シーン 19
風呂には思っていたより長く入っていたらしい。
太陽はちょうど真上、正午に位置していた。
今日は特に歩き回ったわけではないが何故か普段通りの程よい空腹がある。
サフラに聞いても同じことを言ったので宿に戻って昼食を食べることにした。
今日のメニューはバゲットに蜂蜜を塗った「ハニーバゲット」だ。
蓋の付いた瓶入りの蜂蜜は使い勝手がよく昼食の際は度々世話になることだろう。
蜜は味に深みがあり色も濃いことから日本蜜蜂の蜂蜜によく似ている。
口当たりも滑らかで癖もなく食べやすい。
サフラはすっかり甘い蜂蜜の虜になったらしく恍惚の表情を浮かべて満足げだ。
「お兄ちゃん、明日の昼食もコレがいい!」
「気に入ったのか?わかったよ。でも、甘い物はたくさん食べ過ぎると太るから注意するんだぞ」
「そうだね~」
ちゃんと返事はしているが声はどこか上の空だ。
本人に自覚がなくとも僕が気を付けていれば大丈夫だろう。
「そう言えばね、お兄ちゃんに少しお話しがあるの」
サフラはハニーバゲットを食べ終えると少し姿勢を正して座りなおした。
これから話すことは大事なことなのだろう。
いつもに比べて少し表情が強張っている。
「何だ?遠慮しないで言ってみな」
「うん…さっきね、お風呂の中でずっと考えてたの。このままじゃいけないって…。ほら、旅を続けるならいつかは危険な目に遭うと思うし。それでね、お兄ちゃんに知ってて欲しいことがあるの。私、少しだけどね、少し弓とナイフを使えるんだよ。お父さんに教えてもらったの」
サフラは思ってもいないことを口にした。
今の話が本当なら、それは戦いたいと言う意思表示になる。
彼女がどれほどの実力を持っているのかはわからないが、これまでのところ到底ゴブリンと対等に渡り合えそうな実力を持ち合わせているようには見えない。
「あのな、サフラ、俺はお前のお父さんがどれくらいの腕前だったのかをよく知らない。お前がどれだけ教え込まれて実力があるのか、それを見極めるにも下手に手合わせをして怪我でもされたら困るからさ。それに、元からお前を危険な目に遭わせる気はないから安心していいんだぞ」
「ううん、旅をしていれば危険なことは必ずあるよ…。私もこの目で実際見たことがあるから」
サフラは悲しい目をした。
彼女が何を見て何を経験してきたのかはまだよくわからない。
ただ、今の彼女が嘘を言っているようには見えずかなり思い詰めた顔をしている。
それだけ不安があるなかで決意したことなのだろう。
確かに僕もサフラの村で村人がゴブリンに殺されていくところを目の当たりにしている。
自身を守る力がなければ一方的に殺されると言うのがこの世界では当たり前のことだ。
彼女が思い詰めているとわかった上でその心配を取り除くにはどうすればいいか。
少なくとも言葉の通り危険な思いをさせるつもりはない。
危険だとわかれば遠回りをしてでも極力避けて通るつもりだ。
今回のバレルゴブリンの一件も僕一人だったらニーナの誘いを受けていたかもしれない。
金貨百五十枚は魅力的だし、それだけあれば当分は不自由なく生活ができるのだから。
ただ、今の僕には「先々の生活」と「危険」を天秤に掛けた場合、どう考えてもサフラの安全を最優先に考えてしまう。
それに、しばらくは生活をするのに困らないだけの資金は手にしているのだから無理に危険を冒す必要もない。
それらを踏まえた上で思いつめている彼女に何と説明すれば納得してもらえるだろうか。
思案した結果、偽るよりも本心をそのまま告げる事にした。
「俺はさ、サフラには幸せになって欲しいんだ。いや、サフラと、だな。そのためにはどちらも悲しい思いをしてはいけない、そう思っている。だから俺がお前を危険な目に合わせないよう頑張るから何も心配なんかしなくていいんだよ」
「…私の思いはね、お兄ちゃんに悲しい思いをして欲しくないの。私を助けてくれた大事な人だから。それに、初めに言ったよね、支えたいって。そのために私が少しでも役に立つことが出来たら、それはすごく嬉しいことなんだよ」
「…サフラ」
「じゃあね、一度だけチャンスが欲しいの。お兄ちゃん、私と手合わせして。それでお兄ちゃんに納得してもらいたいから。これでダメなら私は戦わないから」
「手合わせって…」
「大丈夫だよ。私、本気だから!」
本気だから大丈夫という問題ではない。
気持ちが入ってしまえば手加減を忘れることだってある。
でも、それでサフラが納得するなら、という気持ちもあった。
きっと、ここでうやむやにしてしまえばこの先の関係に溝を残すかもしれない。
サフラはしっかりした子だから表情や言葉には出さなくても一人で葛藤を続けるだろう。
彼女が誰にも理解されず一人で悩み続けるなんて僕に耐えられるはずはなかった。
ましてや僕が原因となれば尚更だ。
すでに答えは出ていた。
むしろ、これ以外の選択肢は他にはない。
やはりここは僕が折れておくしかないようだ。
「…わかったよ。ただし、ダメだと思ったらすぐに止めるからな」
「うん。お願いします」
手合わせをするにも部屋の中でというわけにはいかない。
僕らは宿の裏手に出た。
宿の裏には小さな庭がある。
表通りとは違い人の姿はなく井戸とトイレがあるくらいだ。
用がなければ立ち入らない場所のため人目を気にする必要もない。
手合わせように何か竹刀の代わりになるものはないかと探してみた。
しかし、都合よくちょうどイイ木切れなどは見つかるはずはなく都合のいいようにはできていない。
仕方なく別の場所へ探しに行こうとすると宿の従業員の男性が偶然通りかかった。
ダメ元で事情を説明すると男性は何かを思い出して少し待つように言われた。
時間にして数分と言ったところだろうか。
しばらくすると二本の木剣を手に戻ってきた。
ただの棒切れではなくショートソードを模した模造刀で丁寧に柄までついている。
聞くところによると以前泊まった見習いのハンターが置いていった物らしい。
一年近く経っても持ち主も現われず時間も経っていることから自由に使って構わないそうだ。
気に入れば貰っても平気らしい。
男性はそれだけ言うと仕事に戻っていった。
改めて木剣を見ると樫のような硬い木が使われている。
これなら思い切り殴り合っても簡単に折れることはないだろう。
よく見ると無数の傷があり全体が焦げ茶色に変色して年季が入っている。
前の持ち主はこれを振って鍛錬に明け暮れていたようだ。
「ナイフの長さじゃないが、構わないか?」
「うん。これぐらいならたぶん平気」
サフラは木剣を握り感触を確かめると納得したように頷いた。
ナイフと言っても短剣とショートソードの間、つまりダガーナイフの経験があるらしい。
ショートソードでは扱い方に違いがあるので実力が十分に発揮されないことを考慮に入れておく。
準備が整ったところでサフラに打ち込んでくるよう合図した。
ナイフの扱い方ということで剣道のように剣を振り上げながら間合いを詰めるのではなくフェイシングのように突きを繰り出すスタイルだ。
片手で軽々と扱う木剣は素人とは明らかに違う動きだとすぐに気が付いた。
剣を受ける相手が転生時のボーナスを得た僕だと言うことを考慮してもなかなかの立ち振る舞いだ。
剣を交える度にカンカンと木の乾いた音が響いた。
突きと言うのは相手を剣先、つまり「点」で捉える必要がある。
攻撃が当たった場合の貫通力は凄まじく、力加減や当たり所によって一撃で深いダメージを負わせることも可能だ。
反面、力を伝える範囲が小さいため、攻撃を避けられた場合には隙が生まれやすい。
仮に突きに特化したレイピアや槍であればリーチを生かして優位に立ち振る舞えるが、短剣の場合はどうしても対象への接近が必要になるため不利な場面が多くなる。
相手が丸腰であれば話は別だが戦闘となればそうはいかない。
まだ数合しか剣を合わせていないが現時点で下す結論としては実践向きな技術ではないと判断せざるを得ない。
この技術に用途を求めるなら護身用だろう。
力も並な女の子より少し上という程度なので相手が昨晩の大男や怪物であれば力不足はすぐに露呈する。
ただ、サフラは腕力が不足している部分を剣裁きで補えるだけの技術を持っていた。
僕が振り下ろした剣を刃こぼれしないよう剣の側面で受けて小さな力で受け流していく。
守りから攻撃に転じる反応速度もなかなかで一瞬だが気を抜けば危ういというシーンもあった。
「…どうかな、お兄ちゃん」
「確かに手合わせを申し入れるだけの腕はあるみたいだな。思っていたより隙がない」
「実力、認めてくれるかな?」
「それはもう少し様子を見てからだ」
今度は僕が積極的に攻撃を仕掛けて見ることにした。
彼女の守りは思っていたより堅いため少しくらい本気になっても平気だろう。
剣道で言うところの面、胴、小手、突きと別々の攻め方を試していく。
その度にサフラは軽くステップを踏んで重心を変えながら受け流していった。
その姿はまるで踊っているようも見える。
そんな僕らの元に乾いた拍手の音が聞こえてきた。
振り返るとニーナが手を叩きながらこちらへ歩いて来ている。
「いや~なかなかの剣裁きじゃないか。まったく、末恐ろしい子だ」
「…ニーナ、どうしてここに?」
「そんなに怪訝そうな顔をしないでくれよ。傷付くじゃないか。どうやら偶然同じ宿だったようでね、廊下から二人の姿が見えたんだ」
「そうだったのか」
ニーナの宿泊先を聞いていなかったのでこういうこともあるだろう。
偶然というものは重なるものだ。
聞くところによるとこの宿には三日前から滞在しているらしい。
「は、初めまして、サフラといいます」
「おや、礼儀正しい良い子じゃないか。私はニーナだ、よろしく。お姉さんはキミみたいな子が大好きだよ」
「こらこら…ウチの娘に色目を使うんじゃない」
気分はまさに父親のそれだ。
それを聞いてニーナは少し不満そうにした。
まるで駄々っ子のように。
「いいじゃないか、減るもんじゃないし。ね、サフラちゃん」
「は、はい…」
「ウチの娘が困ってるだろ!まったく。で、何をしに来たんだ?」
ここへ来たということは何かあるのだろう。
夕食を一緒に食べる時間まではしばらくある。
「いいや、特には。面白い事をしていたから、ついね」
「考え無しか…」
「ところでキミたちは何をしているんだい?」
「見ての通り試験を兼ねた手合わせだ」
「試験?」
「あぁ、サフラの腕前を認めるかどうか試しているところだ」
ちなみに今のところ認めるか否かは悩んでいた。
思っていたより剣裁きも軽やかで同じ武器同士なら僕とあまり遜色がない実力だ。
サフラはまだ涼しい顔をしているので実力を出し切ってはいないらしい。
このまま真剣にやり合ったとしても体力的な優位性で僕が辛勝する程度だろう。
ただし、それは同じ武器を使っているからだ。
相手がリーチの長い武器を持っていれば明らかな差が生まれる。
「ふむ、試験ね。サフラちゃん、ちょっといいかな?」
「何でしょう?」
「私と手合わせしてみないかい?もちろん、キミの全力で」
「え?」
サフラは突然手合わせを申し込まれあっけらかんとしている。
当のニーナは真剣と言った表情で冗談を言っている様子はない。
サフラもその空気を感じ取ったのか僕に助けを求めるように視線を泳がせている。
ただし、その視線からは逃げ出したいという意図は感じられない。
自分の実力を披露する絶好の機会ではあるが、僕の了承がなければ受けるつもりはないようだ。
それらを理解した上で答えを出してやった。
「…わかったよ。ただし、怪我だけはさせるな。万が一サフラに何かあれば場合によってはお前を殺すことになるかもしれん」
「おぉ、何とも物騒だな。わかってるよ。サフラちゃんはいずれ私が貰い受けるつもりさ」
「冗談はよせ。サフラが混乱してる」
言われた本人も言葉の意味をよく理解せず困惑している。
もちろん僕はニーナにサフラを引き渡すつもりはないので心配はいらない。
もしそうなった時は全力で死守するまでだ。
ニーナは木剣をよこせと笑顔で催促してきたので最後に念を押して渋々手渡した。
「さぁ、全力でかかっておいで。でないと怪我するよ!」
「では…行きます」
最初の立ち位置はお互いの剣が届かない程度の距離が開いている。
サフラは地面を強く蹴って左右にステップを入れながらニーナの様子を伺うと、利き足で前へと思い切りのいいステップで間合いを詰めた。
同時に木剣の先をニーナに向けて鋭い突きを放つ。
しかし、ニーナはそれを同じく剣先で受けると様子を伺うようにサイドステップで距離を取った。
ニーナの腕ならあそこから反撃に転じられただろう。
あえて間合いを取ったのは手加減をしているからだ。
むしろ驚くべきはサフラの方だった。
ニーナのサイドステップに対応をして身体の軸を傾けると、剣の軌道を変えて息もつかせぬ攻撃を繰り出した。
ニーナもそれらをギリギリのところで避けると今度は大きく後ろへと逃れ仕切り直しになる。
もう少しリーチが長ければ狙い通り身体を捕らえていただろう。
相手が並みの剣士なら追撃でダメージを受けていたに違いない。
致命傷とまではいかないものの、実際には少し傷を負っただけでも機動力は落ちてしまう。
それに、先ほどまで僕と手合わせをした時より反応速度が速く目を見張るものがあった。
その姿はまるで別人のようだ。
僕であれ油断をして追撃を受けていた可能性もある。
「うん。見立て通りなかなかやるじゃないか。お姉さんは嬉しいよ」
「あ、ありがとうございます…」
「じゃあ、今度は私が攻めさせてもらうよ」
そう言ってニーナは一瞬視界から消えた。
いや、これはサフラの視点からそう見えたのではないか、と言う客観的な感想だ。
実際には長身のニーナが身を低くして細かなステップを入れながら素早く間合を詰める姿が僕の位置からはっきり見えている。
ニーナが攻撃を仕掛けたのとほぼ同時に剣がぶつかり合う乾いた音が響いた。
ニーナは身体を低くした体勢から剣を下から斜め右上に切り上げ、サフラは木剣を両手持ちにして受け止めている。
続けてニーナは一度ステップを踏んで後ろへ跳び右へ左へとフェイントを入れた。
例えるならサッカー選手がディフェンダーを交わそうとする姿にも見える。
分身していると言えば大袈裟だが素早い重心移動で的を絞らせないようにしていた。
サフラは動きを見極めつつチャンスを伺っている。
次の瞬間、サフラは狙いを澄ませて剣先を突き出したが、ニーナは当然といった様子で受け流しニヤリと口元を歪めた。
そして、ニーナは素早く剣を突き出し、剣先はサフラの心臓の手前で急停止した。
「…参りました」
サフラが降参の声をあげたので手合わせは終了となった。
「いや~楽しかったよ。久しぶりにこう言う遊びもいいな。サフラちゃん、また相手をしてね」
「は、はい。是非」
サフラは深々と頭を下げてそれに応えている。
僕はと言えば怪我もなく無事に終わってホッと胸を撫で下ろし、健闘した両名を讃えた。




