けた場合、頒布イベントに要する総対応時間は1万2500時間、所要日数は約521日と試算されます。人類の平均寿命の約1.3%を費やす計算となります」
521日――一年五ヶ月と一週間。
とんでもない推計を聞いて、ミラは呆然とした。
そもそも前提となる条件が甘い気がする。
「チグさん、対応時間一分どころじゃないですよ」
「そうですね。お渡し会はこのまま不眠不休で二年は続くかと」
もはや、乾いた笑いさえも出てこなかった。
二年間、ひたすらに続く神話級のお渡し会イベント。
どこぞのホラーかと。
そりゃあ、売り子も寄りつかないわけだわ。
「どうするんですか?」
本気で二年間お渡し会を続けるのかと暗に問うと、大賢者監理官ナギが平然と言った。
「やるしかありません。中途半端に終わらせると、チグが拗ねます」
「拗ねるとか、そういう問題なんですか」
「そういう問題なのです」
もはや諦めの境地のような大賢者監理官ナギが静かに両目を瞑った。
「よって、エモナージュ全域に《時間干渉式魔法結界》を展開します」
「……え?」
「――《神速の神対応》」
大賢者チグがまるで光のような速さで千切っては渡し、千切っては渡し、小気味よく薄い本を手渡していく。見る見るうちに薄い本の在庫がなくなり、補充するのが一苦労だった。
「ありがとうござまーす! しんかんでーす! しゃしん、おけ! はい、ピース☆ありがとうござまーす! しんかんでーす!」
神対応のはずの大賢者チグが秒すらかからないほどの信じがたい速度で捌いている。
対応速度が限界突破しているが、なんとなく反則な気がした。
「これ、ちょっとマズいんじゃ……」
ミラの心配をよそに、ナギは新たな時間干渉式魔法結界を展開した。
「――《凪のお暇》」
ナギの詠唱を聞いても、ミラは特別何も変わったように思わなかった。
「え、と……。今のは?」
「時間感覚に干渉しました」
相変わらず説明が簡潔過ぎて、ミラにはとんと理解できなかった。
「……つまり?」
「主観的に感じる時間は、脳がどのように働いているかで伸び縮みする性質を持ちます。 楽しい時間はあっという間に過ぎるのに、退屈な時間はとてつもなく長く感じる。お渡し会の待ち時間がほんの数秒に感じられるよう、主観的体感時間に干渉しました」
ナギが補足したが、もともとお渡し会を楽しんでいないミラには拷問のように長く感じられるままだった。
むしろ、さっきまでよりも時間の進みが遅くさえ感じる。
「失礼な質問かもしれませんが、ナギ様の体感時間も短くなっているんですか?」
「私の体感時間ですか。それは変わらず正確に流れております」
大賢者監理官ナギの体感時間は早くも遅くもなっていないらしい。それはつまり、お渡し会イベントを楽しんでもいないし、退屈してもいないということだ。
「二年近いお渡し会って、ぶっちゃけ拷問じゃないですか」
「拷問? いえ、あくまでもこれは――業務ですから」
姉のチグが喜ぶなら、二年近いお渡し会にも平然と付き合うなんて、静かなる狂気に違いない。
さっきからまったく時間が経っている気がせず、大賢者チグがただ一人の客と延々と話し続けているような気がした。
まるで時間の流れが凍りついたように遅い。
このまま二年間、いやそれ以上、肩を触られるだけの無限地獄かと思うと、すっかりエモくもなんともなくなった高校生活さえも懐かしく思えた。
触れる者が後を絶たない《バグった右肩》は《ご利益撫肩》に変貌していた。
神託双書サークルスペースの脇に棒立ちとなったミラは意識が朦朧とし、失神しかけた。
くらりと立ち眩みがして、目の前が真っ暗になった。
――ブラックアウト。
目覚めたら、ミラージュ世界から離脱していたらいいのに。
などと思うのに、失神するまでの時間感覚さえ、ひたすらゆっくりに感じられた。
「おっと。ミラ、大丈夫かい」
ブースフラッグを手に持ち、歩く広告塔と化していたミラに抱きとめられ、久しく忘れていたかのような体温がひしひしと伝わってきた。発声の仕方を忘れてしまったかのように、うまく声が出ない。
「あ、あ、ありがと」
「立ちっぱなしで疲れただろう。少し休むといい」
よしよしと頭を撫でられ、大賢者チグの隣のパイプ椅子に座らせてくれた。
エモ騎士の神対応に、とぐろを巻いた行列のあちこちから悲鳴があがる。
「ポテトが蒸発した!」
「ご利益が溢れ出したぞ」
「尊いのぉ。尊いのぉ」
右肩から感情資源が漏れたのか、肩から立ちのぼった蒸気がちょうどよい具合の煙幕となってミラとレイの二人を覆い隠し、古の信者たちが謎解釈で盛り上がっている。
ブースフラッグを掲げたレイが鈍器本のお渡しにも加わったため、薄い本だけでなく、鈍器本も印刷が追いつかないぐらいに売れに売れた。
ミラ以外の女性には過度なファンサはしないが、流麗な流し目に誰もが心を撃ち抜かれていた。
どうだ、ちょっとは思い知ったか、世界。
信じられるか、「糖度30」でこれなんだぜ。
これで糖度がカンストしたら、どうなってしまうんだろう。
ミラは口元がにやけたまま、椅子に座ってひと息ついた。
聖典のお渡し会は、ミラの体感では秒で終了した。
ステータス画面が新たな称号をミラに与えた。
――《秒で落ちた撫肩》




