第5話 二殺戦開幕。怖い人に目をつけられた
今日は二殺戦の当日である。キラーガーデンの全住民は、各地区ごとの施設に集まって二殺戦を行うらしい。地区は全部で四つある。ここ天守地区は、ソリさんのお兄さんの縄張りらしい。
「あ、ソリさんだ」
リビングの巨大なテレビには二殺戦の様子が映っていた。階級の低い人から順番に二殺戦は行われる。ソリさんはかなり階級が高いらしいので、彼が映っているということは、他の階級の低い勝者達はもう家に帰っている頃だろう。
「殺し合いを見るのが娯楽だなんて、やっぱり物騒すぎるよねぇ」
こうやって階級の高い人達の殺し合いをテレビに映すことで、階級の低い人達の気晴らしにしているらしい。私には全く理解できない趣味である。
「日本刀ってかっこいいなぁ」
ソリさんは迷彩柄の男性を一閃で倒してしまった。元の世界であれば、完全に放送事故である。それでも、オールさんに言われたので、私は大人しくテレビを見ていた。
「ソリさんの次はオールさんかぁ。誰と戦うのかなぁ」
テレビの音量を少し上げて、解説の人の声に耳を傾ける。
その瞬間——
突然、左隣から声が聞こえた。
「君は日本刀が好きなのか?」
勢いよく隣を見ると、いつの間にか誰かが隣に座っている。見知らぬ誰かさんは、リモコンを取ってテレビを消してしまった。静寂が訪れると、私は恐怖で息を飲んだ。
「っ……」
毛先が赤い黒髪のポニーテールの男性。涼しげな目元。赤い瞳に黒い不織布マスク。黒いコートに黒いスーツ。そして、腰に差した日本刀。その姿からソリさんが頭に思い浮かぶ。
「ソリさんの……お兄さん?」
思わず呟いた言葉に男性は軽く頷いた。
「ああ、そうだ。すまない。驚かせてしまったか?」
多少威圧感はあるけれど、声がどことなく優しい。男性は少し顔を背けて、恥ずかしそうに告げた。
「どう声をかけるか迷ってしまった。怖がらないでくれ。何もする気はない」
彼は一瞬こちらに手を伸ばそうとしてやめた。私は行き場を失って膝の上に落ちた彼の手を見つめる。オールさんから逃げろと言われていたが、不思議と危険を感じない。声がやけに甘くて優しいからだろうか。
「俺はハーフシャドウ。君の名前を教えてくれるか?」
「小雪です。えっと、この家で家政婦をしてます」
私が名乗ると、シャドウさんはふっと目元を和らげた。
「小雪か。良い名前だ。とても……可愛らしい」
「ありがとうございます?」
マスクで口元は見えないけれど、なんだか微笑んでいる気がした。シャドウさんは、少し考え込む様子を見せる。
「家政婦……」
「どうしました?」
シャドウさんが眉を寄せると、空気が変わった。ドス黒い殺気に、ゾクリと背筋が粟立つ。数秒だけ、呼吸が止まった気がした。
「っ……」
息が上手くできなくて、喉の奥から引きつった声が出る。
「すまないっ」
息苦しさで首を押さえると、シャドウさんは慌てて謝罪をしてきた。彼は私の手を取って、手の甲を優しく撫でる。
「君に怒ったわけではないんだ」
「大丈夫です……」
シャドウさんの手から、少し低めの体温が伝わってくる。彼は私の頬に手を添えると、控えめに親指の腹で頬を撫でてきた。
「小雪、俺の屋敷においで。俺は君を家政婦になんてさせない」
シャドウさんは、ゆっくりと低めの甘い声で私を誘う。彼の声はどこまでも優しい。けれど、彼の瞳がドロリと歪な暗さを宿したのを私は見逃さなかった。
「いえ、私はここを気に入っているので……すみません」
「小雪……」
シャドウさんはグイッと私を引き寄せた。彼の逞しい腕が私を捕らえる。シャドウさんに抱き締められた私は、身動きひとつ取ることが出来なかった。
「離してくださいっ」
彼はそんなに力を込めていない様子なのに、どうして動けないだろう。痛くないし、苦しくもない。だけど、もがいてるのに、シャドウさんはピクリとも動かなかった。
「俺を拒絶しないでくれ」
懇願するような切ない声が耳元で聞こえた。私は恐怖で息が荒くなっていく。無意識に彼の腕を掴むと、シャドウさんは少しだけ拘束を緩めてくれた。
「小雪、怯えているのか」
「ひゅっ……は、はっ、ふ、……」
命の危機でもないのに、本能が彼に怯えている。私は目を閉じて、必死に自分を誤魔化す。
「これは夢、これは夢なんだ……」
「小雪……すまない。目を開けてくれ」
シャドウさんは完全に腕を離すと、私から少し距離をとった。彼の拘束が消えたことが分かって、恐る恐る目を開く。
「今日は諦めよう。もうすぐ、オールナイフとマックスソリチュードが帰ってくる。俺のことは言わないでくれ。二人だけの秘密だ」
シャドウさんは、黒いハンカチで私の涙を拭ってくれた。マスク越しに頬にキスをされる。
「小雪、君が好きだ」
低くて甘い声には、拒絶を許さないような圧を感じてしまう。
「諦めるのは今日だけだ……」
くすりと軽く笑みを零して、シャドウさんは意味ありげな言葉を囁いた。私の手の甲に触れる彼の体温が熱く感じる。血の気が引いた私の指先は冷えていた。
「早く俺の女になれ……」
紳士の皮が剥がれ落ちた一言に、全身が震え始める。最後の言葉で、彼の本性が少しだけ見えた気がした。
◇
シャドウさんが去ってから数十分が経過した。だが、体の震えはまだ収まらない。本能が警鐘を鳴らしている。あの人に捕まったら、二度と元の世界には戻れない。ソファの上で蹲っていると、オールさんとソリさんが帰ってきた。
「ただいま。大人しくしてたか〜?」
オールさんの軽快な声が聞こえると、ほんの少しだけ息がしやすくなった。冷えていた指先が、ゆっくりと熱を取り戻していく。
「オールさん……」
「あ? お前……泣いてたのか?」
オールさんが眉を寄せる。彼は険しい顔で周囲を見渡した。そして、隣に座ると、私の肩を抱き寄せてきた。
「何があった」
「なんでもないです……大丈夫です」
シャドウさんに口止めされているせいで、オールさんの目を見ることができない。もしも、話してしまったらどうなるのだろうか。不安でポロポロと涙が出てくる。
「はぁ……」
前髪を荒っぽくかきあげて、オールさんはため息をついた。思わず、ビクリと肩が跳ねる。どうしたらいいのか分からない。
「小雪、お前が何に怯えてるのかは知らねぇ。だがな、いまお前の隣に座ってるのは、この天守地区の階級二位の男だ」
「階級二位?」
「この地区で二番目に強いってことだよ。お前を守れるだけの強さが俺にはある」
オールさんが私の頬に手を添える。冷たい手が腫れた目元を撫でた。ひんやりとしてて、気持ちがいい。
「もう泣くな。俺が……いや俺たちが守ってやる」
そう言って、彼はソリさんの方を見る。ソリさんはいつの間にか、私の前に立っていた。彼からはいつもの威圧感がない。腕を組んで、無表情で私を見下ろしている。
「俺は階級三位だ。有象無象に負ける気はない」
鼻を鳴らして、ソリさんは去っていく。オールさんは吹き出して、笑い始めた。
「素直じゃないな。まあでも、これで少しは安心しただろ?」
「なんで助けてくれるんですか?」
私には何もない。ただの卵焼きが作れるだけの家政婦だ。それなのに、どうして二人が守ってくれるのか分からない。
「一度懐に入れた時点で、お前はもう俺たちの身内だ。お前にはこの世界のヤツらみたいな悪意がない」
オールさんの瞳はどこまでも穏やかで、その声には僅かな情が感じられた。
「ただの女だから良いんだよ。殺人鬼じゃない、どこまでも普通な、ただの女だから気に入ったんだ」
そう言って、オールさんは私の頬にキスをした。シャドウさんにキスをされた所だ。上書きされたみたいで、顔が熱くなる。
「ありがとうございます……」
精一杯の感謝を込めて、オールさんに笑いかける。
「ああ、笑ってる方が良い」
オールさんは、また太陽みたいに明るく笑った。その笑顔はどこまでも温かくて心が落ち着いていく。殺人鬼だから、信じるべきではないと分かっている。それでも、彼の笑顔を見て、安心してしまった自分がいた。
「あの……私、私……」
シャドウさんについて話そうとしたけど、上手く言葉が出てこない。荒い息しか出てこなくて、声を出すのも辛かった。
「言うな。何も言わなくていい。お前が言えないなら、俺が勝手に調べる」
「オールさん……ありがとうございます」
「泣き虫だな……好きなだけ泣けばいい」
また溢れ出てくる涙を、オールさんは軽く笑いながら、指で拭ってくれた。ソリさんの不器用な優しさも、オールさんの真っ直ぐな優しさも、嬉しくて胸が温かくなる。
「俺は怖くないか?」
ゆっくりと両手を伸ばして、抱きしめられる。私が拒絶できるように、オールさんは本当にゆっくりとした動きで、両手を伸ばしてくれた。
「全然、怖くないです……」
「そうか……」
頭を撫でる手も、背中を擦る手も、全部オールさんだから安心できるんだ。シャドウさんの時とは違う。オールさんはちゃんと私の気持ちを優先してくれている。そう感じられるから怖くない。すりすりとオールさんの首筋に擦り寄る。
「オールさんは体温が低いですね……」
「そうか? 自分では分からないな」
「ふふっ。でも、不思議と安心できます」
私が思わず笑みを零せば、オールさんの柔らかい吐息が耳元をくすぐった。




