78話 王都ノアリア
ノリで設定を作るのはやめましょう。
後の自分が苦しくなるだけです。
昨日以降の自分を呪いましょう。
気は楽になりませんがね。
視界が、赤と黒に埋め尽くされている。
肺を刺すような熱気と、肉が焦げるような嫌な匂い。
パチパチと爆ぜる音、家を包んでいる炎は猛々しく絶望を呼ぶ。
「……あ、……ぁ……」
幼い僕は、ただその場に座り込んでいた。
足の感覚はない。腰から下が、冷たい氷にでも浸かっているかのように動かない。
頭の上を、燃え盛る巨大な梁が唸りを上げて通り過ぎていく。
「フォ……ルト……っ!」
煤で顔を汚した母さんが必死に、僕の手を引く。
母さんは生まれつき耳が聞こえなかった。だから、その声は掠れていて、音節が不自然に途切れる。
それでも、その手は誰よりも優しく、温かかった。
出口まであと少し。
そう思った瞬間、耳を劈くような轟音が響く──
「――っ!?」
崩れ落ちた屋根の残骸が、母さんの背中にのし掛かった。
母さんは僕を突き飛ばし、自分だけが炎の檻の中に閉じ込められる。
「……お母──」
叫んでも、声が出ない。
ただ、泣きじゃくる僕を見つめて、母さんは歪な笑みを浮かべた。
焼ける苦痛──
圧迫される肺──
朦朧とする意識──
そんな中、喉の奥から絞り出すように、聞いたこともないほど鋭い声が聞こえた。
「フォ……ルト……。ニ……ゲ……テ……っ!!」
それは、優しい母さんの声ではなかった。
僕の魂を震わせるような、恐怖すら感じる命令。
その声に従わなければ、自分もこの業火に飲まれて消えてしまう――本能がそう叫んでいた。
崩れゆく家にかき消される声。
恐慌……。
混乱……。
そして、母さんを助けたいという想いよりも、死への恐怖が勝った。
僕は、母さんの最後の手を振り払うようにして、背を向けて走り出した。
◇
「──っは……っ、」
客車のソファで目を覚ます。
びっしょりとした汗が全身を不快にさせる。
「大丈夫か?」
「……あっ、う、うん」
ルトが心配そうに顔を見せる。
「ずっとうなされてたぞ」
「だ、大丈夫……嫌な夢見てた──」
いつの間にか汽車は止まっている。
「つ、着いた……?」
「あぁ。ノアリアだ」
周りを見ると降りる準備をしている。
「フォルト? 降りるよ」
ロズがルトの後ろから顔を出す。
「わ、分かった。準備……する」
体が重い。
最近よく見るあの夢。
昔はよく見ていた。
ノアリアに行くことが決まってから、思い出すように見ることが増えた。
「逃げ出した……責任……」
出発前に言われた言葉。
責任……。
その言葉にどれだけの覚悟が詰められているのか……。
「では、行きましょう!」
「はーい!!」
クエン先生がリュックを背負い、扉を開ける。
「フォルト、なんかあったら言えよ」
背中を叩いてルトが横切る。
その言葉に僕は頷くことしかできなかった。
◇
王都ノアリア
世界で最も広い大陸であるテルリア大陸の北西に位置する最も技術が発展した王国。
人口も多く、たくさんの煙突が空に伸びているその国は世界の台所とも呼ばれ始めている。
別名『煙突と銀食器の街』
「これが……ノアリア」
セリーヌが言葉をこぼすほどに、その街は住んでいた街とは全く違う世界だった。
空を突き刺す無数の細長い煙突。
そこから吐き出される白や黒の煙が、ノアリアの空を淡い灰色に染める。
駅舎は鉄骨とガラスを組み合わせた巨大なドーム状。
蒸気機関車の排気音が反響し、常に心臓に響くような低音が街全体を包み込む。
街の中心に伸びる運河は蒸気船が忙しなく行き交う。
石畳で整備された道に並ぶようにレンガで作られた家。
まるで1800年代後半のイギリスをイメージするほどの発展した街だ。
「すご……何この街」
「別世界だろ……」
「本で読んだ以上の国……」
ニーナ、ルト、ロズも共に口を開けて圧巻されている。
しかし、フォルトだけがその様子はなく、ただ怯えているように、震わせる。
「いい匂い……」
街並みよりもお腹がなるこの匂いにニーナが釣られる。
「おい、逸れるなよ! ……でも、分かるな。この匂いだけでも腹が膨れそうだ」
ルトも鼻をひくつかせキョロキョロと辺りを見回している。
「皆さん、とりあえずホテルのチェックインを済ませましょうか」
「ホテルも取ってくれてるんですか?」
「はい。しかもノアリアの中でも一番の高級ホテルらしいですよ」
汽車の予約も一等客室。
ホテルも高級。
それを聞いて皆の頬が緩む。
「絶対ご飯も美味しいじゃん!」
「フカフカのベッドで寝れるのか?!」
◇
「リューベルセントラル養成学校の方々ですね。お待ちしておりました」
私たちを迎えたのはスーツ姿のイケメンだった。
「見たこともねーシャンデリアだな」
「これだけで家一棟は建つよね……」
赤い絨毯が床一面に敷き詰められているロビー。
泊まっている客は全員品があり、服装も豪華。
「貴族の中の貴族しか来れねーとこだろ。なんで俺らなんかが泊まれるんだよ」
「それぐらい目に留まったってことじゃん」
クエン先生がチェックインを済ませている間、広いロビーに5人の子供が突っ立っている。
「なんかジロジロ見られるしよ、落ち着かねーな」
「まぁ、他の人たちから見たら学生がこんなとこにいること自体変だろうね」
実際浮いている。
そもそも私たちをここまでしてもてなしたいこの国も、変わってるとしか言いようがない。
「終わりました、早速部屋に行きましょうか」
クエン先生は鍵を片手に階段を指差す。
部屋に向かう間も、でかい絵画やステンドグラスなどの高そうな装飾品が私たちを迎え入れる。
「ここですね」
デカく、豪華、そして厳重な扉の前で止まったクエン先生は鍵を刺して扉を開ける。
「広ーい!!」
「すげぇ!」
我先にと言わんばかり、ルトとニーナが飛び込んだ。
正面にはでかい窓ガラス。
辺りが一望できるほどの大きさであり、先ほど見た運河が見える。
フカフカのソファはもちろん、6つのベッド、大きなテーブル。
ロビーよりは劣るが立派なシャンデリアが天井に吊られてる。
「勝ち組の景色……」
「こんなとこ本当に泊まっていいんですか?」
「ここになれたらうちの寮に住めなくなるね」
荷物を下ろし、上着を脱ぐ。
「暖炉も立派だね。汗かきそう」
「ほんとね。にしても疲れた」
ロズはソファにもたれかかってため息をつく。
「ほとんど動いてないし、なんなら2ヶ月を2日短縮したのに長旅だっだみたいだね」
隣に私も座る。
「みんな何飲む? なんかいっぱい紅茶種類あるー」
「俺これにする!」
珍しくニーナが家庭的に見える。
水瓶から銅製のケトルへ水を移動して暖炉へ向かう。
火かき棒を手にしゃがみ、オレンジ色に光る炎を覗く。
炭の山を崩し赤々と熱を放つ場所へケトルを置く。
「吊るさねーのか?」
「ん? こっちのが早く沸かせられるから」
へー。
そうなんだ。
なんかニーナからそんなお婆ちゃんの知恵袋みたいなことを聞けるなんて驚きだ。
「夜ご飯まではまだ時間がありますね」
「俺武器屋行きたいです!」
「うちは雑貨!」
武器屋か……。
やっぱりこっちの武器は他の所と違うのだろうか。
蒸気を利用した武器……少しだけ気になる。
「私も武器屋に行きたいかな……」
「え!? セリーはうちと雑貨屋巡りじゃないの?!」
雑貨屋巡りも楽しそうだけど、武器屋の方が見てみたいし、そのあとで雑貨屋に行けばいいのでは?
「時間はたくさんあるので、いろんな所を見て回っていいですよ」
「クエン先生は?」
体重全てをソファに預け、だらけるクエン先生は首を横に振る。
「私は疲れたので休みます。迷子にだけはならないで下さい」
「はーい」
ニーナが元気よく手を上げた時、ドアを叩く音が聞こえた。
「俺が出る」
上着を脱ぎ、椅子に掛けていたルトがそのまま玄関へと向かう。
「はい。どうかしましたか?」
扉を開ける。
「失礼する。リューベルからお越しのフォルト様は?」
「? あそこに居ますけど……」
ホテルマンではないが、清潔感のある見た目をした男は不躾にもルトを押し退けて中へ入る。
「ちょっ、なんですか……」
「フォルト様、シュタイン夫人がお呼びです」
クエン先生が止めるが、それすらも目もくれずにフォルトの前にしゃがみ込む。
「……あ、は、はい……」
「お連れします」
フォルトの腕を掴み、男は部屋を後にしようとする。
「おい、ちょっと待てよ。急になんだよ」
「ほんとよ。これからお茶にするんだからムードをぶち壊さないでよ」
男はまるでうるさい虫を見るかのように、ルトとニーナを一瞥して、再び玄関へと歩く。
「あ、あの! せめて理由ぐらい教えて頂けませんか!?」
流石に私も少しムッとして、男の前に立つ。
「理由も何も、シュタイン夫人がお待ちなだけだ。私だってこの子を呼びたがる理由を知りたい」
「じゃぁ、貴方は何も知らないってことですね?」
「あぁ、連れてこいとしか言われてない」
男は一貫して落ち着いたトーンで続ける。
「そういうことだ。失礼する」
「フォルト!」
気づけば私は声を荒げていた。
「何か知らないけど、後でちゃんと説明してよね!」
「……う、うん」
「あと、最近暗いのも関係あるんだったらもっと早くウチらに言ってよね!」
続けてニーナが声を荒げる。
「ご、ごめん……。戻ったら話す」
そう言ってフォルトは男に連れられて部屋を出た。
「あ、お湯沸いてる!」
切り替えの早いニーナはケトルを手に取り、お湯を注ぐ。
「大丈夫かな……」
「まぁ、なんとかなるっしょ。あのフォルトだし」
「だからこそ心配なんだよ」
ロズは椅子に座りカップを手に取る。
「確かにな……そもそも何の用なんだろうな」
「フォルトのことルトは知らないの? 寮一緒なんでしょ?」
紅茶の匂いが鼻をくすぐる。
「一緒って言っても、部屋は違うからなぁ。そもそも自分から話をするタイプじゃねーし、俺も人の過去にズカズカ踏み込みたくねーしな」
それもそうだよね。
でもなんで今、ここでなんだろう。
「あー。そういうことですか……」
天井を見つめてだらけていたはずのクエン先生は目線を正面に戻してため息を吐く。
「?」
「どういうことですか?」
コーヒーの入ったカップを口に運ぶ。
クエン先生はカバンから一通の手紙を取り出し、テーブルに置いた。
「これが?」
「はい。今回の招待状です。ですが皆さん、これを見て何かおかしいと思いませんでしたか?」
ルトが手紙を手に取り、裏表をひっくり返す。
「おかしいって……普通じゃね? 高級な紙だし」
「いえ、差出人の名前がどこにもないんです。完全に匿名の招待状なんですよ」
「え? 匿名?」
ロズが眉をひそめる。
「ええ。それだけではありません。これほど大層な招待をしておきながら、駅には案内人もガイドもいなかった。それどころか、この手紙には今後の予定──私たちを呼んだ目的や、面会、食事会のスケジュールすら一切書かれていない。ただ『ノアリアへ来て、用意したホテルに泊まってくれ』とだけ。不自然極まりないでしょう?」
「言われてみれば……まるで、ただの『おびき寄せ』みたいですね」
ロズが顎に手を置いて呟く。
「その通りです。だから私もずっと警戒していたのですが……先ほどホテルのフロントで、ホテルマンが確認していた書類をチラッと盗み見ましてね。そこに、この部屋の支払人の名が載っていたんです」
クエン先生はカップを置き、真剣な面持ちでその名を口にした。
「モラリス……。モラリス・ネバースです」
「?」
「その人がどうしたんですか?」
テーブルに置かれた招待状を拾い上げる。
「この国の行政官ですよ」
ロズがハッとしたように目を見開いた。
「蒸気機関をこの国に取り入れ、発展させた立役者……。でも、彼は数年前にすでに死んでいるはず……」
「ええ、亡くなっています」
「なんだ? 幽霊から招待されたのか?」
立ったまま紅茶を音を立てて飲むルトが冗談っぽく口を開く。
「今はその夫人にあたる方が受け継いでます。名前はシュタイン・ネバース」
「あ……」
「そういえばシュタイン夫人って言ってたな」
「でも、なんでフォルトを名指しで……」
クエンは招待状をテーブルに戻し、背もたれに体重を預ける。
「豊作戦の準備期間中、他の先生方がよく気にかけてくれてたんですよ。私が初めてだということもあったので。で、その時流れでフォルト君の話をアリア先生がしてくれたんです。元々アリア先生の家に住んでいた事、フォルト君を拾ってきたこと。火事で逃げてきたこと……」
クエン先生は一呼吸おいて、わたしたちを見る。
「フォルト君の出身地はノアリアです。そしてここからはアリア先生も知らない憶測ですが……本名はフォルト・ネバースではないでしょうか」
クエンは一つ一つ言葉を区切りながら説明を始める。
「ネバース家はこの国でもトップの権力者であり、金持ちです。最初はノアリアに君たちみたいな原石を引き込もうとした餌かと思っていましたが……もしかすると、フォルト君単体を呼び寄せるためだけの私たちへの罠の可能性、断らせない口実かもしれません」
「まじかよ……」
「可能性の話ですよ?! 実際そうだと断言は出来ません」
確証はない。
でも、こう一つずつ掻い摘んで説明されると、それが正しいと考えてしまう。
「なんか……面白くねーな」
◇
ノアリア中央、象徴とも呼べる立派な時計台。
そこには展望台が備え付けられており、誰でも入場可能な観光地。
そのさらに上、屋根の上には黒色のメッシュと水色のインナーの入ったピンク髪の派手な女があぐらをかいてあくびをする。
「進展あったか?」
「ん? イェース。めちゃくちゃ動いてるぜ」
双眼鏡を覗いていたその女は後ろからきた黒スーツの男にそう告げる。
「動いてる……はぁ!? めちゃくちゃ動いてんの!?」
「おう。なんなら見失っちゃった」
その言葉はイレギュラーだったのか、クールな見た目の男は慌てふためく。
「進展あったら連絡しろって言ってんだろ!」
「だってぇー、あんたが来るの遅いんじゃない」
男はため息をついて、木箱を屋根の上に置く。
「おっ! 頼んでくれたのきた?!」
「あぁ、てかお前頼みすぎだろ。組の金は無限じゃねーんだよ」
派手な女はウキウキで木箱を開ける。
「いいじゃん。私の財布が減るもんじゃないから」
「……はぁ、こんだけあれば足りるんだろ?」
箱から出てきたのは果物ナイフに似た大きさの刃物。
刃には神語に似た文字が刻まれており、緑と黒の塗装が施されている。
「ざっと100?」
「150だ。自分で発注しといて覚えてねーのかよ」
「うん! 人の金だから」
能天気な女はケラケラと笑って五本のナイフを自身の上着の内側に仕舞う。
「残り一個だったから不安だったんだぜ? 余る分には持っとかないとね」
元々装備していた太ももに巻かれた鞘をポンポンと叩く。
「昨日付の新人のくせに、生意気だな。俺なんか10年も同じ剣っていうのにな」
「えー、上司に愛されてないんじゃない? 可哀想」
男は再びため息をこぼす。




