シーン 118
味噌汁の一件から十日が経った。
その間に何か変わったことと言えばマオとエールの表情だ。
最初は緊張から難しい顔をしていたが最近は生活にも慣れてきたおかげで笑顔が見られるようになった。
特に姉のマオは元々明るい性格で人当たりもいいため彼女から自発的に接してくるようになり優しい笑顔を投げかけてくれる。
エールも姉を交えながら会話が増えつつありようやく昨日辺りから笑顔が見られるようになった。
マオによると二人が我が家に来て一番驚いたのは食事だったらしい。
貴族ともなれば日に三食は当たり前だが使用人は二食が普通だ。
また、奴隷はさらに特別らしく奴隷の事情に詳しいペオによれば、一日一食で過ごさなければいけないらしい。
もちろん食べられる量も制限されるため満足な食事が与えられるのは非常に稀だと言う。
これは奴隷が平民よりも身分が下になるため区別するために用いられているようだ。
ただ、僕の方針では家族は全員揃って食卓を囲むように徹底しているため二人も同様に同じ物を同じ時間に食べている。
慣れない二人はずっと恐縮していたが最近ではそれにもようやく慣れてきたようだ。
「マオ、嬉しそうなじゃないか」
裏庭ではペオのサポートで家事に励むマオが楽しそうに笑っていた。
今手伝っているのは洗濯だ。
気付けば六人の大家族になったため一人で洗濯をするにはどうしても時間がかかってしまう。
洗濯機があれば話は別だがここは電気も通じていない中世頃の文化レベルで、それを求めるのは酷と言うものだった。
むしろ、洗濯に熱中する二人にはそんな物があると言うことは夢にも思わないだろう。
「あ、レイジ様。可笑しいんですよ、ペオさんったら」
どうやらマオのツボにハマるやり取りがあったらしい。
隣では少し不機嫌そうなペオが黙々と洗濯物と格闘している。
この世界には洗濯機はないため「たらい」に水を張り入念に手洗いをするしかない。
「何がおもしろいって?」
「レイジ様、見てください。面白いですよ」
「あ…あぁ、そう言うことね。ふふ、何をしたらそんな風になるんだよ」
よく見るとペオの半身が水浸しになっている。
まるで池にでも落ちたのではと言うほど派手に濡れていた。
「レイジ様、聞いてくださいよ!僕が悪いんじゃないんです。マオが…」
ペオによるとさっきまで二人でそれぞれの「たらい」を使って洗濯をしていたようだ。
そんな最中、マオが汚れた水を変えよと立ち上がったところ、「たらい」に足を引っ掛けてしまいその弾みでペオに水が掛かってしまったらしい。
洗濯に熱中していたペオは逃げるのが間に合わず水浸しになってしまったようだ。
「ペオも意地張ってないで着替えてきたらどうだ?そろそろ夏だからって濡れてたら風邪引くぞ」
「…そうします。マオ、残りをお願い」
ペオはそのまま自室へと戻っていった。
本人は不本意そうだがこれも彼を思ってのことだ。
「マオ、まだ笑ってるのかい?」
「す、すみません。お仕事中なのに、私ったら」
マオは正気に戻って表情を硬くしてしまった。
僕としては注意をしたわけではなく単に疑問に思ったことを口にしただけだ。
「いや、そうじゃないんだ。随分楽しそうに笑うんだなって思っただけだから。最初会ったときは表情も硬かったけど今はよく笑えるようになったね」
「そうですか?」
「あぁ、キミの笑顔は見ているだけで元気がもらえるよ。だからキミたちが笑って居られるよう僕は毎日頑張るんだけどね」
僕はこの世界の常識が正しいとは思っていない。
むしろ、何が正しくて何が間違っているかと言う議論は不毛だろう。
結局、その答えを持っているのは自分自身しかいないのだから。
僕は僕のやり方でこの場所を変えていこうと思う。
その一つが家族や僕に関わる人を大切にすることだ。
「そう言えばペオさんから聞きました。レイジ様は前の大会で優勝されて貴族になられたとか。以前はどうしていたんですか?」
「そうか、キミたちにはまだ言っていなかったよね。俺は遠い異国、日本と言うところから来たんだ。実のところ自分の意志とは無関係にこの国には偶然たどり着いたんだけどね」
それを聞いてマオは不思議そうな顔をした。
自分の意志とは関係なくここへ来たと言われれば当然だろう。
僕もそんなことを言われたら彼女と同じ顔をするはずだ。
「置き去りに…されたのですか?」
「いや、気付いたらこの国にいたんだ。何でだろうね」
「記憶喪失…ではありませんか?」
「うーん…そうなのかな?確かにどうやって日本に戻るのかわからないよ。まあ、今は戻れなくてもいいと思えるようになったのだけれどね」
詳しく説明したところで理解はしてもらえないだろう。
変に気を使わせるより彼女なりに理解してもらった方がいい。
もし、本当のことを話す機会があれば改めて説明しようと思う。
「そうでしたか。帰り道、思い出せるといいですね。でも、そうなったら私たちは…」
「大丈夫だよ。キミたちを見捨てたりしないから。もし日本に戻ることが出来たとしてもキミたちを連れて行くさ」
「ありがとうございます。何処へでもお供します」
午後。
早めの昼食を済ませると家族全員がリビングに集まった。
今日は食堂出店計画の最終調整をしようと思っている。
提供するメニューはすでに決定しているため営業時間や休日など運営に関する内容を決めることが中心になる予定だ。
「では、今日の議題は営業時間についてだ。みんなの意見を聞きたい」
「私は夕方からでいいと思うよ」
まず先にサフラが意見を述べた。
この話し合いは事前に告知してあったためそれぞれ自分の意見を持ってこの場に参加している。
サフラは自分なりに練った意見に自信を持っていた。
「理由は?」
「他のお店も夕方からだよね。ウチだけ早くするより合わせた方がいいかなって」
「なるほどな。確かに一理ある。じゃあ、ニーナはどうだ?何か意見はあるか?」
「そうだな。ここは貴族や金持ちの住宅街だからその客に合わせてみてはどうだろうか。具体的な時間帯は昼から夜だな。それなら朝から仕込みをすれば間に合うだろう」
「それも一理あるな。じゃあ次、ペオはどうだ?」
「僕は朝から店を開けた方がいいと思います。具体的には朝食と昼食まではお店を開けて、夕方は少しお休みして夕食の時間から開けてはどうでしょう」
「おッ、それはお前が一人で考えたのか?」
「はい。効率よく運営しようと思案したところこの考えに至りました」
ペオは自信を持ってそう言った。
ただ、彼の方法では店が中心の生活になってしまう。
そうなると誰が家事をするのかと言う問題が浮上する。
他にも僕らが家を空けるような時は誰が対応するのか、そこが大きな問題だ。
「それでは誰が家事をするのでしょう?レイジ様にやっていただくわけにもいきませんし…」
「いや、俺は平気だぞ?元々一人でやってきたからな」
そう言ってマオに助け舟を出しておいた。
それを聞いても尚、彼女は不満があるらしい。
理由を聞いてみると使用人たる者、主人公の手を煩わすのは恐れ多いとのことだった。
「まだそんなこと言ってるのか?言ったじゃないか、家族なんだから助け合えばいいって。それに店が忙しければ俺も手伝うつもりだからな」
「そ、そんな…」
「マオ、諦めなよ。レイジ様がそう言っているんだからキミもその通りにすればいいんだよ」
「おッ、ペオもわかってきたじゃないか」
「はい、さすがに慣れました」
ペオは悟りを開いた僧侶のように眉すら動かさず平然と答えた。
昔の彼なら何か理由をつけて僕に食い下がってきただろう。
それが使用人の務めだと言う大義名分のような熱い志と共に。
「私も手伝うからみんなで手分けすれば大丈夫だよ。でも営業時間は様子を見ながら変えていったらどうかな?初めてのお店だし最初からうまくはいかないと思うから」
サフラの意見は慎重だった。
確かに初めから予定通りにいくとは考えにくい。
それに最初のうちは慣れるまでに時間がかかり手際も悪くなるだろうから、料理の提供にもそれなりに時間がかかるだろう。
それならば営業時間を短くして最高のサービスを提供した方がいいと言うわけだ。
人間、長い間集中するのは難しい。
そうしたことも考慮に入れての意見だった。
「エールはどうだ?さっきから黙っているけど、お前の意見も聞きたい」
先ほどからエールは黙り込んだままだ。
最初から表情は変わっていないが彼にも話し合いに参加してもらい意見を取り入れたいと思っている。
「え、えっと…そうですね。僕は皆さんの意見を参考にして、サフラさんの意見がいいと思います。やはり初めてのことなので緊張もするでしょう。それで時間を少しずつ変えるなどの対応をしていけばきっと良い店になるでしょう」
「わかった。では一度採決を取ろうと思う。みんな、目を閉じてイイと思う意見に手を挙げてくれ」
意思確認の結果サフラの案を採用することが決まった。
ただ、これは暫定的な処置なので様子を見ながら状況に応じて変えていくつもりだ。
この他に店のディスプレイの方法や値段の設定など細かな仕様を決めなければならない。
特に時間を使ったのはメニューの値段で、他の店の価格を参考にしつつ様々な意見が出された。
僕の方針としては多くの人に日本の味を楽しんでもらいためあまり高価な値段にはしたくない。
むしろ、庶民でも楽しめるようなファミリーレストラン程度の気軽さで利用してもらいたいと思っている。
サフラはその考えに賛同してくれたもののニーナは何故か否定的だった。
手頃な価格設定では店が忙しくなりどうしてもペオたちに負担がかかってしまうと言うのがその理由だ。
どうやら彼女なりにペオたちのことを心配して対立意見を出したらしい。
ペオによれば忙しさについては対応策をすでに考えてあるようだ。
そのあたりは抜かりがないところは彼らしい。
最終的に僕がまとめ役に徹する事で話し合いは滞りなく終わった。
「じゃあ、以上の内容で決定しようと思う。異論はないか?」
「あぁ、それでやってくれ。必要なら私も手を貸すよ」
反対派のニーナも納得してくれたようだ。
「話し合ったら腹が減ったな。みんな、何が食べたい?」
「そんなの決まってるよね~」
と、これはサフラの意見だ。
それを合図にみんなはアイコンタクトを交わし一斉に声を上げた。
『チャーハン!』
見事なシンクロだった。
これにより僕以外の全員がみんな同じ意見で一致した。
こんな様子を見るとまるで今までずっと一緒だった家族のように思う。
ここまで短い間ではあったが確実に心が通っていた。
これでまた一つ僕が望んだ家族の形へ一歩近付けたように思う。




