14.胸の痛み
翌日、いつものように登校した私の目に、二人の姿が飛び込んできた。
「今日から留学される、アブリル王女よ!」
「なんて綺麗なのかしら。しかも、王太子殿下のエスコートで登校されるなんて……絵になりますわっ」
「これから毎日、一緒に登校されるそうよ」
ズキッ――
この胸の痛みがこのまま毎日続くの……?
少しだけ心が通ったと思ったのに、一気に引き離されてしまった気分になるなんて……。
なんて自分勝手なんだろう。
それでも、敵わぬ相手に挑む程、自信も度胸もない。だから……避けるように教室へ行く事が精一杯だった。
それなのに――
「あら。フルール、おはよう」
「お、おはようございます。アブリル様」
「嬉しいわ、同じクラスでしたのね。改めて、宜しく」
「こ、こちらこそ……よろしくお願いします」
「早速だけど、お隣の席でよろしいかしら。授業は問題ないと思うけど」
「どうぞ……」
この日を境に、私は嫌と言うほど思い知る。
「ねぇ、好きなものは何?」
「出掛けるなら、どこが良いかしら?」
「ドレスの好みを探ってるんだけど、仕立てるなら何処がお勧め?」
私は……ノア様のこと、何も知らない。
今更、ノア様を知りたいと後悔したところで、いくら私が手を伸ばしても届かない……。ノア様が手を伸ばしてくれるから、私は甘えていられたんだ。
段々申し訳なくなってきた私は、アブリル様に申し出た。
「どうか、殿下と親しい方にお伺いください」と。
闘争心なんて……湧かない。
だって、相手は他国の、しかも大国の王女様。敵うはずのない相手に、もうこれ以上……心を乱されるのは、耐えられる気がしなかった。
アブリル様にそれを伝えた日。
放課後学校を出て一人、待機する馬車にも乗らず街に向かって歩き出した。
別に目的もなく、ただ……頭を整理したかっただけ。高い時計塔を見上げて、昔お兄様と登ったのを思い出した私は、何も考えず階段を登り始めた。
螺旋状の階段を登りながら、初めてノア様に会った庭園や、研究室でのやりとり、それに……一面に広がる菜の花を思い出した。最近の出来事には、必ずノア様がいて、いつも心を乱されてた。
諦めよう――でも。
諦めよう――やっぱり……。
まるで、花びらを一枚ずつ抜いてく占いのように階段を踏みしめて、展望台に辿り着いた。
暫くボーッと、ただ風に当たっただけ。
柵に、もたれかかって黄昏ながら――
「諦め方を……誰か教えて……」
目を閉じて、届かない想いで胸がいっぱいになる。
『ノア様……』
「探したよ、フルール」
居るはずのない声に、耳を疑った……。
「どう……して」
ノア様の視線が、今はとても切ない。
こんな気持ちになるのなら、恋なんて知らなければ良かった……。手に入らないものを強請る駄々っ子の自分など、知りたくなかった。
「聞かせて」
片膝をついたノア様が、私に言う。
「フルールの悲しむ理由を、教えて」
私の悲しむ理由。
「もう、これ以上私に関わるのはどうかおやめください。私は……」
「私は?」
「……私は――」
本当は認めたくないだけ。
ただ、素直になって傷付くのが怖いだけ。
「私は、これ以上ノア様を近くに感じたくありません。だって……アブリル様は婚約者候補、ですよね? 大国の王女と王太子なら、国も民も喜びます! お二人が寄り添う姿を……きちんと祝福できるように、どうかもう私の名を呼ぶのはおやめください……」
本人に聞こえないような、本当に小さな声で「好きだなんて……」そう溢れた口を塞ぎ、立ち去ろうと踵を返した。それなのに――
「はっ、離してくださいっ」
「無理に決まってるだろ」
「なぜですか! だって……きゃっ!」
両手いっぱいに抱えてた"青い花びら"が、散らばって、ノア様に強く抱き締められた。
――それは、深い青。
いつかノア様が言ってた……。花の色には意味があるって。悲しみは、青。
不安も、戸惑いも、諦めようとした気持ちも。全てを映したような色。
突き放そうとする私の力なんて敵うはずもなくて、痛いくらいの力。
「もう一度言って、フルール」
「は、離して!」
「頼むから、もう一度君の口から漏れたその小さな言葉を聞かせてくれ……頼む」
勢いで出てしまった小さな呟きを……諦めなければいけない人に伝えるなんて、私にはそんな勇気はない。
でも――
『ノア様が手を伸ばして下さらなければ何も出来ない』
そう、後悔したのも確かで。知る努力を何もしなかった自分に、ため息が出たのを忘れているわけでもない。
……また後悔するの?
二度と引き返せないかもしれないのに?
私の言葉を、ただ黙って待つノア様に、想いを伝えるくらいは許されるの……?
「……ノア様が」
「うん」
「――好き……」
――二度目の、キスをした。
強く引き寄せられた身体は、身動きが取れず、閉じた瞳からは涙が溢れた。
脳裏をアブリル様が過るのに、今だけは、何も考えられなくなって。
ゆっくり……ゆっくり開けた視界に舞う、無数の花びら。けれど、それは。
「……え?」
ノア様の腕の中で、名前を呼ばれた瞬間――足元にばら撒かれた青が、ふわりと揺れて。
淡く、色を変えた。
「……っ」
一枚、また一枚と。
深い青は、やがて優しい色へと溶けていく。まるで、心がほどけていくみたいに。
「フルール……」
呼ばれるたびに、花びらは色を変え――
気付けば、二人を包み込むのは、淡いピンクの花吹雪に変わった。
ふわり、と胸元に花びらが集まり、導かれるように重なり合い、形を成していく。
そして――
二人の間に、ひとつの花が咲いた。
それは今まで見たどの花よりも大きく、柔らかく光を宿した、美しい一輪。
「……綺麗」
思わず、そう零れた。
その花に触れた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
『もう、誤魔化さなくていいのよ』
誰かが、そう言ってくれてるみたい。
「ノア様……」
ただ、まっすぐ見つめるノア様が微笑んだ。
「これが、開花――」と。




