18.死者からの依頼
並木愛合が劇団の事務室に入ると、木戸浩二から和子用の脚本を手渡された。
今回はオリジナルの朗読劇らしい。題名は『マリさんのぶらり坂』。しかも、スクリーンに、内容に沿ったアニメが映し出されるという。強引に言えば、ファンタジーアニメだ。
これは高くつくはずだと思っていたら、山根聡が頼んでくれたらしい。
「えぇ! 聡君、アニメ研究会にも入っていたの?」
と愛合は驚いた。
でも……と、直ぐに愛合は心配になった。
「大学生のアニメ研究会でしょ。悪いけど、大丈夫?」
その研究会では趣味が高じてパソコンでアニメを作っているらしい。過去の作品を見せてもらったら、パソコンなのになぜか手作り感が暖かくて安心した。
2週間後、予想より早く、アニメ研究会に頼んでいたアニメがメールで送られてきた。といっても動くアニメではなく、静止画の絵で、つまり紙芝居のようなものだ。つまり、舞台上で朗読劇がなされ、同じく舞台上にあるスクリーンに静止画のアニメが何枚も映し出されるというものだ。そのアニメも素人とは思えないほど良い出来で、愛合はすごく気に入った。
「打ち上げはちょっと奮発しなきゃね」
その夜、愛合は劇団の事務室で、帳簿仕事をしていた。
よりによって、帳簿記入を選ぶとは、やはり自分はどうかしていたのだろう、と愛合は反省した。
「あ、また、間違えた。も!」
と後悔する羽目に。
「事務仕事なんて大嫌い。休憩休憩」
コーヒーメーカーを見ると、空だった。
帳簿記入を始めてから、もう何杯目になるだろう。
今夜は眠れなくなるかもと思いながら、また淹れてしまう。それが愛合がである。そして、反省する割に、また繰り返すのも……。
コーヒー独特の香りとともに、ポタポタと落ちる琥珀色の水滴を見ながら、愛合はふと、今朝方見た夢を思いだした。夢というより、リアルな記憶の再生だった。
それは、つい昨日のことのようでもあり、随分時間が経っている気もする。
白血病の発作が起こり、姉の知美は生と死の狭間を彷徨ったことがある。病院で、やっと目覚めた姉が最初に話したこと。
「わたしね、多分、三途の川を渡ろうとしていたんだと思う。だって、この世のものとは思えないくらい綺麗な川だったから。その時、反対岸にいる男の子と出会ったのよ。その子ね、30年前に交通事故で死んだんだって」
霊感の強い知美はよく、幽霊の話をしてくれた。姉の話に出てくる幽霊たちはみんないい人たちだったから、親近感を覚えたのは事実だ。
しかし、現実問題は別。愛合は幽霊の存在を信じているわけではない。
新聞かなにかでその少年の交通事故を知った知美が、ずっと気になっていたから夢を見たのだろうと思っていた。
「その男の子ね、自分の死が、今でも両親を苦しめていると心配しているの。そこでね、その子から両親宛のメッセージを頼まれたんだ。メグ、手伝ってくれない」
ん~と、 愛合は心中で唸った。どう答えていいか、わからなかったのだ。
もちろん、姉の頼みだから手伝いたいのは山々だが、幽霊からのお願いなんてありえない、と思っていた。
ところが、知美の話の続きを聞いて、愛合の気持ちが一変した。
「その男の子がね、お姉ちゃんはこっちに来ちゃだめ、て言ってくれたから、わたしは戻ってこられたわけ。つまり、わたしの命の恩人なの」
そういうことなら、話は別だ、と愛合の気持ちは、既に決まっていた。
幽霊であろうが、夢であろうが、勘違いであろうが、そんなことはもうどうでもいい。
自分にとって重要なことは、ただひとつだけ。とにかく、大好きな姉が戻ってきてくれたこと。
姉がその男の子を命の恩人だというなら、自分にとっても恩人だ。恩を仇で返すなんて、できるわけがない。
そこまで思い出したところで、愛合は目が覚めた。
結局、その男の子と両親のために上映した『天国からのメッセージ』は、衝撃的すぎて、今でも愛合の心を鷲掴みにして離さないでいる。
それにしても、と愛合は不思議でならない。
どうして、今朝に限って、あんな夢を見たのだろう。
あ、そういえば、と愛合は思いだした。死ぬ前に、姉から頼まれたことを。
「メグ、Roman House、お願いね。だって、Roman Houseはメグがいなきゃ完成しないんだもん」
あのときは、いっぱいいっぱいで、なにも答えられなかった。
結局、夢なんてわからない自分が 、Roman Houseを引き継ぐなんて、まるでなにかに導かれているような気がしてならないのだ。
それに、知美の最後の言葉も気になる。
「メグ、大変なことに巻き込んで、ごめんね。本当にごめん」
あれは、一体、どんな意味だったのだろう?
そういえば、 すべてがあの『天国からのメッセージ』から始まったのだと、愛合は再確認した。
少年の両親は奇跡だと言ってくれた。でも、滅多に起こらないのが奇跡だ。それに、もう姉だっていないし、二度とあんな奇跡は起こらないだろう。そんなことを思いながら、また涙が出そうになったときだった。
あ、 風かな、と思った。何かが自分の体の中を通り抜けた気がしたのだ。
でも、風なんか吹いていない。たとえ風だとしても、体の中を通り抜けるなんてありえない。
一体、なんだったのだろうと、愛合が不思議に思ったときだった。
「あのぉ……」
突然の声に振り返ると、母くらいの年齢の女性が立っていた。
見覚えはない。お客さんかな?
「並木愛合さん、ですか?」
「ええ、そうですけど」
もう一度、愛合は考えたが、やはり見覚えがない。
「どちら様でしょうか?」
「わたしは近田和子の伯母の田崎光江といいます」
「え?」
と愛合は驚いた。
和子の伯母さんは死んだはず。うん、間違いない。確かに、カズはそう言った。
ということは、まさか ……と愛合は頭をフル回転させる。
「あり得ることは、例えば……だから……あ~……」
考えるのが苦手な愛合は、あのことがどうしても頭から離れない。
「あの~、和子さんから、伯母さんは亡くなったって聞いたんですけど」
「はい」
“はい”ってなによ、“はい”って、と愛合の脳は狼狽えるばかり。
そんなこと、当然そうに言わないでよ、と思った直後だった。
あぁぁぁ、と愛合はやっと思い当たり、ほっとした。
「親代わりの伯母さんとは別の伯母さんですね」
「言っている意味がよくわからないんですけど……。和子と血の繋がった伯母はわたしだけです」
「だって、それじゃ、幽霊ってことになりますけど」
「はい」
だから、“はい”じゃなくて、説明してよと、愛合は心中で叫ぶしかなかった。
「ここは、Roman Houseさんじゃないんですか?」
それはそうだけど、もっと重大な問題があるでしょ。
「並木知美さんから聞いたんですけど」
え、 と一瞬驚いたあと、愛合は突然、閃いた。
「トモちゃんの仕業だ」
今まで、どんなに力ずくでやってもダメだった知恵の輪が、一瞬のうちに外れたような感覚だった。
どうして、今朝に限ってあんな夢を見たのか、 やっと愛合は理解できた。
姉が自分に、『天国からのメッセージ』を手伝わせたことも、Roman Houseを頼んだことも、最後に謝ったことも、すべてが繋がった。
和子の伯母が、愛合の心を探るように話す。
「知美さんが言ってくれたんです。わたしの夢が本物なら、愛合さんにもきっと信じてもらえるはずだと」
既に、愛合は疑う余地がなかった。心の中で、姉に話しかける。
「トモちゃん、あなた、まさか、初めからそのつもりだったのね。それならそうと、はっきり言ってくれなきゃわからないよ。鈍感なわたしなんだから。
それにしても、トモちゃん、あなたはなんてことを考えていたの」
居たたまれないのだろう。和子の伯母が切り出す。
「どうやら、お邪魔のようですね」
「あっ、いえ、ごめんなさい」
愛合は慌てて謝った。
「伯母さんの話を聞かせてもらえますか」
「愛合さん、どうか、和子を守ってください。お願いします」
伯母は深々と頭を下げた。




