売り子ですが、なにか
「――ハッチ解放。着陸を許可」
感情教会国家エモナージュに新たに建造された《聖典頒布殿》の大天井がぱかっと開き、ミラとレイの乗る小型浮遊艇が着陸した。
巨大な印刷機が唸りをあげ、薄い本が大量に刷られている。
煌びやかなステンドグラスに彩られた神殿内は異様な熱気に包まれていた。
デフォルメされたミラとレイの美麗なイラストが描かれた防炎ポンジの《のぼり旗》が、人波で埋め尽くされた《出展者団体》の位置をかろうじて示していた。
どうやらサークルが無数にあったが、聖典頒布殿の外まで延々と続く行列のお目当ては、大賢者チグと大賢者監理官ナギの姉妹神の営むサークル《神託双書》だった。
神聖さと格式の高さが漂うサークル名の命名者は聞かずとも分かる。
神託双書は何十万人、いや下手をすれば、それ以上もの抜群の集客力を誇る神サークルであるのに、与えられた販売空間はちっぽけな長机ひとつきりだった。
「……机、小さくね?」
奥ゆかしいほどに簡素な机を見て、ミラが思わず本音を漏らした。
あまりに巨大な頒布会場であるのに、売り場スペースらしき机の面積があまりに小さい。
純白の敷き布の敷かれた長机に新刊と銘打たれた薄い本と鈍器本が並んで積まれており、大賢者チグとその妹のナギが直接本をお渡ししている。
流れ作業ではなく、いちいちお話しているので、なかなか列が進まない。
本の購入代としてエモ銅貨一枚を入れるお布施箱も設置されていたが、古の信徒と思しき者たちはおずおずと自作の同人誌を差し出し、作品交換なる儀式を行っていた。
「チグ様、新刊すごく素敵ですね。よろしければ、うちのサークルの本と交換させていただけないでしょうか」
「こんにちは〜。ありがとうございます! 交換、もちろん大歓迎です。ジャンルはどのあたりなんですか」
「うちは二次創作BLで、ちょっとファンタジー寄りです。こちらが新刊になります」
大賢者チグは誰に対しても気さくで、作品交換で同人誌を受け取るのをたいへん喜んだ。
「わぁ、装丁きれいですね。けっこう印刷費お高かったんじゃないですか。じゃあ、うちの新刊こちらになります。お互いジャンルは違いますけど、読むの楽しみです」
「ありがとうございます! 私も読ませていただくの楽しみです。作品交換でしか頒布しないタイプの神もいるので、こんなにいっぱい刷って頂いて嬉しいです」
「あー、たまにいらっしゃいますよねぇ。作品交換でしか頒布しない神。なおかつ少部数、再販なしで、まずは神に好かれなくちゃならなくて、高確率で詰む……」
ミラには理解しがたい会話が繰り広げられていた。
同人誌の頒布には、物々交換オンリーの頒布形態もあるらしい。
「こんなに並んでるのに、長々とすみません。お互い頑張りましょう」
「はい、暑い中お疲れ様です。スペース戻ったら水分とってくださいね」
「お気遣いありがとうございます。では、また」
大賢者チグは体力お化けなのか、巨大な行列が延々と続いている中でも、ファンサービスを絶やさなかった。頼まれれば嫌な顔ひとつせず握手をし、サインを書き、ツーショット写真にも応じ、神ファンサと称えられた。
大賢者監理官ナギは薄い本と鈍器本の在庫が切れかかるタイミングで刷り上がったばかりの《聖典》をつつがなく補充し、サークル前に並ぶ行列の交通整理をしつつ、鈍器本のお渡しまでしていた。
相変わらず、立ち居振る舞いに無駄がない。
立ち入る隙のない混沌空間で、ミラは無表情に突っ立っていた。
「お帰りなさい。売り子、交代していただいてもいいでしょうか」
「はあ……」
大賢者監理官ナギの代わりにミラがサークルスペ―ス脇に棒立ちした。
「ミラっち、手伝いに来てくれたの。マジ助かる。立ってると疲れちゃうでしょ。座りなよ」
「いえ、大丈夫です」
手狭なサークルスペースで、大賢者チグと横並びに座るには右肩が邪魔過ぎる。
膨張し過ぎた右肩はまともに動かせず、片腕だけで《聖典》をお渡しするのはさすがに失礼なので、ミラはサークル脇で不動のマスコットと化していた。
レイはと言えば、ブースフラッグを手に持ち、待ち時間に飽いたうんざり顔の客たちの目の保養となっていた。
歩く広告塔と化したエモ騎士は見本誌を手に持ち、列待ちの客と親しげに話していた。
「神託双書の新刊はどんな内容なの?」
「《感情を失ったエモ騎士》と《無課金の女》のエモかりし日の追憶の物語です」
「まあ、無課金で! それはエモいわね」
「ちなみに、あちらに立っているのが《無課金の女》姫野ミラ嬢です」
レイがあっちこっちで布教するものだから、サークル脇の物置と化していたミラに俄かに注目が集まった。
「あなたは《無課金の星》です! この世に存在してくれてありがとう」
「わお。ポテト・ガール、ベリーキュート!」
「ご利益があるように、右肩触らせてもらってもいいですか」
無課金の星だなんだと持ち上げられ、ご利益代わりに右肩をべたべた触られた。
ミラの右肩は限界すれすれまで膨らみ切っていたが、その表情は極端に引き攣り、まるで仁王像のように微動だにしなかった。
直立不動の姿勢は、右肩の重さに耐えているというよりも、魂が肉体から分離しているかのようだった。
無数の人々に《バグった右肩》をべたべたと触られるうち、手つきがだんだんと遠慮のないものになっていった。
満員電車の中、見ず知らずの相手に素肌を撫でられるのとそう大差ない。
肩に触れられるたび、ミラの中で感情資源が澱んでいくような気がした。
あくまでもイベント中であるため、なんとか最低限の愛想は振りまいたが、どこまでも途切れない列に辟易した。
熱っぽい感想を口にする者、大賢者チグに握手を求める者、記念写真を求める者、ありがたいはずの行列の顔がどいつもこいつも不揃いのジャガイモに見える。
売り子はポテトで、客はジャガイモ。だいたい同じ。
ご利益があるようにと、延々と撫でられ続ける右肩。
肩は膨らんだままであるのに、まったく熱を感じない。
どんな褒め言葉も、耳を素通りしていく。
辛い。
現世に帰りてえ。
ステータス画面に付けられた新たな称号は《虚無的な芋》だった。




