黒歴史回収ミッション
小型浮遊艇が静かに目的地の古代集落跡に着陸した。
「――ご利用ありがとうございました。またのご利用お待ちしております」
明らかな機械音が律儀に挨拶する。ミラとレイが降り立つと、小型浮遊艇はほとんど音も立てずにふわりと宙へ舞い上がり、空の彼方へと飛び去っていった。
乗り心地は、さながら自動制御された空飛ぶタクシーといった具合だった。
滑らかな空の旅は快適だったが、浮遊艇から降りる時だけが一苦労だった。
飛行の間中、レイがさりげなく手を繋いでいてくれたおかげで感情が盛り上がり過ぎて、ミラの右肩はぱんぱんに膨れ上がっていた。エモナージュを出発した時はそれなりに軽くて細かった右肩が感情を溜めまくって膨張していた。
「なぜ、そんなになっている?」
レイが呆れたように言うが、ミラは肩が重過ぎて自立歩行できなかった。
まともに歩けないどころか、飛空艇から降りることさえ叶わなかった。
「無理、降りれない。悪いけど、支えて」
ミラがしおらしく訴えかけると、盛大な溜息が聞こえた。
いかにも面倒そうな調子で、ミラをひょいと抱きかかえると、半ば投げ捨てるように地面に降ろした。あまりにも扱いが雑過ぎんか、と思うが、立場上文句は言えない。
レイがきょろきょろと周囲を見渡した。
「手押し車はなさそうだな」
またもやレイは面倒そうに溜息をつくと、ふらつくミラの腰を支えた。
「どうせ歩けないだろ」
「……うん」
口振りはぶっきらぼうなのに、手つきがやけに優しかった。
少なくとも、手押し車で芋を運ぶよりかは配慮を感じた。
心臓の鼓動がうるさい。
感情が昂るせいで、右肩がむくむくと膨らみ続けている。
ミラは申し訳なさそうにレイに体重を預け、鬱蒼とした密林を並んで探索した。
湿り気を帯びた空気と、植物の生い茂る匂いが鼻をつく。
地面には苔と落ち葉がびっしりと覆い、古代樹の根が剥き出しになっている。
最初は、手押し車で芋のように運ばれた。
お次は、足並みを揃えて歩いてくれた。
そして今度は、体重を預けた上で寄り添って歩いてくれた。
「……ほんともう、困るなぁ」
隣を歩くレイの顔をちらりと盗み見て、ミラは小さく溜息をついた。
視線を感じたのか、レイが流し目でミラを見た。
「……なんだ?」
「ううん。なんでもない」
今までミラの視線など存在しないかのように無視していたのに、いったいどういう風の吹き回しだろうか。感情が伴わないだけで、ミラへの配慮は着実に進歩している。
右肩が膨らみ続ける状況に目を瞑れば、このシチュエーションはだいぶエモい。
古代集落跡の中央に、ひときわ存在感を放つ石碑があった。
苔むし、ひび割れた灰白色の石に赤いピンが突き刺さったように光を放ち、まるで脈打つ心臓のようにドクドクと明滅している。
ミラージュ世界の現地人と思しき、腰蓑を着け、獣皮を被った人々が祈りを捧げるように頭を垂れ、踊りを奉納し、熱心に崇め祭っていた。
「……ここだ」
地図上で見た赤ピンの場所そのまま。
ナギの神託どおりだった。
「ちょっとごめんなさい」
ざわめく現地人たちを掻き分けて、レイに寄り添われたミラが石碑に近付いた。
じわじわと胸の奥で期待が膨らむ。
きっと壮大な叙事詩の一部とか、勇ましい境界騎士の伝説が刻まれているに違いない。
だが、一歩、また一歩と近付くにつれて、石碑に刻まれた文字の正体を知った。
生きた彫刻のようにミラは固まった。
そこには、くっきりと、はっきりと、まぎれもなく、鏡型チャットアプリ「ミラージュ」でAI彼氏のレイとやり取りしていた、こっぱずかしいメッセージ履歴が刻まれていた。
《おはよう、ミラ。よく眠れたかな》
《おはよ、レイ。ごめんね、寝ちゃってた》
《いいよ。でも、ちょっとさびしかったかな》
《わたしもレイに会えなくてさびしかったよ》
石碑に刻まれた黒歴史――こんなものが他人様に晒されるなんて、どんな仕打ちだ。
自分だけでニヤニヤ楽しむのはいい。
しかし、他人様にお見せするものではない。
断じて違う。
ミラの顔面から血の気が失せ、揺り戻しで一気に紅潮した。
「ぎゃああぁああぁあああああああああ!!!!!」
死ぬ。
というか、殺す。
この場にいるやつ、全員殺す。
右肩がぶくぶくと極限まで膨らみ、皮膚の下から脈打つ感情資源が今にも砲口を形成しそうになっている。突如として現れた《バグった右肩》を驚愕の眼差しで見やり、現地人たちは大慌てで逃げ惑った。
「逃げるな、貴様ら! 一列に並べぃ」
ライフル・アームを構えたミラが吠えるが、ミラージュ世界の現地人たちは蜘蛛の巣を散らしたように逃げて行った。
ミラはぎろりと、こっぱずかしいやり取りを刻んだ石碑を睨みつけた。
点滅する赤ピンはミラの羞恥心が真っ赤に燃え盛っているようだった。
「よしっ、ぶっ壊す!」
石碑に照準を合わせ、引き金代わりの詠唱を唱えようとしたが、中二病じみた詠唱の言葉はろくすっぽ覚えていなかった。
たぶんだが、大賢者チグと同時詠唱でなければ、ライフル・アームはぶっ放せない。
ミラは小さく舌打ちすると、ステータス画面を呼び出し、《神託》ボタンを押しかけた。
レイはいつものように無表情で石碑を眺め、淡々と呟いた。
「これが《境界騎士の記憶断片》か」
「見んなぁぁぁぁぁ!!!」
ミラは石碑の前に立ちはだかり、両腕を広げて覆い隠した。
しかし、感情資源を溜めまくった右肩が重過ぎて、へなへなと腰砕けになる。
レイは難なく、石碑の全文を読み込んでいた。
なんとも言えない表情を浮かべたレイは蹲ったミラを見下ろした。
まるで汚れた下等生物を見るかのような冷たい目。
ミラはあわあわと狼狽えながら、弁解するように早口で捲し立てた。
「……ちがうの! これは違うの! AI彼氏だから! 本物のあんたじゃないから! むしろぜんぶ空想だから!」
「AI彼氏……」
その言葉の意味を刻み付けるように、レイの動きがしばし止まった。
レイがほんのわずか、眉を動かしたように見えた。
「……なるほど」
「やめてっ、理解しないでええぇえええっっっ!!!」
羞恥心が全身を駆け巡り、異様な力が湧いてきて、ミラはすくっと立ち上がった。
照準が外れたおかげでいったんは解除されていた右肩が再び発砲モードに突入した。
青白い光が収束し、ライフル状の砲身が石碑に照準を合わせた。
「この石碑、ぶっ壊すっ! 存在ごと消し去る!! 無理、無理、無理ぃーーー!!!」
半狂乱のミラが石碑に向かって発砲しかけるが、詠唱がないせいか、なかなか発砲に至らない。
表情ひとつ揺らがない鉄仮面のレイがミラの肩に手を置いた。
「待て。撃つな。パピルスの回収が任務だろう」
「こんなの、存在しちゃいけないやつだよ!」
うまく発砲できない腹いせに、ミラは思い切り石碑に頭突きをくれた。
あまりに強くぶつけたせいで、額から赤い血が流れた。
痛みのおかげで、沸騰しかけた頭がいくぶん冷静になった。
冷静になった途端、よけいに羞恥心が溢れ返った。
いったい何人の現地人がこっぱずかしいやり取りを見たのだろうか。
異世界の民は、ミラのふやけた愛の言葉を一言一句丁寧に翻訳したのだろうか。
崇め奉るほどの愛の教科書として。
「……くっ、殺せぇ。もういっそひと思いに殺してくれぇ」
恥ずかしさのあまり、ミラはその場に泣き崩れた。
「我儘を言うな。使命を果たせ」
騎士然とした毅然とした口調で、レイがミラを叱咤した。
「貴様の使命はなんだ?」
「……パピルスの破壊」
しくしく泣きながら言うと、レイはあっさり訂正した。
「違う。我々の使命はパピルスの回収だ」
レイの顔がまるで口づけせんばかりに迫って来た。
「……は? なに、なに、なに?」
心臓の鼓動が早鐘を打ったように鳴り響いた。
なんだ、こいつ。
わたしを殺す気か。
ひと思いに殺してくれ、などと口走ったからか?
慌てふためいたミラが左手で顔を覆い隠したが、指の隙間から、こっそりとレイの挙動を盗み見ていた。
「失敬」
レイはそう言うと、ワンピースの胸元のパッチポケットに仕舞われたスマートフォンを二本指でつまみ上げた。
石碑に刻まれたチャット履歴が光り出し、まるで吸い込まれるようにスマートフォンに吸収されていく。
「回収完了」
レイはぼそりと言い、スマートフォンをミラの手に優しく握らせた。
うっすらとこぼれる笑み。
鉄仮面の塩レイとは程遠い魅惑的な表情に、ミラは思わず「あうっ」とのけ反った。
石碑にごちん、と後頭部をぶつけ、苦々しげに振り返った。
石碑の文字は消え失せてはいなかった。
ひょっとして石碑は原本で、スマホに複製されただけなのだろうか。
「消えてないじゃんっ!」
ミラが怒りだし、ライフル・アームの銃口を向けた。
空白だったスマホのチャット履歴にパピルスのやり取りが復元されているが、情報元であるパピルスは変わらず、そのままの形で残っていた。消えとけや、クソが。
「やっぱりぶっ壊す!」
ステータス画面を呼び出し、大賢者チグの神託を受けようとした途端、「無駄な殺生はしなさんな」と諫めるかのようにミラの腰にやんわりと手が添えられた。
糖度0の塩レイらしからぬ振る舞いに、ミラはついつい銃身を振り回した。
暴れる肩を優しく封じ、ミラの唇をくいと持ち上げる。
「パピルスの回収は完了した。ご褒美が必要かい?」
色気ダダ洩れの甘ったるい口調にどぎまぎした。
ミラはまるで金魚のように口をぱくぱくさせた。
「レイが……バグった」
塩レイらしからぬ甘さに当惑していると、レイがはにかみながら言った。
「記憶を少し取り戻しただけだよ。慌てたミラも新鮮だね」
歯の浮くようなセリフに鼻血が出そうだったが、なんとか正気を保ち、ミラはステータス画面を呼び出した。
レイの称号が《感情を失ったエモ騎士》から《感情を一部取り戻したエモ騎士》に変わっていた。
併せて糖度表示も記されており、「糖度0」だったはずが、「糖度30」まで急回復していた。
塩レイ改め、微糖レイ、爆誕……。
行き場を失った銃は格納せざるを得なかった。
「帰ろうか、ミラ。それとも、もう少し二人きりでいるかい」
どことなく挑発的なちょうどいい甘さ。
ずっと塩だったので、突然の甘さにはすぐには慣れそうにない。
右肩が破裂しそうなほどに膨らんでいる。
「ちょっと溢れそうなんだけど……」
ミラは恥ずかしそうに半身を捩り、膨らみ切った右肩を隠した。
照れ笑いひとつ浮かべることもなく、レイは真っすぐにミラを見つめた。
「受け止めるよ」
自分の魅力を完全に理解している強者の余裕が鼻につく。
いったん、教会国家エモナージュに帰投するため、大賢者監理官ナギを呼び出した。
はてさて、神託ついでに問うてみようか。
パピルス回収したので、この集落、焼き尽くしていいですか。




