法具を扱う奇特な蒐集家
「法具店のジジイは何処にいるのやら」
俺は独り言を呟いては周囲に視線を巡らせる。怪しいジジイ、怪しいジジイ………。もう闇市に踏み入れてはいるのだが、それらしき人物が見当たらない。怪しい物品が並ぶ気色の悪い商店街を抜けて、そのまま日陰の伸びる細い路地へと踏み入った。俺は警戒を怠らなかった。さらに奥へ、どんどん進んで行く。
だが、何処を探しても見当たらない。さっきから見かけるのは胡散臭い男どもに、やせ細った女どもだけ。年齢的にジジイと呼べるような人物とは擦れ違いもしなかった。
「当てが外れたか?いや、俺に限って間違えるなんてことは………」
一度戻って別の場所を探してみるか、そんなことを考え始めた直後だった。
俺の目の前で、1人の女が2人の男に襲われていた。暴漢たちと娼婦といった構図だろうか。何が原因で揉めているのか知らないが、ありふれた光景ではある。別に俺がわざわざ助けるまでもない。そう思って彼らのやり取りを一瞥して、その場を去ろうとした―――――その時。
「はーーーーーっはっはっはっは!!!若い衆!馬鹿みてぇにアホ面晒しやがってみっともねぇぞオイィィィィィイ!」
耳をつんざくような大声。思わず舌打ちをして銃に手が伸びてしまった。空気を震わせるほどの活力あふれる声量。明らかにこの場の陰湿な雰囲気にそぐわない陽気さ。そんな場違いな発言をした声の主は、ちょうど俺と暴漢どもの直線上に立っていた。
「お嬢さん!もう安心していいぞ!この儂が助けてやっからなぁ!!!」
一見するとホームレス。身体中に得体の知れないガラクタを散りばめて、見た目ジジイのくせに元気良く飛び跳ねている。
「あぁ?まさか………アレか?アレなのか?」
俺はそう言って茫然として立ち尽くした。もしかしたらお目当ての人物と巡り合えたのかもしれない。
もしくは俺の勘違いだったのだろうか。あるいは最初から見当違いか。法具の蒐集家の年老いた人物をイメージするなら、ステレオタイプの魔法使いを連想してもおかしくないだろう。勝手に俺が指輪物語のガンダルフみたいな見た目で捜索をしていたのが間違いだったようだ。俺の前に姿を現したジジイの姿をまじまじと見つめる。
薄汚いボロボロになった深緑のローブは、ところどころ黄ばみがかっていて素直に汚い。そして錆びた箱やガラス瓶、不細工な出来の木の人形、茨のような蔦が絡まったフラワーリース、淀んだコバルトブルーの小石………。規則性の見当たらないこれらに糸を通してローブに縫い付けていた。
今日日、ホームレスでもここまで不気味な人間は見かけない。魔法使いらしいとんがり帽子は被っておらず、ボサボサになった紫色の髪に穴だらけの布切れを帽子代わりにして頭に乗せていた。なのに髭はしっかりと剃っているのか、顔周りに髭は生えておらずすっきりとした面立ちだった。元は綺麗な赤だったのだろうか、もはや原色をほとんど留めていない黒い靴。
それをジジイは踵を踏みつぶしながら飛び跳ねていた。
「オォォゥゥゥゥウラぁ!痛い目見たくなかったらなぁ!お嬢さんを掴んでるその手を放すんだなぁ!」
ジジイはけたたましい大きな声で叫び、暴漢どもを指差す。その風貌からは想像できないほどキレのある動作で動いていた。
「あぁ?なんだ?どこから出てきやがったクソジジイ」
「何様のつもりだぁ?さっさと失せろ!」
暴漢どもが苛立ちを露わにしながらジジイを睨みつけた。まったくもって同意だ。本当に何処から出てきたんだこのジジイは?いくら入り組んだ細道の多いからって、見逃すほど俺の目は節穴じゃない。俺は少し後ろへ引いた位置で彼らの動向を探ることにした。
「よっしゃああ!言うこと聞かねぇならお仕置きだぁぁぁ!!!」
暴漢どもから言質を取れたことで余計に元気になってしまったようだ。ジジイが懐に手を忍ばせて、何かを取り出そうとしている。
「おいジジイ!聞いてんのかゴラァ!」
暴漢の1人が駆け出して、ジジイに向かって拳を振り上げた。どうやら彼らは老人相手でも容赦しないようだ。あの巨体から繰り出される殴打の一撃は計り知れないだろう。
さて、それに対してジジイが取った行動は―――――。
懐から取り出したのは、右手にジェル状の緑色の物体、左手にキャンディを思わせ包装紙に包まれたものを手にいっぱいにしていた。あれらを服の中にしまっていたかと思うとだいぶ………いやかなり気持ちが悪い。そんな得体の知れない物体を両手に取り出したジジイ。何をするかと思えば、それを暴漢どもに差し出すように手を突き出した。
「さぁくらいな!儂のとびっきりをーーー!!!」
そう叫ぶジジイの手元が強い光に包まれた。白い発光色は唐突に眩く輝きだす。直線上にいた暴漢や女、そして当然俺もその光の餌食となってしまった。拷問には慣れているのでこの手の強烈な光は俺には効かない。
しかし暴漢どもはそうでもないようで、あまりの不意打ちに目暗ましとなったようだ。その隙をついてか、ジジイが手にしていた謎の物体を宙高く放り投げた。
一瞬の出来事だった。高く舞い上がったそれらが光の中で1つに合体した。かと思うと、それは七色に輝きだして四方八方に閃光を放った。周囲を巻き込むように壁や地面のあちこちに衝突を繰り返しながら勢いをとめない。
「うわぁぁぁっ!」
暴漢どもの悲鳴が聞こえてくる。どうやらあの閃光に直撃したようだ。情けない声をあげながら俺の方へ向かって駆け出した。光を直視してしまったからだろう、目を瞑りながら俺の脇を素通りして行ってしまった。ついでに女もその場から逃げ出して行った。
「はっはっはっはっはあぁぁぁぁ!!!どうだ若い衆!思い知ったか!若さにかまけてふざけたことしてるからこんな老いぼれジジイにすら勝てないんだよ!」
いや、あんたも十分ふざけていると思うんだが。
「さぁてさてさてー、可愛いお嬢ちゃん!せっかく助けてやったんだから儂とちょっと遊びに行かなーい?」
「さっきの女ならもういないぞ」
まさかとは思っていたが、やはりエロジジイだったか。下心がもう見え見えだったんだよ、とんでもないエロクソジジイだ。ジジイは俺の言葉を耳にして、だらしない表情が一気に驚愕の形相へと変わった。
「なにいぃぃぃぃぃ!せっかく儂が助けたと言うのに………こんんんの恩知らずがあぁあ!」
「恩を与える側が恩を語るなよ。そういうのを“厚かましい”っていうんだ」
「むっ、辛辣だなぁ。………それはそれとして、君は誰なんだ?」
俺はジジイの下へ歩み寄った。ここまで近づいても警戒されていないのはラッキーだろう。お互いの顔がはっきりと見える距離まで近づいて歩みを止めた。ジジイの顔は歳の割に若く見える。と言うか、あの人形店の女店員と目元がよく似ている。
コイツで間違いないだろう。
「俺の名前はデルタベガス・アルフェガス。お前、人形を売ってる店の裏手で法具を集めていたりしてないか?」
「ほう………どうやら儂のお客さんということか」
俺の言葉にさっそく理解を示してくれたようだ。察しが良いのは助かる。
「お前に訊きたいことがあってな。時間はあるか?」
「ふん、良いだろう。せっかく綺麗なお嬢さんと遊べると思っていたが、興が冷めてしまったからな。今日は特別やることもなし、儂について来い」
そう言ってジジイは不機嫌そうな態度で歩き出した。
俺とジジイが人形店のところへ無事に戻り、裏口の扉を開ける頃には通りにも人の群れも増してきた。道中に会話は無く、ただひたすら前を歩くジジイの後ろをついて行くだけだった。
賑わう街。その影に隠れるようにして俺は暗がりの中へと足を踏み入れた。
「今明かりを付けるから待ってろ」
部屋の中は闇に飲まれていて、黒く塗りつぶされた世界が広がっていた。俺は牙王家の血族だから即座に暗闇にも対応できるが、普通の人間であれば目を瞑って歩くようなものだろう。明かりを付けると言ったジジイの声が10時の方角から聞こえてくる。そして笛の音のような響がジジイの方から鳴った。
ゥヴォォォン─────。
奇っ怪な重低音が部屋全体で反響する。かと思えば、目の前が一瞬にして彩った。どうやら先ほどの笛の音が引き金だったのだろう。部屋の各所に散らばった光源が淡く温もりをもった光を灯していく。それは幻想的な雰囲気で部屋の隅々まで明るくした。
「今のも魔法なのか?」
「あぁそうだが………なんだ?君は儂の蒐集品を購入しに来た客じゃないのか?」
「ぃんや、俺は魔法を使わない」
「何者なんだ?」
「異邦から当てもなく旅を続けて来た放浪人さ。この街に滞在してる間に、法具の蒐集家がいるって小耳に挟んでよ。是非とも会って話がしたかったんだ」
俺はそう言いながら部屋を見渡した。まさに摩訶不思議できる物ばかりがあちこちにあった。テーブルや棚の上はもちろん、床にも所狭しと敷き詰められ、壁や天井からも大量に糸で吊るされていた。歩くのだけでやっとだ。俺は床の上の物を踏みつけたりしないように慎重に足の置き所を探った。
「ほう、じゃあ君は儂の集めた法具を観覧しに来たってことかぁ!」
急にテンションを上げるジジイ。俺が彼の所持品に興味を示していることがそんなに嬉しいのだろうか。
「そういやまだ儂の名前を言ってなかったなぁ!儂はアヴェロンだ!好きなように呼んでくれ!」
「そうか、じゃあ奇特爺とでも」
「はっはっはっはっはぁっ!そうかそうか!君は面白い男だァ!」
アヴェロンが俺の背中をバンバンと力強く叩いてくる。ジジイに叩かれたくらいで身体がよろけることは無いが、それでも年甲斐なく勢いのある平手打ちだ。
「………なぁ、そろそろ良いか?」
俺は振り向いて軽くアヴェロンを睨みつけた。
「あぁ済まない済まない!ここにあるものはすべて売りもんだ、好きなように見ていってくれ!値段は随時交渉!」
アヴェロンは相変わらず陽気な態度で俺に接してきた。特に接客をするという訳でもなく、自分で集めた法具を手に取っては気持ち悪い笑みで眺めている。流石に気色悪さが際立った。
こういうタイプの人間は元いた世界でもよく見かけたものだ。アゼルバイジャンにトランスポーターの知人がいたが、宝石に固執するあまり多額の金を注ぎ込んでいた。所有していた島を売り、各国の別荘地もすべて売り払ってまで宝石を集めることに心血を注いでいた。今では自宅すら手放してボロ屋に住んでおり、何を彼がそこまで突き動かしているのやら理解できない。
──────────
「俺ァな、レッドダイヤモンドを10粒持ってんだ!どうだ!欲しくてもあげねぇぞォ!」
──────────
………よくないものを思い出してしまった。あのトランスポーターは優秀なのだが人として大切な何が欠落しているように思える。十年来の付き合いなのに、未だに彼の挙動には溜め息ばかり吐かされていた。あの男とこのジジイはよく似ている。
蒐集家とは世界が違っても、まとも人種ではないようだ。
そもそもこのジジイ、俺が睨みつけても平気な顔をしていた。余程の大物か、余程の奇人でなければこうはならない。コイツは後者だろう。奇特爺と褒めてやったが奇人爺の方がまだ妥当だったかもしれない。
「アヴェロン、お前は魔法使いなのか?」
「まさか!魔法使いだったらどんなに良かったか!」
アヴェロンが勢いよく振り向いて、俺に噛みつくように迫ってきた。
「儂に魔法の才能があればどれほど良かったことか………!儂がこうして法具を集めるきっかけも無かっただろう!」
アヴェロンがテーブルの上から1つ、粘土細工らしき物を手に取った。猫のような兎のような、よく分からない姿形の不出来な置き物に見える。
「魔法の才能の無い儂にとって、法具はまさに希望なんだ!こんなに不思議で魅力的な力を扱えないなんてもったいないだろぅ!!!」
アヴェロンはそう言って、天井に向けて手に持っていた置き物を掲げた。すると不細工な置き物は青白く輝きだした。光とともに浅瀬の水のせせらぎが聴こえてきた。青白い光は次第に天井全体に広がっていき、かと思えば部屋の明かりが急に消えた。
「ほぅ………これは」
俺は思わず息を呑んだ。
まるで星空。これは恐らくプラネタリウムの簡易版なのだろう。単純に天井に向けて光の粒が散りばめられて瞬いているだけの光景。しかしそれが心奪われるものであることは疑う余地も無かった。
これが、法具。魔法の才の無いものに与えられた、美しき幻想。改めて俺は異世界の神秘に目を当てていた。
「これが法具か………」
「どうだ?すごいだろ?」
俺の感嘆の溜め息に、アヴェロンは嬉しそうに笑いながら尋ねてきた。彼の反応はとても幼稚で無邪気なものだったが、それがまたこの男の純真さを表していた。俺は黙って頷いた。プラネタリウムと言ってしまえばそれまでだ。出来もそれほど良くはない。
しかしこれが魔法という未知の原理で動いているとなると、その魅力は途端に大きく膨れ上がる。俺はそんな魅力に心打たれていたのだ。
「これは四級法具の中でも特に優れた逸品だ。内在する法力がとてつもなく多い。だから何度使ってもこの美しい光が途切れることが無いんだよ!」
「そいつは素晴らしい。いくらするんだ?」
せっかくだ、アシュタロトへの土産品として買っていこう。アイツはアイツなりに良く頑張っていやがる。偉そうな振る舞いをしても所詮はガキだ、こういう類のものでも喜ぶはずだ。
「御目が高ぇな君ィ!せっかくだ、デルタベガス・アルフェガス!君にはこれを85ゼパのところを70ゼパで売ってやる!持って行きやがれ!」
そう言ってアヴェロンは俺に向かって置き物を投げてきた。いやいやいや、このクソジジイ。大事な商品を客に投げ渡すんじゃねえよ。口走る前に俺は言葉を喉元でせき止めたが、反抗の意味も込めて苛立ちの表情をアヴェロンに見せつけた。だが当の本人は意にも介さずに、再び部屋の中を徘徊し始める。
「それを使う時は尻のところ強く押すんだな!そうすれば光が付くからよ!もう一度押すと消えるからな!」
威圧して強制的に見動きを封じてやろうか?そんなことを思いながらも、俺は落ち着くために一度溜め息を吐いた。今はレーシアと初めて会った時みたいに恫喝したりするつもりは無い。俺はテーブルの上に並べられた法具を手に取りながら、自然な流れでアヴェロンに声をかけた。
「なぁお前、魔法はかなり詳しいのか?」
「ん?急になんだ?」
俺の突然の問いかけに足を止めるアヴェロン。手にした法具を元あった場所に戻し、俺はテーブルに身を乗り出した。
「俺は魔法についてはド素人なんだ。良かったら教えてくれると有り難いと思ってな」
魔法に関する情報はアシュタロトから聞いている。既に得た情報を改めて尋ねる意味は無いかもしれないが、吟味する分に越したことはない。それにジジイの警戒を解くために話を盛り上げるには良いネタになるだろう。
「おうおう!君も魔法に興味があるか!いやあるか!!!無かったらこぉんな場所来ないだろうな!はっはっはっ!!!」
案の定、アヴェロンが興奮し始めた。テンションの高さは相変わらずだが、語尾の上がり具合から今日一の興奮状態であることが窺える。
「いいか!?そもそも魔法とは!世界の理と只人が繋がる奇跡!生まれ持った才能のある者だけが行使できる至上の力!それこそが魔法だァ!!!」
興奮のあまりアヴェロンは手近の法具を両手で抱え込み、天高く放り投げた。おいおい、大事なコレクションだろ。しかも商品だろ。さっきのことと言い、このジジイの物に対する扱いはどうなってるんだ。そんな俺の考えを知る由もなくアヴェロンは話を続けた。
「魔法の才に恵まれた天啓たち!彼らはその身に受けた魔法を発揮し、磨き上げ、行使する!人智を越えた奇跡を只人の身で引き起こす神秘!これほど心惹かれるものは他にあるだろうか、いや!無い!」
俺は言葉を挟む隙を窺ったが、早口で捲し立てるアヴェロンを止められない。もはや無双状態だ、仕方ない。彼の話を大人しく聞いておこう。
「だが魔法という奇跡は天啓だけのものじゃない!二級法具、組織化された兵器!魔法の才に程度はあれど、その法具に宿る精霊がその身を魔法使いへと昇進させてくれるのだ!」
組織化された兵器、通称OW。俺が今まさに身に着けている指輪がそれだ。
「精霊そのものが稀有であり理解を越えた存在!神秘的な驚異の結晶!これもまた選ばれた者のみが邂逅を許されるんだ!!!」
饒舌も良いところだ。ジジイとは思えないほど身振り手振りがやかましい。そのエネルギッシュな様子は逆に歳不相応だ。俺は気だるげに首を回しながら、壁にかけられた法具の1つを手に取った。彼の話を聞き流している訳ではない。耳には入れておきながらも話半分に聞いていた。
「魔法の力は法力に依存する!法力が強くければ強いほど、魔法によって起こされる事象は際限無く大きくなっていくんだァ!」
「おう、そうか」
適当に相づちを打ちながら、俺はふとアヴェロンの方を見た。
いない。
「んぁ?」
声は聞こえる。どうやら興奮のあまり別の部屋に移動してしまったらしい。部屋を移ってなお俺の耳に届くほどの大声で、この声のボリュームなのは相当デカい声で話しているようだ。
俺は仕方なく部屋の隅にある、奥へと続く扉の方へと近づいた。引き戸になっており、先ほどまで閉まっていたのが今では開け放たれている。明かりの無い真っ暗な廊下の先には淡いオレンジ色の光が灯っている。
「仕方ねぇな………」
俺は頭を掻きながら廊下を進んで行った。廊下は思っていたよりも狭かった。そして思っていたよりも汚れていた。物が床に敷き詰められていて、先ほどの部屋よりも足の置き場に困ってしまう。だがそれ以上に淀んだ重たい空気で満たされていた。単に雰囲気の問題ではない、いやむしろ物理的な加重が肩や頭の天辺で感じ取れた。
俺は鼻を利かせてみた。わずかに香る、塗香のような匂い。無意識に怪訝な表情を浮かべてしまう。
鈍い痛みが頭の中を駆け回り始めた頃、俺は廊下の先へと出た。淡いオレンジの光が灯る部屋。そこは一変して、整理整頓の行き届いたこざっぱりとした部屋だった。必要以上に物が置かれていない。まるでこの部屋と廊下までの間に境界線が引かれていて、世界を飛び越えるが如くまったく異なる場所へと転移したかと思えるほどだった。
「おい、ジジイ………アヴェロン!」
俺は無人の部屋で声を張った。さっきの部屋からここまで、廊下を挟んで一直線。
擦れ違うはずはない。だがアヴェロンがこの部屋に来たのを直接見た訳でもない。俺は改めて部屋を見渡してみた。オレンジの光は、部屋の天井中央から吊り下げられた電灯のものだった。元の世界では見慣れたナス型の電球、それに似たガラス細工の中で光が揺らめいていた。
火?いや、確かに遠目からでも温もりは感じられるが、火にしては揺らめく光が規則的な動きを見せている。
電気?それにしては妙だ。
電球は釣り糸のような線一本で吊られているだけ、配電の為のコードが見当たらない。
そうなると、これも魔法の類なのだろうか。法具も千差万別。少ない見聞だけでも俺はそれくらい分かってきた。魔法によって発光を促すなんてことがあっても不思議ではない。
「それも魔法だ」
俺の心を読んでか知らずか、アヴェロンがどこからともなく姿を現した。彼は自身の身の丈ほどの紙の巻物を腕にたくさん抱えていた。黄ばんでいる紙は端の方がほつれていて、年季の入った品であることが窺える。
「おい、ジジイ。急に落ち着くな。気でも触れたかと思っただろ」
「おう悪いな。君に見せたいものがあったんだ」
先ほどまでのハイテンションとは裏腹に、アヴェロンは大人しい様子で振舞っている。電球の真下にある、テーブルと呼ぶにはあまりに面積の少ないスタンド。そこに立てかけるように巻物を置いた。
「これだ、これだよ、デルタベガス・アルフェガス。君にこれを見せたかったんだ」
アヴェロンが巻物のうち1つを取り上げると、結んでいた紐を解いてスタンドの上で広げ始めた。その巻物に俺を目を向けた。何か絵でも描かれているのだろうか、そんな風に考えていた。
「これは、手形………?」
俺は思わず身を乗り出して巻物を覗き込んだ。そこには絵ではなく、大小さまざまな手形が捺されていたのだ。黒に近い青色のインクで象られた12の手形は、不規則な配置ですべて右手だった。
「これはな、選定十二侯の手形なんだ」
アヴェロンが俺と同じように巻物の手形を覗き込みながら言った。声は抑えられているが、それでも彼の内心が興奮冷めやらぬ状態であるのは嫌でも分かった。顔がすぐそばにあるとアヴェロンの鼻息が荒いことに気づけた。
それにしても………“選定十二侯”。初めて耳にする単語だ。この12人の手形が、その選定十二侯とやらの人物たちが捺したものなのだろうか。
「選定十二侯?誰だそいつは」
「なぁにィ!?選定十二侯を知らないだと!?」
「騒ぐなジジイ。知らないから訊いているんだ」
「あ、あぁそうだな。確かにその通りだ………君は異邦人なんだろ?だったら知らなくても仕方ないかもしれない」
アヴェロンはそう言うと、しばらく考え込む素振りを見せた。俺に対してどう説明をすべきか、それを検討しているのだろう。顎の先を指でなぞりながら低い声で唸っている。俺はその間も巻物に捺された手形を眺めていた。するとアヴェロンが何かを思いついたのか、手をポンと叩いて閃いたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「良いか、君?選定十二侯はこの国の象徴なんだよ」
「象徴?」
俺は顔を上げてアヴェロンに視線を向けた。嬉々とした表情で笑みを浮かべていた。
「そうだ。選定十二侯は5年に一度、タウル・ゼムス全土から国民総出で選定される。それまで国家に大きな繁栄をもたらした者、多大な進歩をもたらした者、勇猛で戦果を挙げた者、そしてこれから国家をより発展させる者、より輝ける未来へと導ける者、などなど………。身分や出自、役職が異なろうとも関係ない。タウル・ゼムスにいる只人全員が対象であり、その中から12人が選ばれるんだ。それこそが選定十二侯」
「へぇ、国の象徴として称号を得られるって訳か」
「その通り!名誉ある称号だ!選定十二侯に選ばれることは末代まで語り継がれるほどの功績!どれほどの成功を収めようともこれに勝るものは無いと言えるだろう!」
なるほど。
アヴェロンの話によると、日本における内閣総理大臣顕彰に近いかもしれない。あれがただの表彰であるのに対して、こちらの選定十二侯では正式な地位を設けることで国家の顔に仕立て上げているようだ。俺は素直に感心して頷いた。
「せっかくだ!今の選定十二侯を教えてやる!」
アヴェロンが意気揚々と巻物片手に俺へ迫ってきた。手に持っている巻物は他のものと比べると保存状態が良く、比較的新しいことが見て取れる。アヴェロンはそれをスタンドの上に重ねて広げようとした。俺はそれを手で制止して不機嫌な態度を見せつけた。
「いや、それは良いから。俺は魔法についてもっと知りたいんだ」
「そう遠慮すんな!儂が教えるって言ったら教えてやるんだよ!」
「別に良いって。そこまで興味ねぇからよ」
選定十二侯とやらが何者なのか、それは今急いで知る必要は無い。国の象徴として一般的に知られているような事実であれば、わざわざこのジジイから聞く意味が無いのだ。俺は首を横に振りながら項垂れて溜め息を吐いた。
「だいたい、この巻物は一体何なんだ?どうしてこんなにある?まさか全部同じように手形が付いているのか?」
俺は話を逸らそうと強引に話題を切り変える。このままコイツの好きなように喋らせていては収拾がつかないはずだ。
「おお?あぁこれはな、すべて歴代の選定十二侯の手形が捺されているんだ!」
………どうやら外れだったようだ。余計に彼の“話したい欲求”を刺激してしまったらしい。アヴェロンは肩を上下に激しく揺らすようにスタンドに手を置いて跳ねていた。
「さっきも言ったように、選定十二侯は5年に一度改定されるんだけどよ!その度毎に全員が意思表明と併せて制式に則って手形を捺すんだ!これはその模造品だ!品数限定で滅多に市場にだって出回らない!儂は、それを!歴代一式揃えてるってんだよォ!」
非常にうるさい。うるさ過ぎて苛立ちが先行してしまう。ジジイのくせにこの元気はどこからくるのだろうか?
とにかく選定十二侯が本当に特別な存在であることはよく分かった。これ以上アヴェロンの面倒なご高説はうんざりなんだ。後はもう適当に誰かに尋ねれば良いだろう。これならまだ自分語りの方がマシだ、話がどんどん冗長していきやがる。
「それじゃあ選定十二侯の現メンバーを紹介するぜェ!!!」
「いや、いいから―――――」
「まずは彼からだぁ!!!」
もはや俺の言葉もアヴェロンの耳には届いていないようだった。彼はもはや自分の内なる世界に入り浸っている。たまにいるんだよなぁ、こういう奴。俺はまたしても例の宝石好きのトランスポーターを思い出してしまった。奴も自分の好きな話題に関しては、濁流の如く言葉を垂れ流していた。とめどなく捲し立てる様は見ていて気持ち悪い以外の感想が無かった。そんな記憶を嫌々思い出してしまう。けれどそんな俺の気持ちも知らずに、アヴェロンは勝手に話を進めていた。
「誰もが認める最高最強の男!ドヴォルザーク・アトリオン!腕っぷしだけで何十年も選定十二侯に選ばれる、まさにこの国の希望の光!儂とそう歳の差も無いというのに王宮戦士の一員として現役で活躍しているんだ!スゲェだろ!?しかも魔法もほとんど使わずに戦場を闊歩するんだ!彼の背中を何人もの戦士たちは見てきて、その姿に焦がれたことだろう!」
「へぇ、そいつは強そうだ」
「最強と言えば彼もだ!ハイウェリ・ワトン騎士団のゼブラ・ヴェルターナー団長!若くして騎士団をまとめあげるほどの強靭な肉体とカリスマ性!まるで舞うように敵を打ちのめす姿は、戦の神と形容してもおかしくないだろう!」
「はぁぁん………そう」
「若さと言えば、エルジョ・ジェダル!彼もまた若々しさに溢れながら魔法の才は誰にも負けない!魔法という学問、魔法学を飛躍的に推し進めたのは彼の功績の数々に由来するだろう!」
「あっそ」
そろそろ飽きてきた。別に聞き続ける分には苦痛でもない。彼の話は今後、俺が国王暗殺の上で必要となる情報ではある。だが、話を聞くならもっとまともな奴から聞きたかった。
「ルンガル・ガダル・カナはこの国の頭脳として活躍し続けている天才だ!ゼブラ団長とは旧知の仲で、彼の参謀としての活躍は留まることを知らない!」
「はいはい」
「魔法戦士のギルギット・マスタフはその美貌とは裏腹に義勇に満ち溢れた女性だ!彼女の魔法の実力はもちろん、人望の厚さから魔法戦士の次期戦士長官も遠い話ではないだろう!」
「そう………」
話が終わりそうにないアヴェロン。俺は嫌な予感がした。いや、正直に言えば俺の言葉が耳に入っていない時点でだんだん察してきていたのだ。
もしかしてこれ、12人全員説明するつもりなのか?俺は流石に憂いに沈んだ。あからさまに溜め息を吐いた。だがアヴェロンにはそれが見えていない。自分の話を優先に、俺の態度など目もくれずに好き勝手捲し立てている。口は絶えず動き、完全に自分の世界に入った人間の挙動だ。仕方なく俺は諦めて彼の話に耳を貸すことにした。
アヴェロンの話は湧き水の如く止まることを知らない。かくして体感時間は1日を越えていた。魔法や法具について詳しく聴きたかった俺にとっては、あまりにも徒労に帰した感じがする。選定十二侯だの国家の戦士だの、戦争だの………そんな話を延々と聞かされた。まったくの無益ではなかったのが幸いだろう。だが俺の中に選択を誤ったような感情が渦巻いて仕方がない。
俺はそんな苦い気持ちを抱きながら足取り重く店を出た。そんな俺の背中に追い打ちをかけるように、アヴェロンが愉快にも元気な声をかけてきた。
「おお!デルタベガス!またこぉい!いつでも歓迎するぞゥ!!!」
「あぁ、わかった」
俺は空返事で扉を閉めた。ふと見上げるとまだ空は明るい。裏通りの静けさと薄暗さの中で、俺は溜め息を吐いていた。頬を撫でるそよ風が心地よい。ひんやりとした肌に俺は手を触れてぐったりと項垂れた。
「まだ明るいのか………」
俺はぼんやりとした眼差しで空にたゆたう雲を眺めた。真っ白で優雅に浮かぶ大きな綿雲が、まるで羊の群れを成す様を目で追っていた。
「積雲か。対流が緩やかなんだろうな………ていうか、異世界の大気圏の高度は元の世界と大差無いみたいだな」
俺はそんなことを呟きながら表通りへと顔を出した。ほんの数歩を進んだだけで見違えるほどに世界が異なる。陰鬱とした影から脱した清々しい気分だった。
「あ!さっきのお客さま!」
また大きな声が耳に刺さった。だけど今度は不愉快ではない。あの耳障りなジジイと違って、まだマシな方の、女の黄色い声だ。
「確か、えっと………デルタベガス、さん!でしたよね!」
「あぁそうだけど」
「わぁ!良かった!うちのおじいちゃんにはもう会えたんですね!」
「まぁ………会えたよ」
曇りのない満面の笑みを浮かべる店員の様子からして、純粋に喜んでいるようだ。こういう無垢なところは血筋なのだろう、よく似ている。家族というやつだ。俺も牙王家を心底憎みながらも、奴らと同じ穴の狢だからな。
「ごめんなさい!おじいちゃんって一度話し始めると止まらなくて。長話は良くないって自分でも分かってるみたいなんですけど」
「それ本気で言ってんなら相当なきg―――――」
おっと、まずい。俺はつい口を衝いて出そうになった言葉を無理矢理飲み込んだ。気狂いなんて間違っても孫に直接聴かせる訳にはいかない。そもそもどうして俺がこんなにもジジイに対して気を遣わなくちゃいけないんだ?俺は無理に咳ばらいをして大げさに言い直した。
「―――――相当な自由奔放と見た」
「あはは………本当にすみません」
店員は苦笑いで軽く頭を下げた。どうやら悟られなかったようだ。
危ない危ない。間違っても街中では悪い印象を見せてはいけない。力を示す者の前で、力で対抗するのはかえって腕っぷしを買われる。だが他人の悪口はそれだけでソイツの価値を大きく下げてしまうものだ。俺も彼女にあわせて口元だけでも笑みを作って誤魔化す。
さて、あとは簡単にこの場を濁して去るだけだ。長居をする理由も無い。いやむしろ予定していたよりも時間を取られてしまった。この後にもやるべきことが山積みだと言うのに、それに暇を割けるほど俺は自由人ではないのだ。このまま別れの挨拶でも言って、さっさと離れてしまおう。そんなことを考えながら俺は店員に向き直った。
だが、俺はつい目を凝らしてしまった。顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、店員の胸にあるブラウンの人形。熊か、あるいは犬か。何かしらの動物をモチーフにしているのだろうが、元の世界では見かけたことが無いフォルムだ。そんなよく分からない人形を彼女は大事そうに抱えている。そしてその人形には、赤い毛糸の刺繍で“アプッタ”と縫われていた。
「その、それ………アプッタって文字を入れてるのか?」
「え!?あ、はいっ!そうです!」
「アプッタって、もしかしてあの自警団の男のことか?」
俺の知る限り、アプッタなんて名前の人間はこの街で1人しか見かけていない。しかしあの体躯の良い剛腕の彼には、こんな可愛らしい人形が似合うはずもない。
「はい!そうです!もしかして御存じなんですか!?」
やっぱりアイツだったのか。
「まぁ、つい最近知り合ったばっかりだけどよ………それ、もしかしなくてもアイツの、なのか?」
「はい!そうです!」
相も変わらず笑顔の眩しい店員が、一層天使のような笑みを浮かべた。その輝かしいほどの純粋な彼女の表情に俺は思わず目を細めてしまった。俺は恐る恐る店員に尋ねた。
「まさか、アイツにこんな趣味が………?」
「あっ!いえいえ、そんな訳じゃないです。彼もいつも受け取るのを嫌がってて」
「じゃあ何で………」
「彼の誕生日に毎年ぬいぐるみを渡しているんです。私が手縫いでこしらえているんですよ!昔からずっとこうしているんです!」
「昔から?」
「はい!私と彼は幼馴染なんです!」
どこか嬉しそうに話す店員。人形を優しく、大切に抱き寄せている。しかしそんなことなど俺にはどうでも良く、俺はアプッタがこの店員と歳が近いことに驚いていた。
あの男、それなりに若かったのか………。俺は唖然としながら正体不明の動物の人形を見つめていた。
「あぁその………あんた―――――」
「あっ!私はアルディーラっていいます!」
アルディーラと名乗った店員はにこやかに答えた。その笑顔を目にした瞬間、俺の脳裏にアプッタの苦しそうな表情がフラッシュバックした。午前中に見た彼の何かを抱え込んだような辛い心象を察することができた。
「幼馴染って言うことは、アイツとも付き合いが長いのか?」
「はい!もう子どもの頃から一緒に遊んでました!」
「そうか。あの男にもそういう時代があったんだな」
「誰にだってありますよ、そんな時代が!デルタベガスさんもありましたよね?」
他意のない、彼女の純粋な心から来る問いかけ。別に俺の過去を知る者はいないし、いたとしても関係ない。だが、それでも俺には胸に刺さる言葉だった。
「………あぁ。あったな、そんなことが」
俺は小さく微笑み、心中を悟られないように警戒する。こうも親しげに誰にでも話しかけるような女は、無意識でも相手の心の内を見透かしてくるものだからな。俺は話題を逸らす為に、頭の中でちらつくアプッタの顔を思い起こして口を開いた。
「そう言えばアプッタの野郎、今日あったんだけどさ」
「あ!そうなんですか!」
「あいつ、ちょっと様子が変だったぞ」
俺の何気ない発言にアルディーラが一瞬で不安げな表情を見せた。どうやら、やはり聡い女のようだ。
「最近何かあったのか?」
「最近、と言うより………ここずっとそうなんです」
彼女が声のトーンを落として静かに話し始める。
「ずっと?」
「はい。デルタベガスさんは街で起きている誘拐事件をご存知ですよね?」
「まぁ、知ってるが」
「実は………彼のお姉さんにお子さんがいたんです。可愛い1人息子で………」
アルディーラは抱えている人形の頭を優しく撫でながら話している。まるで赤子をあやすように、静かな口調で語っている。
「あの時はまだ3歳だったと思います。お姉さん似で、とても愛嬌のある人懐っこい男の子でした。でも………」
そこで彼女は言葉を濁す。まぁ言わなくても理解してしまうだろう。言葉を選ぶのに苦労している彼女を前に、俺はその気持ちを汲んでやることにした。流し目で視点を人形からアルディーラへと移して口を開いた。
「誘拐の被害者に、なったのか」
「はい。そうなんです」
アプッタの無言の決意に納得がいった。アイツにはアイツなりの覚悟があったようだ。誘拐事件の犯人を追う、そして確実に捕まえる。それが奴の確たる行動原理となっていたのだろう。そして俺が先日イサーウェを捕獲したことによって、一時的にでも胸中穏やかになったはずだ。
しかし、事件の核心部分に触れられた訳ではない。蜘蛛の脚切り、トカゲの尻尾切りの状態だ。そこにイサーウェの脱走が重なってしまってはアプッタも気持ちの良いものではなかっただろう。甥の為の復讐、そんな単純な話ではない。
アプッタを支える秩序を律する意志と、それを自分が成し遂げなければならないという矜持。恣意的な憎悪を掻き消してしまうくらいには奴も不器用な男だ。
「アプッタはもっと、普段からもっと笑っていたんです。最近は少し笑うようになったと思ってたんですけど、それでも昔に比べるとまだ苦しそうで………」
ギュッと人形を抱きしめるアルディーラ。彼女は寂しそうな顔で虚ろな目をしていた。
「いつか、また笑ってくれると良いな」
呟いたその声は、俺の耳にようやく届くほどだった。アルディーラという女がどれほどの想いを抱いているのかは分からない。けれども今の彼女の心中に共感できる者は多いはずだ。それこそがこの街で起きている、クレイヴェードの誘拐事件の実態なのだから。
アプッタの過去、それに少し触れることができた。直接本人に訊けるようなものでも無かったので、ここで知ることができたのは収穫だろう。俺は別にあの野郎がどうなろうと知ったことではない。この街で何人のガキが攫われようと関係ない。そもそも異世界で起きている事件をちまちまと解決するつもりは毛頭ない。
俺は正義のヒーローじゃあねぇんだ………。
だが、一体何なんだ?
この胸騒ぎは。
嫌な予感ほど当たる。俺は意味も無く舌打ちをした。顔を伏せて表通りを歩く。通りすがる人々には目もくれず、パズルのピースを頭の中で組み立てていった。そもそもこのクレイヴェードの街をざっと把握しても、これほどの誘拐事件が長らく続いている実態が不思議でしょうがない。シエラレオネでの紛争地帯やリベリアの内乱では、ガキどもを道具のように使っていたのはしばしば見てきた。ああいうのだったらまだ理解できる。
だがこの街では―――――表の奴らも、裏の奴らも、そこに至る要因が見えてこなかった。街の光に隠れた影の部分も目を凝らして見定めた訳ではないが、それでも傭兵として世界を渡り歩いた俺だ。己の目には自信がある。
「まだ………まだ足りない」
俺がまだ見ていない場所、この街で踏み入っていない場所、そこに答えがあるはずだ。
「まぁ、あそこだよな」
俺は教会のある方角を見つめながら呟いた。




