第23話 ほら、もう大丈夫
ビターさんに背中を押されて部屋に押し込まれる。後ろを向くと、扉は既に閉められていた。
「えっと……あなたがチェックキングさんですか?」
部屋の中にいたのは、右目を黒い眼帯で隠した男性だった。黒地の眼帯には赤いバツ印はなくて、長い銀髪を下の方で結んでいる。黒いスーツに黒い蝶ネクタイの美しい男性。光のない黒い瞳がとても印象的だった。月明かりに照らされて、銀色の髪が艶やかに光る。
「月が綺麗だね、小雪。そう……私がチェックキングだ」
黒いソファに座っているキングさんは、ふわりと穏やかな微笑みを浮かべている。白と黒で統一された部屋の、窓際に彼は座っていた。シンプルだけど、高級感のある部屋だ。壁の代わりの巨大な窓ガラス越しに、一面の夜景が見えて綺麗だった。
「君に会えて嬉しいよ。聞きたいことが沢山あるだろう? 何でも聞いておくれ」
キングさんは、立ち上がってこちらへ向かってくる。彼を見て真っ先に思い浮かんだのはレディさんだった。同じ黒い眼帯をしている。レディさんが警戒していた人物であることを思い出して、私は気を引き締めた。
「私をここに連れてきた理由は何ですか?」
キングさんは私の腰を抱き寄せて、さりげなくソファに座らせてくれた。彼は隣に座って、優雅に私の肩を抱く。距離感がおかしいけれど、今はとりあえず無視しておくことにした。
「君が欲しかったからだよ。初めてアンノウンから写真が送られた時に、一目で恋に落ちたんだ」
「は、はぁ……そうですか」
キングさんはうっとりとした顔で、頬を染めながら、私を見つめている。その瞬間、全身に鳥肌が立つ。何故か、シャドウさんの時とは全く違う感覚がした。赤く染まる頬も、柔らかい目元も、恋をしている紳士の表情だった。仄暗さが全くない、優しい笑顔。それなのに、どうしてこうも逃げたくなるんだろうか。
「君からの返事はいつでも構わないよ。他に聞きたいことはあるかな?」
彼にバレないように浅く深呼吸をする。そして、何事も無かったような顔で尋ねた。
「アンノウンさんは無事ですか? 彼女はどうして、ドゥームさんと戦うことになったんですか?」
「ああ、彼女にはとても申し訳ないことをしたと思っているよ。ドゥームが君を欲しがっていたことを知っていたのに、私はあの子を止められなかった。安心しておくれ。アンノウンは無事だ。今は私の部下の病院で治療を受けている」
「良かった……無事なんですね……」
ほっと息を吐くと、キングさんも少し口元を緩める。彼は私の左手を取って、軽く握ってきた。
「君が望むなら、面会も可能だよ」
「ありがとうございます。会ってちゃんと話したいですから……」
アンノウンさんが無事なこと、ドゥームさんが暴走してアンノウンさんを襲ったことは分かった。次に気になるのは、オールさん達とドゥームさんの因縁だ。
「あの……ドゥームさんの件はどうする気ですか? 私はオールさん達とドゥームさんが殺し合うのは嫌です」
「とても難しい話だね。オールナイフとマックスソリチュード、二人はライトオーダーとの契約でドゥームを殺そうとしている。ただの契約ならば、まだ対処できるだろう。だが、クラムジーパペットとバッドウルフは別だ。二人は復讐のために動いているから、私でも対処が難しい」
「パペットさんとウルさんを説得したら、オールさんとソリさんの契約を何とかしてくれるんですか?」
「勿論だよ。君が望むなら、いくらでも力を貸してあげよう」
キングさんは、ふわりと柔らかく微笑む。彼の微笑みは、人を安心させるような、優しい笑顔だった。完璧すぎるほどの笑顔。ほんの少しだけ感じた違和感に目を瞑って、私はキングさんを真っ直ぐに見つめる。
「私が……私が元の世界へ帰る方法は知っていますか?」
恐る恐る彼に尋ねる。それは、本当は一番聞きたかったことだった。同時に、一番聞きたくなかったことでもある。
「すまない。よく……聞いて欲しい。とても、辛いことではあるが、君はもう死んでいるんだ。だから、元の世界へ帰ることはできない」
「え……」
呼吸が完全に止まってしまった。それなのに、心臓の鼓動だけが、やけにうるさくて仕方ない。
「何を言ってるんですか……」
「キラーガーデンは、死んだ殺人鬼達の魂が来る世界なんだ。ここにいる時点で、君はもう死んでいるんだよ。よく思い出してごらん。ここへ来る前のことを……」
「ひゅっ……」
今度こそ、本当に息ができなくなってしまった。あの日、路地裏に引きずり込まれた時、私は首を切られたんだ。気絶したと思っていたのは、自分が死んだことを受け入れられなかったからだ。
「ひゅー、ひゅっ、げほっ、こほっ……」
「大丈夫、大丈夫だよ。落ち着いて、私の呼吸のリズムに合わせるんだ」
咳き込む私を、キングさんが背中を擦って落ち着かせてくれる。上手く呼吸ができなかったのに、彼の声を聞いているだけで、不思議と落ち着いてくる。
「ぐす、ひぐっ……ぐすん、」
「良い子だ。君が望む限り、そばにいてあげよう」
抱きしめる腕は、優しいのに力強くて温かい。彼は中々泣き止まない私に、ずっと付きっきりで背中を撫でてくれた。
「落ち着いたかな? ほら、ハンカチで目元を拭いてあげるから、こちらを向いてごらん」
「ありがとうございます……」
至近距離で見る彼の目は、先程とは違って、熱を帯びた温かい瞳に見えた。優しく撫でるように目元をハンカチで触れられる。縋るように擦り寄れば、包み込むように抱きしめられた。
「良い子だね。ほら、もう大丈夫だ……」
少し掠れた低くて甘い声に、身を委ねてしまいたくなる。しばらく彼の胸に頭を預けていた。落ち着いてくると、一つの疑問が浮かび上がってくる。
「キラーガーデンは殺人鬼の人達が来る世界なんですよね? 私は誰も殺してませんよ?」
「それは恐らく、君を殺した犯人が、君をここへ引きずり込んだのだろう。その犯人が誰なのかは私も分からない」
彼は私の頭を撫でながら、困ったように微笑んでいる。眉を下げて、申し訳なさそうに謝るキングさんは、嘘をついているようには見えなかった。
「キングさんは……嘘はついてないですよね?」
私には人の嘘を見抜けるような観察力はない。だから、ストレートに聞くしかなかった。
「私は無意味な嘘はつかないよ。小雪、特に君には嘘をつきたくない。どうか、私を信じておくれ」
「レディさん……?」
彼の言葉にぱちぱちと瞬きを繰り返す。無意味な嘘はつかない。それはレディさんが以前に何度か言っていた言葉だ。
「ふふっ、よく気づいたね。レディは私の特別な弟子だ。あの子は私の最高傑作だよ」
「最高傑作……」
彼の言い方に少し引っかかる。まるで、レディさんを物みたいに言っているようで嫌だった。私が眉を寄せたことに気づいたキングさんは、宥めるように背中を撫で始める。
「ああ、すまない。今の言い方は良くなかったね。悪気があった訳ではないんだよ。レディは、優秀でとても良い子だ。私はあの子を愛している」
「仲が良いんですか?」
キングさんはレディさんをたくさん褒めているけれど、レディさんは彼のことを嫌っているような発言をしていた。それにオールさんとソリさんが覇牢地区に行く時に、レディさんが険しい顔をしていたことも気になる。
「ああ、私はレディを本当の子供のように思っているよ」
「そう、ですか……」
頭が少しずつ冷静になっていく。ドゥームさんが暴走してアンノウンさんを襲ったと思ったのは、私が勝手にそう思っただけで、キングさんの口から言われたわけじゃない。レディさんと仲が良いか聞いたのに、彼はさりげなくはぐらかしていた。質問にちゃんと答えている時と、答えていない時がある。
「賢いね、私のクイーン。君はキャンディを与えても、きとんと袋の中身を確認できる子だ」
「やっぱり……私を操ろうとしてたんですね」
「君を愛してるのは本当だよ、クイーン。恋も策も同時に成功させるのが王のやり方さ」
彼は懐からチェスのクイーンの駒を取り出してきた。黒いローテーブルの上に、そっと乗せて指で軽く弾く。
「君はクラムジーパペットとバッドウルフを説得する。ドゥームに情が湧いてしまった時点で、君の負けは確定していた」
「全部、仕組んでいたんですね」
彼は否定も肯定もしない。私が睨みつけても、彼は微笑むだけだった。
「チェックメイトだ。私の愛おしいクイーン」
倒れたクイーンの駒を、彼は私に握らせる。黒い駒はひんやりとしていた。キングさんは心底楽しげに甘く低い声で言葉を紡いでいく。
「私の鳥籠に扉は存在しない。だが、羽切りをされた小鳥は上手く飛べないだろうね」
彼の唇が私の耳元へ近づく。そっと囁く彼の声は、どこまでも穏やかだった。
「好きなように生きなさい。君は自由だよ、小雪」
シャドウさんの不器用な恋とは違う。それは、完成された支配者の、完璧な飼育の愛だった。私が選べる道は、全て彼の作り上げた方向へ向かっている。




