76話 遠征へ
たまに読み返す。
そして気づく。
誤字も脱字も多いし、メチャクチャな表現が多いことに……
──いつか直そう。
「……ノアリアの貴族から、ですか」
学園長室に呼び出されていたクエンは、机の上にに置かれた一枚の豪華な招待状を凝視していた。
「えぇ。先日の豊作戦で、君が受け持つ2年生チーム……彼ら彼女らの戦いぶりが素晴らしく、見に来ていた元生徒のファセスの話を聞いて、これを送ってました。特にノアリアはプレナイとの同盟を組んでます。両方で、将来有望な若者を囲い込むのに必死……だからこうして正式な招待状が届いた」
「唾をつける……まぁ、マザード先生を失ってますしね──」
クエンは溜息を吐いた。
学園外の、ましてや国を跨いでの遠征はリスクが伴う。
しかし、クエンの脳裏には、変わり始めたルト、ニーナや、日々殻を破ろうともがいているセリーヌたちの顔が浮かんだ。
「……彼らのためになるのであれば、断る理由はありません。謹んで引き受けましょう。ただし、安全の確保は私の責任でやらせていただきます」
「期待しているよ、クエン先生」
校長の言葉を背に、クエンは静かに部屋を後にした。
◇
「いいですか? もうすぐ学年が上がります。これは進級前の最終テストです」
教壇に立つアリアの声が、鋭く教室に響く。
一限、魔術専攻の授業。窓の外には雪が降っており、それと同様に室内の空気はひりつくように重い。
「課題は初級魔術。水、土、火、風……この四大属性の中から二つを選び、完全に詠唱を暗記すること。発動精度、詠唱速度、そして威力の安定性。これらを合格基準とします」
セリーヌは机の上で拳を握りしめた。
アリアの指導のもと、この数ヶ月で魔術の基礎は叩き込まれてきた。かつての「魔術音痴」ではない。しかし、彼女には一つの大きな不安材料があった。
以前からよく行っていた、マザードとアリアの二人を相手に実戦訓練。
その時に起きた「暴走」だ。
集中できる環境であれば問題ない。だが、不測の事態や焦燥に駆られた瞬間、彼女の魔力は爆発的に制御を失うことがある。
アリアとマザードが話し合い、豊作戦での魔術使用を禁じたのも、その危険性を考慮してのことだった。
『……もし、テストの緊張でまた暴走したら……』
横を見ると、ニーナは余裕しゃくしゃくで欠伸を噛み殺している。
ロズも元々優等生だ、淡々と教科書をさらっている。
フォルトだって夏の試験では一位。これといって不安要素は無さそうだ。
そしてルト。彼は……文字通り、必死だ。額に汗を浮かべている。
それもそうだろう、ルト自身一番苦手だと、胸を張っていた。
『私も頑張らないと……、魔術以外でみんなの先行ってもダメなんだ』
◇
「セリーヌ、ルト。お前ら二人は試験免除だ」
二限の剣術。マザードが木刀で肩を叩きながら、不機嫌そうに言い放った。
理由は明白だった。他の生徒たちのレベルが、この二人の成長速度に全く追いついていないのだ。
「いいか、他の連中。貴様ら、素振りの基礎すら合格点に達していない。まず素振り千本だ! 合格しない限り、一生木の枝でも振ってろ!」
マザードが頭を抱えて唸る。地獄の鬼教師も、生徒の不出来には参っているらしい。
「セリーヌ、ルト。貴様らには試験官を頼む。この腑抜けた連中と打ち合い、その足りない部分を身を以て教えてやれ」
「まぁ、いいですけど……俺も練習してもいいですか?」
ルトが頬をかきながら、そう口を開く。
「試験官をするのは大丈夫なんすけど……出来ればもっと強くなりたいって言うか、出来ない奴らに合わせたくないんです」
「ふっ」
マザードはその言葉に笑い、ルトの背中を力一杯叩く。
「──痛っ?!」
「でかい口を叩くようになったな。そうだな……セリーヌ! こいつの相手をしてやれ」
素振りを止め、セリーヌがマザードを見る。
「せっかく真剣を用意してきたんだろ? 木刀はやめてそれでやってみろ」
「えっ、? 真剣でですか?」
「ビビってるの?」
セリーヌがルトに挑発する。
「べ、別にビビってはねーよ」
「大丈夫だ。私と違って、流石のセリーヌは寸止めはしてくれるぞ」
ルトの腰にある一振りの真剣を抜き、構える。
「あんたは寸止めしないのかよ……」
「ミスったらごめんね」
その言葉に少し動揺するルトは深呼吸をして再び構える。
二人が訓練場の中央に立つ。
周りでは他の生徒たちが必死に素振りをしているが、その視線は二人に釘付けだ。
「手加減はなしね、ルト」
「あぁ、全力には全力だ。実戦のつもりでいく」
ルトの動きは、以前とは別人のようだった。
真正面から突っ込んでくる。
隙だらけのはずなのに、避けられる。
普通、木刀から真剣へレベルを上げれば恐怖心がくっついてくる。
でも彼は真剣を抜いてもなお、その動きは木刀の時と同じ、いや、それ以上に軽やかだ。
踏み込みの一歩、剣を振るう予備動作。セリーヌは目を見開いた。
隙は多いはず……なのに、そこを突こうとすると弾かれる。なんていうか……『こう動かれたら嫌だろ?』って、試されているみたい
相手の意表を突き、最善ではなく「最悪」を押し付けるような、泥臭くも合理的な戦い方。
ルトは紛れもなく、努力で天才の領域に足をかけようとする男だった。
しかし、まだ届かない。
セリーヌがわずかにスピードを上げ、身体を半歩ずらした瞬間、ルトの剣筋が虚空を切り、均衡が崩れた。
『一本』
セリーヌの真剣が、ルトの脳天数ミリ上でぴたりと止まる。風圧でルトの前髪が揺れた。
「……負けた。やっぱり、まだ遠いな」
ルトは苦笑いを浮かべ、剣を収めた。
「そんなことないよ。前と比べればすごく強くなってる。さっきの受け流し、ヒヤッとしたし」
「はは、慰めんなよ。届いてねーのは自分が一番わかってる。……でも、次はもっと上手くやるさ」
そう言って笑うルトの瞳には、かつての卑屈さは欠片もなかった。
◇
「あー! お腹空いた! 今日こそは学食の限定サンド、絶対食べるんだから!」
ニーナが騒ぎ立てる。
以前はニーナと二人のことが多かったが、最近ではロズ、フォルト、ルトを含めた五人で卓を囲むのが日常になった。
放課後の自主練を共にするうちに、彼らの間には気取らない信頼が生まれたのだろう。
「セリーヌ、さっきの打ち合いだけど、あそこで重心を右に残したのは……」
「ルト、ご飯の時くらい剣の話はやめてよ。せっかくのサンドが台無しじゃん」
「お前はもう少し体重の心配をした方がいいんじゃなーか? それに食い過ぎると一限みてぇに寝ちまうぞ」
数量20個の限定サンドを手に入れたニーナはそれに飽きたらず、ハンバーグに、デザートのケーキまで持ってきている。
「はぁ!? 女の子に向かってデブとかサイテー」
「そこまでいってねーよ!」
「それに一限の時は瞑想してたのよ!」
瞑想によだれを垂らす人間がいるのだろうかと、セリーヌは思う。
「まぁまぁ、ニーナだって朝練で疲れてただろうし、実際食べ過ぎだと思うよ」
いつも通り、ロズが二人をなだめる。
「ロズはルトの味方すんの? うちが可哀想じゃん。セリーだってわかるよね」
横にいる何食わぬ顔で、大量のタンパク質を食すセリーヌは見られているのに気づく。
「え? なに? どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
ニーナ自身よりも食べている量は遥かに多い。
それを見た他の人達は申し訳なさそうに、食事に戻る。
◇
昼食後の三限。
眠気が襲う時間帯だが、最近のセリーヌの頭は冴え渡っていた。
以前は昼寝をしないともたなかった体力も、気づけば素振りをする時間に充てている。
慣れ、だろうか。
それとも成長だろうか。
「今日の講義は、遠征について教えていこうと思うよ。君たちは遠征を安易に考えていないか?」
クエンが板書を始める。
「ベテランの冒険者や騎士団ほど、不必要な遠征は避ける。理由は単純だ。時間、危険、そして疲労。宿のない野宿は、精神を削る」
クエンの言葉には重みがある。
「焚き火一つ取ってもそうだ。寝ている間に火が消えれば、魔獣にとって君たちはただの『温かい肉』に過ぎない。交代制の不寝番、周囲の安全確保。それに山賊だっている。簡易テントは嵩張るし、雨が降れば最悪だ。遠征とは、戦う前に自分自身を管理する戦いなのだよ」
◇
「ニーナ、また詠唱が止まってる!」
「ぶべっ?!」
放課後の訓練場。
先生達は会議や事務作業で忙しい時間だ。
セリーヌの木刀がニーナの肩を叩く。
ニーナは今、セリーヌの波状攻撃を避け、弾き、いなしながらの「並行詠唱」を特訓中。
「うー! セリー、手加減してよ! うちの可愛い顔に傷がついたらどうすんの!」
「厳しい方がいいって言ったのはニーナだよ。はい、もう一回。一文字でも噛んだら無効。一からやり直し」
聖女の祈りは、複雑な「神語」で構成されている。一度リズムを崩せば、構築された魔力は霧散する。プロの聖職者の凄まじさを、身を以て知る日々だ。
セリーヌが踏み込む。
ニーナが同時に詠唱を始める。
木刀がニーナの横腹目掛けて向かう、その攻撃をバックステップで避け、並行詠唱。
「詠唱が止まってる! 集中!!」
「──トライメシス・ヒュメンジスネコムィネ・スミュレクニクス──」
「遅い!!」
肩を掠める木刀に、ニーナがバランスを崩し倒れる。
「ぴやぁ!」
体勢の崩れたニーナのデコに木刀を当てる。
「もう一回」
「足パンパン。休憩しよ?」
「休憩ってなに? 初めて聞くけど……あぁ、もっと厳しくって意味か……」
その言葉にニーナは少し顔色を悪く怯える。
隣ではルトの怒号が飛んでいた。
「ロズ! おせーぞ! ナイフに持ち替えんのに1秒もかけんな」
「分かってるって……! でも、この距離だと弓が邪魔で……!」
ロズは近接戦を補うため、ルトを相手にナイフ術を磨いていた。だが、遠距離から近距離へのスイッチがまだおぼつかない。
ルトの木刀をナイフで受け流しながら、ロズが弓を背中から引き抜こうとする。近距離でのナイフ防衛から、一瞬での遠距離狙撃。その使い分けに、ロズは四苦八苦していた。ナイフを握ったまま弓を引こうとして、弦が指に引っかかる。
「フォルト! 今だ!」
ルトが不意に叫ぶ。
フォルトは反射的に詠唱を開始した。
前にアリア先生から課題として出された「頭で考えるのは素人のすること。一秒以内で生死が決まるのは前衛だ。だからこそ、後衛が遅れるのは論外」
「『ロックマグナム』」
「遅い! あとコンマ五秒縮めろ!」
ルトは容赦ない。
だが、その容赦のなさがフォルトにはいい教育になっているはずだ。
「セリー! よそ見してると……『光よ、集え!』」
ニーナが隙を見て、詠唱なしの眩惑魔術を放とうとする。だが、セリーヌの動きの方が速い。
「見えてるよ」
セリーヌは、メイスを振り下ろしてきたニーナの手首を軽く叩き、バランスを崩した彼女の眉間に指を突き立てた。
「あうぅ……。やっぱり勝てない……」
地面に転がるニーナ。そんな五人のもとへ、クエンがゆっくりと歩み寄ってきた。
◇
「みなさん、少し集合!」
クエンの言葉に、五人が汗を拭いながら集まる。
「ノアリアから君たちに招待状が届きました。学年が上がる前の研修旅行として、ノアリアへ遠征に行かないかという話です」
「ノアリア!? 美味しいご飯が集まった場所じゃん! 行く、絶対行く!」
ニーナが目を輝かせて飛び跳ねる。
「遠征か……。冒険者らしい響きだ……」
ルトが腰の真剣を叩く。
ロズも「皆が行くなら、経験として見ておきたい」と同意した。
セリーヌもまたノアリアへ行くことに、反対する理由はなかった。
しかし。
ただ一人、フォルトだけが、その場で凍りついたような顔をしていた。
血の気が引き、眼鏡が少しずれる。震える手でそれを直そうともしない。
彼の脳裏には、思い出したくもない「炎」の記憶と、厳格な叔母の冷たい視線が蘇っていた。
「フォルト、どうした? 体調悪いのか?」
ルトが心配そうに肩を叩くが、フォルトは「あ、いや……」と視線を彷徨わせるだけだ。
「なんだ? ビビってんのか? 大丈夫だ、俺たちがついてる。な、フォルト」
ルトが強引に腕を組み、ニカッと笑う。
「行こうぜ、ノアリア。みんな一緒なら、どんな魔獣だって怖くねーよ」
「……う、うん。そうだね……」
フォルトは絞り出すようにそう答えたが、その瞳の奥には、誰にも言えない深い闇が渦巻いていた。
かつて逃げ出した、あの燃え盛る屋敷の記憶。
厳格な叔母の足音。
ノアリアという地名は、彼にとって自由の終わりを意味していた。
「よし、決まりだ。出発は一週間後。各自、準備を怠らないように」
クエンの言葉に歓声を上げる仲間たちの中で、フォルトだけが、逃げ場のない絶望を見つめるように、地面に落ちた自分の影を見つめていた。




