モビー・ディック
もう数ヶ月もセックスしていない。自慰行為だけじゃ満足できなくて、一日に何度もしてしまう。こんな性に取り憑かれている自分が嫌になる。こんなの、無ければいいのに。
「イル、一緒に寝よ」
彼は布団を持ち上げて、俺に入ってくるよう誘う。その仕草がいつも官能的に見えるんだ。このまま彼を組み敷いて、セックスしたい。そういっつも思っている。俺は彼に背を向けて丸くなって、彼の隣りで寝ていた。
「おやすみ、ご主人様」
そう言うと彼は俺の頭を撫でて、すやすやと寝息を立てる。あぁ、まただ。俺のモビー・ディックが勃ってしまう。彼にバレないように静かに自分を慰める。性嫌悪している彼にこんな姿を見られたら終わりだ。不自然になる呼吸音ですら聞かせたくなくて、息を殺して手だけを上下に動かしていた。
「んんっ……」
彼が寝返りを打つ。それだけで俺はビクッとしてしまう。彼を起こしてはいないか、心臓がバクバクする。……はぁ、まだ寝ているな。それを確認すると、また自分を慰め続けた。気持ちいい気持ちいい気持ちいい……。馬鹿みたいにそれしか考えられなくなって絶頂に達すると、しばらく賢者タイムでぼーっとしてしまい、動けなくなった。
「あぁ、死にたい」
こんな一時的な快楽のために、俺の人生はぐちゃぐちゃに壊れたんだ。彼だって、これのせいでトラウマを植え付けられた。それらを思うと、この行為が絶対悪に思えた。そして、そんな性に取り憑かれた俺という人間が穢らわしくて気持ちが悪い。俺はベッドから抜け出して、手を入念に洗った。鏡に写る俺の顔は、堕落した者のそれだった。今まで自分の顔だけは美麗だと思い込んできたのに、今はそんな風には思えなかった。
俺は収納スペースからロープを取り出して、ドアノブへと結んだ。それを扉の上を通して反対側へ持ってくると、そこで、もやい結びをして首をくくる輪っかを作った。そこから背伸びして首をくくろうとすると、首にロープを通して体重をかけた瞬間、足が床にべったりと付いてしまって、程よく首が締まる程度で死ねなかった。ロープが長すぎた。その反省を生かして、今度はロープを短くすると、背伸びしただけでは届かなくなった。何か踏み台は無いかと考えたところ、本棚の中にたくさんの分厚い本があったので、その本を数冊持って足元に重ねて置いた。聖書だったかもしれない。俺は何とも罰当たりなことをした。首が締まり、スーッと血液が脳に回らなくなっていく。……あ、死ぬな。そう思うと、嬉しくて笑えた。目の前がぼやけていく。
……ザクッ。
ドンッと音が鳴った後、気付けば俺は床に倒れ込んでいた。ロープがちぎれたのか?薄ら目でぼーっと横たわっていると、彼の顔がぼんやりと見えてきた。
「イル、生きてる?」
彼が俺の顔をすごく心配そうに覗き込んでいる。それを脳が認識した瞬間、俺は安心したように笑ってしまった。
「あーあ、失敗しちゃったあ……」
それを聞くと彼は、俺の頬に手を添えて、額同士をピタッと合わせてきた。
「勝手にいなくなろうとしないでよ」
頬に彼の生暖かい涙が当たった。
「ごめん」
俺はそれしか言う言葉が見つからなかった。




