平穏と静けさの夢に酔う
現世界から異世界に戻って物語は進みます。
夢を、見た。
何も無駄なものが置かれていない質素な一室。あるのは無機質な白い壁と、1つの小窓、換気扇、そして天井に設置されたエアコン。部屋の中央に置かれたキャスター付きのベッド、その上に妹が寝ていた。顔を白い布で隠され、全身も同じように毛布を被せられている。
そんな妹の前で、姉が泣いていた。膝が崩れ、ベッドに寄りかかるようにして泣いている。顔を伏せてはいるが、姉の首を伝う涙の跡がどれだけ泣き続けているのかを物語っていた。妹は何も言わない。ピクリとも動かない。姉がこんなに咽び泣いているのに、反応1つ示さない。
そして俺は、そんな2人を眺めていた。虚ろな目で何も言わず、ただ黙って眺めていた。
「俺のせいだ」
俺がぽつりと呟いた。この場には俺と姉と、それから妹だけ。その声は誰にも聞こえないと思っていた。だけど、姉は俺の呟きに反応するかのように、こっちを振り向いた。赤く腫れた目元。綺麗な顔の姉が、今はぐちゃぐちゃに歪んでいる。息をするのもやっとなのだろう。そんな状態で急に俺の方へ近寄ると、俺の両肩をがっしりと掴んできた。
「二度とそんなこと言わないで!!!」
普段では想像もつかない声を荒げる姉。大粒の涙を流しながら、俺の肩を揺すりながら言った。叱っているかのような叫び声だったが、俺にはまるで懇願してるように思えた。
「分かった、もう言わない」
俺はそう言った。そう言うしかなかった。ぜんぶ俺のせいだ、俺が何もかも悪い、俺こそが諸悪の根源であり元凶なのだ。でもそれを言ってしまったら、きっと姉はまた泣き出して首を横に振るだろう。俺はそんな姉の姿を見たくなかったから、姉の言う通りにすることにした。
「いい?お姉ちゃんの言うことをよく聞いて?」
姉が涙をこらえながら、震える唇で言葉を紡ぐ。
「何もかもが綺麗な人間なんていない。誰にでも良いところと悪いところがあるの」
「うん」
「でも悪いところを否定してはダメ、それも含めて“その人らしさ”なの。長所も短所も含めて人間だから、その人の個性を人格を性格を思想を………身勝手な想いで切り捨ててはダメなの」
「うん」
「みんながみんな、聖人君子じゃないの!誰だって良いこともすれば悪いこともする!善行ばかり積んでいる人なんていない!」
「うん」
「だからみんなで助け合うの!自分にできないことを!自分の悪いところを!自分には無いものを!みんなで補って、手を取り合って、助け合って!」
「うん」
「そうやって人は生きてるの!分かる!?」
「うん」
俺は静かに姉の言葉に耳を傾けていた。それをどう捉えたのかは分からないが、姉が嬉しそうに微笑んだ。
「いい?私たちの一族は、人の悪い部分が少し尖って出ているだけ。それだけなの。それ以外は他の人たちと変わらない、普通の人間。そう………私たちは人間なの、私たちのことを化け物だって言う人たちもいるけれど、そんなことないの。生まれ持った素質に差異があるだけで、私たちはみんなと同じただの人間なの」
「……………うん」
「だからお願い、私たち一族を――――――――――牙王家を嫌いにならないで?」
姉は言い聞かせるように俺に言った。その表情は、俺がよく知っている天使のような微笑みだった。
俺は目を覚ます。泊っている宿屋の部屋、そこにあるベッドの上で俺は意識が覚醒した。ゆっくりと上体を起こして辺りを見渡す。昨夜は1日の内に色んなことをした。
アシュタロトの服を買った。
歌劇場に潜入した。
酒場で乱闘した。
アシュタロトが攫われた。
街の殺し屋アメリアと出会った。
人攫いの連中と戦った。
審問官と出会った。
酒場でたくさん飯を食った。
夜の街で見つけた舞台女優レーシアを手中に収めた。
そして、墓場で石碑を見つけた。
色々な出来事を初日に迎えて流石の俺も疲労を感じたのだろうか。仮眠のつもりでベッドの上に横になったが、どうやら俺は眠ってしまったようだ。窓から差す木漏れ日に、朝の訪れを理解する。
「はぁ、目覚めの悪ぃ………」
俺は頭を掻きむしる。異世界に来てからよく眠れるようになったし、夢を見る。元の世界にいた時はそんなことは無かった。
「ぁっ………そうか。異世界に牙王一族がいないからか………」
異世界には牙王家がいない。心底忌み嫌い、この世から消し去りたいとさえ思っている連中は、俺が今いる世界に影1つ落とさない。たったそれだけのことで、俺はすやすやと安眠を貪れる。俺はその事実に気づいた瞬間に思わず声を出して笑ってしまった。
「馬鹿かよ、俺はガキか?」
俺の乾いた笑いが部屋に空しく響いた。
俺はずっと悪夢を見続けている。あの日から。家族が崩壊したあの時から。俺は悪夢の中を突き進んでいる。どんなに歩みを速めても、俺の前に光は現れない。黒より暗い闇が俺の全身にまとわりついていた。
「最低な夢を見たもんだ………不条理で理不尽な現実くらいの方が、俺には居心地が良いって言うのに………」
夢の中で聞いた、姉の声が未だに頭の中でこだまする。俺は最悪の目覚めで2日目の朝を迎えた。寝起きが悪いのはいつものことだ。俺は慣れない熟睡に首を回しながら溜め息を付いた。両腕を前へ後ろと伸ばし、肩や肩甲骨を動かして身体を温めた。
「ロードぉ………」
ふと気が付くと、俺の隣にアシュタロトがいた。俺が寝ているベッドの上に手を置いて身を乗り出していた。まさか俺が気配を感じる前に接近を許してしまうとは………。ここまでくると、もしかしたら俺はかなり熟睡するタイプなのかもしれない。あるいはアシュタロトに対して相当心を許しているのかもしれない。俺は自分のガキへの甘さに吐き気をもよおして嘆いた。
「大丈夫?」
アシュタロトが突如俺の心配を始めた。言っている意味が分からないが、俺はとりあえずベッドから脚を出して彼女の頭を撫でてやった。
「俺はいつだって大丈夫だよ。なに心配してんだ?」
「だって目に涙が浮かんでいるから」
アシュタロトの言葉に、俺はとっさに自分の目元に触れた。少しばかりの湿り。そっと指を顔から離すと、指先に見慣れない水滴が付着していた。これが涙だと言うのか?アホらしい。
「違ぇよ。これはただ目ヤニのせいで涙が出ただけだ。てめぇが思ってるようなことじゃねえから心配するな」
「そっか、それなら良かった」
安心したのか、アシュタロトはほっとした表情で言った。俺に頭を撫でられて嬉しいのか、自分から頭を擦りつけてくる。
「さて、昨日も言ったが今日はてめぇにも働いてもらうからな」
俺は目元を思いっきり腕で拭って立ち上がった。覚めない夢なんて無い、なんて耳障りの良い言葉は聞き飽きた。悪夢に囚われながらでも俺は前に進める。俺は己を鼓舞するように軽く両頬を叩いた。
「アシュタロト。てめぇにやってもらうのは1日で終わるような簡単なものじゃねえし、ただ黙って時間を過ごしていれば済むような単純労働でもねぇ」
俺はくるりと上半身を捻じるように動かして、ベッドにいるアシュタロトの方を向き直った。
「いいか?肝心要はてめぇのその目だ」
俺はアシュタロトの顔を指差す。彼女はポカンとした表情で首を傾けた。
「目?」
「そうだ。法具かどうか判別することができるてめぇの目で、このクレイヴェードにある法具を把握して欲しい」
法具。それは魔法の宿った道具。アシュタロトが顕現した組織化された兵器、通称OWもその1つであり、それは異世界には当然のようにありふれた存在らしい。魔法が使えない只人でも魔法と同等の効果が使用可能であるならば、それは大きな武器となり得る。特にクレイヴェードみたいな大きな街ならそこかしこにあるだろう。調査は必須だ。
「Yes、ロードぉ………。その命令は―――――」
「命令じゃねぇ。これはてめぇの仕事だ、アシュタロト。てめぇは俺のことをさもご主人様の如く敬ってくるが、そんなこと俺には関係ねぇんだよ。てめぇにはてめぇにしかできないことがある。それを俺は“依頼”してんだ。分かるか?」
「Yes。私はロードの言いたいことが分かった。これは依頼」
「OK。それで?何か言いかけてただろ?」
俺がそう言うと、アシュタロトはベッドから降りた。部屋の窓の方へと近寄り、外を眺めながら尋ねる。
「その依頼の範囲はどれくらい?この街のどこまで?そして完遂までの期限はいつまで設けられている?」
アシュタロトの質問に、俺は思わず納得の声を漏らした。コイツの疑問は当然だ。あまりに漠然とした内容で、何をどうすればいいか分からないだろう。俺はアシュタロトの隣に並んで、同じように窓の外を眺めながら答えた。
「すべてだ」
「すべて?」
「あぁ、そうだ。この街にあるすべての法具だ。その数、分布、所有者。できれば6、7日で終わらせてくれるのがベストだけど、まぁ無理だろうからじっくりやってくれ。時間はいくらでもかけて良いからよ」
「つまり期間無制限で法具に関することを詳細に調査しろと言うこと?」
「そういうこと」
法具の分布について知っていて損は無い。万が一、また街中での戦闘に陥った際に手元に法具があるか無いかでは大きな差となる。また、OWを所持している奴がいるなら、そいつはほぼ間違いなく魔法使いだ。例えそれが赤子であろうとも、警戒するに越したことはない。
とにかく俺はこの街の実態を知る上で、そして情報収集も兼ねて行動をする上で知らないことはできるだけ無くしたかった。ほんのわずかな綻びが原因でミッションを失敗で終えることもある。俺はそれをよく知っている。だから少しでもリスクは小さくしておきたかった。
「俺は午前中にレーシアに会いに行くからよ、昼にこの宿屋の前で合流だ。今度は連れ去られたりするなよ?」
「Yes、ロードぉ………」
「大丈夫か?本当に………」
俺は不安もあったが、アシュタロトを信じて単独行動をさせることにした。俺は俺でやるべきことが多々ある。本来の目的でもある国王暗殺、その為の足掛かりになる情報を得る為に街の中を動き回りたかったからだ。
俺にとっては2日目からが本番だ。気合を入れる為に、俺は指の骨を鳴らした。
俺はアシュタロトと宿屋の前で別れた。正直心配ではある。いや、不安しかない。
だが彼女に託した仕事を独りの力で成し遂げられないようでは、今後引き連れていくのを躊躇う。見知らぬ人が声をかけてきたり、身体に触れてきたらすぐに俺に知らせるように―――――。ちゃんと言い聞かせたつもりだが、アシュタロトが果たして今日一日無事でいられるだろうか?
「はぁ………」
俺は深い溜め息を吐いた。やはり俺が一緒について行った方が良かっただろうか。これまでのアシュタロトの言動からして、もはや信用ができない。俺の言うことはしっかり聞いてくれるが、それが行動に結びついていない。一番タチの悪いパターンだよそれ。
「ガキなんて育てたことねぇからなぁ。どうすりゃ最適解なんだぁ………?」
あれこれ考えても仕方ないだろう。ガキの扱いが載った教科書なんて手元に無いのだから、子育て経験の無い俺は思った通りにやるしかないだろう。
「ほんと、異世界に来てから調子狂うんだよな。俺らしくもねぇ」
舌打ちをして、大地に転がる石ころを蹴飛ばした。とにかく今はやるべきことがたくさんある。アシュタロトにばかり気を遣っている場合じゃない。俺はもう一度溜め息を吐く。そして朝焼けに照らされる街の中を歩み始めた。暖かな日差しが、俺の身体を優しく包んでくれていた。




