18話 遠い過去と遠い未来
「おい小僧、どうしたよ? なにがあったよ?」
「——?」
二十数年前。
王都の中流街、その一角にて半魔の少年“ロコモティ”は声をかけられた。
全くと言っていいほどに整えられていない黒髪に、濁った灰色をした目は豪華な服を着て声をかけてきた少年を睨む。年は若すぎるほどに幼く、まだ十歳にも満たないだろう。変わった話し方だが、地方の出だろうか。
「さっき石投げられ取ったよな? なんしたんよ?」
「別に、何もしてない」
「何もしてないのに石投げられたんかよ?」
その人間の子供は、地面に腰を下ろしていた。ロコモティの顔を覗き込むように、地面まで頭を下げている。
何がしたいのだろうか。
どうせからかいたいだけだろう。
「いたいた、坊ちゃま! こんな所でなにをされてるんですか」
すると裏路地の先から、一人の執事みたいな恰好をした男が現れた。その男はこちらを見ると一瞬だけ眉をひそめ、そして見なかったことにして少年に近付く。
「あ、ウィルス。こん子と喋っとった!」
「あのねぇ、貴族の嫡男が一人で裏路地に入るもんじゃないですよ。それに話し方を戻せって言われたでしょ」
呆れたように溜息をつく男は、どうやらウィルスという名らしい。
そしてロコモティの前に膝をつく少年は、貴族の出のようだ。
一体、なんのつもりなのだろうか。
「でもワシ、この話し方好きやもん」
「御当主様に怒られるのは自分なのですから、もっと坊ちゃまには貴族らしくしていただかないと」
そう言ってウィルスという名の男は、少年の手を引き裏路地から出ようとする。だがその行動は、地面に根を張るようにして動かない少年に邪魔されていた。
「それよりな、この子石投げられて怪我しとるねん。治したってえな」
「そう言われましても、自分は治癒魔法に疎いので」
「んなら家まで運んだらええやん、家で治療したらええやん」
「はぁ?」
思わずそんな声を出したロコモティは、目を丸くして少年を見る。
なぜ見ず知らずの半魔を、治すなんていう発想になるのだろうか。
「えっと、お前……どういうつもりなんだ?」
「どういうつもりて、君が怪我しとるからやん」
「それだけ?」
「せやで~」
乳歯が抜けたのだろうか、前歯が抜けた顔で少年はニマリと笑う。
どういうつもりなのだろうか。
ロコモティは、その少年に興味がわいた。
「お前、名前は?」
「ワシ? ワシの名前はな――」
××××
懐かしい記憶だ。
いったいどれほど昔の記憶だろうか。
あの時は世界の事なんて知らないで、ただ自分がやりたいようにすることだけができた。それがどのような結果を生むのか、想像すらしないで。ただ後先を考えずに、自分の欲望だけで生きていけた。
あの頃が懐かしく、同時に胸を引き裂かれるほどに羨ましかった。
「……そっか、夢だよな。いや、夢なんやよな……か」
ベッドから起き上がったジェイクは、曇る視界を戻すために手で目を擦る。
そして大きく伸びた後に顔を洗って部屋の外へ出た。
あれから一週間。
警戒態勢は続いているものの、ダブルシックスによる追撃はないと王都は判断。ヴォルビオッサ商業大臣手動のもと、魔物によって破壊された箇所の修復作業が既にはじまっている。
その従業員にはダブルシックスによる王都侵攻で職を失った者や、下民街に住んでいた者、そして王都の半魔などが多く参加し、ゆっくりではあるが復興へと向かっている。
現在の王都貴族街、つまり上流街では普段では見慣れぬ者が多く出歩いている。
王都侵攻によって家を失った者達が、一時避難場所として王都の各地に集まっているのだ。
急激な変化によって治安が悪化し、それの対処に衛兵があたっているが、それでも人死に沙汰は起こっていない。
「おはようございます、ジェイク様」
「おはようセバス、ゆっくりと休めたか?」
「ええ、三日も休暇をいただけましたから」
そんな会話をしつつ椅子に腰かけると、その前に紅茶が一杯だされた。
いつもと変わらない、薄い紅色の茶。
「それとジェイク様、お客様がお見えになっています」
「俺に客か?」
「ええ、ヴァイス家の現当主様です」
そう言って近くの扉を開くと、そこから一人の男が現れた。
長い髪を一本にまとめた、頓珍漢な服装の男。
「お久しぶりです、ジェイク様」
「久しいな、クロード」
クロード=ヴァン=ヴァイス。
クロード辺境地の現領主にして、ルイスの雇い主という立場にある男だ。
「ここへ来たという事は、やはりそうか?」
「ええ、ジェイク様に頼まれていた件に進展があったのでご報告を」
そして二人は密談紛いの会話を始めた。
××××
リリックが目を覚ますと見知らぬ天井が広がっていて、それがクロードの別荘の天井であると、数秒経って気が付いた。
思考がぼやける。
一体自分はどれだけ寝ていたのだろうか。
体中が痛むが、それ以上に重い。
「リリック……?」
「……フリーシェ?」
体を起こして目を横に向けると、フリーシェがいた。よだれの跡をつけたままなのをみるに、ベッドの横で眠っていたのだろう。フリーシェはしばらく固まった後、そのまま目尻に涙を浮かべる。
「うぇえええん こわかったよぅ!」
そんな泣き声と共に、フリーシェはリリックへ抱き着いてきた。
抱き着かれた衝撃でまた体が痛むが、それ以上にリリックの頭の中では疑問が巡っていた。
いったいなぜ、自分はここに居るのだろうか。
そしてなぜ、自分は生きているのだろうか。
「フリーシェ、何があったんだ? それより俺は……」
「リリック、一週間も眠ったままだったんだよ。体中怪我だらけで、骨だっていろんな所が折れてて……うええぇぇん! しんぢゃうかとおもったぁ!」
リリックに抱き着いたまま涙を流すフリーシェをみて、リリックはまたもう一つ疑問が湧いた。
あの時、自分は兄に殺されると思っていた。
情けをかけられたのだろうか。
いや、そんなはずはない。
リリックの知るあの男は、そんな事をするはずがない。
「フリーシェ、全てを教えてくれ」
なぜ自分が生きているのか。
なぜこんな所で寝ていたのか。
「何があったのか、話してくれ」
××××
大聖祭の会場で何が起こったのか全て話してもらったリリックは、何も答える事ができずにただ俯いた。
「と、いうのが事の顛末かな?」
自分が殺されそうだったこと、ノヴァが現れ自分達を助けてくれたこと、そしてフリーシェも立ち向かった事。その全てを教えてもらった。メイアが怪我をしたと聞いたときは、リリックもその顔に絶望の色を浮かべたが、今は治療を受けて無事に出歩いていると聞き少しだけ安心できた。
そして今現在、アイニールがどこにいるのか分からないとも。
ルイスは知っているらしいが、生徒である自分達へは伝えられないと。
魔人化の後遺症か、記憶の混濁がある。
メディックとの闘い、その後半をリリックは何も覚えていなかった。
「ちょちょちょ、リリック! 起きるなら起きるって先に言いなさいよ!」
大声と共に入ってきたのは、汗を流すメイアだった。
起きる前にそんな事言えるはずもないだろ、いつもならそう応える場面だったが、リリックは無言のままメイアを見るしかできなかった。
「え、ちょっと、なに? 私今そんなにひどい顔してる?」
髪を整えながらそう言ったメイアは、恥ずかしそうに汗を拭いていた。
だがそんな事よりも、リリックは問いたい事があった。
「メイア、傷……」
「ああ……う~ん……傷ね……」
「見せてくれ」
「え、う~ん、まぁ……」
歯切れの悪い言葉で言いよどんでいたメイアだったが、溜息をついた後にズボンのベルトを解いた。
そしてゆっくりと服をたくし上げ、その腹に着いた傷を見せる。
抉れたように広がる、傷を。
「自分を治すのと他の人を治すんだったら勝手が違うんだって、だけどまぁ平気よ平気、着れる服がちょっと少なくなったくらいだもの! むしろ水着とか買ってなくてよかったわよ。アハハ」
まるで自分に言い聞かせるように。
目の周りを腫らしていたメイアは、そう言った。
何でもないよとおどけながら、まるでいつもの調子でふざけているように。
笑いながら。
笑い話でしょ、とでも言いたげなその眼で。
「……ごめん」
ただ一言そう呟き、リリックはベッドから立ち上がって部屋の外へ向かう。
その時フリーシェやメイアが付いてこようとしたが、一人にしてくれとだけ伝えた。
合わせる顔がない。
「…………」
別荘の中を目的もなく歩き、ただ一人になる場所を探す。
不甲斐ない。
自分が嫌いだ。
なんで、なんで。
何もできなかった。
何一つできなかった。
「…………」
やがて外へ出て、空を見上げた。
笑えるくらいに青い空は、まるで自分を笑っているかのようで、よけいに腹が立つ。
「畜生……!」
心の叫びが漏れていた。
涙が頬を伝い、唇を噛み締めようととめどなく溢れる。
口に血の味が広がろうと、全身に痛みが走ろうと。
この心が――、
やがて膝の力が抜け落ちて、その場に手を付いた。
何も、何一つできなかった。
「何故に泣くんだい、リリック?」
聞き覚えのある声がした。
隣にはルイスがいた。
だが、こちらを見ずに、ただ遠くを眺めている。
「……怖かった」
声が漏れていた。
涙に震える声が。
「怖かったんだ、アイツらがいなくなるかもって。あいつらを失うと思った!」
何度立ち上がろうと、何度攻撃をしようとあの男はなにも堪えていなかった。
まるでは虫のように、あしらわれていた。
「有無を言わさねえ強さが欲しい! 我を通せるような強さが欲しい! 誰一人失わねえ強さがほしい!」
フリーシェやアイニール、そしてメイア。
失ってしまうと思った。
離れ離れになって、二度と会えないと思っていた。
「復讐だって、護ることだって、全部成し遂げられるような、そんな強さが欲しい!」
夢にまで見た相手を前にして、何もできなかった。
全てを出し尽くしたのに、何もできなかった。
「誰一人失わない、何一つだって変えられない事がないくらいの、そんな圧倒的な力が!」
そう、求めたものはたった一つ。
「力が欲しいんだよ……」
泣いていたのだろう。
メイアの眼を見た時、リリックは胸が引き裂かれるような気持だった。
あの時、メディック達を全員倒す事ができていれば。
「誰も悲しませないような、そんな力が……!」
誰の涙も見たくないと、思った。
強く、そう願った。
「なら強くなれ、リリック」
強い声だった。
凛とした、取り付く島もないような。
それでいて、突き放すような。
「決して折れるな、決して挫けるな、顔を上げろ、前を見ろ。全てを力で成し遂げることなんて出来はしない、どれだけ鍛錬を積んでも、どれだけ死ぬ気であろうとも、変えられない、乗り越えられない壁だってある」
いつも優しかったルイスの声じゃない。
ただ、一人の男として語り掛けてくるような。
そんな声だった。
「けどいつかその壁を超えられるように、ただ強くなれ。リリック」
リリックは立ち上がり、目尻に溜まった涙を拭く。
ルイスの隣に立ったリリックは、ただ言葉を聞いた。
「いつかの未来、成し遂げたい願いのために。ただ強くなれ」
隣に立っているだけなのに、遠い。
こんなに近いハズなのに、ルイスが遠い。
でもきっとこの人の力を持っていたら、自分はこんな思いもしなかった。
だから、その距離を少しでもいいから。
縮めたいと思った。
「その方法は、私が教えてあげるから」
××××
遠く離れた物陰で、メイアはフリーシェを腕に抱きながらリリック達の声を聞いた。
「守られてばっかりだな私」
「メイアお姉ちゃん?」
「ごめんねフリーシェ。私も強くなるから、私だけお荷物には絶対にならないからね」
眼以外に、何一つ持っていない。
それでも、メイアだって気持ちは同じなのだ。
誰一人失いたくはない。
「絶対に、追いついてみせるからね」
言い聞かせるようにそう呟き、メイアはフリーシェの頭を撫でた。




