百二十話
突然机に両足をかけて、高いところから飛び降りてくる桐葉。刃先の照準は隆幸。距離は近すぎて、左右に逃げても追いつかれるのは明白。おまけに紙が散乱しているため、転倒する可能性もある。
狙い澄ましたように隆幸は窓を開けた。キュルキュルと黒板を引っ掻いたような甲高い音が響く。
隆幸は下を見る。二階の高さだ。おまけに花壇が下にあり、花が生い茂っている。
躊躇してる余裕はなかった。職員室は刃物を持った桐葉の横を通過しなければ逃げられない。桐葉は本気で隆幸らをし止めようとしているなら、それは危険すぎた。
窓から、脱出する。
ふちに手をかけ、隆幸は思い切り飛び降りた。躊躇する時間は一秒たりともなかった。
「な――!」
絶句する桐葉の声を背に受ける。景色が一気に急降下する。スローモーションにはならない景色。下がる視線。
ドン!
両手両足を突き、重力をなるべく分散させた。足首がジンと鈍く痛むが、予想通りねんざや骨折はしていない。
「この学校天井低いからな」
上を見やる。
髪を下ろした桐葉が、怨嗟がこもった表情で睨みつけていた。赤く照らし出された髪と、ぎらついた双眼に、隆幸は心臓を冷たい手で鷲掴みされたような恐怖感を覚える。例えるなら、夜叉。無慈悲に人を殺す、残虐な魔物の姿。突き動かされるように、隆幸は近くの窓から一階に侵入する。
目指すは四階だった。桐葉は隆幸が下りた一階を探索しにくるだろう。ならば早い段階で上に上がった方が桐葉と遭遇しなくても済むはず。
バクバクする胸を片手で握るように抑え込み、三階を突っ走る。ようやく膝が笑い始める。それは疲労か、恐怖心か。狩人から逃げる獲物の気分を味わい、三段跳びで上に上がる。
「はぁ、はぁ、はぁ! これでさすがに大丈夫だろう」
三階から四階の階段で足を引っ掛けそうになり、危うく体勢を持ち直す。
両ひざに手をついて、風呂上がりみたいな額をぬぐう。
足音も一切しない。どうやら巻いたようだ。
遅れて肺が潰れそうなほど息苦しくなる。だが、逃げ切ったそう快感が、隆幸の体をすぐに回復させた。
「この調子ならうまく逃げ切れるかもしれないな……」
壁に手を当てる。正面の大鏡には髪が乱れ、呼吸が荒い隆幸を映しだしている。しばらく鏡の中の自分と見つめ合っていると、ゆっくりと頭の中が覚めていくのを感じる。
上にあるアナログ時計は十時を回っている。後二時間足らずだ。逃げ切れたおかげか、わずかながらに希望が湧いてくる。
「福田先生たちを、見つけないと」
呼吸が整ってきたのを見計らい、隆幸はようやく壁から手を離す。
ヌチャ……。
掌に、不快な感覚があった。
「ん?」
何気なく自分の掌を見――隆幸は絶句した。
自分の掌には、乾いていない、べったりと赤黒いものがこびりついていた。




