01.侵食
翌日、平日昼間の人が少ない時間帯に食料や飲料を大量に買い込んできた。
ゾンビに備えているわけではない。元々まとめ買いするタイプなのだ。部屋にこもってゲームをするだけの生活でも、腹は減るし風呂にも入る。ただ、キャンプ用品を買ったのは今回が初めてだ。少しは意識しているのかもしれない。
夜9時、リンクポッドに入って機器を装着し電源をオンにする。
その途端、ぶわぁっとクロス・アルカディアの風が巻き起こった。現実では夜なのに、眩い太陽の光が世界を照らす。
その瞬間いつも鳥肌が立つほど高揚するのだ。何年プレイしていても、神経がVR世界に繋がる瞬間は全身震えてしまう。
足に感じる大地も、鼻に入ってくる草原の匂いも、街で食べる肉や酒の味も、モンスターを斬り殺すその感触だって全てが偽物なのだ。
こんなにもリアルなのに、ログアウトし現実に戻った瞬間、全ての感覚を忘れる。不思議だ。
それが癖になり、毎日入り浸っている。
夜9時にインしているのは、Sakuが仕事を終えて、夕飯や風呂などを済ませてインする時間だからだ。なんとなく合わせている。
昨日ログアウトしたギルドの溜まり場に降り立つと、Sakuが椅子に座って本を読んでいた。
こちらに気付くと、こんばんは、と微笑んだ。
いくつかの話題のあと、やはり気になるのが今話題のニュースだ。
「Saku、関東だったよね?大丈夫?」
あまり深入りは良くないと思いつつ、気になって聞いてしまう。
「うーん……埼玉だから近いと言えば近いよ。もしゾンビパニック起きたら早い時期に壊滅するかも」
そうじゃなければ大丈夫とSakuは笑ってみせた。
ゾンビパニックなんか起きるはずがないと思っていたのに、現場から近いと知った途端急に不安になってきた。
その様子をSakuも気付いたようで、肩を叩きながら大笑いした。
「大丈夫だよっ!でももし何かあったら助けてね」
「うん……」
すっかりすでにゾンビパニックが起きたかのような気分になってしまい、ろくにクエストも行けずただSakuと雑談をするだけの一日になった。
何日か経ち、噛みつき男のニュースも熱が冷めた頃、新たなニュースが舞い込んできた。
噛みつき男が病院で死亡したこと。
既に正常な思考はしておらず、言語能力もなくなり、拘束されたベッドの上で暴れる日々だったこと。
最初に噛まれた通行人が現在理性を失った状態で、噛みつき男と同様に現在ベッドの上で暴れ、人に噛みつこうとする動きを見せていること。
既に噛まれた看護師や家族は現在問題ないが、最悪の場合に備えてベッドの上に拘束していること。
その日から日本中が大混乱に陥った。
避難計画を立てる者、ゾンビと戦う意思を見せる者、既に諦める者、そんなことが起きるわけないだろと冷笑する者。
コンビニやスーパー、ホームセンターでは様々なものが品切れを起こし始めた。
「じゃあSakuの会社は調整入ったんだ?」
「うん。在宅になったよー」
両手でピースをしたので、それに合わせてZeroもピースをする。
Sakuの会社は東京らしく、異例のスピードで仕事の調整をしたとのことだった。
まだゾンビとは決まったわけではないのに、柔軟な会社だなと思った。
落ち着いてくれればいいけれど……不安になりながらも毎日なんとなくクエストをこなしていった。
「助けて!」
街の中で叫び声が聞こえた。
中心になる噴水広場で剣を構えてる女性剣士がいる。大ぶりの剣を両手に握り、自分より遥かに大きい男性と対峙していた。
こんな街中でPvPかと思ったが、様子がおかしい。
男性は目の焦点が合っていない。武器も構えず、大口を開けてよだれを垂らしている。
武器を使わない種族や職業はいくつかある。だが彼は違う。おそらくただのヒューマンだ。ヒューマンは人を食らう職業に就けない。
身長は190を超えるほどの高身長と鍛え上げた太い腕と足。
剣士は後ずさりながら彼から間合いを取る。
後先考えずZeroは間に入り、両手に双剣を構えた。
背後から剣士の安堵の息が聞こえたが、すぐに緊張感が走る。
やはり様子がおかしい。男性の目はぎょろぎょろと色んな方向を見ていて、それでいてどこも見ていないような動きをしている。
じわじわと近寄ってくるが、間にZeroが入ったことも気にしていない、いや気付いていないかのようだった。
(倒していい、のか?)
剣を構えたものの切るべきか迷った。
このゲームのPvPは基本的に申請をし、受諾し、一対一の勝負となる。普通こうやって割って入ることなどできない。
だけどそれが出来てしまっている以上、普通のPvPとは違うはずだ。
時間が経つごとに滴るよだれ。瞳は左右互い違いに動いており、一目で異常だと分かった。
彼のレベルは高いが、Zeroには及ばない。一瞬で片がつく実力差だ。
躊躇とは違う、現状を把握したかった。このプレイヤーに起きていることを知りたくて様子を見ていた。だが、彼が群衆の中にいるSakuの方へ体を向けた途端、Zeroの中の血液が煮えたぎり、全身が熱くなった。そしてZeroの双剣は彼を斬っていた。
PvPで勝利をすると、倒されたプレイヤーはその場で起き上がり、そのまますぐ行動できる。
しかし彼はそのまま消えた。まるでモンスターのように。
全員が呆然と見守る中、SakuはZeroに駆け寄って治癒魔法をかけた。
ダメージを食らっていなくても、彼女はいつも治癒魔法をかけてくれる。疲れも取れるからとのことだが、今のところその効果を感じたことはない。きっと彼女なりの心配の反動と優しさなのだろう。
「話を聞かせてもらいたい」
Zeroは女性剣士に振り返りそう言うと、近くの喫茶店に入ることになった。
「私とアルフは同じパーティの仲間でした」
8人という多人数でいつも組んでいるパーティの1人。その中でも特に親しく、よくクエストをこなしている仲間だという。
その日もちょうどクエストを終えたばかりで、街に戻ってポーションや修理など次の旅に備えているところだった。
思えばクエストの途中からおかしかった。いつもはよく喋るのに口数が減り、呻き声のような吐息も増えていた。てっきり機嫌が悪くなったか怪我をしたかと思っていた。
不要なことはぺらぺらと喋るくせに自分の弱味や泣き言は隠す男だから、てっきりステータスに反映されない程度の怪我を言い出せなくて苦しんでいるのかと思って、買ったポーションを手渡そうと振り向いたその時にPvPを仕掛けられたとのことだった。
彼女────マイカはいまだに顔面蒼白で、手が震えていた。友人があんなおかしな表情で襲おうとしたのだ。
もしSakuがああなったら。
いや、もし自分がああなって、Sakuを襲おうとしたら。
ぶるっと恐怖に震えた。
「行ったクエストは?」
「ガーハノッサ鉱山です」
少し面倒だが難しくはないクエストだ。そして人を襲うような状態異常になるという話も聞いたことがない。
「クエストは関係なくて、本体の方に何かある、とか」
ぽつりとつぶやいたSakuを見る。
彼女は慌てて「変なこと言いました、ごめんなさい」と誤魔化した。
「……そういえば、彼、東京の人です」
今度はマイカを見た。顔がどんどん真っ白になっていく。連日の噛みつき男のニュースが、全員の脳裏をよぎった。
「まさか、そんな……」
「まだそうと決まったわけじゃない。調べよう」
グラスの中のクリームソーダを一気に飲み干して、3人は解散した。
その後、ギルドのみんなとは他愛もない会話をした。さっきの事件のことはなかったかのように。
ゾンビなんてフィクションでしかない。ゲーム内のことに限れば、そのうち運営がどうにかしてくれるはずだ。
フルダイブ型のゲームで現実の状態がゲーム内に影響するなんてこと、今まで聞いたこともない。
現実で風邪を引いていても足を骨折していても、ゲーム内では元気だし走り回れる。戦える。
そう考えたら今まで以上に安堵した。そうだ、関係ない。現実とゲームは。
────例えば、現実ですでに死んでいたら?
スッと血の気が引いた。
考えたことがなかった。神経接続中に死んだらどうなるんだろうか?
脳死や心臓麻痺などはどうなる?
リンクポッドは装置の機能として、さまざまな体の状態を常にチェックしている。脈や鼓動、飢餓状態など、異常があれば強制的に接続解除し現実に引き戻される仕組みだ。
そういう機能が備わっていることは購入時に聞いているものの、プレイして数年、一度も強制ログアウトされているプレイヤーを見たことがない。
プレイ中に亡くなった人は確かにそうたくさんはいないだろう。だが、空腹状態や低血糖などで現実の体に異常が起きているユーザーはそれなりにいてもおかしくないはずだ。
少し考えて、思考をやめた。
考えたって分からない。試すにも協力者が必要だ。極限状態の空腹でプレイして、リアルでは死んでたなんて洒落にならない。
リンクポッドから出てすぐテレビを付ける。どこの局も噛みつき事件のことばかりだ。
だけど最初の噛みつき男と、最初に噛まれた人の豹変、その後噛まれた看護師や家族の拘束の話から何も状況は変わっていなかった。
他に噛まれた人の話も、様子がおかしい人の話もない。
もしアルフ……VR内でゾンビ化していた男が現実でもゾンビになっていたらニュースになっていると思う。
あの人はきっとゲーム内でだけおかしかったのだろう。
そう思うことにして布団に潜り込んだ。




