第18話 忘れられない人
シャドウさんの刀が、ソリさんの首筋に当たったまま止まる。目を閉じていたソリさんが、ゆっくりと瞼を開いた。
「にいさん……?」
縋るようにソリさんが手を伸ばすと、シャドウさんは背を向けてこちらへ歩いてきた。彼は柔らかく微笑みながら、刀を鞘に収める。
「君が望むなら、あれを殺さないでおこう」
「っ……」
シャドウさんはただのモノとして、ソリさんの名前すら呼ばなかった。その瞬間、ソリさんの傷ついた顔が視界に入る。今にも泣き出しそうな、傷ついた少年のような幼気な姿。その姿を見た私は、怒りのままにシャドウさんの頬を引っぱたいてしまった。
「最低っ!!」
分かっていたつもりだった。それでも、実際に目の前でソリさんの、あんな傷ついた顔を見せられて、冷静ではいられなかった。叩いた手が痛くて押さえていると、ウルさんが私の手を掴んだ。
「小雪っ、落ち着けっ!」
「ウルさん! 私はっ、大事な人が傷つけられてるのに、何でもない顔をできるような女じゃないですっ!」
荒い息を吐きながら、涙を流す私を見て、シャドウさんは唖然と固まっていた。ゆらゆらと彼の赤い瞳が揺れて、息を飲む音が、よく聞こえてきた。
「小雪……すまない。君の目の前であの男を殺そうとしたのは間違いだった。もう殺さない。本当にすまない」
シャドウさんは謝罪をしながら、私の頬に触れようとする。私は彼の手を叩き落とした。
「今は触らないでくださいっ!」
傷ついたように、眉を下げるシャドウさん。彼は何度も、口を開いては閉じる。私はシャドウさんを無視して、ソリさんとオールさんの方へ駆け寄った。
次の瞬間——
凄まじい破裂音がした。
「シャドウ様っ!!」
ウルさんの悲鳴のような叫び声が聞こえた。気がつくと、私はシャドウさんに地面に押し倒されていた。私に覆いかぶさったシャドウさんが、血の塊を地面に吐き出す。
「クソッ!! 敵はどこだ!!」
ウルさんの声が、やけに遠く聞こえる。ふらりと立ち上がったシャドウさんが刀を抜いて、遠くの木陰に投げつけた。
「シャドウさんっ、動いたらダメです!」
慌ててシャドウさんを止める。凄まじい勢いで飛んでいった刀の方向に、一瞬だけ狙撃銃を持った人影が見えた。人影が走り去るのを見ていると、シャドウさんが倒れてしまった。
「かはっ……」
慌ててシャドウさんを抱き起こしたら、いつの間にかソリさんが近づいてきていた。
「オールとバッドウルフがレディを呼びに行った。レディはパペットと戦闘中だが、主の危機ならパペットも戦闘をやめるだろう」
「分かりました……」
ソリさんの言葉に頷いて、腕の中のシャドウさんを見つめる。彼は平然とした顔で、残酷な言葉を告げた。
「無駄だ。俺はもうすぐ死ぬ。マックスソリチュード、貴様は分かっているだろう?」
「っ……シャドウ」
息を飲んだソリさんは、手を震わせながら、自身の胸元を掴んでいた。
「シャドウさん、ダメです……死んじゃダメです! 私が全部、数ミリずつ教えるんですから!」
「小雪、すまない……俺は君に謝ってばかりだな」
泣きながら、彼の手を握る。先程叩き落としてしまった手を、今度は私が必死に握りしめた。
「マックスソリチュード、小雪を守れ。俺の代わりに、命懸けで守りきれ」
シャドウさんは、ソリさんに視線を向ける。ソリさんは目を見開くと、力強く頷いた。
「言われずとも……守る」
ソリさんの言葉を聞いて、シャドウさんは満足げに微笑んだ。私の手を握り返す彼の手は、少しずつ弱々しくなっていく。
「小雪、俺は君に何も命じない。ただ、君の中の忘れられない相手になりたいと、俺が勝手にそう願うだけだ」
「シャドウさん、いやっ、いやです。死なないで……お願い、お願いだから……」
シャドウさんの手を握っても、彼はもう握り返してはくれない。彼はそっと体を起こして、私の耳元に口付けた。
「愛してる、小雪……」
「あっ……」
その言葉を最後に、彼は力なく倒れてしまった。目を閉じた彼は、儚げで無垢なただの青年の顔をしている。やがて、淡い金色の光が、シャドウさんの体を包み込む。
「なにっ、なにこれっ、シャドウさん!」
やがて、シャドウさんの体は完全に消えてなくなってしまった。ソリさんが私の手をそっと取る。
「キラーガーデンの住民は、死ぬと遺体も残らない。光となって、どこかへ消えていく……」
「そんなっ……」
ポロポロととめどなく涙が零れ落ちていく。私を庇ってシャドウさんは死んでしまった。
「私のせいで……私を庇って、シャドウさんはっ……」
子供みたいに泣きじゃくる私を、ソリさんが優しく抱きしめてくれる。私の肩を濡らすのは、きっと彼の涙だった。ソリさんだって辛いのに、私の涙は止まってくれない。私はシャドウさんに、ちゃんとした告白の答えを言えなかった。
◇
キラーガーデンでは、お葬式は行われない。遺体が残らないからお墓もないのだ。残されたシャドウさんとの繋がりは、この小判だけだった。手のひらの小判を力いっぱい握りしめる。せっかくオールさんとソリさんのおうちに帰ってきたのに、私は自室から出られなくなっていた。
「シャドウさん……あなたのせいですよ。全然、忘れられないじゃないですか」
ポロポロと涙が零れていく。白いベッドの中央で膝を抱えて泣きじゃくる。どうしたって、彼のことを忘れられない。
そのとき——
ノックの音ともに、ソリさんの声が聞こえてきた。
「小雪、入ってもいいか?」
ソリさんを見たら、またシャドウさんを思い出してしまうのではないかと考えてしまう。それでも、前を向くためにベッドからおりてドアを開けた。
「どうぞ……」
「悪いな。どうしても、お前と話がしたかった」
私がベッドに腰掛けると、ソリさんは隣に座る。彼は少し切なげにシャドウさんとの過去を話し始めた。全てを聴き終わった私は、ずっと考えていた疑問を口にする。
「ソリさんは、どうして私を守ってくれるんですか? その……私だけシャドウさんに特別扱いされていたのは、複雑な気持ちだったでしょう?」
「正直に言えば、お前に嫉妬したことは何度もある」
ソリさんは私の方を真っ直ぐに見つめて視線を逸らさない。私も自然と彼の黒い瞳を見つめていた。
「お前は怯えて、泣いて……恐怖で震える普通の女だ。だが、どれだけ怯えていても、抗おうとする強さを持った女でもある。自分のためではなく、他人のために動こうとする。お前のそういう所が俺は好ましいと思っているんだ」
ソリさんは私の怪我をしていた左肩を撫でる。彼に掴まれて怪我をした左肩だ。労わるように、何度も優しく撫でられる。あの日から、ソリさんの態度は明確に柔らかくなった。
「あの時……お前が俺のためにシャドウを叩いた時に、俺はお前に救われた。シャドウの事を忘れられないのは俺も同じだ。だが、お前がいてくれるなら……この痛みを抱えたままでも生きられる気がする」
ソリさんは私の肩に触れながら、少しあどけない笑みを見せる。それはシャドウさんの真似をしていた時には見れなかった彼の本来の笑い方だった。
「ソリさんはやっぱり優しい人ですね。誰かの真似をしても、心までは完璧に偽れないものです。ソリさんの心は、ずっと優しいソリさんのままだったんですね」
肩に触れるソリさんの手を取る。そっと握れば、彼の体温が伝わってきた。ほんのりと温かい体温が、冷えきっていた私の心を溶かしていく。彼の穏やかな声と心のこもった言葉に、胸の痛みが少しだけ楽になった。
「温かい手です。静かな熱を他人に分け与えることができる、ソリさんらしい手ですね」
そう言って笑いかけると、ソリさんは微かに手を震わせた。
「あぁ、やはりお前は……強い女だ」
壊れ物に触れるように抱き寄せられる。手を伸ばして抱きしめ返せば、ソリさんは私の肩に額を擦り寄せてきた。私も彼の首筋に擦り寄って、お互いの体温を分かち合う。
「一緒に抱えて生きていきましょう。無理に忘れなくても、良いんですよね。きっと……忘れる必要なんてないです」
それはソリさんを慰める言葉でもあり、同時に自分に言い聞かせるための言葉でもあった。
「そうだな。俺もお前も、直ぐに前を向けるようになる」
「はい。きっと大丈夫です。だって、私たちにはオールさんもレディさんもいますからね!」
そう言って、もう一度ソリさんを強く抱きしめる。今のソリさんはひとりじゃない。だから、きっと大丈夫だ。
「ああ、オールもレディも……お前も、俺の家族だ」
少し体を離したソリさんはふわりと穏やかに微笑んでいる。その顔を見て、私も静かに頷いた。チラリと一瞬だけ枕元のスマホに目を向ける。パペットさんとウルさんは今なにをしているのだろうか。スマホのロック画面は、まだあの日のジェットコースターの写真から変えることができていなかった。




