15.親友の依頼
『もし、10歳のときに母親を亡くした親友から、母親代わりの伯母さんも昨日死んだんだと告白されたら、あなたならどうしますか?
慰めますか?
では、なんと言って……?』
結局、並木愛合は何も言えなかった。近田和子の衝撃的すぎる告白に、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったからだ。
頭の奥底で、愛合はまるで映画のBGMのようだと思った。
和子の声が右耳から入ってきて、脳に届く前に左耳から出ていく。そんな感じだ。
(今、カズは何て言ったの? 日本語のはずなのに理解できないなんて、もぉぉぉッ……)
和子の口から聞こえてくる声が、BGMから言葉に戻ったのは、数分経ってからだった。
「メグ、聞いてる?」
和子の声で、愛合はやっと現実に戻ることができたのだ。
「……?」
愛合は突然夢から覚めたようだった。
「あたしは大丈夫だから、安心して」
と和子が微笑んでいる。
嘘だ、と愛合の心の声が叫んだ。
「そんなの嘘だ。なに微笑んでいるのよ。あたしたち、親友でしょ。あたしに気を遣うなんてあんまりよ。そりゃ、感情派のあたしは既に涙を止められないまま、ギリギリのところで嗚咽だけは我慢している状態だけど、でもでもでも……」
愛合の気持ちは届かないまま、だからね、と和子が話し始めた。
和子の話によると……。
伯母さんはここ数年、若年性アルツハイマー症になっていたらしい。最後は、和子のこともわからないまま亡くなったという。
「それでね、Roman Houseさんに伯母さんの追悼の想い出ビデオを作ってもらえないかなと思って……」
愛合は声も出ないほど驚いた。親友とその家族のためなら何でもしてやりたいと思っていた。でも、大事な人だからこそ、自信がない。
だって、そうでしょう、と愛合は頭の中で、誰ともなく問いかけた。
和子にとって、伯母さんはただの親戚ではない。母親代わりだった。どんなに頼りにしていたか、愛していたか……。和子の話の節々から、実の母娘に負けない愛情が感じられた。
もし失敗したら、カズはどうなるの? カズが元気をなくせば、家族はどうなるの? 考えただけでゾッとする。近田家の家事と母親の仕事全般はカズが担っているのに……。
あまりの大役に、愛合は怖じ気づいていた。
やっと、愛合の気持ちを察したのだろう。和子が静かに話し始めた。
「メグ、人の夢ってアイドルになりたいとか、お金持ちになりたいとか、そういうことだけじゃないでしょ。勿論、それもいいけど、メグのRoman Houseには、もっと人の心の奥底から湧いて出てくる夢の手助けをしてほしいな」
そうか、トモちゃんもそんな夢の手助けをしてやりたかったんだと、愛合は今になって初めて気づいた。
でもでも、あたしには……。
愛合は今になって後悔した。
そのときだった。隣の練習場ではまた、劇団員の木戸浩二と山根聡がバトルを繰り広げ始めた。
感情派の愛合はとても不器用で、何事も没頭する性格だった。誰かの話を聞くときも、他の音は耳に入ってこなかった。なのに今は、和子の話を聞きながら練習場の声が気になっている。
そういえば、何人もの話を同時に聞いた人がいたけど、聖徳太子だったっけ? 超能力者になった気分だ。とまた、他のことに興味が向いた。
不思議だぁ、と愛合は思った。
そんな自分の気持ちが手に取るようにわかるなんて。まるで、愛合の心が体から抜け出し、外から自分を見ている感覚だ。
「幽体離脱って言うんだっけ?」
と、愛合は自問した。
そのときだった。突然、愛合の心は衝撃を受けた。顔がカッと熱くなり、汗が流れ出した。目が潤み、急に涙が流れ出した。あることに気づいて、ハッとしたからだ。
「この重い雰囲気からあたしはひとりで逃げ出そうとしていた……? 苦しんでいるカズを置き去りにして……。最低だ。親友なんて言う資格はない。カズ、ごめん……」
愛合が心の中で謝ったとき、突然、ドアが勢いよく開いた。木戸だ。
「話は聞いた」
「木戸さん、立ち聞きしていたの?」
質問する愛合を無視し、木戸は和子に話しかける。
「あんたの依頼引き受けてやってもいい」
ゲッ、と愛合は絶句した。
「そのかわり、条件がある」
木戸の言葉に、
「じょ、条件ッ?」
と、思わず愛合の口から漏れた。
「条件って何ですか?」
「カズ、そんな偏屈大王の言うことなんか気にしなで」
愛合を無視した木戸は、柄にもなく和子に真剣な視線を向けた。
「この劇団Roman Houseは本当に詐欺だ。それだけは忘れるな」
「なんてことを……」
と、愛合が言おうとした直前に、和子の声が聞こえた。
「わかりました。絶対忘れません」
思わず愛合が振り向くと、和子は木戸を見ていた。その真剣な瞳に驚いた愛合は何も言えなくなった。
笑顔に戻った和子が愛合を見た。
「メグ、どんな夢を見せてくれるか、楽しみに待っているわね」
そう言い残して、和子が帰っていく。
「あ、カズ、待って……」
愛合が追いかけよとすると、木戸が目の前に立ちはだかった。
「決めるのは、団長のあたしよ。カズを帰してしまったら、本当に引き受けたことになるでしょ」
と言いたいのに、狼狽した愛合の口から出た言葉は、
「木戸木戸木戸……」
と、早口で名前を連呼するだけ。
やっと、
「こら、木戸-!」
と叫んだときは、カズが帰ったあとだった。
それから、愛合がどうしたかというと、当然暴れまくった。
「どうせ、あたしは感情派よ。悪かったわね。文句ある?」
と叫びながら、手当たり次第に物を投げたり、壊したり。高価とか大事な品物とか関係ない、と言い切れるとかっこいいが、真実は単純で、そこまで冷静でいられなかった、というのが正直なところだろう。
こういう場合はよく、空手の上段蹴りはしないのか? と訊かれるが、無抵抗の人に本気で蹴りを入れたりはしないものだ。空手有段者の蹴りは凶器だから、いつも寸止め。
それは空手教室の師範からもしつこいほど言われたし、癖にもなっている。
それに、寸止めでも普通の人は尻餅をついたり、少なくとも腰が引けるものだ。
しかし、そのときの偏屈大王はピクリともしないで、やりたいだけやれ、といった感じだった。
それがまた頭にくるから、愛合は物に当たってしまう。
どれくらいの間、暴れていただろう。愛合は茫然と立ち尽くしていた。何故怒りが収まったのかというと、その理由は偏屈大王の一言だった。
「トモなら、放っておけると思うか?」
愛合は固まってしまった。この偏屈大王の一言で、愛合の怒りは一気に冷めてしまった、というところだろう。
それでも、愛合は食い下がらずにはいられない。
「トモちゃんなら、そんな危険な安請け合いはしない」
愛合には、絶対的な自信があった。
ところが、偏屈大王は姉の知美のもっと深いところを見ていたのだ。
「この浪漫座が断っても、依頼人は救われない。トモなら依頼人の問題を解決するために、何かいい方法を考えだそうと、諦めたりしないはずだ」
自分が気づかなかった姉の気持ちを、よりによって偏屈大王なんかに指摘されたから、愛合は余計頭にくる。
無性に言い返したい感情。
「でもでもでも……」
思い浮かばないストレス。
「もッ!」
結局、
「フン!」
と怒って事務室を出た愛合は、ドアを力いっぱい閉めることしかできなかった。
そのまま屋上に上がった愛合は、青い空を見ながら自問した。
「自分は一体、何を怒っていたのだろう? 木戸さんのこと? 確かに、さっきまでは木戸さんに激怒していた。では、今は……?」
思い出してみると、愛合はいつも八つ当たりし、そのたびに偏屈大王は受け流してくれた。
あの“貸し”のために……?




