シーン 36
朝。
宿の外から男たちの声が聞こえてきた。
気になって客室の窓から覗くと作業着姿の男たちがスコップやツルハシを手に歩いていく後姿が見える。
彼らが歩いていく方角からして崩落したトンネルを目指しているのだろう。
予定では今日中に工事が終わるはずだ。
今のところ工事に遅れが出ていると言う話は聞かない。
そろそろ僕らも出発の準備を整えた方がよさそうだ。
サフラはいつもより少し遅れて目を覚ますと早速毎朝の恒例となった朝食作りに取り掛かった。
彼女が作るのは蜂蜜をたっぷり塗ったハニーバゲットだ。
僕はバゲッドの真ん中をナイフで切れ目を入れスライスした干し肉を挟んだバゲットサンドを作る。
朝食としては質素だが不満はない。
日本人なら朝食にご飯と味噌汁、焼き魚に漬け物が欲しくなるところだがこの世界でそれを求めるのは酷と言うものだ。
それでも機会があれば作って見たいと思っている。
ただ、理想の朝食を作るにはまず味噌や醤油など調味料を作るところから始めなければならないだろう。
すでに酒場のメニューで確認はしているがこの世界にも米は存在している。
ただし、日本人が見慣れた「ジャポニカ米」ではなく細長い形をした「インディカ米」だった。
調理法も釜で炊くのではなく生米と野菜を炒めて提供されている。
見た目や中に入っている具材こそ違うがスペインのパエリアに似た料理だ。
さらに驚いたことがある。
米は主食ではなく野菜に分類されると言う点だ。
つまりサラダとして扱われている。
他にも味噌や醤油の原料になる大豆も見つけた。
しかし、よく知る大豆とどこか微妙に違い良く目にする黄豆ではなく表面がわずかに赤みを帯びた姿をしている。
イメージとしては小豆が大きくなった印象だ。
魚については内陸部なので海で獲れた生魚は滅多に見掛けることがない。
ただ、小型の淡水魚や乾燥した近海魚は探せば見つけることができる。
サフラによれば遠洋に棲むマグロのような大型回遊魚などは専門に獲る漁師が少なく「超」が付くほどの高級食材になるのだとか。
ゆっくりと時間を掛けて朝食を食べ終えた。
今日はのんびりと過ごす予定だ。
のんびりと言っても客室でグダグダと過ごすわけではない。
町に出て買い物をしようというわけだ。
そうと決まれば行動は早かった。
貴重品を持って宿を出発する。
僕らは露店が立ち並ぶ大通りを歩きながら興味を引く店がないかと物色をしていく。
先日の買い物では必要なモノだけを求めて町の中を彷徨い歩いたが、今回は特にコレと言った目的を決めていない。
気になるものがあれば買ってしまおうと言う程度の気持ちだ。
そのため目に付いた物があれば遠慮なく露店を覗いて行く。
「お兄ちゃんは何か見たいものでもあるの?」
「いや、特に決めてないよ。でも、便利そうな物やウマそうなものがあれば買おうと思ってる。サフラは何か欲しいものでもあるのか?」
「今のところ欲しい物はないけど、美味しいものがあったら食べたいよね」
「だよな。何か名物でもあればいいんだが…」
二人で話し合って散策していると一軒の露店から美味しそうな匂いが漂ってきた。
覗いてみると何かの肉を焼いた串焼きの店だとわかる。
店主に聞いてみたところこの町では珍しいスパイスを使った牛肉の串焼きらしい。
スパイスと言うのだからきっと辛いのだろう。
正直なところあまり辛いものには強くはない。
ただ、珍しいと言われれば食べたみたくなってしまう。
サフラも興味があるらしく串焼きに目を奪われている。
僕らは怖いもの見たさの精神と食欲を誘う匂いに説得され店主に声を掛けた。
「これを二つ貰おう」
「毎度~」
商品を受け取って代金を払うとさっそく店先で一口食べてみた。
口に含んだ感想はよく焼けた肉と言うくらいで、特に辛いと言うこともない。
しかし、肉を噛み締めていくと次第に口の中にコショウのような辛さが広がり遅れて唐辛子のような辛味がやってくる。
サフラによればこれらの香辛料は主にイーストランドが原産地で今居るウエストランドでは希少なモノらしい。
希少な理由は二つあると言う。
生産に適した農地の問題と輸送コストの問題があるそうだ。
また、コショウは肉料理によく使われる代表的なスパイスで、これは前世の記憶からも変わらない。
ただ、生産されるコショウのそのほとんどは商売熱心で有名なとある上流貴族が買占めているため、庶民が口にする頃には多額の税金が掛かってしまう。
そのためコショウは僕が思っているほど身近な調味料ではならしい。
どちらにしても「稀少」と聞けばありがたい気持ちになるのは不思議だ。
「サフラ、どうした?そんなに難しい顔をして」
「…とっても辛い」
「アレ?辛いの苦手だっけ?」
「うん…実はそう」
「何だ、辛いのが苦手なら先に言えばよかったのに」
「だって…お兄ちゃんと一緒のものが食べたかったんだもん」
少し涙目になりながら二口目を口に含んだ。
苦手なら食べなければいいのにとは思ったが、本人が止めようとしないので黙ってみていることにした。
しかし、辛さに耐えかねて表情がどんどん曇っていく。
見ているこっちがいたたまれない気持ちになっていった。
「あ、あのな、無理に食べなくてもいいんだぞ?」
「だ、大丈夫…だと…思う」
結局サフラは無理をして串焼きを全部食べきることができた。
この辺りの根性は素直に感心してしまう。
僕は彼女の労をねぎらって水の入った革袋を差し出した。
「水、飲むだろ?」
「うん…ありがとう」
サフラはそれを受け取るとそのまま一気に喉を潤した。
相当無理をしていたのだろう。
一生懸命水を飲んで辛さを中和しようとする意図が汲み取れた。
次回からはなるべく辛い物を候補から外した方がよさそうだ。
「うぅ…まだ舌がヒリヒリする」
「大丈夫か?確か辛い物には牛乳が合うんだったな。舌がヒリヒリするなら水を飲むよりそちの方がよく効くみたいだぞ」
「牛乳?何で?」
「俺も専門家じゃないから詳しく知らないけど牛乳の乳脂肪が舌にある味蕾をコーティングするから…だったはずだ。仕組みは別にしても実際に試したことがあるから間違いないと思うぞ」
「ニュウシボウ?ミライ?」
サフラの頭にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見える。
僕も普段ほとんど使わない単語だがこれでも一応前世は大学生だった。
「乳脂肪は牛乳の成分で味蕾は舌が味を感じるセンサーだ」
「そうなんだ。お兄ちゃんって何でも知ってるんだね」
「何でもは知らないさ。それにこの世界の常識には疎い方だぞ?」
「じゃあ、お兄ちゃんが知らないことは私が出来る限り教えてあげるね」
「あぁ、よろしく頼む」
別の露店を目指して再び歩みを進めた。
次に目に止まったのはアクセサリーを売る露店だ。
指輪やネックレスなどオーソドックスな物から宝石の原石まで置いてある。
その中の一つを手に取ってサフラに手渡してみた。
「コレなんてどうだ?似合うんじゃないか?」
「コレ何?凄く綺麗」
「ミサンガだ。この宝石はなんだろうな?」
手に取ったのは琥珀色の宝石をあしらった組み紐のアクセサリーだ。
店主によれば宝石はイエロートパーズと言うらしい。
「黄色の石は縁起がいいよな」
「そうなの?」
「あぁ、日本じゃあ黄色は金運、変化、成りたい自分になるとかって意味があってさ。特に金運を意識して財布を黄色にする人も居るくらいだ」
「そうなんだ。うーん、あまり金運には興味ないけど、成りたい自分になれるっていいよね」
「気に入ったなら買ってやるぞ?」
「いいの?」
「あぁ、だけど大切にするんだぞ?」
「はーい」
店主に代金を支払いミサンガを受け取るとサフラは早速それを右の足首に巻いた。
出会った頃の彼女ならプレゼントを遠慮するところだが、これも短剣を手に入れた時に変わった新しい一面なのだろう。
ミサンガ自体は特に高いものではない。
銀貨一枚なのでそれなりだ。
サフラは身に付けたミサンガを見て笑みを浮かべている。
僕もそれを見て思わず笑顔になった。
「よし、次行こうぜ次」
「はーい」
あてもなく町の中を歩いていると不意にニーナの後ろ姿を見つけた。
彼女の買い物なのだろうか。
しかし、彼女は急いでいる様子でこちらには気付かずそのまま雑踏に紛れて見失ってしまった。
特に用があったというわけではないがあれほど長い間一緒に居ただけに少し寂しい気もする。
サフラはニーナに気づいていなかったようで露店に目を奪われていた。
「こうして町の中を歩いてみると結構広いよな」
「そうだね。私の住んでいたところとは大違いだよ」
「そうだな。なあ、サフラ、さっき通り過ぎたところに一つ気になる店があるんだ。寄ってもいいか?」
「いいよ。でもどこに行くの?」
「ちょっとな。行けばわかるさ」
サフラの手を引き僕らはある場所を目指した。
たどり着いたのは町の一画にある火薬の専門店だ。
基本的には鉄鉱石を採掘する鉱夫御用達の店だが、一般向けへの販売も一部の商品に限って行われている。
僕が気になっているのは黒色火薬を使った商品だ。
「着いたぞ」
「ここ?」
「あぁ、中に入ってみよう」
中に入ると黒く煤けた店内にネグロイドのような長身の男性がカウンターの向こうに立っていた。
この世界にも肌の色が黒い人種はいるようだ。
「いらっしゃい。どんな御用で?」
「少し商品を見せてもらいたい」
「えっと…鉱夫ってわけじゃなさそうだね。販売できる商品は限られるがいいかい?」
「えぇ、見せて貰える商品だけでいいですよ」
「では、少々お待ちを」
店員は商品を取りに店の奥へと消えた。
僕らは彼が戻ってくるまでの間、店の中にある商品を眺め物色をする。
しかし、鉱夫御用達の店というだけありスコップやツルハシなどの商品が大半を占めていた。
どうやら火薬を利用した道具は店内に陳列していないようだ。
少しの火気でも爆発する恐れがあるため別の場所で厳重に管理されているのだろう。
しばらくすると男性が置くから木箱に入った商品を持ってきた。
「今ある商品はこれだけだよ」
「これは?」
「鉱夫が使う発破装置の簡易版さ」
「なるほど…こう言う商品が売ってるのか」
「これ何に使うの?」
「出来れば敵に襲われた時に使えないかと思ってな」
想定されるシーンは多くの敵に囲まれた場合だ。
その際これを使ってゴブリンやオークを一網打尽にしようと計画している。
特にバレルゴブリンと戦った時の様な集団戦で大いに活躍するだろう。
これをうまく使いこなすことができれば今後の立ち回り方も変わってくるはずだ。
実際に目にした商品は思っていたよりも小型で携帯に便利そうな形をしている。
大きさはテニスのボールよりも少し小さい球体だ。
工夫さすれば腰のポシェットに三つ四つは入れられるだろうか。




