第16話 あなたは闇夜の月だった
俺がシャドウという男に拾われたのは十年前のことだ。マックスソリチュードという名前が付けられたのはいつだったか。誰に付けられたのか。俺は何も知らない。一番最初の記憶は、真っ黒なコートを着た俺より少し年上の少年。ハーフシャドウと名乗った彼に手を差し伸べられた時のことである。薄暗い昼間の路地裏で、彼の赤い瞳がよく映えると思った。
「俺はハーフシャドウ。行くあてがないなら俺と来い。嫌ならここで野垂れ死ね」
「あ、俺は……マックスソリチュード、です」
ただの15歳の子供を17歳のマフィアのボスが拾ってくれた。あの人はまだ若いのに、他の大人よりも遥かに強かった。強くて賢くて、俺の憧れだった。あの日までは、俺の兄さんだと思っていた。
二年後——
「シャドウ様、何でも言ってください! 俺、何でもしますから!」
灰色の壁が特徴的な暗いアジトの一室。ソファに座るシャドウ様に俺は声をかけた。シャドウ様は笑わないし、命令も短くて冷たい。それでも、俺はシャドウ様が大好きだ。この二年間、俺はずっとシャドウ様のお傍にいられることが何よりも幸せだった。
「マックスソリチュード、無駄口を聞くな。次の標的はこの女だ。殺してこい」
黒いローテーブルに一枚の写真が置かれる。俺はその写真を見て、少しだけズキリと胸が痛くなった。写真の女の子は俺と同じ歳くらいに見えたから。
「分かりました! シャドウ様のためなら、全力で任務を遂行します!」
「…………」
シャドウ様は何も答えないまま、書類に目を通している。俺は一礼をして部屋から出た。写真の女の子を何度も見ていると、気持ちが沈んでいく。綺麗な黒髪の、白いフリルのワンピースを着た少女。シャドウ様は詳しいことを何も言ってくれなかった。それはつまり、俺が知る必要のないことなんだろう。
「ふん♪ ふふん♪」
真っ赤な軍服を着た美少年が廊下の向こう側から歩いてくる。幹部のクラムジーパペット様だ。いつも鼻歌を口ずさんでいて、会話ができたことは一度もない。
「あの、パペット様。こんにちは……」
「ふふん♪ ふふん♪」
パペット様は俺に一瞥もくれずに通り過ぎていく。最初から返事なんて期待していない。これが、いつも通りの反応だ。
「暗殺任務か……」
人を殺すのは初めてじゃない。それでも気が重いのは、俺がマフィアに向いていない証拠だった。だから舐められてしまうんだろう。パペット様だけじゃない。シャドウ様以外は、誰も俺を認めてくれていない。あの人だけが、俺を見てくれている。
「頑張ろう……」
少ない賃金で貯めた日本刀を握りしめる。シャドウ様に憧れて買った刀だ。この刀に見合う男になりたい。
◇
闇夜に紛れてターゲットの屋敷に侵入する。邪魔な使用人たちを始末して、少女の首に刀を当てた。手が震えて上手く狙いが定まらない。
「たすけて……」
少女のか細い声が、鼓膜を僅かに揺らした。
「あっ……」
祈るように組まれた手と、頬を伝う彼女の涙。
「お願いっ、殺さないで……」
彼女の涙に濡れた瞳と視線が絡まる。俺は落としそうになる刀を強く握った。
「クソッ……殺せない。俺にはできない」
気がつくと、彼女の手を引いて部屋から連れ出していた。屋敷から出て、しばらく無言で少女と歩く。
「私はフェアディスティニー。あなたは?」
「マックスソリチュードだ……」
人気のない道を選んで歩き続ける。フェアディスティニーは、ずっと怯えながら俺の顔色を伺っていた。
「本当に助けてくれるの?」
「少なくとも殺す気はない。俺はもうお前を殺せないんだ」
「何それ……ふふっ、不器用な人なのね」
彼女は楽しそうにくすくすと笑い始めた。さっきまで怯えていたくせに、繊細なのか図太いのか分からない。
「根が優しいのね。ありがとう」
「俺は……優しくなんかない」
フェアディスティニーの笑顔を見て、張り詰めていた糸が解れるような感覚がした。恥ずかしくなって足を止めてしまう。立ち止まった視線の先に、タクシーが見えた。
「これ、少ないけど……持って行ってくれ」
「良いの……?」
「良いから早く行け!」
フェアディスティニーにお金を渡して、タクシーに乗せる。強引に彼女を車内に押し込む。これ以上彼女と話していたら、俺の心が乱される気がした。遠く離れていくタクシーを見つめながら、どこか遠い所へ逃げてくれれば良いと祈る。
「シャドウ様に、報告しないといけないな……」
きっとシャドウ様に失望されると思いながら、俺はアジトへと向かった。緊張しながらも、シャドウ様へ嘘をつかずに全てを話す。報告している間、シャドウ様はずっと何かの書類を見ていた。
「今回の任務の報告は以上です。如何なる処罰も受けるつもりです。申し訳ありませんでした」
頭を下げて、シャドウ様のお言葉を待つ。
「マックスソリチュード、悪くない結果だ」
「え? どういうことですか……」
シャドウ様の言葉に唖然と口を開けたまま固まる。顔をあげると、シャドウ様は無表情のままだった。革張りの黒いソファに座って、優雅に紅茶を飲んでいる。怒られると思っていた俺は、困惑して落ち着きを失う。
「貴様があの娘を乗せたタクシーの運転手は、小規模な人身売買専門のマフィアだ。あの娘は今頃、死よりも恐ろしい目にあっているだろう。見せしめにはちょうどいい」
「は、え……あ……」
俺のせいで、あの子は死ぬよりも酷い目に合っているのか。あの時、殺しておけば良かったのか。俺は、選択肢を間違えたのか。頭の中が自責の言葉で埋め尽くされていく。
「貴様の今回の不始末は見逃してやる。結果的にトラジェファミリーへの脅しに使えたからな」
機嫌良さげなシャドウ様に俺は何も言えなくなる。
「タクシーの話は……いつ知ったのですか」
「貴様が来る数分前だ。マックスソリチュード、貴様の暗殺の腕は評価している。だが、貴様の価値観は甘すぎる。故に、今回の任務には見張りをつけていた。タクシーの件は見張りから聞いた話だ」
シャドウ様は俺が彼女を殺せないことを見抜いていた。崩れ落ちそうになる体を引きずって、自室へと向かう。トラジェファミリーは確か、この天守地区のナンバー2の巨大マフィアだ。俺たちクルエルファミリーのライバル組織。敵対組織の娘に情けをかけたうえに、結果的に彼女を地獄へ叩き落してしまった。
「俺が中途半端な情をかけたから……」
「おいおい! 何だそのしけた面は、ダッセェな。邪魔だ」
通り過ぎ様にぶつかった男に、胸ぐらを掴まれる。この世界では、優しさなんて持っていても意味が無い。
「手を離せ……」
俺はあえて低い声を出して、男の手首をへし折る。同じファミリーの男だが関係ない。
「ぐああああ!!」
「黙れ。仕掛けてきたのは貴様だ」
男は膝から崩れ落ちて、腕を押さえている。冷たく男を見下ろしながら、伸ばしていた髪をポニーテールに結んだ。日本刀を握りしめて自室へ戻る。鏡の前の俺は、仄暗い目をしていた。
「シャドウ様のようになりたい。あの方のように、冷徹に無慈悲になりたい」
シャドウ様は太陽じゃない。俺にとって、闇夜の月だった。真っ暗な闇の中にある、たった一つの月の光。太陽のような明るさはなくても、俺の足元を照らして導いてくれた。
「マックスソリチュード」
静かに扉が開いて、シャドウ様が部屋に入ってくる。俺はシャドウ様の目を真っ直ぐに見つめた。断られるかもしれない。それでも言わずにはいられなかった。
「兄さん……とお呼びしてもいいですか」
「好きにしろ」
いつも通りの冷たい声で、彼は目を閉じた。感情の読めない声だ。閉じられた目からは何も感情が見えない。
「次の任務だ……来週、指定の場所へ行け」
「分かりました、兄さん」
目を開いた兄さんの深紅の瞳に射抜かれる。あの日、路地裏で拾ってくれた時と同じ目だ。俺も兄さんのようになりたい。善人は誰も救えないけど、冷徹な支配者なら誰かを救えるんだ。兄さんが俺を救ってくれたように、俺も誰かを救いたい。
「兄さん、俺を拾ってくれてありがとうございます。俺に居場所をくれてありがとうございます。俺はこれからもっと強くなって、兄さんに恩を返します!」
兄さんに半歩近づいてみた。兄さんはしばらく無言で俺を見つめると、いつも以上に冷たい目を細めた。
「無駄な誓いだな」
鼻を鳴らして、兄さんは俺に書類を押し付けてきた。
「精々足掻け」
そう言って、兄さんは部屋から出て行った。俺は何故か、とてつもなく嫌な予感がしていた。兄さんが冷たいのはいつもの事だけど、さっきのはいつもと違う感じがした。早まる鼓動を落ち着かせるために深く息を吸う。
「大丈夫……大丈夫……」
次の任務の目的地は、寂れた廃墟らしい。詳しいことは何も書いてない。ただ集合場所の地図だけが書かれていた。
「大丈夫……俺は兄さんを信じる」
嫌な予感に蓋をして、俺は来週のことを考えないように、何度も首を振った。




