10.新団長の誕生
並木知美の死後、妹の愛合が野間夫婦のことを思い出したのは初めてだった。それどころではなかったというのが、正直なところだろう。
なのに何故、愛合が野間夫婦のことを思い出したのかというと、突然、彼らから挨拶状が届いたからだ。
それにしても、と愛合は不思議に思った。
『劇団Roman house』の立ち上げの挨拶状……? 誰が送ったのだろう?』
暫くの間、そんな疑問が頭の中を巡ったあと、愛合はやっと気づいた。
「トモちゃんの仕業だ!」
一旦、気になると、愛合の妄想は止まらない。
「もしかして、トモちゃんが死ぬ前に出したの? 新団長名があたしって……?」
愛合の頭の中で妄想は確信に近づいていき、ある記憶のアウトプットへと続く。
あれは『天国からのメッセージ』の上映会が終了し、野間夫婦が帰ったあとのことだった。愛合は野間翔太の父親に対する疑問を持て余していた。
「トモちゃん、翔太君のお父さんは幽霊なんて信じてなかったはずでしょ。どうして死者のメッセージを信じたの? そこがわからないのよ」
「お父さんは信じたわけじゃないと思う。だからよかったのよ」
「どういうこと? 全然わからないよ」
愛合には納得できなかった。妹の疑問を聞いて、再び知美が話し始める。
「あのお父さんよ。死んだ息子の存在を信じてしまったら、思い出にどっぷりと浸かって前へ進めなくなると思わない」
そこまでは、確かに、と愛合も思った。
「……で……?」
知美の話は続く。
「どこか、そんなはずはないと冷静な自分がいて、それでも死んだ大好きな息子が自分を心配してくれている。幸せに生きて欲しいと願ってくれていると少しでも心で感じられたら、本当の意味で、人は前進できると思うのよ」
そこまで思い出したとき、愛合の記憶の連鎖が始まった。
次に愛合の頭の中に蘇ったのは、病室の中の記憶だった。ベッドで寝ている知美が、死ぬ直前に愛合に残した最期の言葉だ。
「メグ、劇団Roman houseお願いね。初めから劇団Roman houseはメグがいないと成り立たないの」
あのとき、愛合はどうしても同意しなかった。同意したら、姉は安心して死んでしまうのではないかと、恐くて答えられなかったのだ。
じゃ、今は?
と愛合は自問してみる。答えは、今も同じだ。そんなこと、考えられないし、考えたくもない。
そのとき、もしかして、と愛合は思い当たった。
「まさか、トモちゃんはこの状況を予期していたっていうの。というより、トモちゃんが仕組んだの!? だから、『天国からのメッセージ』を、わたしに手伝わせたのね」
愛合は考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなった。
勿論、愛合もいやというほどわかっていた。
知美は自分に、劇団Roman houseを続けてほしいと思っているのだと。
それでも……と愛合の本心が抵抗する。
勿論、姉の頼みだから協力したいのは山々だけど、どうしても自信がない。大切な姉の願いだからこそ、簡単に了承できないのだ。
「トモちゃん、ごめんね。やっぱり、あたしには無理だよ」
愛合は、本当にダメな妹だ、と心の中で詫びた。
そういえば、以前にも同じようなことがあったような……。あれは確か……。
と愛合はある光景を思い出した。
その記憶の中でも、知美は病室のベッドで寝ていた。白血病の持病で生と死の狭間を彷徨ったあと、やっと目覚めた知美が最初に話したシーンだ。
♢ ♢ ♢ ♢
「わたし、多分三途の川を渡ろうとしていたんだと思う。だって、この世のものとは思えないくらい綺麗な川だったから。その時、反対岸に立っている男の子と話したのよ。その子ね、30年前に交通事故で死んだんだって」
霊感の強い知美はよく幽霊の話をしたものだった。知美の話に出てくる幽霊たちは皆いい人たちだったから、愛合も親近感を覚えていた。
しかし、現実問題は別だ。愛合は幽霊の存在を信じているわけではない。
新聞かなにかで、姉はその少年の交通事故を知ったのだろう。そのことがずっと、頭の中で気になっていたから、夢で見たに違いない、と愛合は思っていた。
知美の話は続く。
「でもね、その男の子、生きているお父さんのことをすごく心配しているの。そこでね、その子から両親宛のメッセージを頼まれたんだ。 ねぇ、メグ、手伝ってくれない……?」
ん~と、 愛合は心中で唸った。
どう答えていいか、わからなかったからだ。
もちろん、姉の頼みだから手伝いたいのは山々だが、幽霊からのお願いなんてありえない、と愛合は思っていた。
ところが、知美の話の続きを聞いて、愛合の気持ちが一変した。
「その男の子、翔太君って言うんだけど、お姉ちゃんはこっちに来ちゃだめ、て言ってくれたから、わたしは戻ってこられたわけ。つまり、わたしの命の恩人なの」
そういうことなら、話は別だ、と愛合の気持ちが決まった。
「幽霊だろうが、夢だろうが、勘違いだろうが、そんなことはもうどうでもいい。あたしにとって重要なことは、ただひとつだけ。とにかく、大好きなトモちゃんが戻ってきてくれたこと。トモちゃんがその男の子を命の恩人だというなら、あたしにとっても恩人よ。恩を仇で返すなんて、できるわけないじゃない」
と。
あのときの燃えるような感情を思い出した愛合は、やっと自覚した。
自分も野間翔太の父親と同じだったと。死者の願いなど信じていたわけでもないのに、姉の命の恩人と思っただけで、協力したいと思えた。
寿命が短いと覚悟した知美は、野間翔太の願いに自分の願いを重ね、妹に協力させたのだろう。
結局、その男の子と両親のために上映した『天国からのメッセージ』は、衝撃的すぎて、今でも愛合の心を鷲掴みにして離さないでいる。
わかった、と愛合は心の中で、姉の知美に話しかける。
「あたし、『劇団RomanHouse』やってみる。トモちゃん、どこまでできるか自信ないけど、見守ってよね」
愛合は軽い気持ちで祈っていた。
♢ ♢ ♢ ♢
そのときの愛合はまだ気づいていなかったのだ。 知美の考えた劇団Roman houseは、愛合の想像を遥かに超越した壮大な夢だということに。




