腕を斬り落とした夫と妻
闇市へと向かった………のは良いのだが、道中アクシデントが発生した。俺が裏通りを抜けて怪しい雰囲気漂う店々の間を抜けていると、突然叫び声が聞こえてきたのだ。男の悲鳴、若い声だろうか。建物を挟んで奥の方から聞こえてきた。
2時の方角。俺は眉間に皺を寄せながら溜め息を吐いた。
「昼間っから何だって言うんだ………?」
俺は念の為に懐の銃に手をかける。気配からして大した奴がいる訳でもなさそうだ。むしろ大したことのない奴の気配しかしない。だが大の大人が声を荒げる場面など、日常生活においてそう出くわすものでもないだろう。警戒するに越したことはないのだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!邪魔よ!全員退きなさい!」
そんな風に叫びながら俺の目の前を横切ったのは、見るからに娼婦のような若い女だった。一瞬通り過ぎただけで、こちらには目もくれず走り去ってしまった。そんな彼女が手にしていたのは、右手にクロスボウらしきもの。
そして左手には――――――――――。
「んぁあ?正気か?今の女」
俺は首を傾げて、思わず走り去る女の背中を凝視してしまった。彼女の背面に付着するのは真っ赤な血だ。そして地面には彼女の足跡を辿るように血の痕跡が続いてる。血がポタポタと、無我夢中で走っている女から垂れているのだ。蛇口を甘く締めたような感じで、雫のように血がひたすらに滴り落ちていた。
だが一瞥した限りでは女に怪我をしてる様子は見受けられない。いや、むしろ血がどこから出ているのかは一目瞭然であった。それがあまりにも違和感がありすぎて、この時の俺はつい女を呼び止めてしまったのだ。
「おい、あんた!そこの走ってる嬢ちゃん!駄目じゃないか!他人の手を持って走っちゃあ!」
自分でも何を言っているのかよく分からない。何が駄目とか、そういうことよりももっと根本的におかしいと思えて仕方がないものがそこにはあった。
走り去る女は、人間の手を抱えて走っていた。恐らくは斬りたての腕。切断面から血が溢れ出ていた。
その光景はたまに見かけることはあった。アフリカの方では特に。
肌の色素異常で産まれてくる遺伝子疾患、いわゆるアルビノ体質の子どもはどこの国でも珍しい。部族の言い伝えでは身体の一部が呪術の類に使えるだとか、薬にして服用すれば万病に効くだとか、医学薬学の進歩した現代でもそんな迷信が信仰されているのだ。だからアルビノの子どもは生きたまま解体されて、群衆が身体の欠損を血塗れの状態で持ち去っていく。
俺はそんな光景を何度も見てきた。そして俺が今いる場所は異世界、魔法が現実に存在する世界だ。もしかしたら、何時かは、何処かで見られるかもしれない………。そんなことを密かに思い続けていたが、まさかクレイヴェードの街でそれを見かけるとは思ってもいなかった。
俺は再度、走り去る女に声をかけた。彼女は俺の最初の呼びかけには一切聞く耳を持たず、どんどん俺から離れて行く。
「そのまま大通りに出たら自警団に止められるぞ!一旦その場で立ち止まれ!」
流石に目の前で起きた異常事態を見過ごす訳にはいかない。―――――と言うのは建前で、本当はあの女が何故腕を持って走っているのか純粋に興味があった。だが俺の声に対して返ってきた反応は穏やかなものではなかった。
「うるさい!だまれ!」
酷い罵倒だ。女は振り返ることなく、俺の呼びかけを掻き消すように大声で怒鳴ってきた。かなり必死な様子だ。顔は見えないが、鬼の形相が目に浮かんでくる。
「いやいやいや。一回止まって落ち着け!」
俺はまだ優しい口調で女を呼び止める。別に彼女を自警団の下に連行しようなんて考えていない。俺の好奇心が故に、何故ぶった切った他人の腕を持ち歩いているのか知りたいだけなのだ。しかしそんなことをストレートに告白する訳にもいかず、俺は仕方なく女を追って走り出した。
流石に俺の足の速さには叶わないだろう。俺は女のすぐ後ろ、手を伸ばせば容易に肩を掴めるまで背後に迫っていた。すると俺の接近に気づいたのか、女は振り向いてようやく俺と顔を合わせた。俺の顔面にクロスボウを向けて、狙いすまして―――――。
「死ねぇ!!!」
まったく穏やかではない。死ねと言われて“はい、分かりました”とはならない。女はこの場で俺を本気で殺すつもりなのだろう。か細い声を無理矢理絞り出して叫んでいるような声。普段はきっとこんな真似をするような女では無いのだろう、そう思わせるほど俺の目には女が気弱に見えた。
「おいこら、そういうのはやめろ」
女はクロスボウを俺に向けて撃ってきた。こんな至近距離でクロスボウから矢を放ったら、普通の人間なら死んでしまう。そう、普通の人間なら。
「きゃっ!」
女が走りながら撃ったせいだろう、俺の顔の正面から少しズレて左目を貫かんと迫ってきた。そして女は撃ち慣れていないのか、その瞬間の衝撃によって体勢を崩して転んでしまった。女が転んだことで俺も走るのをやめた。だが矢は変わらず迫ってくる。顔の何処に矢が当たってもそれだけで致命傷だ。異世界に来てまだ一週間ちょっとだ、こんなところで目を失う訳にはいかない。
「当たったら危ないだろうが。直情的になるんじゃあねぇ」
俺は顔を少し右に逸らして矢を避けて、右手で矢のシャフトを掴み取る。そして腕を勢いよく振り下ろし、矢を地面に捨てた。弾丸だって避けられるんだ。矢を避けられないはずがない。
「なぁ、俺とお話をしようじゃないか」
俺は女に歩み寄る。当の女はと言うと、目の前で起きた光景が信じられないのか震えて動けずにいた。
「それとも………まだ俺を殺したいのか?」
俺は女の右腕を掴んだ。そして強く握りしめる。
「ぅっ………ぁぁぁああああ!!!」
女は激痛のあまりクロスボウを手放してしまう。けれど俺はそれだけで握りしめる手を離したりしない。彼女の腕を強く握りしめながら、前腕部分を握る手にさらに力を込める。
「あ゙あ゙あ゙ぁっっっ!!!」
俺は彼女の腕を折ってあげた。話を聞く様子が無い以上、強引とは言え大人しくさせるしかない。どうせ斬りたての他人の腕を持ち歩いてるような奴だ、腕の一本折っても構わないだろう。
「話し合いは大事なことだろう?」
「ぅぅぅ………」
俺は女の折れた右腕を再び強く握りしめ、絶対に逃げられないようにする。そして、俺は空いている右手の拳を軽く握りしめた。振りかぶって大きく息を吸う。そのまま大きく弧を描きながら、女に向かって右手の拳を放った。女の顔面に吸い込まれるように俺の拳が確実に彼女を捉える。
「っご!っっぁっぁぁぁうあ゙っ!!!」
女は俺の顔面ストレートをまともに喰らい、無抵抗に身体が後方に吹っ飛ぶ。だらしなく揺れる頭に、衝撃によって脚が軽く浮いている。
だが、女は地に伏すことはなかった。俺が彼女の右腕をしっかりと掴んでいるせいで、女は俺の下から離れることができなかった。反動よろしく、まるで見えない壁にぶつかって打ち返されるボールのように、女の身体が勢い良く戻ってくる。無気力で、無様。壊れた操り人形みたいに女は白目を向きながら、涎を撒き散らして項垂れる。
「さてさて………」
俺は糸が切れて動けなくなった女の顔を覗き込んで言った。
「俺とお話をしようか」
不思議なことに、女はなおも俺を鋭い眼差しで睨みつけてくる。無言の圧力とはまさにこのことだ。痛みで声が出ない分、俺に目で訴えかけてきた。俺がコイツの顔面を殴ったせいで、鼻からボタボタと血が垂れている。口の中も切ったのか、咳とともに血の混じった唾を吐きだした。
「………邪魔させない」
ようやく口を開いた。女はそう言って俺に凄んできた。並々ならぬ決意、そして覚悟。腕を折られて顔を殴られて………それでも俺に対する敵意は消えていなかった。
正直、俺は今感心している。ここまですれば大抵の者は心を折られる。いくら軍人でも、だ。尋問や拷問の訓練を受けた精鋭部隊の人間か、あるいは己の人生すら捨て去る覚悟を持った人間でなければ耐えられないはずだ。恐らくこの女は後者だろう。
「私には、覚悟があるっ!」
女が言葉を続けた。俺はそれを黙って耳にする。
「今ここで!立ち止まる訳にはいかない!私はやり遂げなければならない!」
女は折れた右腕を強引に引っ張り、俺から離れようとする。だからと言って俺が手放す訳がない。俺は黙ったまま女の腕を掴んだ手を振り上げる。そのまま側の建物の壁に女の身体を引っ張った。腕を横に勢い良く振ることで、無抵抗に女の身体は宙に浮かんだ。そして受け身も取れない体勢で壁に激突する。
「あっがぁっ!」
女が地面に崩れ落ち、いよいよ抵抗の様子も見せなくなった。だが俺を睨みつける態度は相変わらずだ。
「うっっくぅ………はぁっはぁっ、ぅぅぅっく、苦しみを前にっ!立ち止まったりしないっ!」
一体どこにそんな元気があるのか、女はゆっくりと膝に手をついて立ち上がろうとしている。それに先ほどから女は切断された腕を手放すことなくしっかりと抱え込んでいる。よほどの執念がそれにあると見た。
「せめて会話をしようぜ、会話を」
俺は堪らず呆れて物申した。だが女は俺に対する態度を変えようとしない。
「もう後戻りはできないの!先に進むしか!道が無いの!例えあなたが何者であろうとも!私はこんなところで終われないっ!」
「あっそう」
俺は欠伸をしながら女を再び殴りつけた。今度は胸。流石に手加減をしないと死んでしまうので、あばら骨が折れてしまわないように殴りつけている。
「―――――っ!!!」
一瞬の衝撃、それが呼吸困難を引き起こして前屈みになって倒れ込んだ。気力だけではどうしようもないのだ。
「頼むから俺とお話をしようぜ、な?別に俺はあんたの敵じゃあないんだ」
「ならっ!どうして私を襲うのっ!」
必死になって声を絞り出す女。ようやく会話のキャッチボールができた気がする。ここまでの応答をするのにどうして時間がかかるのか………。俺は頭を掻きながら呆れて溜め息を漏らした。
「いやいやいや。腕の骨を折ったのはあんたが先に仕掛けてきたからだ。いきなり矢を撃ってくるんだからそりゃ防衛行動を取るでしょ。顔面殴ったのはただの尋問だ。気にするな」
「ふざけないで!だったら今すぐ私を解放しなさいっ!」
「ふざけてねえよ。とりあえずその抱えてるものについて説明してくれ。そうしたら手を放してやるよ」
俺は女が大事そうに抱えている腕を指差した。流石に切断面からの出血は止まっているが、それでも筋繊維や骨が露わとなって腕から垂れさがっている。まるで切り落としたケーブルのコードみたいになっていた。
「ふざけないで!勝手なこと言わないで放しなさい!」
「だからふざけてねぇって」
会話ができているような、できていないような。俺もいよいよどうしようかと考えあぐねていた。
そもそもの目的は法具を集めているジジイを探すことだ。それさえ達成できればこの女はどうでも良かった。ただの好奇心。それだけの為に今こうして貴重な時間を割いているのだ。本格的に拷問をしても良いが、そこまでして人の腕を持ち歩く理由を聞きたい訳ではない。なんだったら、もう解放してしまっても良いんじゃないだろうか。
そんなことを考え始めていた矢先、俺の背後から声がした。それはさっき聞いた青年の悲鳴の声と同じ声色。一度耳にしただけでも同一人物だと分かった。
「ルリエラ!」
男がそう叫ぶ。人の名前だろうか、こっちに向かって走り寄ってきるのが分かった。俺はどんな男かと振り向いて確認してみる。
「んぁ?マジか」
まぁ当然とは言え、男の右腕は斬り落とされて無くなっていた。雑に斬り落としたおかげで出血は大したことは無いのだろう。けれど痛々しさは見るからに酷いものだった。
「スウェルさん!」
女は男の呼びかけに応えるように叫び返す。その様子は、まるで―――――。
「僕の妻に何をしているんだぁ!!!」
片腕を無くした男が、そう怒鳴り散らしながら俺の下に駆け寄って来た。妻。………そう、妻。
つまりは男の嫁。2人の様子は、まるで夫婦そのものだった。
「あぁ、訳分かんねぇ」
俺は空を見上げながら今の心境を純粋に吐露していた。
はてさて。俺はこの場でどうしようか。
男、さっきスウェルと呼ばれた彼だが、俺のいる方へと近づいて来た。とっさに女の手を放して道を譲った。
女はルリエラと呼ばれていたが、この際2人の名前なんてどうでもいい。俺は身を寄せ合い抱擁を見せつける夫婦を前にして思わず舌打ちをした。小さく溜め息を吐いて、それから俺はスウェルの方に話しかけた。
「状況がまーーーったく読めないんだが、お前らは一体何をしてるんだ?」
「それはこっちのセリフだ!あんたこそ何をしてるんだ!?」
「いや俺のセリフだから。その女が大事そうに抱えている腕………それ、お前のだろ?見た感じ親しそうにしてるけどさ、何がどう転んだら白昼堂々と腕を斬り落とす事態に陥るんだよ」
「そ、それは………」
スウェルが言い淀む。どうやら男の方には後ろめたいことがあるようだ。俺は追撃するように質問を続けた。
「お前の彼女?嫁さん?がさぁ、ずっと“立ち止まる訳にはいかない”なんて連呼してたんだ。突然目の前に血塗れで他人の腕抱えて走ってる奴がたらビビるだろ?せめて何があったかくらい教えてくれてもいいだろう」
理解したくはないが、理解してしまう。恐らく彼らが何の類をしようとしているか、それを俺はぼんやりとではあるが理解していた。こんな奇天烈な事態に巻き込まれておいて、俺の知能は整合性を正しく導いていたようだ。
「………い、言えない。あんたには関係のないことだ。これは、これは僕と妻の問題だ!」
そう言ってスウェルは嫁であるルリエラの肩に左腕を伸ばす。当人だって腕を斬られたばかりで痛いはずだ。人間がアドレナリンで我慢できると言っても限度はある。それでもスウェルは肩に手を回し、彼女をゆっくりと起き上がらせた。
「あ、ありがとぅ………スウェル、さん………」
「大丈夫。大丈夫だから、ルリエラ。焦らずにゆっくりと行こう」
「うん………」
ルリエラは安堵した為か、それとも緊張の糸が切れたせいなのか、先ほどまでの鬼気迫る形相は和らいで声も大人しくなっている。それまでしっかりと抱えていたスウェルの腕も地面に落としてしまった。スウェルはそれを拾う為に左手を目一杯伸ばして、なんとか斬り落とされた自分の腕を掴むことに成功した。そうして2人は俺なんかを無視して歩き出す。お互い支え合うように、ふらふらとおぼつかない足取りのままゆっくりと歩いていた。
これが愛の成せる業なのだろうか。いや、そんなことは正直どうでも良い。本当にどうでも良いのだ。
「あんたが何者かは存じませんが、これ以上僕らに関わらないでください」
スウェルが釘を刺すように俺に忠告をしてきた。背中越しで表情は読み取れないが、相当怒りに満ち溢れていることだろう。俺は適当に返事をして、追い払う仕草をしてみせた。
「はいはい。分かったよ。お前ら2人で勝手にしていろ」
こうまでされると流石の俺も興味が失せた。あいつら、確固たる意志をもって歩みを進めている。己の肉体的な苦痛を目の前にしても、それを一蹴するほどの意志で。
女は俺が痛めつけたからだとしても、男はついさっき腕を斬り落としたばかりだろう。それなのに両者共に弱音を吐かずに一歩、また一歩と前に進んでいる。きっとあの場で彼らを拷問にかけたところで口を割らないだろう。いや、割ったとしても時間がかかる。今の俺には逆に時間が無かった。
「はぁあ………時間を無駄にしてしまった」
頭を掻きながら自分の行動を悔いてぼやいた。俺の目的はジジイを探すこと。こんなところで寄り道をしている場合じゃない、せめて今日中には見つけておきたい。
俺は再び捜索を開始した。




