この街の煌びやかな深夜
俺は強引にレーシアの腕を引き、そして乱暴に店を出た。途中、店のオーナーが行く手を遮って来たがおれには関係ない。騒いで掴みかかろうとしてきたオーナーの顔面に5,000ゼパを投げつけて追い払ってやった。どうせ一時の力試しで稼いだ金だ、ここでくれてやる。夜闇で目が利かないのか、レーシアはふらふらと足元がおぼつかない。仕方なく、俺は彼女の手を引いてエスコートをする。
「ね、ねぇ!本当にどこに連れて行く気なの?怖いんだけど!」
「うるせぇ黙ってろ。もうすぐ着く」
不安に怯えて目じりに涙を浮かべるレーシア。夜中に喚いては近所迷惑になる。俺は彼女をたしなめるように静かな叱声を浴びせた。俺の低い声色にレーシアは余計に怯えてしまったのか、その後ずっと黙ったままになってしまった。それはそれで都合が良い。俺は彼女の腕を引いて、どんどん歩みを速める。
そして俺は戻って来た。
おなじみの酒場、カトーリョ・ティーベ。俺はそこに戻って来ていた、レーシアという未来の新米舞台女優を連れて。
「俺が戻って来たぞ!」
「あ、ロードぉ………」
前触れも無く扉を蹴破るように酒場に入ってきた俺は声を張り上げた。そして第一に俺に気付いたアシュタロトが、カウンターからトコトコと俺の方へ駆け寄って来る。その場にいた者たちも続けて俺の存在に気づいて歓声を上げた。
「おぅ、アシュタロト。たくさん食ったか?」
俺は近づいてきたアシュタロトの頭を撫でてあげた。
「Yes。たくさん食べた」
「そうかそうか、そりゃよかった。腹いっぱいになったか?」
「Yes。たくさん食べたからエネルギーも満タン。今なら空も飛べる」
「飛ぶな。………まぁそんなことより」
俺は辺りを見渡した。ある程度広い場所を探して首を動かす。
「あの辺が適当か」
俺はカウンターの脇、一段だけ段差があって、大きなテーブルが置かれている。ちょうどそこには誰も座っていなかった。俺はレーシアの腕を引いて、その場所まで向かった。彼女は状況を汲み取れずにおどおどとしている。そんな彼女を強引に引っ張りながら、俺は酔いの回っている客どもを掻き分けながら進んで行った。
「おら!お前らどけろ!」
俺は乱暴に道を作ってテーブルのある方へ進み、邪魔なテーブルを掴んだ。そのままひっくり返して壁に立てかけた。これで準備は良いだろう。即席のステージの完成だ。
俺は茫然としているレーシアに向かって言った。
「よし、歌え」
「………え?」
当然の如く、彼女は呆けた顔で首を傾ける。まぁ突然“歌え”と言われても訳が分からないはずだ。俺は彼女の耳元で囁くように趣旨を伝えた。
「これがお前がこれからしていく仕事だ、レーシア。お前の歌で、ここにいる酔っ払いどもを楽しませるんだ」
「そんな!急にそんなこと言われても………」
「余興だよ、余興。ちょうど歌の練習にもなるだろ?普段は人前で練習出来ないんだ、そう考えれば贅沢な機会だろうが」
「た、確かにそうかもしれないけど………」
「練習にもなる、金も貰える。何も不満は無いだろ。グダグダ言ってると、ここでバラすぞ?お前がさっきまでどこにいたのかを」
「そ、それだけは!」
「だったら歌え」
「………はい」
ようやく納得したのか、あるいは諦めがついたのか。まぁどっちでもいい。俺はくるりと身体を回して、酒場にいる全員に呼びかけるように叫んだ。
「おらぁ野郎ども!よく聴け!」
俺の声に、その場にいる全員が反応する。マスターも何事かとカウンターから出てきてこちらの様子を窺っている。俺は全員の視線が集まったことを確認し、再び叫んだ。
「お前らには贅沢な差し入れだ!どうせお前らは働いて、飯食って、酒飲んで、そのまま寝て、大した気晴らしも無いまま一日を終えてるんだろ!?」
「うるせー!」
「黙ってろ!」
「酒飲めるだけ幸せじゃねえか!」
俺の煽りに野次がどんどん飛んでくる。それを俺はなだめるように、大袈裟に両手を上げて静かにさせた。それから言葉を溜めて大きく息を吸い、レーシアの方に両腕を向けた。マジシャンの助手がマジックの見せ場で師匠を立てるかの如く、俺は両手で彼女を奉る。
「確かに酒が飲めるだけ恵まれてるかもしれねぇが、それじゃあ足りないだろ!そんなお前らの為にこの御方を連れてきた!彼女の名前はレーシア・オーストラ!貧相な頭のお前らだって知っているこの街一番の歌劇場ティフィレーゼム!なんと彼女はその劇場に籍を置く舞台女優だ!容姿満点!演技と歌はこれから伸びていくんだが、それでも最高の一夜を過ごすには打ってつけの歌唱力だ!今夜はお前らの為に歌ってくれるってんだから感謝しろ、馬鹿ども!」
俺の前口上は、酒場全体を大いに沸かせた。歓声とも怒声とも似つかない男どもの声が店を揺らしている気さえする。その気迫に飲まれたのか、レーシアは呆気にとられていた。
「大丈夫だ、レーシア。お前なら出来る」
俺はそっとレーシアの耳元で囁いた。すると彼女も覚悟を決めたのか、表情を引き締めた。俺はそれを合図と捉えて、再び野郎どもへ向けて叫んだ。
「それじゃあお前ら耳の穴ぶち抜いてよぅく聴くんだな!歌劇『サフェルトゥアー』より『フェンダロの理髪師』序曲!」
俺は今日歌劇場に潜入した時に聴いた、レーシアの歌っていた歌をリクエストした。場が一瞬にして静まる。誰もがレーシアの歌声に耳を傾けた。
そしてレーシアは深呼吸をして目をとじる。皆が沈黙する中、彼女は唇を噛みしめて唾を飲み込んだ。そして口がゆっくりと開かれる。
【刃を研いだカミソリと、それから新調した櫛】
【手に握ったハサミが音を立てる】
【それは私が自在に操って】
【あなたのお望み通りに仕上げてみせる】
【さあ、店を開けよう】
【町一番の床屋のお通りだ】
【私の人生、私の喜び、昼だろうと夜だろうと】
【一流の腕前が今日もハサミを鳴らす】
【それこそが最高の人生、最高の喜び】
レーシアが歌っている曲、歌劇『サフェルトゥアー』より『フェンダロの理髪師』序曲、その一節だ。信じんとは言え、やはり実力は本物だ。舞台の上とは違って野郎どもの前では勝手が変わるだろう。最初はわずかに震える声で心の揺れが表れていたが、それもすぐに消え去った。流石は自信家の女だ。単独ライブでこそ真価を発揮できると言っても過言ではない。力強く、それでいて透き通った繊細な歌声。聴く者の心を惹きつけて離さない、確かな魅力を彼女は持っていた。
酒場にいる全員がレーシアの歌に夢中になっている。直前まであれだけ騒いでいた連中がこうも大人しくなるのは見ていて面白い。俺はレーシアから離れてカウンターの近くにいた。
「素晴らしいな………」
側で観賞していたマスターが感嘆の溜め息を吐いていた。俺は隣に立ち並んで腕を組んだ。気持ち良く歌っているレーシアを眺めながら、俺は笑みを浮かべた。
「どうだ?すげぇだろ?」
「あぁ。………よく連れて来れたな、こんな逸材。どんなコネで来てもらったんだ?」
「いろいろさ、いろいろな事情があってな」
「そうかい、いろいろね」
マスターはそれ以上は訊いてこなかった。関心が無くなったというより、レーシアの歌を聴いていたい様子だった。
これは思いの外良い結果が出せた。レーシアの歌声はそれほどまでに人々の心を普遍に掴んで虜にしてしまう。これなら恐らく問題も無いだろう、俺の計画を実行する上で最適な人材だったという訳だ。俺はレーシアの歌を聴きながら、マスターに耳打ちするような小さな声で話しかけた。
「余興には最適だとは思わないか、マスター?」
「そうだな。いつも酒を1杯飲むだけで帰っちまうような客も今日は長く居座ってる。出来ることなら毎日ここで歌って欲しいくらいだ………」
「そうか、そんなに気に入ったか」
待ってました、その言葉を。俺はマスターが呟くように零した言葉を聞き逃さなかった。俺はそっとマスターの右隣まで近づいて並んだ。
「できることなら俺も毎日連れてきたいくらいだよ。だけどアイツ、女優業だけでも忙しいんだ。それに加えて自分で家賃や衣装道具も揃えている。要は金がいるんだ」
俺は右手の人差し指と中指、親指を立ててマスターに見せた。そして不敵な笑みを浮かべた。
「そこで、だ………どうだ?あの子を3日単位で雇ってみないか?」
「3日単位?」
マスターが俺の話に食いついてきた。そこで俺は畳みかけるように今回の目的でもある提案を説明した。
「3日に一度、アイツをここで歌わせるんだ。時間帯は今ぐらい。それで一回200ゼパ」
「200ゼパ?それは流石に高値が過ぎるぞ」
「まぁまぁ、よく考えてみろよ。さっき自分で言ってただろ?いつもは酒1杯で帰るような客まで居座ってるんだ。これが続けば噂を聞きつけた奴らも店に来てくれるようになるぜ?“舞台女優の歌が聴ける酒場がある”ってな」
「うーん………確かに」
「な?そう考えれば200ゼパは安いもんだろ?」
マスターは俺の話を聴いて、頭を抱えて唸り始めた。これはもう俺の提案を受け入れたと言っても良いだろう。その上で、どんな決断を下すか考え込んでいるのだ。俺は静かにその様子を見守る。
「………よし、だったら10回分だ。30日分を買おう」
マスターは重い腰を持ち上げるようにして口を開いた。10回、つまり2,000ゼパ。この店だけで稼ぐことができた、これは幸先が良い。俺は一際邪悪な笑みを浮かべて呟いた。
「毎度あり」
俺の計画は既に始動していた。レーシアのプロデュース兼マネージメント、それらも当然同時並行で進めていく。だがそれに加えて、俺は彼女のパトロンになることも狙っていたのだ。レーシアという女優の成功に、彼女の出資者としての立場を得られれば、さらなる大金が舞い込んでくるだろう。地道に働くよりも短期間で金儲けができるという寸法だ。
しかしそれ以上に、地位を確立することによって得られる重要なものがもう1つあった。情報だ。俺の真の目的はこの国の王を暗殺すること。その為に必要な情報収集をする為に、わざわざ俺はこんな回りくどいことをしているのだ。手っ取り早く金と地位を得る方法。
それこそがまさに、レーシア・オーストラの後援者という立場だったのだ。
「さぁて………頑張ってくれよ、レーシア・オーストラ。俺もお前のことを輝かせてやるからよ、お前もせいぜい未来に羽ばたけるよう努力するんだな」
俺は口元を隠しながら小さな声で言った。この笑みを誰かに見られてはいけない。誰も知らない、俺だけが知っている計画だからな。だが笑いが堪え切れずに、思わず肩を小刻みに動かしてしまう。
「ロードぉ………なんだか怖い」
俺の様子を、側にいたアシュタロトが見て呟いた。
「アシュタロト、てめぇにも明日から頑張ってもらうからな。覚悟しろ」
「Yes、ロードぉ………」
日中、ガキを探した件もある。アシュタロトにも当然働いてもらう予定だ。
さぁこれから毎日忙しくなるぞ。殺し屋としてではなく、プロデューサーとして働くことになるのだから。俺はなお笑みを浮かべたままレーシアの歌う素晴らしい曲を耳にして、一先ずの余興を楽しんだ。
レーシアを酒場で歌わせることで大きな成果を得ることができた。酒場は盛り上がり、レーシアは金銭を手に入れ、俺は各々から信用を得られてた。客どもも充分満足したはずだ。その場にいる全員が得をした状態で終えることができたのは、俺としても幸先が良かった。この調子で順調にいけば、2ヶ月足らずでクレイヴェードは用無しとなるだろう。
俺は盛大に盛り上がった酒場で頃合いを見、レーシアを撤退させた。客どもの熱気冷めやらぬ内に連れ出すことで、完全燃焼させるのではなく余韻を残す。今日だけの特別イベントにするのではなく、今後も客どもに継続して店に来てもらうことが目的だからだ。店内の雰囲気を見るに、連中の心はガッシリと掴めたはずだ。歌い終わってお辞儀をするレーシアに大きな拍手喝采が湧いた。その様子からも明らかだろう。
俺とレーシアはカウンターで並んで休んでいた。閉店間際、マスター計らいで店内には酔い潰れた客と俺たちしかいなかった。酔い潰れた奴らは眠り込んでいて静かにしている。アシュタロトは言うと、俺の隣で酒を飲んでいた。どうやらこっちの世界では飲酒の年齢に規制が無いらしい。アルコールが人体にどのような作用をもたらすのか、それ自体はある程度分かっているらしいが、あくまでも口にする本人の自己責任になっているとマスターが言っていた。わざわざ法で縛る必要が無い………どうやら俺たちの世界の人間よりも、只人の方が民度は高いのかもしれない。
そんなことはさておき、俺は約束通りレーシアに手取りで金を渡した。1,500ゼパ。これだけの金額があれば、よほど豪遊でもしない限り生活に苦しむことはないだろう。
「よくやった。上出来だ、レーシア。良い歌声だったぞ」
「ありがとうございます」
カウンターで酒を飲み交わしながら、俺たちは夜の一時を過ごしていた。
「これなら主演女優への道もそう遠くないだろうな」
「そうだと良いんだけどなぁ………」
先ほど彼女に金を手渡してから様子がおかしい。返す言葉がたどたどしく、浮かない顔をしている。あれだけ綺麗で素敵な歌を披露したというのに、彼女からは自信の無さが窺えた。
「その額じゃあ満足できないか?」
「えっ!?あっ、いや!全然そんなこと無い!充分!充分貰ったから!」
「他の働き口を探すとか言うんじゃねえだろうな?」
「まさか!?言わないし考えてもいないって!そもそも貴方と交わした約束もあるし………」
レーシアは挙動不審になって両手をバタつかせた。彼女が口にした“約束”。そうか、今は俺が彼女を脅してこの場に連れて来ていることになっている。心境定まらないはずだ。俺は仕方なく彼女の心のケアに当たることにした。
「そうだな。ま、今は夢に向かって懸命に頑張るだけだ。後悔している暇も無いくらいにな」
「う、うん………」
「お前の歌は本物だ。何を心配する?実力があるのに自身を持たないでどうするんだ」
俺は酒を飲み干したので、マスターにもう1杯頼んだ。さっきから酒の減りが進んでいるのは俺だけだ。レーシアは最初の1杯からほとんど減っていなかった。
「うん………でも、さっきみんなの前で歌ってみて、やっぱり分かった」
「“分かった”?何をだ?」
「私、独りで歌うのが好きなんだ。観衆には他の誰でもない私だけを見て欲しい。でも舞台の上に立つ以上は周囲に合わせないといけない。自分ばかり目立つんじゃなくて、みんなで1つの舞台を造り上げないといけない。頭では理解していても、自分自身では納得できていなくて………私、女優に向いていないのかな………」
レーシアは自身の胸に渦巻く想いを吐露した。なるほど、これで彼女の心情は読めた。
「誰よりも目立ちたい、けれど仲間との輪を崩すようなこともできない。大きな悩みだな。そう簡単に解決するもんでもないだろう」
「うん………」
「だが、決して難しい話じゃない」
「え?」
俺はレーシアに向き直った。カウンターに肘を突いて、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「集団に属するなら、周りの連中に同調するのは当然だ。呼吸を合わせ、歌を、芝居を、より一層完成度の高いものにしなければならない。だけどそれは個性を潰せと言ってる訳じゃあねぇんだ」
「それって………違うの?」
「あぁ違うさ。己を潰してまで集団の中に埋もれる必要は無い。有象無象の中で輝いてる奴ってのは、己をどう見せるかを知っているんだ」
「どう見せるか………」
「個性は磨いていけ。お前の我の強さは誰にも劣らない長所だ。それを舞台でそのまま出すんじゃなくて、演技に乗せて観客どもに訴えかけるんだ。そうすりゃ皆がお前の在り方を認め始める。最初から上手くいかなくていいんだ、ちょっとずつで良いから探っていけ、お前が最も輝ける瞬間をな」
俺はそう言って、また酒を飲み干した。綺麗事だと抜かすなら勝手に笑え。絵空事だと馬鹿にするなら勝手に見下せ。世の中に存在するすべての勝者は、最初は誰もが夢物語に心を躍らせていたんだから。
俺がレーシアにかけた言葉は、実に在り来たりなものだ。ただの励ましにしたって大した内容じゃない。しかし、こうした言葉は時と場合によって受け取る者の心を救うこともある。ここぞという時に欲しい台詞を言われれば、例え聖人の口からでなくても、それこそ殺し屋のような捻じ曲がった男の言葉でも救われるものだ。
レーシアは表情を一変させていた。暗く落ち込んだ雰囲気は晴れて、一筋の光をたぐり寄せたような希望に溢れていた。
「輝ける瞬間………そんなもの、見つかるかな」
口ぶりこそ控えめな様子だが、彼女は明らかに心を昂らせていた。その証拠に、彼女の声色は先ほどまでと比べてはっきりとした力強さがあった。俺はそんなレーシアを見て軽く微笑んだ。
「あぁ、見つかるさ。その為に俺はお前を導いてやる」
「そっかぁ………」
レーシアはなにか言いたげに俯いていたが、口から零れ落ちる言葉を飲み込むように酒を口にした。そして残っていた分を飲み干してしまった。
「私、女優としてのし上がって、この街の頂に立ちたい。そしてそこからの景色を見てみたいんだ」
顔を上げた彼女に一切の曇りも無かった。その目で見据える先には、手を伸ばしても掴むことのできなかった夢を確実に捉えていた。今まさに、レーシア・オーストラは自信を持ち始めている。これは良い兆候だ。
「できるさ、俺が見込んだ女だ。自慢じゃないが俺の審美眼は確かなものだ。プロデューサーとしてお前を必ず頂に立たせてやるさ」
「それ、本気だったんだ」
「当たり前だ。だから俺はここにいる。お前も今、ここにいるんだ」
「そっか………」
レーシアは嬉しそうに、けれどどこか恥ずかしそうに笑った。彼女のはにかんだ顔はやはり俺の見込んだ通り、美しさの中に愛くるしさのある素敵な表情を見せていた。
ふと、俺はあることに気づいた。そう言えば自己紹介をしていなかった。
「そうそう、俺まだ名乗ってなかったな。俺の名前はデルタベガス・アルフェガス。好きなように呼んでくれて構わない」
「デルタベガス・アルフェガス?変わった名前ね。それって本名なの?」
「あぁ、紛れもなく本当の名だ。俺は流浪の旅人でね。何でもできるが故に、何もせずフラフラと世界を彷徨っているのさ」
「へぇ、自由な生き方をしてるのね。………決めた。それじゃあアルフェガスって呼ぶわ」
「あぁいいぞ。好きにしてくれ」
「アルフェガス、私まだ貴方のことを信用しきれていないの。最初から変な人だって思ってたし」
「そうなのか?」
「うん。でも、今は少しだけ信じてみようって思えてる。まだ出会って間もないけど、私を頂に導いてくれるって、そんな感じがする。確証も何も無いのにおかしな話よね」
レーシアは笑いながら言った。あどけない彼女の笑みは作り笑いではない。心から笑っている人間の表情だった。俺も小さく笑みを浮かべた。やはりコイツを選んで間違いは無かった。これは確信だ、彼女は必ずトップ女優の道を駆け上がるだろう。
俺は頬杖を突きながら不敵な笑みをレーシアに向けた。
「俺のことは信じなくても良い。だがレーシア、お前を最高の舞台女優にする為に、お前の夢を叶える為に、俺は尽力する。それだけは紛れも無い真実だ」
「うん、それは分かってる。私も少しずつだけど、ちゃんと成長していくから。だから私の為に頑張ってよね、プロデューサー」
レーシアがいたずらな笑みで俺に対抗してきた。
プロデューサー。その言葉を聞いたとき、俺は思わず表情を崩してしまった。この瞬間、レーシアは俺を得体の知れない敵ではなく、1人のパートナーとして受け入れたのだ。出会って数時間。わずかな会話だけで信頼を勝ち取れたのは非常に大きな成果だ。本来であれば数日、あるいは数週間をかけて獲得するはずだったものを、その日の内に得ることができたんだ。クレイヴェードに来て幸先の良いスタートを切れたと言えるだろう。
「もちろんだ。お前も頑張れよ、レーシア」
「ええ、分かってるわよ。アルフェガス」
俺とレーシアはお互いに顔を見合わせて笑った。マスターに頼んで酒をおかわりし、再び乾杯をかわす。
こうして俺はクレイヴェードでの初日を終えた。アシュタロトの私服を買い、街で情報収集を行い、歌劇場に潜入し、酒場で野郎どもを掌握し、街の殺し屋と遭遇し、人攫いの連中を倒し、心を読む審問官と対峙し、レーシアを見つけ出し、プロデューサーとしての道を進み始めた………。1日のスケージュールとしてはかなり濃い方だろう。
だが、まだやり残したことが1つあった。せめて夜が明けるまでには確認しなければいけない確認事項。どうしてもそれを調べなければいけない理由があったのだ。俺は宿屋に戻る道中、アシュタロトを隣に連れながら歩いていた。
「アシュタロト、悪いが少し寄り道するぞ」
俺はそう言って、とある場所へと向かった。
闇が色濃く写し出される深夜。もはや聴こえてくる音に人のものは存在しない。虫の囀り、風の囁き、そして自分の足音。アシュタロトは周囲に誰もいないのを良いことに、いつもの如くふわふわと浮いていた。
「ロードぉ………どこに行くの?」
アシュタロトは声を落としながら俺に訊いてきた。俺が何を知らせずに連れているせいだろう。
「んぁ?あぁ、てめぇは黙ってついて来い。てめぇが独りでいるより俺の側にいる方がマシだからな」
俺は隣にいるアシュタロトの頭を小突くように軽く撫でた。さきほどのワスターバーン通りのような“夜の街”にアシュタロトを引き連れることはできないが、これから向かう先ならさして問題はない。俺は暗がりの中を手探りのように道を探しながら進んで行った。
街の中でも最も目立つ場所、教会。丘の上にあることからその存在感は夜闇の中で一層増している。俺は教会の位置を軸にして、丘をぐるりと一周するように回り込んだ。
裏手の方。教会から続く正道であれば舗装された緩やかな下りの道になっているが、遠回りしたことで足場は荒れ放題だ。近くに川か池でもあるのか、湿っぽいぬかるんだ道のりを俺はゆっくりと歩いて行った。
「おっ、ここだ、ここ」
俺の目の前にようやく目的地が姿を現した。帳を下ろしたような空に、闇に溶け込んだ地面。黒みたいに暗い世界から顔を出したのは、墓地だった。俺は木の杭と縄で整備された柵を越えて墓地内に潜入を試みることにした。
「アシュタロト、法具の気配はあるか?」
俺はアシュタロトを柵の前に立たせて尋ねた。探知や警笛の類の魔法がこの柵に付与されている可能性もある。俺は細心の注意を払う為に、アシュタロトの目に頼ることにした。法具を見破る彼女の目であればそういった罠も判別が容易のはずだ。
「No。法具の気配はどこにも無い」
アシュタロトは首を横に振って否定した。
「そうか、よし………俺の後に続いて来いよ」
「Yes、ロードぉ………」
俺は彼女の言葉を信じ、静かに柵を跨いだ。そして墓地の中に足を踏み入れた。
墓地、と言うより埋葬の風習については日本の先遣隊が既に情報を得ていた。埋葬の方法としては火葬と土葬が8:2の割合で行われており、ほとんどが火葬だそうだ。かつては土葬が主流であり、墓地も広大な土地に敷地を構えていた。だが、以前に疫病が流行ったことがあって、その歴史から時の権力者が土葬を止めて火葬によって埋葬する政策を取った。墓荒らしによって掘り返された死体が疫病を蔓延させる原因の1つと捉えたのか、思想上の理由なのかは分からない。今では一部の土着思想の強い地域のみで土葬が行われていて、タウル・ゼムスでは法によって火葬が義務付けられている。
そんな訳で、火葬が進めば敷地も広大である必要が無い。教会の裏手に設けられたこの区画は、ざっと見る限りサッカーのフィールドほどの広さであった。
「行くぞ、アシュタロト」
アシュタロトはふわふわと浮きながら柵を越えて来た。俺は彼女を一瞥して行き先を右手で示して歩き始めた。
俺は綺麗に並んだ数多くの墓を横目にしながら、墓と墓の間の小道に入った。墓はすべて同じ形で同じ大きさの直方体だった。無機質で質素なデザイン。例えるなら、新品の消しゴムを縦に置いたような感じだ。灰色のオブジェクトが辺り一面に並ぶ光景は、さながらSF映画に出てきそうな不気味さを醸し出している。
そして、デザイン以上に気になったのが墓石に刻まれた文字だった。読んでみると、そこには『ここに眠る』とだけ書かれていた。氏名や没年などの、故人の情報については一切刻まれていなかった。
「んぁ?なんだこの墓石は………」
俺は気になって思わず1基の墓石の前で立ち止まった。そして墓石の周りを隈なく確認する。どうやら何も変哲な点は無いようだ。
「あぁ、無機質で面白みもねぇ墓だよ。これじゃあ何処の誰が何時死んだのか分からねぇだろうが」
俺は愚痴を零しながら立ち上がると、再び歩き出した。俺はあるものを探しにここへやって来たのだ。それは恐らくここにある、はずだ。街中を探索した限りではどこにも見当たらなかったのだから、あるとすれば墓地のはずなのだ。
「―――――お、あったあった。ようやく見つけた」
俺は遠目に確認できるそれを目にして、浮足立って駆け寄った。
「これだよ、俺が探していたのは」
そう言って俺はそれの前で立ち止まった。それは、石碑だった。荘厳な存在感を放つ大きな石碑。それは並び立つ墓とは異なる造りだった。墓は1基1基が丁寧に加工・研磨された美しい仕上がりとなっている。だが目の前の石碑はと言うと、表面は岩肌のようにざらざらゴツゴツで、綺麗な角も無く歪な丸みを帯びている。俺の腰くらいの高さもある、薄くて平たい扇型の石。まるで自然にあるものをそのまま用いているかのようだった。
そんな不格好な石をどうして俺が石碑だと分かったのか。答えは簡単だ。石の側面に、ちょうど中央の辺りだけ綺麗に切削された部分があった。そこにはこんな文字が刻み込まれていた。
『いつか帰ってくる子どもたちへ』
その文字からは、ただならぬ想いを感じられた。そして石の目の前には積み上がって山となるほど添えられた花々があった。
「はぁん………なるほど」
俺は遠くを見つめるような目で石碑と花の山を見下ろした。
「ロードぉ………これ………」
「あぁ。おおかた、ガキを失った親どもの願いでこれを造ったんだろうな。皮肉なもんだよ、攫われたガキどもが死んでいないことを祈って石碑が出来たんだろうが、それがこんな墓場のど真ん中に置かれるとはな」
「子どもたちはどこにいるんだろう………」
アシュタロトが屈んで花の山をいじりながら俺に顔を向けてくる。俺も一緒になって屈んだ。目の前の花々は、枯れて鮮やかな色を失っているものや、瑞々しい花びらのものまである。これだけの数の花が添えられていることから、ガキの失踪事件がかなり長く続いているものだと実感した。俺は花の山から一輪を手に取って指でくるくると回して遊ぶ。
「てめぇは不思議だとは思わねぇか?攫われたガキどもが何処へ行ったのか。死体になっているならすぐにでも見つかるはずだ。ミンチにして川に流すとか、地面に穴掘って埋めてるなら話は別だがよ」
「街の外にいる可能性」
「それは限りなく低い。俺も昔、テロ組織に潜入した時に年端もいかないガキどもを拉致したことがある。その時は首都から街を3つ越えて運搬したんだが、人目を憚って生きた人間を運ぶのは至難の業だ。それなら現地調達の方がリスクも金もかからない」
「つまり誘拐された子どもたちはまだこの街にいる可能性が高いってこと?」
「なかなか頭が回るじゃねえか、てめぇ。そうだ。生きているにしろ死んでいるにしろ、街の中ならどこにいてもおかしくない。クレイヴェードはデカい街だからな」
俺は立ち上がり石碑を一瞥すると、踵を返して歩き出した。アシュタロトも俺を追いかけるように足早に駆け寄ってきた。俺は歩きながら、アシュタロトに話しかけるというよりも独り言のように呟いた。
「どうも臭ぇんだよなぁ、この街は………活気のある賑わった一面もあれば、腐った陰気な面もある。ニジェールやマリを思い出すよ」
俺は柵を越えて墓場を後にした。闇が深まって足元すら見えなくなる時刻。アシュタロトは浮いてるから悪路を気にせず俺の後ろをついて来る。
「あぁそうだ、アシュタロト」
「?」
「明日、てめぇに独りでやってもらうことが2つあるんだが」
俺は立ち止まってアシュタロトに向き直った。
「かなり時間のかかる作業になる。できることなら今日みたいに攫われるのは御免なんだよ。襲われた時くらいどうにか反撃してくれないか?」
俺としてはアシュタロトの命令されなければ無抵抗、という姿勢に不安を抱いていた。はっきり言って足手まといだ。常人よりも力が強いと言うのなら、せめて自己防衛の類くらいはしてほしい。
「Yes。ロードの御命令があれば対象への攻撃を即座に行う」
「それじゃあ駄目なんだよなぁ」
俺は深々と溜め息を吐いて頭を乱暴に掻いた。アシュタロトについては今後の課題だ。独りでもちゃんと戦えるように、あれこれ工夫しなければならない。時間がある時にでも正当防衛ができるように教えないといけないな。俺はそんなことを考えながら、朝日が昇る前に宿屋に戻ることにした。




