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シーン 88

 馬車に戻ると出発の準備が出来ていた。

 サフラはすでに御者台に座り周りへの注意を払っている。

 もしもの際はすぐに飛び出せるよう傍らにはスティレットと鞭が置かれていた。


 「ただいま。よし、家に帰ろう」


 森を出てひたすら帝都を目指した。

 帰路でも亜人や魔物に遭遇する。

 その都度歩みを止めて進路を確保する作業は神経を使った。

 馬車の中にはまだ眠ったままのニーナが居るため二人を守りながらの戦うしかない。

 ただ、幸いなことに銃と言う武器は並みの亜人や魔物をものともせず銃口を向けて引金を引くだけの簡単な仕事だ。

 おかげで戦っている時間よりも通行の邪魔になる死骸を運ぶ作業に手間を取られてしまう。

 もはやこの辺りで僕らが苦戦する相手はいないようだ。


 「これで四度目だね…」

 「大丈夫だ。この程度の相手なら何匹居たって敵じゃない」


 森を出てこれまでに倒した亜人や魔物はすでに両手で数えられなくなっている。

 僕にしてみれば脊髄反射のように引金を引くだけなので肉体的にも精神的にも負担は少ない。

 むしろ、歩みを進める度に一番早く敵を見つけるサフラは気が休まる時間がなく辛いようだ。

 この辺りでサフラを休ませてやった方がいいだろう。

 帝都までは残り一日ほどの移動だ。


 「サフラ、疲れたろう?お前もニーナと一緒に休んでろ」

 「え…でも…」

 「手綱なら大丈夫だ。俺だってそれくらいできるさ」


 実際、これまでに馬車を運行したことは一度も経験はない。

 それでもサフラが操る手綱さばきを見ておおよその操作は理解している。

 あとは経験しながらすり合わせを行えばいいだろう。

 予想以上に疲れていたサフラはフラフラと荷台に移動しニーナの隣に腰を据えると寄り添いあって目を閉じた。

 ここから頼れるのは僕自身だけだ。

 気を引き締めて手綱を握り先を急ぐ。

 馬車と言う特性かそれともこの馬車に限ったことかはわからないが、荷台に乗っているよりも御者台の方がいくらか乗り心地がいい。

 それでも揺れが気になるのは現代になって普及した自動車に取り付けられているサスペンションやショックアブソーバーが装備されていないのが原因だろう。

 車輪も木製の輪に薄い鉄の板を張り合わせたものでゴム製のタイヤとは違い衝撃をほとんど吸収しない。

 幸い路面は荒れていないので車酔いをするほどの不快な揺れがないのは救いだ。


 ゆっくりと流れる風景を眺めながら馬車は進んでいく。

 亜人や魔物さえ現れなければ平和な日常の一コマだ。

 ただ、そんな平和を簡単に打ち破るのはやはり空気を読めない亜人だった。

 前方十数メートル先にオークの姿が見える。

 相手は一体だがすでに僕らの位置を把握しているため棍棒を振り上げてこちらへ駆けてきた。

 僕は御者台からは降りずにオークに向けて拳銃を向け引金を引く。

 もはや殺しに何の躊躇いもない自分に気が付いた。

 もちろん命を狙われているのだから立派な正当防衛だ。

 亜人の命を奪ったからと言って誰かに咎められるわけでもない。

 むしろ、人間に害をなす邪魔者を始末したのだから人々からは喜ばれるだろう。

 ここで引金を引く度に卑しくなっていく僕に気が付いた。

 つい最近まで普通の男子学生だった僕はいつの間にか消え、今は異世界の住人として立派に自立している。

 転生を機に得た環境への適応力に感謝しつつ倒したオークを避けて先を急いだ。


 「…レイジ、世話をかけるな」

 「起きたのか。身体はもういいのか?」


 ニーナは身体を起こして御者台へ移動してきた。

 まだ足取りは重いが一人で歩けているため先ほどよりいくぶん平気なのだろう。

 そのまま御者台の隣へ移動してきた。

 御者台は二人座るのがやっとだが窮屈と言うことはない。

 ただ、ニーナは構うことなく肌が触れ合う距離に腰をかけた。

 僕にしてみれば願ってもない状況だが特別顔には出さないようにしておく。


 「あぁ、少し眠れたからな…助かったよ」

 「そうか。無理はするなよ。まだ帝都までは時間がかかるからな」

 「見覚えのある風景だ。あと一日と言ったところか?」

 「そうだな。日が暮れるまでには野営地を探したい。地図を見せてくれないか?」


 ニーナに頼んで地図を見せてもらう。

 近くに岩場を見つけた。

 見覚えのある地形でよく見てみるとグリフォンが住処にしていた岩山だということに気が付いた。


 「ここはグリフォンが居た岩山か。この近くに森がある。ここで野営といかないか?」

 「グリフォン…あぁ、確かキミたちが倒したとギルドの関係者から聞いたな。ヤツもかなり強力な魔物だが…まあ、キミにかかれば大したことはないか」

 「グリフォンは二体居たんだよ。一体は俺が仕留めたがもう一体はウェアウルフが倒したんだ」

 「ウェアウルフ…だと?」

 「あぁ、こちらの言っている言葉が理解できるヤツだった。名前をビルと言う」


 それを聞いてニーナは驚いた。


 「言葉を理解するウェアウルフ…だって?」

 「あぁ、抑揚のない言葉使いだったから聞き取るのは難しかったが言っていることは伝わっていたな」

 「言葉を理解するウェアウルフなど聞いたことがない。もしそれが本当なら我々の常識が覆るな」


 ニーナによれば人間の言葉を理解できるのは同じ人間とドワーフとエルフだけ。

 これが世界の常識だ。

 つまり亜人や魔物が言葉を理解すると言う事実は未だに確認されたことはないらしい。


 「そう言えばサフラは言葉がわからなかったみたいだな」

 「サフラちゃんにはわからない言語…。つまりキミだけにしか伝わらないと言うことは考えられないか?」

 「その可能性は確認したわけではないから否定できないかもな」

 「だろうな。まあ、それがキミ一人なら問題はない…か」

 「ん?」


 ニーナは気になることを口にした。

 詳しく聞いてみるとヒューマン族が信仰する宗教と密接に関係しているらしい。

 教義によれば初代皇帝が神格化されて唯一神として崇拝さている。

 その教えには亜人や魔物は言葉の通じない「悪魔」とされ人間に害をなす敵として伝わっているようだ。

 つまり言葉が通じないと言うことはこちらが考えていることが伝わらない、わかり合えないと言う理屈が成立する。

 そこで後にこの宗教を広めた僧侶たちはわかり合えない者は滅ぼしてしまえと言う乱暴な解釈をしてしまったらしい。

 その考え方は広く浸透し常識となっている。

 だから言葉が理解できないと言う根本的な理屈が覆されてしまえば、この宗教の根幹を揺るがす事態に繋がるだろうとニーナは考えたらしい。


 「なるほど。その理屈を理解できないわけじゃないがかなり乱暴な考えだな。ニーナもそう信じているんだろ?」

 「まあな。キミに出会っていなければこの先もずっとそう思っていただろう。ただ、キミは我々とは違う不思議な力が備わっている、私はそう思っているよ。だから、キミの言うことが嘘だ何て思ってもいない。むしろ、本当にそうなんじゃないかと信じてみたく思っている」

 「不思議…か。確かに普通じゃないのは自覚があるさ。説明しろって言われても難しいけどな」


 僕が転生者であることを説明して理解してもらうことができれば話は早いだろう。

 ただ、以前暮らしていた世界の説明をしたところで理解するのは難しいに違いない。

 見たことも聞いたこともないモノを言葉だけで理解するのはハッキリ言って無理だ。

 心のどこかで疑いの目を持ってしまう。


 「まあいいさ。ただし、このことは口外しない方がいい。これはキミのためだ」

 「忠告ありがとな。大丈夫だ、このことを知っているのはサフラとお前だけさ」

 「そうか。それならいい」

 「それより、あのホリンズという男、お前から見てどう思った?」


 不意に浮かんだ疑問を投げかけてみた。

 僕自身、ホリンズが転生者と言う事実を知って尚、彼の異質さを真に理解できないでいる。

 いずれこの世界に住む人々に害を成す存在になる予感はしていた。

 そうした警戒感を含めニーナが感じた感想を聞いてみたいと思っている。


 「ローブの男か。私の見立てではヤツは人間ではないな。ウマく言えないが、私の目には人の皮を被った悪魔のように見えたよ」

 「悪魔か。あながち間違ってないかもしれないな。俺も似たようなことを思った。俺の勘がヤツは危険だと警告して来るんだ」

 「確かに危険な匂いがする。深く関わりたくないタイプだよ」

 「そう言えば、俺は別の国から旅をしてここにたどり着いたんで詳しく知らないんだが、この世界にドラゴンはどれくらい居るんだ?」


 これはホリンズを思い出して気が付いた質問だ。

 ヤツがワイバーンを使役していたところを見ると他の亜人や魔物と同様に数が多いのではと疑問に思った。


 「いや、確認されているドラゴンはごく僅かだ。基本的にはアルマハウド男爵やフランベルクの連中が倒してしまって数は減少傾向にある」

 「なるほど。ではそれほど俺たちの生活を脅かすことはない…と」

 「そうなるな。それに確認されているドラゴンたちは帝都よりかなり離れた地域で目撃されている。亜人や魔物のように積極的に我々を襲うと言う事例は数が少ないと言うことを含めても年に多くて数件程度だ」

 「そうなのか。だからギルドでもあまり討伐の依頼を目にしなかったんだな」

 「そう言うことだ。むしろ、ギルドは積極的に我々を襲う亜人たちに手を焼いているよ。これまでに何人ものハンターを動員して掃討作戦が行われたが未だに絶滅はおろか数が減っている気配はないんだ」


 亜人種は大陸の至るところに生息している。

 それこそ気候の寒暖差に左右されず人間が近付くのを拒むような劣悪な環境を好む種も確認されているらしい。

 また、人間以上に繁殖力が旺盛で成熟するスピードも早く完全に絶滅させるのは困難という見方が一般的だ。

 それでも平和な世界を目指してハンターたちは日夜殲滅を続けている。

 ハンターギルドの目的は元々治安維持のために作られた組織ということを考えれば、非戦闘員の一般人にとって生命線と言ってもいい。

 彼らの存在が人間世界の秩序を守っていると言っても過言ではないだろう。

 それを補佐する目的であるバウンティーハンターの存在も大きいのだとニーナは最後に付け加えた。


 ニーナは疲れたのか再び荷台へ移動してサフラの隣に腰掛け休息に入った。

 疲労の程度によって回復に要する時間は異なるが半日近く経っても元気にならないところを見ると予想以上に負担をかけてしまったらしい。

 僕は二人が安心して休めるよう周囲への警戒を怠らず慎重に馬車を進めた。

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