レーシアの初めての仕事
俺は出来の悪い建物の前にいた。それは俺とアシュタロトが泊まっている宿屋と比べると、外観においてもこちらの方が古く見える。平屋のような構造で横に部屋が並んでいて、個々に分けられているようだ。元いた世界で言うところの、賃貸住宅なのだろう。アパートで1階だけというのは珍しいが、異世界ではこれがオーソドックスなスタイルなのかもしれない。
俺はそんなアパートの一部屋の前で立ち止まる。その部屋の玄関扉を叩いた。
「おはよう、レーシア」
反応が無い。俺はもう一度扉を叩いた。
「レーシア、おはよう」
うんともすんとも言わない。まだ寝ているのだろうか?俺はもう一度扉を叩いた。
「おはよう、起きろ、さっさとしろ」
ここまでうるさくしても部屋の中からは物音ひとつ聞こえてこない。俺は仕方なく、扉を叩く拳に力を込めた。
「起きやがれクソが」
動作は普通に扉をノックしたつもりだ。手を軽く握り、甲の部分で扉を3回叩く。しかし俺の場合、力を込めて叩いたことで扉の耐久力を上回ってしまった。1回目のノックで俺の拳は前に突き抜けた。
バゴンッ―――――。
扉が、外れてしまった。
まさか。俺はそんなつもりなんて無かった。しかし現実に俺は扉を壊してしまっている。
「うわマジか。ヤッバ………」
びっくりしている俺の耳に、足音が近づいて来るのが聞こえない。流石に扉が壊れるような音が部屋の住人に聞こえない、なんてことは無いらしい。部屋の奥から何事かと焦った様子でやって来たレーシアと俺は目が合った。彼女は目の前に広がる惨状に、ただただ茫然と立ち尽くしている。朝っぱらから大きな物音が聞こえてきたかと思えば、玄関扉は壊されて、破壊の元凶である俺がそこに立っている。理解が追いつかなくて当然だろう。
俺はそんなレーシアに向けて、右手を挙げながらこう言った。
「おはよう、レーシア」
俺はできるだけ気楽な感じで挨拶をした。挨拶は大切だ。異国の地で相手の心を開くには、なによりもまず挨拶からだろう。できるだけ爽やかに、できるだけフレンドリーに。見知った親しい友人間のような振る舞いで朝の挨拶をした。
しかし目の前の異世界人はむしろ俺に対して愕然としている様子だ。
「えっと………おはよう?」
なんとか状況を飲み込んだレーシアは、小声で挨拶を返した。
「まぁなんだ。これはあれだ、俺が強過ぎた。まさか扉が外れるとは思わなかったが大丈夫だ。俺がちゃんと直すから」
「う、うん………」
釈然としない様子で、首を傾げながらも頷くレーシア。俺は自分の落ち度に辟易としながら、床に倒れている扉を持ち上げた。本当に、朝っぱらから何をやっているんだか。レーシアに話があって来たのに、まさかこれから他人の賃貸の修繕をすることになるとは………。俺は朝早くから再三溜め息を吐いていた。
「そもそもの話」
レーシアが部屋の壁にもたれかかりながら腕を組んでいる。その冷ややかな視線は、足元で扉を直している最中の俺に向けられていた。
「誰に会うにしても準備ってものがあるでしょ?まして朝早い時間帯なんだから、その………色々と仕度をしないといけないじゃない」
「あぁ、これは本当に俺が悪かった。すまないレーシア」
俺は素直に謝った。女性に対するエチケットが欠けていたことを思い知らされる。今回の件はレーシアにはまったく非が無い。
「貴方の故郷では礼儀というものを教えてくれなかったの?」
追い打ちをかけるようにレーシアが口を尖らす。俺はただ言われるがまま頷いていた。
「………アルフェガス、ごめんなさい」
「んぁ?は?なんでお前が謝るんだ?」
「だって私今、貴方の故郷を悪く言ったでしょ?だから―――――」
「はぁ………そうかい」
俺は思わず眉間にしわを寄せてしまった。意識しない溜め息が零れ落ちる。レーシアの言ったことはまったく悪口になっていない。俺は家の扉を破壊してるんだから、別にそれくらいの皮肉を言われても致し方ないだろう。むしろ怒られて然るべきだ。
だと言うのに、彼女はわざわざそんなことで俺に謝罪している。それもかなり真剣な眼差しで。獣人のトゥリアもそうだが、異世界にはこんなにも純情な人間がいると言うのか。俺は自分にしか聞こえない小さな声で呟いた。
「………いや、単純に俺が避けてきたのかもな」
「え?なに?何か言った?」
「なんでもねぇよ。それよりほら、扉、直したぞ」
俺は直した扉を元の位置に取り付けて、しっかり動作するか確認する。違和感無く開閉する扉を見て、俺は直ったことを確認した。
「ありがとう、アルフェガス」
「いやいやいや。礼を言われる筋合いねぇだろう、俺が勝手に壊して勝手に直したんだ」
俺はバタンと扉を閉めた。さて、これでやっとレーシアと話ができる。
「……………」
「ん?どうした、レーシア」
なぜか俺の目の前で硬直しているレーシア。目を点にして、俺の直視したまま動かなくなっている。
「あ………」
「あ?」
「貴方、今、私の部屋の中に………」
「そりゃそうだ。扉を直してたんだからな」
「えっ、えーとほら、ほら!」
なにやら彼女は混乱している。俺が部屋にいる状況がそんなに不味いのだろうか?
―――――いや、不味いだろ。何を考えているんだ俺は。朝こんな時間からほぼ無防備状態の女性の部屋に、これまた警戒心も無く男が入り込んでいる。俺はレーシアのパーソナル・スペースに侵入しているって訳だ。
これは不味い。
「あぁ悪ぃ、今部屋出るから。とりあえず外で待ってるからよ、準備が済んだら教えてくれ」
俺は彼女の返事も聞かずに急いで部屋を出た。扉を勢い良く閉めて、一息吐く。外の静けさが妙にいたたまれない気持ちにさせた。俺は扉に寄りかかりながら地べたに座り込んだ。姉と妹がいたくせに、俺という人間は本当にデリカシーの欠片も無くしてしまったようだ。
「昔に比べて俺も気が利かなくなったなぁ。まぁ歳も歳だからな、もうオッサンだし」
姉も妹も、とっくの昔に死んだんだ。気が利かなくても仕方ない………なんて、俺は心の中で言い訳をした。
「準備、できたよ」
扉の奥からレーシアの声が聞えてきた。どこか気恥ずかしさが残っていて、俺も申し訳ない気持ちになってしまった。だがこうしてはいられない。時間は有限、時は金なり、光陰矢の如し。何もしなければ勝手に時間は過ぎ去っていく。俺は軽くノックしながら扉越しでレーシアに話しかけた。
「今日はお前を良いところに連れてってやるよ」
「い、良いところ?どこよ、それ」
「良いところは良いところだ。なぁに安心しろ、別に危ない場所じゃねぇからよ」
俺は不敵な笑みを浮かべながら言った。この笑顔は今後彼女の前では控えないといけないな、レーシアにまで警戒されたら厄介だからな。俺は右手で両頬を揉み解して、上がった口角を戻した。
身支度を終えたレーシアを連れて、俺は街を歩いていた。隣を歩く彼女の姿は、非常に優雅で気品高い。あのボロい借家を拠点にしている女とは思えないほど見栄えには気を遣っていた。流石は舞台女優、新米と言えど周囲からの視線を浴びる者として気構えている。俺はレーシアをまじまじと見て、その美しさに感心した。
「やっぱり綺麗だな、お前」
「はぁ!?急に何言ってるの?」
不意を突かれて気が動転しているのか、レーシアは声を荒げた。呂律が回らずに舌足らずになっている。
「いやなに、昨日からずっと思っていて度々口には出していたけど、やっぱりお前は綺麗だよ」
「は、はぁ………それはどうも」
「さっきからすれ違う女どもを見て、お前の容姿と比べていたんだ」
「なんでそんな品定めみたいなことしてるのよ」
「ここまで50人ほどすれ違ったが、レーシア、お前に勝る奴は1人としていなかったぞ。服装がどうのこうのじゃあない。人の内側から溢れ出る女性としての魅力が、お前は誰よりも兼ね備えているんだ」
「ねぇ、こんな朝早くから褒め殺しをして何がしたいの?」
「あぁ悪い悪い。そういうつもりじゃねえんだ。単純に俺の心からの意見ってやつだ、気にするな」
「そう?それならいいんだけど」
俺は若干苛立ちを見せるレーシアを適当になだめた。レーシアはむすっとした表情で少し機嫌を損ねている。これも無理はない。早朝から自分の部屋の扉を壊されては、気持ちも楽しい方向へ持っていくことが難しいはずだ。まぁ機嫌取りをするつもりはない、どうせ一過性のものだろう。俺は咳払いをして、さっそく本題について話し始めた。
「ところでレーシア。今日は劇場での出演は無いんだろ?」
「ええそうよ。午後には舞台の整理と歌唱の特訓があるけど」
「なら午前中はフリーって訳だ。ならちょうど良い」
俺は歩みを止めた。視線を上げて、目に映る大きな看板を指差す。
「ここに入るぞ」
「え?ここって………」
レーシアも俺の指先を辿って看板を目にした。そして彼女の表情は一変する。目を大きく見開き、看板の文字を食い入るように見つめた。それから俺の肩を掴んで激しく揺らしてくる。
「痛い痛い」
「ちょ、ちょっと!ここって“リヴァンプル”じゃない!」
「あぁそうだ。そうだよ。だから揺らすな」
看板に書かれていたのは『リヴァンプル』の文字。リヴァンプルとは、この街の収容所である。
街中に普通にあるのに驚きだが、犯罪に手を染めた者が一時的に投獄される場所としては相応しい外観だ。他の建物とは比べて無機質な白い壁、それを軽く叩いてみるとコンクリートのような材質に思える。見た目以上にしっかりとした壁だ。
「ほら、行くぞ」
俺は振り向いて、レーシアに建物内に入るように促した。俺の肩を千切るが如く握りしめる彼女の手を払いのけて、背後に回り込んだ。
「さ、入った入った」
「ちょちょちょ!私何も悪いことしてない!何もしてないからぁ!」
「誰もお前の自首なんか聞きたくねぇよ、てか逆に後ろめたいことでもあるのか?」
「なんにも無いからぁ!」
「じゃあ騒ぐなよ。お前の被害妄想を楽しんでいられるほど、こっちは時間に余裕がねぇんだよ」
「被害妄想!?いや、それじゃあ何で私もここに連れてきたのよ!?貴方さっき“良いところ”って言ってたじゃない!」
「嘘じゃねぇよ、本当に良いところだ」
「収容所よ!?」
「黙って俺に従っておけって。ほら笑顔だ、笑顔。女優は顔が命だぞー」
「きゃあ!!!」
俺は騒ぎ立てるレーシアを無理矢理担いで持ち上げた。ちょうどお姫様抱っこみたいになったが、俺は大きな荷物を運ぶ感じで走り出す。軽快な足取りで、警戒度マックスのリヴァンプルの門をくぐった。
昨日、俺は街の自警団と会う機会があった。そこで出会ったアプッタという男から、このリヴァンプルの話を聞いていた。どうやら自警団とこの収容所とは横の繋がりがあるようだ。アプッタ自身、定期的にリヴァンプルの看守を任されているらしい。
そしてちょうど今日がその日だと言っていた。
「俺もつくづく運の良い男だ」
俺は小さな声で呟いた。思わずいつもの不敵な笑みを浮かべそうになったが、気を引き締めて口を結んだ。俺の顔の近くにレーシアの顔がある。
変な企みをしているんじゃないかと勘繰られないように気を付けなくては。
「安心しろ、レーシア。これからお前に待ち受けるのは仕事だ」
持ち上げてから妙に静かなレーシアを落ち着かせる為に、俺は彼女の耳元で囁いた。だが当の本人はなぜか頬を赤らめて口をパクパクとしている。急に担ぎ上げたから驚いて声が出ないのだろうか?俺は仕方なくそのまま担いだ状態で建物の中に入っていった。
俺がレーシアを担いだまま看守のいる事務室へと向かった。流石の彼女も恥じらいには勝てなかったのか、無言で俺の肩を叩いて訴えかけてきた。俺も部屋に入るのに人を担いだ状態でいるつもりもない。レーシアを降ろして立たせてから、改めて事務室の扉をノックした。
「デルタベガス・アルフェガスだ。アプッタという男から話を聞いているはずだ」
俺の言葉に反応して扉が開かれる。ゆっくりと開かれた扉の隙間から、背の低い老齢の男の顔が覗く。皺の多く頬の肉が弛んでおり、その表情から相当の苦労を体験したのだと思ってしまうほどだ。
「アプッタが言ってたよ、頼もしい男が来るってな」
男は俺とレーシアを見るなり、その鋭い目つきで睨んできた。まぶたが重みで垂れてしまっていて、その瞳には光が無い。声もずいぶんとしわがれている。
掠れた吐息が喉を酷使して潰れたようになっていた。
「だが俺は異邦人に気を許すつもりはないんだ。今日だって来るかどうか半分疑っていたさ」
「半分信じてくれていたならありがたいさ」
俺は男の嫌味を軽く受け流した。どうやら異邦人に良い想いを抱いていないらしい。
まぁこういうことがあっても当然だ。誰も差別せず、誰でも受け入れるような思想が庶民にまで根を張っているとは思えない。嫌悪したり距離を置かれても仕方が無い。
だから俺は気にせずに笑った。自虐風の笑みではなく、嫌味を含んだ不快な笑みを顔に浮かべた。誰に対しても媚びへつらう必要は無い。無駄な世間話で相手の警戒心を解くことから始める日本のビジネスマンのような真似をするつもりはさらさら無かった。
「彼から話を聞いているなら話が早いだろ。とりあえず中に入れてくれ」
「あぁ………いいだろう」
男が渋々といった感じで扉を開いた。だが、途中まで開いたとこで男は扉にかけていた手を止めた。男の目線はレーシアに向けられている。静かに睨みつける男の気迫に、レーシアは不安げな表情でたじろいだ。
「デルタベガス、あんたのことは事前に聞いていたが、そっちの女は知らんな。なんで連れて来た」
男の矛先はレーシアから俺に移る。
「ガールフレンドを自慢する為に連れて来たと思うか?こいつも仕事だよ」
俺はレーシアを親指で指しながら鼻で笑った。レーシアはレーシアで、俺たちが何の話をしているのか分かっていない様子だった。事情も説明せずに半ば強引に連れて来たのだから当然だろう。この場の雰囲気に耐えきれなくなったのか、彼女は俺の服の袖をわずかに引っ張って小声で主張してきた。
「ねぇ、これから何をするの?私ちょっと怖いんだけど」
「んぁ?心配するなって。言っただろう?仕事だって」
俺は扉に手をかけて強引に開いた。男は俺の突然の挙動に驚いて、思わず扉を掴んでいた手を離して仰け反った。そんな様子もお構いなしに俺は遠慮なく事務室に乗り込む。
「ほら、レーシアもさっさと入ってこいよ」
「え、えぇ………」
レーシアは少し引き気味になっているが、それでも恐る恐る部屋の中に入ってきた。
「ちっ………」
男は俺たちにわざと聞こえるように舌打ちをして顔を歪めた。だがそれ以上の文句を漏らすことなく、俺の振る舞いに嫌気が差したのか黙って扉を閉めた。
事務室は実に殺風景な様相だった。殺風景で彩りなんかまるで無い。小さな窓は檻みたいに格子になっていて、室内にはテーブルが並んでいるだけで小物1つ置いていない。テーブル上に散乱した着替えの衣服や、山のように積み上がった黒革の分厚い本が目立つだけで何も無い部屋だった。
「ねぇアルフェガス!いい加減ここで何をするのか教えてよ?仕事仕事って言ってるけど、一体こんなところで何をするって言うの?」
痺れを切らしたレーシアが俺に問い詰めてきた。彼女の瞳を見れば分かる、明らかに怒っている目だ。冗談ではなく本気で苛立っている。俺はそんなレーシアに対して小さく溜め息を吐きながら答えた。
「ここが何処だかわかるだろ?」
「分かってるわよ!リヴァンプルでしょ!」
「そうだ。レーシア、これからここで歌ってもらうぞ」
俺は腕を組みながら困惑の表情を見せるレーシアに言った。彼女は驚きを露わにしている。口を歪めて、眉間にしわを寄せている。およそ女性が人前で見せる表情ではないだろう。そんなに変なことを俺は言っただろうか、なんて思いながら首を傾げた。まともな仕事を探せないせいで夜の街に身を堕とそうとした女が、今さら食わず嫌いも甚だしい。俺はレーシアの肩に手を置いて、落ち着かせる為に軽く揺すった。
「なんでそんな顔するんだ?別に良いだろ上等だろう」
俺が赤子を慰めるような声色でレーシアをなだめた。しかし彼女は表情を歪めるばかりで首を横に振っている。
「何言ってるの!何で急に連れて来られて歌わなきゃいけないの!?」
「看守の連中、いつも囚人どもの見張りやら管理やらで疲弊し切ってるんだとよ。だからアプッタと話をして、看守どもの息抜きの為にお前の歌を聴かせてやるってことになったのさ」
「いや、勝手にそんな仕事決めないでよ!」
お怒りの表情だ。まぁレーシアの言うことはごもっともだ。しかし通信機器でもあれば良いのだが、そんなものは無い訳だ。当日報告になっても仕方がないだろう。俺は溜め息まじりに首を鳴らして気だるげに言った。
「俺はお前のプロデューサーだからな。仕事を取って来るのも俺の役目だ」
「それに!私の歌を安売りするようなことしないでよ!いくら新人とはいえ、私はこれでもティフィレーゼムに所属する女優よ!」
「だからこそ、だ」
なおも畳みかけてくるレーシアに対して、俺は人差し指を立てて彼女の目の前に突き出し、牽制する。彼女は不意を突かれて少し後ろに下がった。そのわずか半歩ばかりの後退を俺は見逃さなかった。俺はさらにレーシアへ詰め寄って言葉を重ねる。
「新人のお前がその名をより大勢の人に広めるには、ただ舞台の上に立つだけじゃ効果が薄い。必要なのは宣伝戦略だ」
「宣伝戦略?」
「そうだ。宣伝、つまり女優レーシア・オーストラの名前をクレイヴェード中に認知させるんだ。ティフィレーゼムのマドンナ、レーシアここにあり!ってな。そうすりゃ賛否含めて誰もお前を無視できなくなる。例え収容所の看守相手だろうと軽んじてはいけない。手から零れ落ちた穀物の種でさえ、掃いて集めれば山ができる。富豪かた貧乏人まで………クレイヴェードのすべての住民にお前の存在を知られてみろ?そうなったらレーシア、お前の勝ちだ」
俺は勢いに乗せて一気に説明をした。かなり強引な押し切りではあるが、言葉に説得力を持たせるには充分な高説だっただろう。現にレーシアは腑に落ちた表情を覗かせていた。
「何が勝ちなのかよく分からないけど………とりあえず分かったわ」
「どっちだよ」
「どうでもいいでしょ!とにかく!アルフェガスの策に乗ってあげるわ。もともとそうするつもりだった訳だし―――――」
なぜか照れた感じで了承の意志を示す。まぁなんだって良い。レーシアからの事後承諾によって俺のワガママを突き通すことができた。これである程度の勝手も許される、はずだ。
「ただし!仕事ならちゃんと事前に私にも相談して!現場現場で報告受けても困るから!」
「OK、そこは反省するよ」
俺は彼女の言葉を軽く受け流しながら返事をした。約束を守るかどうかは今後のこいつの振る舞い次第だろう。我ながら性根が腐っていることを改めて実感した。
さて。後は本番を迎えるだけだ。
「レーシア、昨日歌ってたやつにしてくれ」
「昨日?酒場で歌った曲のこと?」
「そうだ。『フェンダロの理髪師』の序曲だよ」
「覚えていたのね」
「当然だ。なぁに、普段よりも気楽に歌ってくれれば良い」
「き、気楽にって………そう言われても」
か細い声で自身の無さが窺える。この前と同じように歌ってくれればそれで良いのだが、そうもいかないらしい。
やはり状況が異なるせいか、昨夜は酒場で聴衆どもは酒の力もあってかノリが良かった。一方、今回は完全に身構えた状態の看守どもが客となる。そうなると舞台女優のレーシアであっても多少の緊張や不安もあるのだろう。
「俺を信じろ、お前の歌は何処でだって通じる」
困惑するレーシアを励まして、俺は彼女をステージへと送り出した。“俺を信じろ”なんて言ったところで、出会って2日目の男を素直に信じるのは難しいだろう。
けれどレーシアは確かな足取りで歩いている。返事はしなかったが、それでも十二分に伝わった。レーシアは今この瞬間、俺のことを信じてくれているようだ。
これだけでも大きな進歩と言えるだろう。少なくとも警戒されまくった初対面の時と比較すれば、飛躍的に友好関係を結べるかもしれない。
俺はそんな風に意気込みながらステージに立つレーシアを見届けた。
看守どもの前で行われた簡易コンサートは成功を収めた。彼らは非常に満足した様子で拍手喝采のスタンディングオベーション。と言うか、異世界にもあったんだな、スタンディングオベーションの文化が。レーシアはと言うと、こちらもやり切った様子で眩いほどの笑顔を振りまいている。いつもならもっと整った環境で、優れた音楽家と優れた演者、そして優れた裏方の者たちによる最高の舞台を、大勢の観客の前でこなしているはずだ。
だがそれはティフィレーゼムとして評価されているだけだ。当然、彼女にもファンはいる。だがそれを実感するには、あまりにも劇場の規模が大きすぎた。こうして今、目の前で。手の届く距離で自分だけを見てくれて、自分だけを賞賛してくれる。向上心とともに、誰よりも評価を求めていた彼女にとっては心に響いたはずだ。
「アルフェガス!すっごい良かったよ!」
俺の手を取り、きらきらとした目で俺を見つめるレーシア。まるで子どものようだ。憧れに溢れていて、淀みの無い澄んだ瞳。今の彼女はただただ純粋に楽しんでいた。
「お前の歌唱力が凄かっただけ、それだけだ」
「そんなこと無いよ!………でもそんなことあるかも!」
「ほら疲れただろ?さっさと事務室に戻って休憩だ」
「えー、もう少し余韻に浸っていたい」
「無茶はするな、休める時にちゃんと休んでおけ。何か飲み物を持って行くから部屋で待ってろ」
「はーい。分かったわ」
簡易コンサートも終わり、レーシアは事務室に戻って行った。俺は飲み物を探しに施設内をうろつく。身体を冷やすのはダメだから冷たいものはNGだ、かと言って熱いのも良くないだろう。異世界に飲料水の自動販売機なんて置いてないだろうから、白湯でも持って行ってやるか。
そんなことを考えている俺の前に、1人の男が立っていた。廊下の突き当り。窓も無く、薄暗いその場所でもすぐに誰かが分かった。
「アプッタか?」
俺の問いに対して、男は口を開いた。
「少し………話がある」
男はアプッタだった。だけど俺の問いには答えなかった。その神妙な面持ちから井戸端会議でも始める雰囲気では無いだろう。
「―――――何があった?」
俺は社交辞令で緩めていた口元を引き締めて、アプッタに近寄った。




