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薄い本、頒布いたします

 小型浮遊艇が感情教会国家エモナージュ上空で静止した。


 横並びの席に座ったミラは肩が重過ぎて、身を乗り出すとそのまま落下しそうになる。


 とにかく肩が邪魔だが、どうにか肩越しに地上の様子を眺めた。


「どうしたの?」


 ミラが不思議そうに尋ねる。ちょっと見ない間に、また新しい神殿でも建設されたのかと思いきや、瓢箪型の島を埋め尽くすように黒い粒が見える。


 よくよく目を凝らすと、それは島中の街路を埋め尽くす行列だった。


 黒胡麻か蟻の大群めいた点々がちょっとずつ動いている。


「……何事?」


「――ただ今、イベント開催中のため、着陸許可がおりません」


 無機質な機械音声が回答した。


「カレイド☆パレードがライブでもしてるの?」


 大賢者チグの激推しガールズバンド『カレイド☆パレード』がライブをしていたとしても、盛り上がるのはライブ会場周辺だけだろう。島全体がぎゅうぎゅう詰めになるほどの行列ができるとも思えない。


「人がゴミのようだな」


 レイがちらりと漏らした感想は塩レイの片鱗を感じさせるものだった。


 パピルスを回収して「糖度30」まで回復したとは思えない辛辣さだった。


「もしかして、まだつばめなの?」


 ミラがじとりと睨むと、困ったように笑うレイにいきなり抱きすくめられた。


「氷結魔法の詠唱で糖分を使い果たしてしまったみたいだ。悪いが、少し回復させてくれるかい」


「……は? ちょっ、え、うぇえええ……」


 盛り上がった右肩ごと抱きしめられ、ミラは思わず卒倒しそうになった。


 レイのステータス画面の糖度パラメーターが徐々に回復していく。


 ミラを抱擁することで糖度を回復する仕様であるらしい。


 なに、それ。あまーい。


「ふへ、ふへへ、ふへへへへ」

「ありがとう、ミラ。おかげで回復した」

「いえ、こちらこそ。うっ、眩しい」


 糖度を回復したレイの笑みが眩しい。


 直視しようとして、あまりのビジュの良さに目が焼かれかけた。


「ぎゃあぁああぁああああ、反則! そのビジュ、反則っ!」


 地面に叩きつけられて、ぺしゃんこの芋になりかけた命の危機を颯爽と助けてもらってから、よりいっそうレイへの感情が昂っていた。


 軽々しく抱きしめてくれるな。身が持たん。


 ミラがぜえぜえ両肩で息していると、大賢者監理官ナギのホログラムが映し出された。


「着陸許可が出せず、ご迷惑おかけしております」

「いえ、そんな。お気になさらず」


 浮遊艇は上空に浮かんだまま静止しているが、島中を埋め尽くした混雑が解消されない限り、いつまで経っても着陸できないだろう。


 そもそも、この大混雑の原因はなんなのだろうか。


 特定の観光地に観光客が集中しまくる観光公害(オーバーツーリズム)みたいだが、推しのライブはそこまでの集客力があるものなのだろうか。


「パピルス回収後の《神託》にも即応できず、重ねてお詫び申し上げます」

「いえいえ、そんな」


 大賢者監理官ナギが律儀に謝ったが、このイベントとやらの準備で忙しかったのだろう。


「何かあったんですか?」


「ザマァ団の一味がエモナージュに張り巡らされた防御結界セキュリティ・ウォール侵入(ハッキング)してきました。わざとハッキングさせ、潜伏拠点(アジト)を探知しました」


 大賢者監理官ナギの《神託》が微妙に遅れたのは、通信ジャック系課金強奪テロ組織ZAMAA(ザマァ)団の潜伏拠点を逆探知するためであったらしい。


 今開催されているイベントの内容を聞いたつもりだったが、何気ない《神託》の裏では見えない抗争(ステルス・ウォー)があったようだ。


「ご苦労様です。アジトはどの辺りにあったんですか」


「壊滅させました」


 あまりにもさらりと言ったので、すんなり聞き流しそうになったが、よくよく考えると意味が分からない。


 潜伏拠点を特定しましたまでは分かる。

 しかし、潜伏拠点を壊滅させましたまでは分からない。


 さすがに飛躍し過ぎではなかろうか。


「え……、と……、壊滅……ですか?」


 虚空に、ザマァ団の一味のアジトと思しき位置が表示された。


 エモナージュの国家を貫く大河チグリリス、その支流ユーフラテス河の下流域にザマァ団の一味が潜伏していたようだ。


「大賢者チグの泣き布教――《尊死(とうとし)》により、定期的にエモ洪水が起こります。エモリウムの奔流が氾濫し、教会国家が水没してしまう危険があるため、防災対策としてチグリリス・ユーフラテス河流域に灌漑設備、制御装置、放流ゲートを設置しました。各地に《情動調整塔(エモダム)》を設け、エモ放流のタイミングや避難指示を出しています」


 そういえば、大賢者監理官の多過ぎる肩書きの一つにあった気がする。


 チグリリス・ユーフラテス河流域国家灌漑管理局局長なるものが。


「近隣住民に避難指示を出した上でエモダムを放流、ザマァ団のアジトを壊滅させました」


 アジトの位置を逆探知からのエモダム放流による壊滅……。


 狂気じみた仕事の速さにミラは唖然とした。


「それで、今開催されているイベントというのは?」


「薄い本の頒布です」


「……は?」


「このたび回収されたパピルスが《聖典(エモブル)》として印刷、頒布されております。大賢者チグとの握手付き。僭越ながら、私も副読本を編纂させていただきました」


 島中を埋め尽くした行列のお目当ては、ミラとレイのこっぱずかしいやり取りを薄い本に綴じた《聖典》で、大賢者監理官ナギが編纂したのは『potato(ポテト) girl(ガール)』なるタイトルの長大な鈍器本だった。


「はああぁあああぁああああああああ?」


 ミラが盛大な悲鳴をあげるが、レイはどことなく楽しげだった。


「二人の愛が《聖典》にね。それは嬉しい限りだね」


「ポテト・ガールに関しては、世界十五ヵ国から翻訳出版の依頼(オファー)がございます」


 無課金の女と蔑まれたポテト・ガールが感情を失った騎士とエモい恋をする大長編というだけでも許し難いのに、それ以上の反響で全世界が湧いているらしい。


「却下だ! 却下!」


 教会国家を埋め尽くした大行列のお目当てを知って、殺意の波動が芽生えた。


 右肩が限界を超えて膨らみ、このまま国家を丸ごと焼き尽くせそうだ。


「……よし、燃やそう」


 聖典に群がるゴミどもを燃やし尽くさんと、《バグった右肩(ライフル・アーム)》を真下に向ける。


「僕らも列に並ぶかい」

「いいや。全員まとめて燃やし尽くす」


 ミラの目が殺意に染まるなか、大賢者監理官ナギがさらりと付け加えた。


「頒布会の売り子は随時募集しております。《聖典》の売り子であれば、着陸許可をお出しいたします」


「……は、ん、ぷ、か、い?」


 頒布会が行われているのは、《聖典》頒布のために新たに建造された神殿だった。


 世界最大の同人誌即売会(コミケ)の壁サークルならぬ、神殿サークル。


 ほんの数行のパピルスを頒布するためだけに神殿を建てるなんて、やはり狂っている。


 ミラは努めて冷静な調子で言った。


「売り子をしますので、着陸許可を願います」


「承知いたしました」


 売り子を承諾すると、空中に制止していた浮遊艇が静かに下降を始めた。


 こうなりゃ、薄い本も鈍器本も燃やし尽くしてやる。


 ミラが怒りの炎を漲らせていると、大賢者監理官ナギの抑揚のない声が忠告した。


「ストライサンド効果――。不都合な情報を秘匿・除去しようと試みると、かえってその情報は広範囲に拡散されてしまう。《《消すと増えます》》ので、くれぐれもご注意を」


「……ぐっ」


 あまりにも急所を突かれて、ミラの発砲意欲が急激に削がれた。


「売り子か。楽しそうだね、ミラ」


 微糖レイはずいぶんと物分かりがいいらしい。


 少しだけ、塩レイが恋しい。


 塩レイならば、きっとこう言うだろう。


「売り子? は? やらねーよ、そんなもの」


 ステータス画面がミラに新たな称号を授けた。


 ――《薄い本の売り子》

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