オレガ視点「愛していたのはお前なのに」
ーーエリーゼ
私は、お前を愛していた。
だが、お前は最後まで私を信じなかった。
エリーゼ……。
☆
「エセル・キシュン?」
エイゼンから戻った外務大臣からその名を聞き、オレガは苦い思いに囚われた。それは罪悪感に似ている感情だったのだが、外務大臣ソシュンは違う解釈をした。
「王妃様の兄でありながら、隣国の王子付になっておりましたぞ。我が国でもその地位は保証していたのに」
ソシュンは滑らかに語り始めたが、オレガがその青い瞳に不快感を露にしていたため、あわてて言葉を濁す。
「まあ。王妃様の兄君ですので、それは優秀な人物でしたぞ。だからこそ、王子にその手腕を買われたのでしょうな」
彼はその面の厚さを十分に発揮し、先ほどまでとは異なる感想を恥じることなく述べる。
王にただ媚を売るばかりしか能がない外務大臣。実務はその部下達が行っているというのは周知事実であった。
「そうか。優秀であったか」
十一年前の王妃の葬儀の際に、王を恐れることなく、緑色の瞳に憎しみの色を隠すこともなく、睨み付けていたエセルを思い出し、オレガは呟く。
王妃が残した忘れ形見のライベルは、エリーゼそっくりの顔で、オレガは直視することができなかった。見れば、彼女の最期を思い出し、胸がつぶれそうになるからだ。
王子としては扱っていたが、幼い時からライベルとは距離を置いていた。彼がオレガに親としての愛情を求めていたのはわかっていたが、オレガはそれを与えることできない。いや、できたかもしれない。だが、今となってはどう彼と接していいのかわからなかった。
「ソシュン。私はエセルを呼び戻すことを決めた。お前にもしっかり働いてもらうぞ」
「陛下!」
「何か問題か?」
ソシュンは隣国エイゼンでエセルに会い、まったくいい感情を抱けなかった。けれども、王の瞳には強い意志が宿っており、その決定が覆せないことを知る。
「畏まりました。仰せのままに」
そうして、オレガは十一年ぶりにエセルを呼び戻した。
彼と対面し、その表情に負の感情が宿っていないことに、オレガは驚いた。だが、彼は一国の王であり、その表情が作り物であることくらいは見抜いていた。彼の成長、変化を知り、オレガは彼の隣国での日々を思う。しかし、彼をライベルと引き合わせた時の彼の態度に希望が持て、息子を任せることを決めた。
彼であれば、己が与えることができなかった愛情をライベルに注いでくれる、そんな甘い期待をしてしまったのだ。
――憎まれるのは己だけで。
戸惑いながらもライベルも徐々にエセルに心を開いていく。
それを知り、オレガは罪悪感が少し薄れるのを感じた。同時に、彼の憎しみを己だけに集中させようと振舞う。
王妃が残した己の息子には、エセルの憎しみの手が伸びないように、オレガはますますライベルから距離を置いた。
そうして、月日が流れ、オレガは四十二歳になり、ライベルは十六歳になろうとしていた。
単なる風邪が悪化し、オレガは病床に伏せることになる。
朦朧とした意識で想うのは、レジーナではなくエリーゼだった。二人の容姿はその髪色と瞳の色からして似ており、実際オレガがエリーゼを妻として選んだ理由も、その容姿であった。けれども、彼女のことを知れば知るほど、違いは際立ち、オレガは身代わりではなく、エリーゼをエリーゼ自身として見るようになっていた。
その緑色の瞳を輝かせ、頬を薔薇色に染め、エリーゼはオレガを無邪気に見上げる。彼女の声は、オレガの耳に心地よく響き、話すだけで彼を癒してくれた。
――愛している。
オレガのその言葉に顔を曇らせるようになったのは、いつからだろうか。
痩せていく彼女。それに反して大きくなるお腹。
何も言わない彼女。オレガはお腹の子がエリーゼに悪影響を与えると信じ、おろすように進言したこともあった。
けれども彼女はがんとして譲らず、その出産の際に命を落とした。
「王よ」
底冷えする声が聞こえ、オレガはぼんやりと目を開けた。
そこにエセルの姿を認めたが、その表情はいつもの彼ではなかった。いや、これが本当の彼の表情なのだろう。緑色の瞳は暗く沈み、口元には冷笑をたたえていた。
「私は残念です。本当ならば、私があなたを殺したかった。妹を死に追いやったあなたを。あなたがレジーナ様の代わりに妹を娶らなければ、彼女は今も幸せに暮らしていたはずだ。それをあなたが」
「み、身代わり?なんのことだ」
「死に淵でとぼけるとは。本当に頭にくる男だ。私は今すぐ息の根をとめたいところだが、それでは証拠が残りすぎる。ライベルも悲しむだろうしな」
「……エリーゼは、私がレジーナの代わりに彼女を娶ったと思っていたのか?」
「事実だろう。あなたがレジーナ様を見る様子は、吐き気を覚えるほどだ」
「そんなことが……」
オレガの脳裏に、エリーゼの悲しげな表情が浮かび、それが彼の視界をいっぱいにする。
「だから、エリーゼは死んでしまった」
「そうだ。あなたが、お前が殺した」
エセルは顔を強張らせる王にそう囁きかける。
「エセル様」
影が動き、微かな声で彼の名を呼ぶ。
「お前が早く死ぬのを待っている」
エセルはそういい残すと、影とともに部屋から姿を消した。
残されたオレガは、エリーゼの亡霊に囚われる。
「エリーゼ。お前はそんな風に思っていたのか。私は本当にお前のことを愛していた。いや、今でもお前のことを愛している」
亡霊に囚われた男は天井に手を伸ばし、彼にしか見えないエリーゼに話しかける。
「エリーゼ」
何度か宙を掴もうと手を伸ばし、最後にオレガは微笑を浮かべた。
「愛している。エリーゼ」
彼の言葉がエリーゼに届いたのか。
それは誰にもわからなかった。
だが、王の最期はとても安らかな笑みを浮かべていたと語られる。