32話 圧倒
ドルトムント=ラズグッド、彼を言い表すのならば『天才』の二文字で十分だろう。
千年以上続く名家であるラズグッド家の一族は、産まれながらにして高い魔力を持っている。その中でもドルトムントは一際高い魔力を持って生まれており、神童として家内はもちろんの事、他の貴族や王族までもが彼が未来で掴む栄光を疑わなかった。
だが高い才能を持って生まれる者には、ある程度共通するものがある。『巨漢に達人なし』という言葉があるように、最初から恵まれている物を持っていると、それに頼り技を磨く事を怠る。
高い魔力を持つ者であれば、力まかせの魔法を放つ。そういったように、才能を持って生まれたとしても、それが正しく開花するとは限らないのだ。
だが、ドルトムントは違う。
彼は生まれ持った力で満足する事はなく、二〇年以上の歳月を鍛錬に打ち込んできた。血肉刺を作り、生傷は絶えず、血反吐を吐こうと一心不乱に稽古に励む。例え才覚に恵まれなかった者であっても、それほどまでに鍛錬を積めないだろうと思えるほどの苦行。
従者が止めようと、後ろ指を刺されようと一切止めなかった。
『最も強くあれ、我を通せる程の強さを得よ』
かつてラストゥード家の男に言われた言葉。当時のドルトムントにはその意味は分からなかったが、今はしっかりと理解している。才能にかまけて努力を怠れば、強くなんてなれはしない。
誰よりも才能に恵まれ、誰よりも努力を重ねた男。
王都では彼をそう呼ぶ。
生まれついての魔法、吸収と反射。ただでさえ強力にして強大な魔法。その弱点である体術はすでに勇者以外に勝てる者は居ないと言われる程の完成度であり、膂力に機動力、どれをとっても超一流。
そして彼が二十二歳になり、参加できる最後となる大聖祭。
怪物が誕生していた。
××××
半透明な赤い壁。赤腕の持つ能力である防御魔法の結界、込める魔力量で強度は変わるが並大抵の魔法であれば傷一つつける事はできないほどの強度を誇る。結界を抜けたいのであれば、トンを超える負荷をかけるほどの魔法を放たねばならない。
はずだった。
少なくとも、拳程度では割れるはずがない、羅刹の結界は、まるで薄氷のように割られた。
「ヌウゥゥン!」
距離を詰めたラリアットが、羅刹の体を五メートルは浮かす。大地を揺らす程の跳躍は大気を震えさせながら、一瞬で羅刹との距離を詰めてきた。羅刹の記憶にもないほどの膂力に、思わず背に汗が浮かぶ。
「ムゥン!」
そんな声と共に振り下ろされる拳が、羅刹のガードもろとも打ち抜いた。まるで隕石のように闘技場へと叩き落され、砂幕が空へと立ち上る。体中が痛みに悲鳴をあげ、衝撃を受けた脳が視界を二転三転と転がした。
されど羅刹は立ち上がり、自分の掌で具現化させた腕を掴む。空を自在に飛翔する腕による移動術、速度は物足りないがそれでも小回りならば申し分ない。
「殺させろォ!」
具現化させる腕を増やし、空一面を覆うほどの腕を出現させる。それら全ての指先を地面へと向け、雨のような魔弾の連続射出。
「吸収!」
魔弾のほとんどはドルトムントの腕に吸い込まれた。しかしそれでも全てを吸い取れるわけではなく、一部が被弾。右腕、そして右膝より下が黒く焦げ、血が水たまりのように零れ落ちていた。
「チィ!」
その戦果にも関わらず、苛立ちに舌を鳴らしたのは羅刹。
このわずかな時間でドルトムントは受けてはならない攻撃を見切り始めていた。喰らえば即死の毒の緑と腐敗の黒は全て吸収され、辛うじて当たった攻撃も威力だけしか取り柄のない白だった。
それも並みはずれた体術による防御力で見た目ほどのダメージもない。
「ハッハッハ、素晴らしいな!」
唐突にそんな声を上げたドルトムントに、羅刹は空中で留まった。
「何がだ?」
「お前の持つ力、技、魔法、その全てが非凡。どれほどの鍛錬を積めばこれほどまでの力を持つのか、俺より六つも若いくせに見せつけてくれる」
そう言ってドルトムントは破れた上着を脱ぎ捨てた。
古傷だらけの肉体。限界まで張った水袋のように盛り上がった胸板、皮膚の上からでも分かる程に盛り上がった両腕の筋肉、首の太さは常人の倍を優に超える程に屈強。
羅刹を含め、闘技場で彼を見る全ての人間が息を飲んだ。
「だが、それでも勝つのは俺だがな」
瞬間、羅刹の視界からドルトムントの姿は消えた。
××××
試合を最も近い場所で観戦していたリリックは、決勝で相まみえるであろう二人を眺めていた。一人は吸収反射の魔法と鍛えた肉体によるゴリ押し、もう一方は文字通り小手先を無尽蔵に出して戦う。
個対多数、これほど分かりやすいものもない。
そして、個が多数を圧倒的な力で覆すという図式が、これほどまでに当てはまる光景もそうはないだろう。
ドルトムントの腕の一薙ぎ、振り下ろす拳、蹴り上げる足、その全てがまるで自然災害のようにすら見える。
後三年。
三年もしたら追いつけるのだろうか。
「いや、違うな」
年齢差で負けたとして、それが同情以外になにを得られるというのだろうか。いやハーフエルフである自分は、その同情すら得られないだろう。
ならばもう、勝つしかない。
羅刹とドルトムント、そのどちらが勝ったとしても、勝つ以外に道はない。
「…………」
そんな中、リリックは黙って闘技場に目を向け続ける。
先ほどから感じる異様な気配と空気、それが羅刹を中心として広がっていた。
ドス黒く重い、今まで会ってきたガイリックやメリッサのような強者とは違う。一番近いのは自分の師であるルイス=アドレルトの持つオーラだった。
××××
アイニールの治療を終えたルイスは、ただ黙って観客席から闘技場を見下ろす。
「見事なものだ」
ドルトムント=ラズグッド、あれほどの強者はそう居るものではない。いったいどれほどの鍛錬を積み上げてきたのか、体中に刻まれた無数の古傷が教えてくれる。
ただ無心に、強くなるという目的のためだけに鍛えた人は、あれほどまでの強さを得る。
彼が相手となれば、羅刹には分が悪いだろう。
「……ふむ?」
しかし先ほどから羅刹の放つ空気というか、オーラが何やら不穏な気配を漂わせていた。それは審判を務めるジューナも、そしてガイリックやメリッサ、そしてジェイクも気が付いているようだ。
何かがおかしい。
やがて闘技場の中心で爆発に似た拳の衝撃によって生まれた土煙の中。
魔人化を発動する羅刹の姿があった。
「魔人化、だと?」
魔人化とは本来ルイスやリリックのように、生まれついての半魔にしか使えぬ技だ。彼は魔物の魂が混ざっていると言っていたが、その程度でも魔人化できるほど甘い技術ではない。
人間性を保ったまま魔人化できる度合いは五〇パーセントが限界と言われている。だがそれすらも人によっては意識を保てなり、場合によってはそのまま体が崩壊することもある。
命を代償に勇者をも凌ぐ力を得るのが魔人化。
半魔にだけ許された力を使う羅刹に、ルイスは息を飲んだ。
「グレゴリ七号……だっけ?」
浅黒く染まってしまった羅刹の肌を見て、ルイスはゆっくりと立ち上がる。
二十パーセント、おおよそだがその程度だろう。魔力や魔法の威力は数倍にまで上り、闘争心や野生の勘といったものまで発現する。魔人化まで発動させた羅刹が相手では、ドルトムントでも勝ては――
そこまでルイスが考えた時、ドルトムントの拳が羅刹の顔を打ち抜いた。
××××
——は?
いつの間にか空を見上げていて、思わず羅刹は思考を止めた。
何が起こった?
魔人化をして強化した魔法をドルトムントに放ったはずだ。どうあっても防げる威力でも躱せるような速度でもなかったはずだ。
にも関わらず、ドルトムントは自分を拳で打ち抜いた。
「グッ……」
体をゆっくりと起こすと、視線の先にはドルトムントが居た。体中をおびただしい量の傷で埋め、血が全身から滴り落ちている。
その光景を見て、羅刹も理解した。
あの男は防御を捨てて、攻撃のみに全力を当てた。
自身へのダメージを厭わず、ただ羅刹を仕留めるためだけに。
「全腕、放射!」
具現化させた四十三の腕、それら全てを同時に発動させてドルトムントを仕留めにかかる。雨のよう、それすら言い表せぬ攻撃の壁。点ではなくもはや円で塗りつぶすかのような攻撃が闘技場の中心に立つドルトムントを打ち穿つ。
腕を、脚を、体を貫通する魔弾の雨。
「ムゥン!」
それすら意にも返さず、ドルトムントは地面を蹴って羅刹の顔をまた打ち抜いた。
血反吐と流れ落ちる四肢からの出血。
されどドルトムントは止まらない。
「——黄腕三連!」
硬質化した腕を上下二方向から三つ放つ。一つは地面を這うように超低空度からの昇拳、もう一方は三メートルからの拘束落下。
「ムゥン!」
唸り声と共に拳を振りかぶるドルトムントの腕に、三つの黄腕が挟み込むようにして上下からの打撃を与えた。肘と手首に上からの打突、その丁度中央を地面からの打撃。
――ボギィ!
梃子の原理によってドルトムントの腕は、黄腕によって圧し折られた。ただ打撃を受けただけならば骨を折る事などできるはずもないが、三方向から骨に圧がかかるように放った打撃はドルトムントの骨を断つ。
「フンヌゥ!」
だが、折れた腕などお構いなしに。
それがどうしたとでも言わんばかりに。
ドルトムントの右正拳が羅刹の額を打ち抜いた。
(折れた腕で!?)
痛みに顔を歪めることもなく、ただ悠然と次の一手を目指すドルトムントに、羅刹も流石に冷や汗をかく。
(なんだコイツ……? なんなんだ?)
第一次試験からドルトムントの姿は目に入っていた。
リリック=ワーグナーかこの男が、自分の全力を振るうに値する敵だと本能で理解していた。だが言動や行動の端から、この男に知性も強さも感じられなかった。
がっかり。
心底落胆した羅刹は、どうせならルイスと戦おうとした。
呆気なくあしらわれたが、それでも大聖祭に優勝は確実なのだからどうせ後で戦う事になる。
そう、思っていた。
(どうやったら、コイツは死ぬんだ?)
奥の手である魔人化を発動させた。
だが、この男は一向に止まらない。
止まる気配すら見せない。
××××
ルイスが昔言っていた。
言動がどうあれ、強い人は強い。
どれほど外道であっても、どれほどの罪人であっても、強い者はそれだけで我を通せる。
もし君が、フリーシェ、メイア、アイニール、あの子達を守りたいのであれば、強くなきゃいけないよ。
弱ければ奪われる。
少なくとも相手より強ければ力ずくで奪われる事はなくなる。
強さを学ぶとはどういう意味なのか、力を得るとはどういう意味なのか。
それも考えておくといい。
「……なるほどな」
リリックの視線の先で、最後の一合が始まった。
無数に見える弾幕の雨。
それを突っ切るドルトムントの影。
防御を捨てた前傾姿勢で、空気を切り裂き進む影。
やがてドルトムントは拳を大きく振りかぶり、大地に植え付ける程の威力で軸足を地面に突き刺す。
「昇拳!」
技名と共に打ち上げるアッパーが羅刹の体を浮かした。闘技場から離れていても地面を通じて感じる程の衝撃。
――終わった。
本能で察知した。
決着であると。
「——崩拳!」
その声と同時に放たれたドルトムントの攻撃は羅刹を吹き飛ばし、闘技場の壁面に叩きつけた。壁はひび割れ、観客を巻き込まないように張っていた結界にすらヒビを入れる。
土煙の中ドルトムントはただ立ち上がり、右手を空高く掲げた。
『勝者、ドルトムント=ラズグッド!』




