第24話 愛情の方向
チェックキングさんの許可を得て、私はアンノウンさんの入院している病院に来ていた。緊張を誤魔化すように、扉の前でゆっくりと深呼吸をするが全く落ち着かない。護衛のビターさんは壁にもたれて、ニコニコと微笑みながら待機している。二度ノックをして、私は入室の許可を求めた。
「入ってもいいですか?」
「どうぞ、お入りください」
ドアを開けて、アンノウンの姿を見た瞬間に、私は口に手を当てて俯いてしまった。
「アンノウン……さ、ん……」
視界がぐらぐらと揺れて、吐き気が込み上げてくる。誤魔化せないほどに、今の私は動揺していた。
アンノウンさんは——
右目に包帯を巻いていた。
右目の包帯から血が滲んで、赤く染っている。私はおぼつかない足取りで、アンノウンさんのベッドへと近づいた。
「その右目は……どうしたんですか」
「自分で潰しました。キング様への忠誠を再確認するために必要なことでした」
淡々と事務的に答える彼女は、意図的に感情を押さえ込んでいるように思えた。私は言葉が出てこなくて、彼女の治ったばかりの左手を握る。パペットさんによって傷つけられた左手には、もう包帯は巻かれていない。
「アンノウンさん……どうしてこんな事をしたんですか? キングさんに言われたわけではないでしょう?」
「私は……ずっとレディリヴァー様が羨ましかったのです」
そう言って、彼女は自身の右目に触れる。痛々しい傷とは反対に、アンノウンさんの声はどこまでも無機質だった。
「知っておられますか? チェスの駒であるクイーンは、西洋の大部分で貴婦人を意味する言葉で呼ばれているのです」
「貴婦人……レディ……レディさんも、クイーンの駒だったんだ」
「そう。私の方が先にキング様と出会っていたのに……私の方があの方を愛しているのに……私はレディにはなれなかったのです」
アンノウンさんはゆっくりと深呼吸をして、真っ直ぐに私を見つめる。自嘲気味に微笑みながら、彼女は私に謝罪した。
「申し訳ございません、小雪様。右目を潰したのも、あなたを攫ったのも、全て私の独断です。キング様に命令された訳ではありません」
仄暗い薄紫色の瞳と冷たい声で、彼女は自身の胸の内を打ち明ける。
「私はどこまでも自分勝手な人間です。小雪様を攫ったのは、あなたを守りたかっただけではありません。レディリヴァー様への当てつけでもありました」
私は彼女の言葉を聞くことは出来ても、その言葉の中にある本音を見抜く力はない。それでも、私はアンノウンさんを信じたいと思った。
「私はアンノウンさんを信じます。あなたが私をパペットさんから守ろうとしたこと。レディさんから、ワニスクリームをもらってお礼を伝えていたこと。私には人の本心を見抜く力はありません。だから、あなたのこれまでの行動を信じます」
私は彼女の失った右目を見つめる。アンノウンもキングさんの鳥かごに囚われてしまった小鳥なのだろう。
「鳥かごの中の小鳥が、野生で生きていけないのは事実だと思います。だけど、群れがあったらどうなるのでしょう。外での生き方を知らなかった小鳥が、野生を生きる鳥たちの群れに入れてもらえたら結果は変わるのではないですか?」
「群れ……」
無表情だったアンノウンさんの顔に、戸惑いの色が生まれる。私は彼女の左手を握ったまま話し続けた。
「一羽で生きていけないなら、二羽で生きましょう。それでも無理だと思うなら、群れを探しましょう。鳥かごの中だけがあなたの居場所ではないんですよ」
「小雪様……あなたは本当に……」
唇をかみしめて、アンノウンさんは俯く。彼女は私の手を、弱々しい力で握り返してきた。
「小雪様、私はまだ鳥かごの中から出ることができません。それでも、レディリヴァー様に謝りたいです。天守地区が私の群れだと……そう思いたいです」
「謝る時は私がそばで手を握りますよ。私たちは友達ですからね」
私の言葉にアンノウンさんは目を見開く。彼女は泣き出しそうな顔で、私を見つめて微笑んだ。
「ありがとう、ございます……」
「これで仲直りですね。被害者の私が許したので、アンノウンさんはもう気にしなくて良いんですよ!」
以前にアンノウンさんが慰めてくれたことを思い出す。私は彼女の言葉を使って許すことにした。アンノウンさんは、眉を下げて目を細める。
「あぁ……眩しいお方ですね」
その声には抑えきれない感情が乗っていた。初めて会った時とは違って、アンノウンさんは表情が僅かに出てきている。その変化が嬉しくて心の中で喜んでいると、突然ドアが開いてビターさんが入ってきた。
「お姉ちゃん……小雪様の護衛は、ビターお姉ちゃんだったんですね」
アンノウンさんが気まずそうに、ビターさんから顔を背ける。ビターさんは、感情の読めない笑顔でベッドに近づいてきた。アンノウンさんが、まさかビターさんをお姉ちゃん呼びしているとは意外である。
「久しぶりだね〜。お姉ちゃんは悲しいよ。あんなに可愛がってたアンノウンが自傷行為をするなんてね」
「申し訳ございません……」
「仕方ないなぁ。ほら、キング様からの眼帯だよ。これが欲しかったんでしょ」
ビターさんは赤いバツ印の書かれた黒い眼帯を、アンノウンさんに差し出す。アンノウンさんは一瞬だけこちらを見て、恐る恐るビターさんから眼帯を受け取った。
「小雪ちゃん。この眼帯はね、キング様の側近の証なんだよ。私やジェントル、ドゥームも同じ眼帯を右目につけてるでしょ?」
「ビターお姉ちゃん達も右目がないんですか?」
少し怖いけど勇気を出して尋ねる。すると、ビターさんは苦笑いを浮かべながら首を振った。
「まさか! そこまで血なまぐさいものじゃないよ!」
「良かった……」
安心して息を吐きだすと、ビターさんは扇子で口元を隠す。怪しげに目を細めて、くすくすと笑い始めた。
「キング様も右目に眼帯をしているでしょ? あの方が隠している右半分の本性を私達が知る必要はない。言ってしまえば、この右目はキング様の手で隠されているようなものだね」
「右半分の本性……ですか。キングさんにはまだ秘密があるんですね」
「そうだよ。でも、深く考える必要はないからね。小雪ちゃんの群れの話はすごく素敵だけど私は賛成しない。だって、飼い主に懐いている小鳥は外を必要としていないからね」
そう言って、ビターさんはアンノウンさんの方を見た。彼女は閉じた扇子で、アンノウンさんの右目を軽くなぞる。
「痛々しいね。でも、お姉ちゃんは君のそういう所は嫌いじゃないよ。君が忠誠を忘れない限り、私は君のお姉ちゃんでいてあげる」
「お姉ちゃん……私は、裏切るつもりはありません」
眉を下げたアンノウンさんは、渡された眼帯を強く握る。アンノウンさんの返事を聞いたビターさんは満足げに頷いた。
「良い子だね。それじゃあ帰ろうか、小雪ちゃん」
「あ、はい! アンノウンさん、またお見舞いに来ますからね!」
ビターさんに手を引かれて部屋から出る。アンノウンさんからの返事はなかった。
「アンノウンも可哀想にね。本来ならキング様に眼帯を渡されたかっただろうに……」
「何でキングさんは来なかったんですか?」
「何でだと思う?」
病院の廊下を歩きながら、ビターさんの言葉を考える。初対面の印象からして、キングさんなら直接病院に来てアンノウンさんに眼帯を渡しそうなものだ。でも、実際はそうではなく、彼はビターさんに任せた。
「右半分の本性……キングさんは、アンノウンさんに興味がない?」
自分で言葉にして、背筋が凍りつく。もし、私に見せていた優しい姿が演技だったとしたらどうだろうか。ゆっくりと、ビターさんの方を見る。彼女は扇子で口元を隠して、嬉しそうに微笑んでいた。
「さあ、どうだろうね……」
「全部、演技なんですか。あの優しげな微笑みは嘘だったんですか」
「全部じゃないよ。誰かを愛する姿は本物で、誰かを支配している姿も本物なの。愛している相手には極上の愛を、支配している相手には仮初の愛を渡す。意味のある嘘は残酷だね」
私はアンノウンさんを思い出して、キングさんへの怒りが湧いてくる。彼女に見せていた顔は嘘つきの右半分で、本当は愛情なんてなかったんだ。眼帯を渡したのも、アンノウンさんの心を縛り付けるための小道具でしかない。拳を握りしめて、ビターさんに告げる。
「私はやっぱり、チェックキングさんを好きになれません」
「そうだろうね。だけど、小雪ちゃんの意思はもう関係ないんだよ。明日、クラムジーパペットとバッドウルフ所へ連れて行く。ドゥームのために、君は説得するでしょ?」
彼女の言葉に無言で頷く。チェックキングさんのためではなく、ドゥームさんを守るために二人を説得するのだ。




