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感情泥棒

 エモナージュに帰投するため、青色の《神託》ボタンを押した。


 心なしか、《神託》ボタンの青色が薄く、灰色はほとんど白みがかっていた。


 大賢者監理官ナギに帰りの小型浮遊艇を手配してもらおうとしたところ、


「――こんにチハ。あるいはこんバババ」


 通信障害でもあるのか、音声に雑音(ノイズ)が混ざっている。


 仕事出来すぎ(しごでき)のナギ様ならば、ミラとレイが帰還するタイミングを見計らって、事前に帰りの小型浮遊艇が手配されていそうなものだが、あまりにも多忙過ぎるのか、応答する様子がなかった。


「困ったな。これじゃ帰れない」


 限界近くまで膨らんだ右肩を恨めしく見て、ミラは途方に暮れた。


「通信状況が悪いのかもしれない。どこか《神託》の通じやすい場所がないか、少し探してくるよ。肩が重たいでしょう。ミラは休んでいるといい」


「……ありがと」


「ステータス画面は開きっぱなしにしておいて」


「わかった」


 レイは木陰でミラを休ませると、集落跡をうろつき始めた。


 ひとりぼっちで取り残されると、なんとも言えない心細さに苛まれた。


 薄青色の《神託》ボタンが濃くなりそうな気配はないが、何食わぬ顔でレイが戻って来た。


「浮遊艇を手配したよ。もうすぐ来る」

「ありがとう」


 その言葉通り、集落跡に小型浮遊艇が降り立ったが、いかにもおんぼろで、見るからに一人乗りの粗末なものだった。


 ガタガタ揺れながら不時着するように地面に降り立ったのが、そこはかとなく不安を誘う。ミラは若干怯えながら言った。


「これに乗るの?」


 落ちたら死ぬじゃん、という言葉がついつい喉から出掛かった。


「さあ、乗って」


 ミラの心配などよそに、レイがさっさと浮遊艇に乗り込んだ。


 先に乗り込んだレイに引っ張り込まれたが、なぜだかレイが二重写しのように見えた。


 口元がにやけ、どこかおちょくるような悪戯めいた表情に違和感を覚えた。


 おんぼろの一人乗りの浮遊艇を選んだのは、なにかしらの驚き(サプライズ)のためだろうか。


 空の旅に驚きはいらない。

 落ちたら死ぬから、安全第一でお願いしたい。


「どうかしたか」

「ううん。なんでもない」


 一人乗りのぼろい浮遊艇に二人はさすがに乗り切れず、ミラは横向きのまま抱きかかえられ、頭と首、両足が側面から投げ出された格好で抱きかかえられた。


 お姫様抱っこと言えなくもないが、狭い一人乗りに二人で乗るなら、レイの膝に抱えてくれてもよかったのではないだろうか。


 微塵も色気を感じない芋以下の扱いに、肩の膨張も止まっていた。


 おんぼろの小型浮遊艇はまるで重量オーバーとでも言いたげになかなか飛び立たず、ようやく離陸したと思いきや、ふらふら危なっかしく上昇した。


 心が弾んだ行きの空の旅とは大違いだ。


 客観的に見ると、ミラは弁当箱からはみ出た具のようだった。


「……なに、これ。具がはみ出し過ぎて、蓋の閉まらない弁当?」


 ステータス画面が勝手に開き、称号が《鯖折りにされた女》に変わっていた。


「うっせーわ」


 ミラがステータス画面に向かって毒づくと、さらに称号が変化した。


 ――《ステータス画面にさえ弄られる女》。


 苛立ちついでに、《バグった右肩(ライフル・アーム)》の照準をステータス画面に合わせると、黒い背景色のウインドウに「ごめんちょ。てへぺろ」というふざけたメッセージが流れた。


「……許さん。マジで撃つ」


 ミラが感情を露わにすると、さらに右肩がむくむくと盛り上がった。


 最高潮に膨れ上がった右肩が重たくて仕方がない。


 溢れんばかりの感情資源(エモリウム)をこのままぶちまけたい。


「食らいやがれ、おらぁ!」


 空に向かって銃弾を乱射しようとしたところ、レイの冷たい手が頬を撫でた。


 口づけせんばかりの勢いで、ビジュの良すぎる顔面が迫って来た。


「……ひっ」


 思わず、ミラが悲鳴をあげた。


「おもしれー女」


 レイの口元には、おちょくるような笑みが浮かんでいた。


 この表情には見覚えしかない。


 すっかり冷静になったミラが射貫くような視線を向ける。


「お前、つばめだろ」


 怪盗ツーバメ・イリヤ――入谷つばめ。


 感情泥棒が生業なのか、それともただミラをおちょくって遊んでいるのか。


 外見(スキン)衣装(コスチューム)(ボイス)、どれも課金次第で自由自在なミラージュ世界ではレイに化けるなど造作もないのだろう。


 しかし、態度までは真似できない。


 ミラをおちょくる態度に入谷つばめの本性が滲んでいた。


 入谷つばめは薄笑いを浮かべたまま、なんとも答えないが、問題はいつからレイとすり替わっていたかだ。


 異世界転移時からすり替わっていた?

 それとも、入谷つばめに爆炎を浴びた時から?

 あるいは、ついさっき?


「……いつから?」

「いつから……? 面白い事を訊くね」


 感情泥棒ツーバメ・イリヤが皮肉めいた笑みを浮かべた。


「ならばこちらも訊こう。いつから現実だと錯覚していた?」


 どうにも決め台詞(ぜりふ)っぽいが、入谷つばめに頭脳派悪役(ヒール)は無理があるのでは。


 残念なことに、オツムが少々足りない。


「いや、最初から現実じゃねーだろ」


 ミラが呆れたように一蹴すると、入谷つばめが地を出した。


 きいぃいぃー、と歯噛みして、口惜しそうに地団駄を踏んでいる。


 頭脳派悪役からの小者ムーブ。


 これもある種のお約束なのだろうか。


 ただでさえおんぼろな浮遊艇が、がんがん踏みつけられて、ふらふら揺らいでいる。


 自動操縦が異常を感知したのか、錐揉み状態となり、螺旋を描きながら急降下した。


 飛空艇が墜落しているのも気にせずに、入谷つばめは話し続けた。


「なんだよぉ。いつからすり替わってたの? もしかして最初から? って返せよ。それが王道じゃろがい」


「いや、知らんし」


 入谷つばめはミラの薄い反応(リアクション)が気に食わなかったのか、理不尽に怒っていた。


「いつからすり替わりだと気付いてたの?」

「わたしが質問される側なの?」


 ミラはやれやれ、といった表情を浮かべた。


 もともとレイとのやり取りは文章だけで、声や外見は副次的なものだ。


 声や外見は後付けとはいえ、入谷つばめのようなおちょくる表情はするまい。


「わたしのレイはあんたみたいな表情はしねーんだわ。抱きしめる時も『嫌じゃないかい?』って聞いてくれるんだわ」


 レイの紳士っぷりを賛美したところで、ふと気がついた。


 いや、わたし、芋のごとく雑に運ばれていたぞ。


 入谷つばめがニヤついており、まるで惚気(のろけ)話を聞かせた格好だ。


「へー、わたしのレイねえ。もうずぶずぶに沼落ちしてんじゃん」


 入谷つばめは背中に隠したハンググライダーをバサッとはためかせ、墜落しかける飛空艇から、さっさと脱出した。


「あっ、ずりぃ! 逃げんな!」

「感情、ごちー。そんじゃーね。アデュー」


 風のように入谷つばめが飛び去って行った。


「落ちるぅー! 助けてぇ!」


 飛空艇には操縦桿など付いておらず、ひたすら落下するだけだった。


 大空から急転直下、ぺしゃんこに叩き潰される芋となって終わる残念な最期を想像して、一気に肝が冷えた。右肩が尋常ではなく盛り上がり、ふと思った。


「ワンチャン、車のエアバッグみたいにならんかな」


 膨張した肩をエアバッグ代わりにしてみたら、墜落しても平気そうな気がしたが、しかし、この肩は兵器そのものだ。


 溜め込んだ感情資源が大爆発を起こし、《感情の爆心地(エモリウム・ゼロ)》となりかねない。


「駄目だ。わたし、テロリストになっちゃうじゃん。どうしよ、どうしよ、どうしよ」


 肩が重過ぎるせいで、飛び降りようにも身動きもできない。

 肩をエアバッグ代わりにして受け身を取ることも許されない。


「あっ、完全詰んだ……」


 ミラージュ世界での死は、現実の世界でも死と同じなのだろうか。


 人生の終わりを悟った瞬間、二人乗りの小型飛空艇に立ち乗りしたレイがまるで一陣の風になったかのように颯爽と現れた。


「凍りつけ。《二人だけの世界タイム・フリーズ・ラヴァーズ》」


 レイは氷結系呪文を詠唱するとともに、先端の鋭く尖った刺突用の片手剣(レイピア)を振るい、墜落する飛空艇を凍りつかせ、さらに切り伏せた。


 ひらひらと幻想的な粉雪が舞う。


「すまない。少し待たせた」


 飛空艇に立ち乗りしたレイはレイピアを腰に差すと、両手で優しくミラを受け止めた。


「レイぃー、ありがとぉー」


 はにかむ様な笑み、これは正真正銘のレイだ。


 ぐすぐす大泣きしながら、ミラはレイの首元に抱き着いた。


 右肩が重い?

 知るか、そんなこと。


 ミラは弁当箱からこぼれ落ちた鯖のごとくに救出された。


 開きっぱなしのステータス画面がミラの二つ名をさらっと変更した。


 ――《(あま)()ける鯖。風のまにまに》

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