第17話 たった一つの生贄
任務の日、兄さんの部屋の扉の前に立つ。ノックをしようとした手は、中途半端に止まってしまった。
「兄さん……」
扉に額を押し当てる。ひんやりとした硬い扉に体温が奪われていく。誰にも聞こえない小声で、兄さんの名前を呼ぶと、俺はその場から立ち去った。
「頑張ろう……そしたら、いつかきっと認めてもらえる。そうだよな。きっと……きっと愛してもらえるよな」
足取りは重くて、それでも行かないといけないから、俺は無言で歩き続ける。指定された場所の巨大な廃墟へと向かうと、不気味な程の静寂と冷えきった空気が肌を撫でる。やたらと暗い広間へ着いた瞬間、背後から殺気を感じた。
「っ……」
何とか避けた先で、別の誰かにナイフで背中を刺される。初めに感じたのは焼け付くような熱さ。唇の端から血が流れていくのを感じた。咄嗟に振り向きざまに相手に蹴りを入れる。飛び退いた相手には、浅くしか当たらなかった。
「マックスソリチュードだな……」
「だ、れだ……」
現れたのは茶髪の少年だった。俺より少し年下の赤い瞳の少年。兄さんと同じ冷徹な深紅の瞳だ。ドクンと心臓が跳ねる。嫌な予感がどんどん大きく広がっていく。
「トラジェファミリーの幹部、オールナイフだ。お前が殺した少女、フェアディスティニーはボスの娘だ」
茶髪の少年、オールナイフが血の着いたナイフを握りしめて、俺に近づいてくる。周囲からは、トラジェファミリーのピンバッジをつけたスーツの男たちが姿を現す。ああ、分かってしまう。
「トラジェファミリーとクルエルファミリーはこれから手を組んで、この天守地区を支配する。俺たちが手を組むために出した条件は一つ、フェア様を殺したお前の命を差し出すことだ」
「に、いさん……おれをだました、のか」
ここまで言われてしまえば、もう誤魔化すことはできない。俺は最初から生贄だったんだ。トラジェファミリーと手を組むために、ボスの娘を殺させて、恨みを買わせた。そして、生贄の俺を差し出すことで場を収める。全部、最初から兄さんの手のひらの上で転がされていたんだ。
「俺は殺してない……逃がそうとしたんだ」
「あ? 命乞いかよ」
「タクシーの運転手が、人身売買のマフィアだったなんて知らなかったんだ」
涙が零れ落ちていく。信じてはもらえないだろう。これまでに俺の言葉を聞いてくれた人なんていなかった。刺された背中よりも、裏切られた心の方が痛い。
「にいさん、にいさん……」
情けなく床にしゃがみこんで、子供みたいに泣きじゃくる。信じたくなかった。死にたくなかった。
「こっちを見ろ、マックスソリチュード」
顎を掴まれて、目を覗き込まれる。オールナイフの瞳は、兄さんよりも明るい鮮烈な赤だった。
「嘘では無いな」
「信じてくれるのか……?」
驚いて目を見開けば、オールナイフはふっと口元を緩めた。途端に冷たかった目が、年相応に柔らかくなる。
次の瞬間——
オールナイフは近くにいた男をナイフで切り裂いた。
「逃げるぞ、マックスソリチュード!」
「お前、何をして……」
驚く俺を無視して、オールナイフは次々にトラジェファミリーの男たちを殺していく。慌てて俺も刀を抜いて、戦闘に参加した。
「ははっ! 俺たち、結構相性がいいな! マックスソリチュード!」
「うるさい! 良いから逃げるぞ、オールナイフ!」
必死に刀を振って、逃げ続ける。いつの間にか、人気のない路地裏で俺たちはしゃがみこんでいた。
「なあ、俺たちマフィアにまで追われることになったな。はぐれ者同士、仲良くしようぜ。よろしくな、ソリ」
月明かりを背にして、オールナイフが手を差し伸べてきた。深紅の瞳が兄さんと重なる。涙が零れていくのが情けなくて、俺は乱雑に目を擦った。手を取ることが出来ない俺を、オールナイフは笑いながら受け止めてくれた。
「仕方ねぇな。泣きたいなら、好きなだけ泣けばいいだろ。一人で背負い込むなよ、ソリ。お前はもう俺の身内だ」
「ありがとう……オール」
掠れた声は小さすぎて聞こえなかったかもしれない。だけど、オールは柔らかい笑みを零して、俺の髪を少し強めに撫でてくれた。
「背中、刺して悪かったな。レディに診てもらうか!」
「レディ……?」
「面白くて良い奴だ。お前もきっと仲良くなれる」
再び差し出された手を、今度はちゃんと握ることができた。
「なあ、何で俺を助けてくれるんだ?」
ずっと気になっていた事を口にする。俺を庇うメリットなんて、オールにはないのに助けてくれた。それが不思議で仕方がなかった。
「さあ? 何でだろうな。俺もよく分かんねぇ。でも、泣いてるお前を見たら、放っておけなかったんだよ」
オールは首の後ろに両手を回して、楽しそうに歩いている。夜の街の冷たい風が吹いて、オールの短い茶髪がゆらゆらと揺れた。
「強いて言うなら、お前の目が綺麗だったからだな」
「俺の目が綺麗?」
オールの言葉に困惑してしまう。俺の飾り気のない黒い瞳が綺麗だと言うのか。思わず自分の右目の目元に触れてみた。
「ははっ!冗談だ。そんなに真面目な顔をして考え込むなよ」
「冗談……」
オールは楽しげに俺の顔を覗き込んでくる。少し儚い顔で彼は告げた。
「ソリ、お前はずっとその綺麗な瞳のままでいろよ」
「意味が分からない……」
「分からなくていいさ」
少しふらついた足取りのまま歩く。オールの横顔は、まだ笑顔のままだった。意味深な言葉の意味を分からないまま、俺はオールの言葉に頷いた。
◇
裏路地のドアを開けて連れてこられたのは、薬品の匂いがする部屋だった。白い壁。大量のファイルが入れられた茶色の棚。そして、真っ赤な髪の美少女。黒い眼帯をつけた、華奢で可憐な少女。フェアディスティニーを思い出して少し胸が痛んだ。
「わにわに! へいへい! オールくん、へい!」
「よっ! 元気そうだな、レディ」
あまりにも意味不明な挨拶に唖然とする。謎の挨拶とともに、オールの肩をバシバシと叩く少女に、俺は固まってしまう。
「その少女が医者か?」
「レディは男だぞ」
オールの言葉に目を見開く。こんなに可愛らしい顔立ちなのに、男だったのか。
「すまない。男だったのか」
「良いよ! それより背中を見せて!」
レディと呼ばれた美少年は、ベッドの上に俺を座らせる。手早く手当てをしながら、彼は自己紹介をしてくれた。
「僕はレディリヴァー。医師免許を独学で取った、天才医師だよ!」
「独学で取ったのか! それは凄いな。俺はマックスソリチュードだ。えっと……すまない。他に言えることがない」
今まで俺の話を聞こうとした人はいなかった。何を言えばいいのか分からなくて言葉を詰まらせる。そんな俺を見て、レディはくすくすと笑う。
「そんなに固くならないで良いよ! 僕たち、きっと仲良くなれるよ!」
「レディはアホだから、細かいことは気にしないぞ。こいつに対しては、何も遠慮しなくていいからな」
イタズラな笑みを浮かべて、レディと肩を組むオール。レディは不満げに唇を尖らせる。そして、また訳の分からないことを言い始めた。
「僕はアホじゃない! ほんの少し、人より愉快な男なのだ!」
「それは、胸を張って言えることじゃねえだろ」
何故かドヤ顔をしているレディと、呆れたように首を振るオール。あまりにも平和で悪意のないやり取りに、俺は自然と笑みが零れていた。
「ふ、あははっ! 変な奴らだな」
面白いと思ったのも、心から笑えたのも、これが初めてだった。友達になりたいと思えたのも初めてで、楽しいも嬉しいも、温かい感情は全部二人が与えてくれた。
「よろしくな。オール、レディ」
「ああ。よろしくな、ソリ」
「わにゃ! よろしく、ソリくん!」
そうだ。この日から俺たちは友達になったんだ。
それから、どうしたんだっけ。
ああ、二殺戦。
何度も戦って殺しあって。
そうして、上り詰めた。そうすれば、いつかは兄さんに認めてもらえると思っていたんだ。月を見る度に、オールの赤い瞳を見る度に、あの人のことを思い出した。
ポニーテールも黒いコートも、日本刀も、口調さえも、真似して。捨てられたのに、ずっと忘れられなかった。ずっと真似することを、止められなかった。オールもレディも、兄さんの真似をしていく俺に何も言わなかった。
兄さん——
迫ってくる刃から目を閉じたのは、兄さんの目を見たくなかったからだ。
兄さんの目を見てしまえば、またあの無機質な赤い瞳と視線が合ってしまう。俺を弟どころか人としても見ていない、赤い瞳を理解したくない。兄さんを見たくない。
「マックスソリチュード」
兄さんの冷えきった声が消えた気がした。
ただの一度も褒められたことなどなかった。ただの一度も笑いかけられたことはなかった。
俺を捨てた兄さんが嫌いだ。大嫌いだ。
ああ、それでも——
おれをみて、にいさん……




