シーン 58
僕は一体何を迷っているのだろうか。
心の奥で小さな火種がくすぶっている。
今はまだ小さい光でも決して消えることのない炎の欠片。
気にすれば気にした分だけ炎が大きくなるよう感覚に襲われた。
それが無性に気になって仕方がない。
言い知れない不安が心を少しずつ侵食してまるで僕が僕でなくなっていくような気分だ。
「…レイジ、大丈夫?」
「あ、あぁ…悪い、何だっけ?」
「何だっけ、じゃないよ?買い物、まだ途中だよ?」
サフラに言われて我に返った。
僕らはあれからギルドを出てそのまま町へ買い物に出かけたのだ。
買い物と言っても日用品を買うわけではない。
野宿をする際に必要な厚手のマントと亜人除けの香炉を探している最中だ。
マントは毛布の代わりにもなる丈の長いものを探している。
目ぼしい物はないかと露店から路面店に至までくまなく歩いてようやくコレと言う商品を見つけ出しところだ。
そんな最中に僕は呆けて上の空になっていた。
「悪い悪い、次は香炉だよな」
「何か考え事?どちらかと言うと心配事かな?」
「え?」
何故か動揺する僕がいた。
心を見透かされているとまでは言わないが雰囲気からそう察したのだろう。
考え事をしている最中に変なことを口走っていなければいいが。
出来ればサフラには無用な心配はかけたくない。
「上の空だったもん。アレっていつも考え事をしてる時の顔だったから」
「あ、あぁ、悪い。大したことじゃないから心配しなくていいさ」
「ホントに?」
「あぁ。それに、何かあればちゃんと相談するよ。いつもそうしてきただろう?」
「そう?うん、わかった」
特に嘘は言っていない。
何か決めるべきことがあれば僕一人で先走ることはせず二人でよく話し合ってからと決めている。
それに今感じた違和感を言葉で伝えるのは難しい。
どちらかと言えば言葉で感情を伝えるよりオノマトペを使って雰囲気を伝える方が得意だ。
もちろんそれで相手に伝わっているかと問われれば両者の間には必ず感性と言う問題があるのでどうしても自己満足の域を出ない。
僕らは気を取り直して買い物を再開した。
探しているのは亜人が嫌う臭いを発生させる特殊な「香木」とそれを焚く磁器の「香炉」だ。
この香りを嗅いだ亜人は気分が悪くなりその場に居られなくなるらしい。
ちょうどカメムシを刺激して後悔するあの嫌な感覚に似ている。
ただし、この臭いは人間には効果はなく焦げ臭いとしか感じないらしい。
どちらかと言えばカメムシよりも夏場によく焚く蚊取り線香のような物と考えるのが適当だろうか。
「なあ、香炉が必要って聞いたけどそのままじゃダメなのか?」
「一応臭いが出れば大丈夫だよ。でもそれだと直ぐに燃えちゃって効果にムラが出来るんだって」
「つまりあった方が無難、と」
「専門のお店があるから探して見ようよ」
専門と言ってもそれだけを売っているわけではない。
野宿をする際に必要な物を一手に扱うと言う意味での専門店だ。
ちょうどキャンプや登山などアウトドア用品を扱う店と言えばわかりやすいかもしれない。
店の中には野営にあると便利な専門の道具が数多く陳列してある。
ただ、店自体はあまり大きくはない。
一度に客が五人も入れば身動きが取り辛くなる程度の広さだ。
幸い店の中に客はおらず商品を探すだけなら問題はなかった。
商品棚に目をやると目的の商品が集められたらコーナーを発見する。
「これか?」
「そうそう。えっと、こっちがトロール用だね」
「いくつか種類があるのか。何が何だかよくわからないな」
「覚えてる?バレルゴブリンと戦った時にダイドさんが使ってた道具」
「あぁ、確かミント系の香りがする匂い袋だっけ?」
「あれがゴブリン用。で、こっちがトロール用」
手にしているのは何かの枝を串状に加工した細長い棒だ。
大きさはちょうど割り箸ほどある。
鼻に近づけても臭いを嗅いでみたがよくわからなかった。
線香に近い物なので燃えなければ臭いは出ないらしい。
「これをいくつ買うんだ?」
「どれくらいだろう?お店の人に聞いて見るね」
サフラは店員を呼んで説明を求めた。
店員によれば一晩くらいなら一握り分で事足りるらしい。
数にして十五本程度あれば足りるだろうとのことだ。
逆算すると一本あたり概ね三十分程度持続すると言うことになる。
「香炉はこちらになります」
店員が指差した先には磁器で出来た大きめのビールジョッキに似た物があった。
ビールジョッキとの違いはもち手の部分で携帯に便利なようかなり小ぶりに作られている。
また、下の方には空気を取り入れる小さな穴が空いていた。
使い方は火のついた香木を上から中に入れるだけのようだ。
そうすれば勝手に燃えていく仕組みらしい。
香木の管理も簡単で燃え尽きるまでは特に手を加える必要も無いようだ。
ただし、三十分置きに新しい香木を足さなければならず先々のことを考えると少し面倒な印象だった。
「これだと燃え尽きる度に新しい物を入れる手間があるな」
「さようでございますね。こちらはトロールの徘徊する原野で少しの間だけ休息を取るように工夫されたものになります。一晩中使うには少々勝手が悪いですな」
「一晩中使えるものがあるんですか?」
「それでしたらこちらになります」
そう言って棚に置いてあった小瓶を手にした。
中には油のような少し粘度のある液体が入っている。
店員によれば香木を蒸留して作ったオイルとのことだ。
瓶から微かに柑橘系の香りが漂っている。
「これはどう使うんですか?」
「こちらにろ紙がありますので瓶の蓋をあけてこちらを中に浸してください。ろ紙の一部を瓶の外に出るよう調整してろ紙が中に落ちないよう蓋で押さえます。こうすればろ紙から少しずつオイルが蒸発して長時間効果を持続します」
「なるほど。これは一晩中保ちますか?」
「えぇ、気象状況にもよりますがこの量でしたら二、三日は使えるでしょう」
「そうですか、ではこれを頂きます」
他にもゴブリンとオーク用のオイルも見せてもらいそれぞれ購入して店を出た。
「他のも買ってたけど、どうして?」
大通りを歩きながらサフラが僕の顔を見てきた。
「一応念の為だよ。それに万が一ってこともあるからな」
「そっか。でも、話に聞いていた香炉とはずいぶん違ったね」
「そうだな。これだと当初探してた香炉でもないし。それに小瓶は割高だったし、コストパフォーマンスを考えると香炉ってことなんだろ?」
僕としては安物を買うより高価でも価値のあるものに投資するタイプだ。
その方が長く使えるし何より今回は利便性が大きく違う。
少しでも眠って身体を休めるためには極力余計な手間を省いておきたい。
とりあえずこれで必要な物は揃ったことになる。
あとは出発前に食料を買い込めばいい。
出発は明日の朝に決め今日は早めに休むことにした。
翌朝。
日の出と共に行動を開始した。
戻って来た時にすぐに休めるよう二日分の宿代を支払っておく。
万が一僕らに不幸があって戻らないこともあるのでその時は部屋を片付けておくようにとも付け加えておいた。
目覚めたばかりの町は徐々に活気を見せ始めている。
特にパン屋の朝は早い。
夜明け前には生地を窯に入れ常に出来立てを提供するようにしているようだ。
僕らは焼き上がったばかりのパンを購入して歩きながら朝食を食べた。
出来ればどこかに腰を据えてといきたいところだが少しでも早く依頼を終わらせるためには仕方がない。
「いよいよだね」
「あぁ、旅立ちにはイイ朝日だ」
「えっと、南の岩場までは軍の補給路を通るんだったよね」
「そうだったな。ギルドで聞いた話だとこの先になるんだよな」
視線の先には南へ続く馬車道が続いている。
これが軍の補給路のようだ。
これまで歩いて来た街道とは違い石畳は敷かれていない。
途中に村や町もないので休憩は全て亜人や獣が徘徊する原野と言うことになる。
無理は禁物なので事前にこまめな休憩を挟むことに決めた。
徒歩で約一日かかる岩場は実際に歩いてみると思っていたよりも遠く感じる。
たまに出没する亜人との戦闘は赤子の手を捻るよりも簡単だが何度もとなれば話は別で、目には見えない疲労が徐々に溜まっていく感じがした。
こまめに休みを取りながら歩き続けると徐々に辺りが薄暗くなってきた。
完全に真っ暗になる前に本日のキャンプ地を決めなければいけない。
遅くなればそれだけ危険度も増すので闇の中を移動するのは得策とは言えないからだ。
辺りを見渡すと背の低い木々が立ち並ぶ林を見つけた。
「今日はココで休もう。念のためすぐに武器を取り出せるようにしておくんだ」
林で集めてきた薪に火をつけ焚き火を起こす。
動物は炎を嫌うので一晩中火を絶やさなければ安全だろう。
それと同時に炎は亜人を引き寄せてしまう。
その亜人を寄せ付けないために昨日買った小瓶が役に立つと言うわけだ。
「疲れただろ?火の番をしておくから、サフラは先に休んでくれ」
「レイジは?」
「俺は少しずつ時間を見つけて眠るよ」
「じゃあ、私が少し休んだら火の番を代わってあげる」
「いいよ、今日はたくさん歩いて疲れたろ?」
「平気。思ったより疲れてないから」
結局、サフラが引いてくれなかったので僕が折れることになった。
先に休んだサフラは僕の肩に首を預け寄り添うように眠っている。
焚き火の炎で照らされた横顔はまるで天使のようだ。
僕は炎を絶やさないよう拾ってきた薪をくべながら何気なく銃を手にした。
何発撃っても弾切れを起こさない不思議な銃。
同時にこれを持っている時は何故か心が落ち着くことに気が付いた。
人は何かに依存をする生き物だと中学の時に担任だった教師が言っていたのを思い出した。
そんな担任は僕が高校へ進学した頃に重度のアルコール依存症が原因で入院してそのまま教職を辞したと言う噂を母親から聞いた。
あまり過度な依存は身を滅ぼすと言うことも同時に学んだ出来事だ。
いい機会なので僕にとって銃とは何なのか今一度考えてみることにした。
銃は僕にとって命綱と言っても過言ではない。
今こうして生きていられるのも銃のおかげだ。
これで亜人を倒しそれで得た報酬で毎日生活している。
では、この銃がなければ僕はどうなってしまうだろうか。
なかったらなかったで、それなりに何か別の手段を考えるかもしれない。
身体は常人の数倍は体力があり本気になれば棒切れでもゴブリンくらいなら倒せるだろう。
剣術の基礎を学んで剣士になればそれなりに戦える自信がある。
しかし、今は銃があるためそんな必要はないだろう。
立ち塞がる敵は引金を引いて撃ち倒す。
これがシンプルかつ安全な方法なのだから。
不意に背後で動物の気配を感じた。
炎を警戒しているためすぐに近付いてくる様子はないが油断はできないだろう。
暗闇の中では相手がどんな姿をしているのかわからない。
それに突然飛び掛ってこないとも限らない。
眠っているサフラには悪いが警戒のために危険を知らせておく必要があった。
「サフラ、起きろ。獣が近くにいる」
「…えッ?」
肩を揺するとすぐに目を覚ました。
グッスリ眠っているように見えたが思ったより眠りが浅かったようだ。
僕が火の番をしているとは言え慣れない場所で眠るのは容易なことではない。
「気配が二つ。背後からだ」
「うん…足音、近付いてきてるね」
背後には林がある。
木々の背は低いが獣が姿を隠すにはちょうどいい場所だ。
僕らは武器を手に気配がする方向に注意を向けた。
まだ姿は見えないが聞こえてくる足音から推測するに四足の動物である事は間違いなさそうだ。
「ん?」
「あれ…?」
暗闇の奥から現われたのは小型犬ほどの狼だった。
家犬よりも目つきは鋭いが子どものためか怖いと言う印象はまったくない。
どちらかと言えば可愛らしい印象だ。
狼は僕らと目があって怯えた様子だった。
「親とはぐれたのか?」
「ダメだよ、獣に優しくしたら。情が移っちゃうから」
「だ、だって可愛いものは可愛いだろ…?」
「そうだけど…」
この時の僕にはサフラの言っている言葉の意味がよくわかっていなかった。




