精霊の独りでの過ごし方
――――――――――黒髪の異邦人が酒場で暴れている頃。
待機を命じられていたアシュタロトは静かに宿屋の一室にいた。しかし“ここにいろ”とは命じられたが、部屋から出るなとは言われなかった。アシュタロトにしてみれば『このホテルから出るな』という意味に拡大解釈されたのだ。
そんな訳で、アシュタロトは暇を持て余して部屋から出た。買ってもらった服をたなびかせながら廊下を歩き、階下へ続く階段までやって来る。
アシュタロトにしてみれば不思議な時間だった。こうして自由に振る舞えることなど、精霊として与えられることが無かったからだ。あくまでも魔法を使う為の道具であり、兵器。そんな自分に服を買ったり、自由時間を与えるロードは今までにないご主人様だったのだ。
階段付近の廊下の手すり。そこから身を乗り出して階下を見下ろす。すると、そこに1人の少年がいた。背丈はアシュタロトと同じくらいだろうか。暇そうにロビーを歩き回っては止まり、また歩き回っては止まる動作を繰り返している。時折、壁にかかっている絵を見つめるが、それもすぐに飽きてか再び歩き始める。
アシュタロトは少年の挙動に興味が湧いてきたのか、階段を降りた。
「うわ!?だ、誰だ!?」
少年は心ここにあらずの状態だったのか。アシュタロトが突然目の前に表れたことに、驚きの表情を浮かべる。
「うわぁ………びっくりしたぁ。え、えぇっと、君もここに泊まってる子なの?」
少年が恐る恐る尋ねる。アシュタロトは質問に答えた。
「はい。私はここの宿泊者」
相変わらず無機質に淡々と話すアシュタロト。だがそれに違和感を持たないのか、少年は納得したように首を縦に振った。………いや、それよりも少年はアシュタロトと目線を合わせられずにいた。
「え、えっと………あ!ぼ、僕の名前はデルザルガ・レヴィエタス!気軽にデルザルガって呼んで!」
自己紹介を済ませる少年、デルザルガ・レヴィエタス。アシュタロトが不意を突いたわけでもないのに、うろたえた様子で身体をそわそわさせている。何故か少年の耳がほんのり赤くなっていた。
「え、えっと、君の名前は何ていうの?」
どぎまぎしながら少年は尋ねた。何を恥ずかしがっているのかアシュタロトには検討もつかなかったが、とりあえず質問に答えることにした。
「私の名前はアシュタロト」
アシュタロトは名を名乗った。本来であれば精霊に名前は無い。しかしロードがわざわざ自分の為に与えてくれた名前である。これを蔑ろにするつもりはなかった。
「アシュタロトって言うんだ。その、えっと、良い名前だね!」
少年が満面の笑みでアシュタロトという名を褒めた。アシュタロトはどう反応していいのか分からず、そのまま沈黙する。ロビーには誰もいない。ウェイターやキャッシャーは常にフロントにいるわけでもなく、呼び鈴を鳴らすことで出てくる仕組みだ。
今この場にいるのは2人だけ。静けさだけが彼らを包んでいた。
「えっと………今、僕とっても暇なんだよね。もし良かったら遊びに行かない?」
少年が両手の指をもじもじと動かしながらアシュタロトに提案してくる。
「僕の両親さ、買い物に出かけちゃってさ。今独りなんだよ。本当にひどいよ!せっかく街まで来たのにさ!妹の誕生日プレゼントを選ぶからって僕は残されちゃったんだ!」
口を尖らせて床を蹴り上げる少年。アシュタロトはそれに対して質問を行った。
「どうしてデルザルガは残されたの?」
「僕はすぐどこかに行っちゃうからだってさ。だから帰って来るまでここで大人しく待ってなさいってお母さんが言うんだ」
「そう。つまりデルザルガは落ち着きが無いのね」
アシュタロトは淡々と言い放った。アシュタロト自身に悪意は無い。だが、その無慈悲な言葉の一撃は少年の胸に重く響いた。
「そ!そんなことないよ!アシュタロトこそ、どうして独りでいるのさ。お母さんやお父さんはどうしたの?」
少年は自分の話を逸らすように話題を変えた。アシュタロトは少年の質問に対して少し考え込んだ。お母さん、お父さん。そういった存在は精霊であるアシュタロトには存在しない。肉親を保護者、あるいは自身が従うべき格上の存在として捉えるのであれば、1人該当する人間がいる。
「ロードは今、出かけている」
「ロード?それってお母さんの名前?それともお父さんの名前?」
「ロードはロード」
「ふーん………まぁ何でもいいや。とにかくアシュタロトも今独りってことでしょ?」
「はい」
「じゃあさ!じゃあさ!こっそり出かけて遊ぼうよ!街探検だ!」
少年はテンションを上げて浮足立つ。そしてアシュタロトの手を引いて宿屋の玄関口まで走った。
「行けない」
しかし少年の淡い思いも空しく、アシュタロトは少年の手を振りほどいた。少年がわずかに悲しそうな表情を見せる。
「どうしてさ」
「ロードに命じられた。“大人しくここで待ってろよ”、と」
「大丈夫だって!少しの間だけだから!外を歩いてたってバレないよ!」
「ロードに命じられた以上、この宿屋からは出られない」
「むぅ………じゃあもういいよ!僕ひとりで探検に行くもん!」
そう言って少年は宿屋を勢い良く飛び出して行った。アシュタロトはその光景をただただ見ているだけだった。
夕暮れ時。俺は帰路に着いていた。現在の所持金は7,740ゼパ。酒場で羽目を外し過ぎたせいか、かなり稼いでしまった。勝負を挑んでくる雑魚どもを次々と倒していき、金銭以外にも色々と報酬を手に入れることができた。
これでアシュタロトに満足いくまで飯を食わせられる。そんなことを考えながら俺は宿屋に戻った。
「おかえりなさい。ロード」
アシュタロトが宿屋のエントランスで俺を出迎えた。俺は怪訝そうにコイツを見た。
「ただいま、アシュタロト。………てめぇ、部屋から出たのか?」
「Yes。室内はすべて見て回った。時間が余ったから部屋の前の廊下、それから1階の状況も見て回った」
「あ、そう」
俺は首を傾げた。
「宿屋からは出てないのか?」
「Yes。ロードの命令を守った。この領域からは出ていない」
なるほど。代名詞で伝えたから、伝達事項があやふやになっていたのか。俺は“部屋にいろ”というつもりで言ったのを、コイツなりに解釈したのだ。これは仕方がない。ちゃんと伝えなかった俺が悪い。
俺はアシュタロトの頭を撫でながら、言いつけを守ったことを褒めた。
「よく約束を守れたな。偉いぞ、アシュタロト」
「むぅ………ロードの命令を守るのは当然」
「はいはい」
俺は切りの良いところで撫でるのを止めて、部屋に戻ろうとした。もう少し暗くなったら飯でも食いに行こう。そんなふうに思っていた。しかし、そんな俺の行く手を遮るものが1人。アシュタロトだ。脇から身を乗り出して、俺の服の袖を引っ張った。
「待って。ロード」
「んぁ?どうした急に?」
急な行動に俺もびっくりする。まだ精霊の行動原理を掌握した訳ではない。故に彼女の言動はまだ完全に予測できるものではなかったのだ。アシュタロトは面と向き合い、俺の顔を見上げる。
「ロードに懇請する」
「あぁ?なんだぁ藪から棒に。飯ならほら、ちゃんと金があるから食いに行けるぞ」
コイツから頼み事とは珍しい。俺はてっきり飯の再三に渡る要求かと思い、懐から取り出した金銭を見せびらかす。だが反応に乏しい。飯じゃないのか?
「ロード、私たちの食事よりも優先度は高い」
「は?………何があった?」
真剣な眼差しでそんなことを言われたら、俺も流石に判断を切り変える。ただごとじゃねぇ。そう思える雰囲気をアシュタロトから感じ取った。俺はしゃがんでアシュタロトと目線を合わせた。
「一体何があったか説明できるか?」
俺はアシュタロトの両肩に手を置いて説明を促した。彼女はゆっくりと答える。
「Yes、ロードぉ………。少年を探して欲しい」
「………………はぁ?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。少年?何言ってんだコイツは。
「少年って誰だよ」
「私たちと同じようにこの宿屋に宿泊しているレヴィエタス家の長男」
「だからそいつは誰なんだって訊いてんだ。………てめぇがここを徘徊している時に知り合ったのか?名前は?」
「Yes。少年の名前はデルザルガ」
「で?探して欲しいってどういうことだ?」
「4時間前にここを飛び出して行った。それから1時間後に彼の御両親が長女を引き連れて帰着。以降、デルザルガが戻って来る気配が無いまま今に至る」
「OK。………で?」
俺はくどいように訊き返した。コイツの意図が読めない。まさか見ず知らずの他人の子を見つける為、俺に捜索を手伝えと言ってるのか?なんでそんなことを………。
「……………」
俺はアシュタロトの目を見つめた。どうやら言ってることはマジらしい。
「なぁ、アシュタロト」
「はい」
「それは依頼か?」
「依頼?」
アシュタロトは首を傾げる。俺の言っている意味を理解していないようだ。俺は再度、口をゆっくりと動かしながら繰り返し言った。
「依頼か?って訊いてるんだ」
「私が頼むことと、ロードの言う“依頼”は別物?」
「あぁ、別物だ。まったく違う。俺だって直接関わりの無い奴の為に働いたりしない。働きたくもない。そこには正当な理由付け必要なんだ」
「理由付け………」
「そうだ。俺が見返りを求めて、てめぇの言うことを聴くってんなら筋が通る。だから『依頼か?』と訊いたんだ。てめぇからの依頼なら俺は請け負うぜ、ガキ探しをよ」
俺の説明をちゃんと理解しているのか、深く頷くアシュタロト。俺はコイツからの返事を待って、あえて口を閉ざした。見返りの無い行為はいずれ己の身を滅ぼす。アシュタロトにはその辺をしっかりと理解してもらいたかった。俺はアシュタロトの言葉でしっかり答えるのを待った。
「わかった」
しばしの沈黙の後、アシュタロトは小さな声で答えた。
「これは私からロードへの委託申請。お願い、ではなく、依頼。少年デルザルガの捜索をお願いする」
アシュタロトの表情がいつもとは違い、凛々しいように思えた。俺は軽く微笑んでゆっくりと頷く。
「OK。引き受けた。だが委託じゃ駄目だ、てめぇも手伝うんだよ」
俺は立ち上がって首を鳴らした。背伸びをしながら宿屋を出る。
「てめぇも来い。一緒にそのデルザルガとかいうガキを探すぞ。見つかり次第、晩飯だ。旨い飯処を見つけたからよ、さっさと探して食いに行こうぜ」
俺の言葉にアシュタロトの目が輝き出す。黙っていても表情から感情の変化が分かるようになった。どうやら喜んでいるようだ。
俺はアシュタロトの手を引き、そのまま宿屋を出た。




