第11話 退路を塞がれた
アンノウンさんが大きめのメスを投げて、的確にウルさんの体を切り裂く。
「チッ……」
「無駄な争いは避けましょう。あなたでは私に勝てません」
アンノウンさんは無慈悲に告げる。私はひたすらアンノウンさんの持ってるメスが大きいことを気にしていた。わに先生の謎の液体入り注射器も大きかったし、医療器具を医療用と戦闘用で分けて持っているのかな。
「クソッ……まだ諦めねぇぞ。俺はあの方の期待に応えるんだ。雑魚女はシャドウ様の所へ連れて帰る!」
手足から血を流しているウルさんは、壁に手を付きながら立ち上がった。アンノウンさんは注射器を取り出して、ウルさんに近づいていく。
「立っているのも辛いでしょう? 小雪様の前で殺人はいたしません。眠るだけですから、安心してください」
そう言って、彼女はウルさんの首筋に注射器を刺した。ウルさんは力なく地面に倒れてしまう。結構な勢いで地面に倒れ込んだけど大丈夫かな。彼は毎日お見舞いに来てくれていたので、ちょっとだけ心配してしまう。
「そこは抱きとめてあげないのかぁ……」
「敵ですからね。そこまで慈悲を与える必要はないでしょう?」
注射器を懐にしまうと、アンノウンさんは手を差し出してくる。手を取れば、彼女の目元が和らいだのが分かった。
「行きましょうか、小雪様」
「はい、お願いします!」
軽く手を引かれて歩き出した。
その瞬間——
飛んできた槍が、アンノウンさんの右脇腹を抉った。
「え……」
スローモーションみたいに、アンノウンさんが倒れるのが、やけにゆっくりと見えた。血しぶきが舞って、私の目の前で彼女は倒れる。
「あ、ああ、あ……」
言葉にならない声が零れていく。何度も口を動かすけれど、吐息しか出てこなかった。
「に、げて……」
アンノウンさんが私に手を伸ばす。その手を掴もうと走りよった瞬間に、彼女の手が誰かの黒いブーツに踏まれた。
「ふん♪ ふふん♪」
機嫌良さげな鼻歌。顔を上げると、そこには真っ赤な軍服を着た男の人がいた。黒いコサック帽を被った白髪の美青年。ニコニコと青い瞳を細めている。
「ふふん♪ ふふん♪」
名前も分からない彼は、アンノウンさんの手を踏んだまま、私に手を差し伸べてきた。喉がからからに乾いて、視界が涙で滲んでいく。
「はっ、はっ、は、ひゅ……」
呼吸の仕方が分からなくなって、自分の胸元を必死に掴んだ。いつも通りにしないといけないのに、上手く頭が回らない。私は思考を無理矢理、切り替えようとした。
「あっ……」
不意にアンノウンさんの薄紫色の瞳と視線が絡まる。お菓子をくれた時の彼女の優しい目を思い出してしまった。怖くて仕方ないけれど、私は必死に声を出す。
「足を退けてください……アンノウンさんの手を踏まないでください」
「ふふん♪」
彼は差し出していた手を下げて、ゆっくりとアンノウンさんから離れた。血溜まりが出来ているのが視界に入って、嫌でもアンノウンの荒い呼吸がよく聞こえてくる。
「アンノウンさんっ……」
視界の端にいる男の人よりも、アンノウンさんを失うことの方が怖かった。彼女を助けるためには、レディさんを呼びにいかないといけない。この人はきっとシャドウさんの部下の人だ。私が逃げても殺されることはないはず。それなら逃げて囮になるのも一つの策だよね。
「っ……」
「ふふん♪ ふん♪」
先程から、ずっと鼻歌を口ずさんでいる軍服の男性。ジリジリと後ろに下がって、私は賭けに出た。全速力で走って下の階を目指す。アンノウンさんは、医療部隊が下の総合受付で戦っていると言っていた。なら、指揮を執っているレディさんはきっとそこにいる。
「はあっ、う……げほっ、こほっ……」
こんなに走ったのは久しぶりだ。後ろを振り返っても、あの軍服の人は追ってきていない。彼の目的は分からないけど、それでも今はレディさんを呼びに行くしかない。
「な、にこれ……」
階段を降りた先は地獄だった。倒れている白衣の人達と真っ黒な軍服を着た人達。みんな血だらけで、息も絶え絶えで浅い呼吸を繰り返している。震える足を必死に動かして、総合受付のところに行けば、オールさんとソリさんの手当をしているレディさんを見つけた。
「オールさんっ! ソリさんっ!」
負傷している二人に近づくと、オールさんが軽く右手を上げてくれた。
「ほとんど返り血だ。それよりなんでここにいる。アンノウンはどうした」
「アンノウンさんが、真っ赤な軍服の人に槍で刺されたんです!」
溢れ出てくる涙を拭うことすら出来なくて、必死に声を出して話を続ける。
「血が、血がいっぱい出てて……アンノウンさんが死んじゃったら……わたし、わたし……」
「大丈夫。ほら、涙を拭いて……僕の呼吸に合わせてごらん」
レディさんが背中を擦って、白いハンカチを差し出してくれた。私は彼から受け取ったハンカチで涙を拭う。
「すぅー、はぁー。すぅー、ふぅー」
「よしよし、良い子だね。その調子だよ。僕がアンノウンの様子を見に行ってくるから、君はオールたちと待っててね」
レディさんの言葉を信じて、私は大人しく頷く。彼はニッコリと微笑んで、私の頭を撫でると、階段の方へ走り去っていった。
「赤い軍服と槍……クラムジーパペットだな。チッ、目的は分かる。お前を連れ去らなかった理由もな」
オールさんは忌々しげに舌打ちをして、もたれかかっていた壁を殴りつける。
「小雪、自分を責めるなよ。シャドウの思うツボだ」
「オールの言う通りだ。アンノウンはレディが必ず助ける。お前は気にするな」
オールさんもソリさんも私を庇うように、慰めの言葉を言ってくれる。だけど、今回だけはお礼を言えなかった。
◇
夜の病院は冷たい空気が流れている。ベッドでたくさんの管に繋がれたアンノウンさんの右手を握る。左手はパペットさんに踏まれて骨にヒビが入ってしまった。
「ごめんなさい……」
目を覚まさない彼女に、謝罪を伝えるのは意味がないかもしれない。レディさんは必ず助けると言ってくれた。オールさんは必ず目を覚ますと言ってくれた。ソリさんはお前のせいじゃないと言ってくれた。誰も私を責めなかった。
「シャドウさんの所へ行っていれば……こんなことにはならなかったのに」
深い後悔に襲われて、アンノウンさんの手を握る指先に、力がこもっていく。
「お前がシャドウの所に行くなら、俺達は全力で止めるぞ」
「オールさん……」
いつの間にか、オールさんがドアにもたれかかって、こちらを見ていた。ソリさんがいないのは珍しい。
「お前は俺たちの家政婦だ。そうだろ?」
「オールさん? 痛いです……」
アンノウンさんと繋いでいた手を、強引に引き剥がされる。見下ろしてくる彼の目がやけに冷たい。深紅の瞳が月明かりに照らされて、昼間に見たアンノウンさんの血溜まりの光景がフラッシュバックする。
「あっ……いやっ! 離してください!」
目を閉じて、必死に彼の手を振りほどこうとした。だけど、オールさんの力は強くて、彼の腕はピクリとも動かない。
「目を逸らすな。俺を見ろ、小雪」
無理矢理、顎を掴まれて上を向く。オールさんの血のように赤い瞳が今は怖くて仕方ない。
「っ……こわい……こわいよぉ……」
「小雪……」
子供みたいに泣きじゃくると、オールさんは息を飲んで手を離した。力強く抱きしめられて、涙を流しながら彼の腕の中でもがく。
「悪かった。お前がアイツのところに行くんじゃないかと焦ってた。どこにも行くな、小雪」
「オールさん、離してください……」
まだ離して欲しいと言えるうちに、この腕を解いて欲しい。だって、言えなくなってしまったら、築いてきた信頼が壊れてしまうから。本気であなたを怖いと思ってしまうから。そうなってしまえば、私はあなたに何も言えなくなる。
「離して……オールさん……」
「ダメだ……お前を離したくない」
私はゆっくりと目を閉じる。アンノウンさんが傷つけられた。オールさんは私の意志を無視するようになった。ソリさんはシャドウさんが関わると不安定になる。レディさんは謎が多くてよく分からない。
「ごめんなさい……」
シャドウさんの所へ行けば、全てが解決する気がした。少なくとも、アンノウンさんみたいな被害者はもう出ない。
「ごめんなさい、オールさん……」
「俺はお前を手放さない」
オールさんの腕にどんどん力がこもっていく。以前はあんなに優しく抱きしめてくれていたのに。あんなに安心できていたのに。最初から、シャドウさんの所へ行けば良かった。
「小雪、俺はお前が……」
「言わないでください。聞きたくないです……」
「小雪……」
オールさんをそっと抱きしめ返す。それ以上は戻れなくなるから、絶対に言わせない。オールさんの肩越しに、満月を見つめる。別の病室では、ウルさんが治療を受けて休んでいる。明日、彼にお願いして、シャドウさんの屋敷に連れて行ってもらうつもりだ。私はもう誰も傷ついて欲しくない。




