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シーン 108

 応急処置を済ませサフラをベッドに寝かせた。

 思えば酒が原因で倒れたのはこれが初めてだ。

 場の雰囲気に流されたとは言えサフラには珍しい失敗だった。

 きっと普段通りの体調だったならここまで酷くはならなかっただろう。

 半日近く飲まず食わずのまま牢を抜け出し、それから緊張の連続だったから精神的にも参っていたと思う。

 もう少し僕が気にかけていればと後悔の波が押し寄せてくる。


 サフラの寝顔を見るとたまにふと思うことがある。

 転生した日のことだ。

何もわからないままこの世界にやってきて今まで何とか生き延びてきた。

 幸運だったのか、それとも転生の時に得た能力のおかげか。

 むしろその両方があって今があると思っている。

 だけど、普通の男子学生だった僕は何故あの時冷静で居られたのだろう。

 普通わけもわからず草原に放り出され「一人で生きていけ」と言われば動揺や不安を感じると思う。

 実際あの時の僕はそんな風に感じていたのだろうか。

 今だから言える答えはノーだ。

 あの時の僕は自分でもビックリするほど冷静で自分の変化にただ驚いていた。

 人間離れしたこの身体もゲームや漫画の中でしか存在しなかったゴブリンも初めて撃った銃の感覚も全てが新鮮だったのだから。

 ただ、僕は昔から争うことが嫌いだと他人に公言していた。

 でも、本心では心底争いが嫌いだったわけではないとこの世界に来て気が付いた。

 当時は社交辞令のように「争いはダメ」と思い込もうとしていた。

 だけど、友達たちと興じていたサバイバルゲームをしていた時の気持ちはどうだっただろうか。

 もちろん当時は遊戯玩具の銃だったが今は殺傷能力を持った本物の銃だ。

 だから、この世界に転生したあの日それまで当たり前と思っていた常識から解放され同時に本当の自由を知った。

 誰にも縛られず誰にも咎められない世界。

 暴力と権力が支配するこのブレイターナは力ある者の楽園なのだと。

 そして「本当の自由」は「不自由」の裏返しでもあることも。


 今、僕は自分にルールを設けて生活している。

 結局、僕は前世の常識にとらわれて何をするにもこの世界には不釣合いな判断基準を元にしているのだ。

 だけど、それでいいと思っている。

 そうした考え方も経験もそれらが全て僕の一部なのだから。

 これを変えてしまったらこれまで生きてきた「狭山令二」は消えてしまうのではとさえ思っている。

 心の底に言いようのない不安がフツフツと湧き上がってさえくるのだから。


 「…ジ、レイジ?」


 遠くで声が聞こえた。

 声の主はサフラだった。

 どうやら考えことをしながら眠ってしまったらしい。

 まだ頭が半分眠った状態で本調子には少し時間が掛かりそうだ。


 「…レイジ、大丈夫?」

 「ん…あぁ、ちょっと眠いくらいだ。酔いもない」

 「でも、眠ってる時の顔、難しい顔だったよ?」

 「え…?」


 指摘をされて思わず両手で顔を覆った。

 少し顔が火照っている以外はいつもと変わらない。

 違いがあるとすれば表面的な問題ではなく内面的な変化だ。

 考えことをしていた前と後で気持ちの落ち着きがまるで違っていた。


 「でも、今はスッキリした顔をしてるかな。ちょっと顔は赤いけど」

 「顔が赤いのはまだ酒が完全に抜けていないせいさ。それより、もう平気なのか?」

 「…えっと、大丈夫…だと思うよ」


 そうは言ってもまだベッドから身体を起こすことはできないらしい。

 最悪の事態だけは回避されたが本調子にはもう少し時間が掛かりそうだ。


 「待ってろ、水を貰ってきてやる」

 「あ…ありがと」


 サフラの顔が一瞬赤くなった。

 ただ、それが飲酒によるものかそうではない別の理由なのかはわからない。

 本人はそれをとても気にした様子で毛布を被って顔を隠した。


 「ほら、水だぞ」

 「う…うん」


 厨房で貰った水入りのグラスを差し出した。

 しかし、サフラは布団に潜ったままだ。

 仕方なく傍らのキャビネットにグラスを置いた。

 飲みたくなければ無理強いをする必要はない。


 「どうしたんだよ、まだ具合悪いのか?」

 「ち…ちょっとね」

 「あんな強い酒一気に飲むからだぞ?酒に弱いヤツが空きっ腹であんな飲み方をすれば当然だ」


 ドワーフたちが飲む酒はアルコール度数が高い。

 正確な数字まではわからないが今回出されたもので一般的なワインよりも高く、飲み慣れている人でも少し違和感を覚えるほどだ。

 そういえばアルマハウドも酒を一口含んだ際に表情が渋くなったのを思い出した。

 彼はあまり酒が得意な方ではないが嗜む程度には飲めるらしい。

 それでも今まで飲んだどの酒よりも度数が高く飲みにくかったと漏らしていた。

 ケルドによればアルコール度数が高すぎて火が付くものも珍しくないようだ。


 「…ごめんなさい」


 サフラが布団の中で小さく呟いた。

 まだ顔は見えないが先ほどより声は元気そうだ。


 「気にするなって。次から気を付ければいい」

 「…そうじゃなくて…ね。レイジのこと、気付いてあげられなくて…ごめんなさい」

 「え…?」


 わけがわからなかった。

 その言葉に込められた思いが理解出来ない自分が恥ずかしい。

 だから、理由がわからず僕の中で時計の針が止まった。


 「さっき…寝てる時の顔、難しい顔って言うより、すごく痛そうに見えたから。気付いてあげられなくて、ごめんなさい」

 「な、何言ってるんだよ?別に俺はどこも怪我なんて…」

 「違うの、レイジ…心が痛いって顔してたよ」


 そう言われて心臓が強く脈を打った。

 動悸がして息が苦しい。

 何故こんなにも激しく動揺しているのか僕にはわからなかった。

 そんな時だった。

 サフラは不意にベッドから起き上がり何も言わずに僕を抱きしめてきた。

 甘い女の子の香りと微かに残る酒の匂い。

 幼さと大人っぽさが同居した香りだった。


 「辛いときは…泣いてもいいんだよ」

 「べ、別に辛くなんか…」

 「私じゃ力不足かな。頼りない…よね。ニーナさんと比べたら子ども…だもんね」


 僕を抱くサフラの腕に力が入った。

 しかし、不快に思う痛さはない。

 女の子特有の柔らかい身体と体温が服の上から伝わってくる。

 思えばサフラからこれほど熱い抱擁をしてきたのは初めてだ。

 いつも彼女を励ますのは僕だったのに今回ばかりは立場が逆転していた。

 よく見るとサフラの肩が小さく震えていることに気が付く。

 それは悔しさを感じて我慢をした隠しきれない感情の発露だった。


 「泣いてるのか…?」

 「…うん」

 「そうか、心配かけたな…」


 僕もサフラを抱きしめた。

 同時に視界が霞んで見え辛くなる。

 頬が冷たくなりそれが涙だとわかった。

 とめどなく流れる涙の理由がわからない。

 どうして自分に問いかけても心の中に棲むもう一人の僕から答えは返ってこなかった。


 「…やっと泣いてくれたね」

 「べ、別に泣いてなんか…」


 強がって隠そうにも声が震えている。

 みっともないとわかっていても自分ではどうすることも出来なかった。


 「大丈夫、レイジは間違ってないよ?」


 サフラの言葉が胸に刺さった。

 出会って以来いつも一緒に居た彼女は僕を見ていた。

 僕もサフラのことを気にかけていたが最近は修行を理由にニーナと過ごす時間が増え、以前ほど気を使う時間が少なくなっていたのは事実だ。

 目に見えて成長する彼女を喜ばしく思う反面、親離れの時期を迎えた父親の気分だと勝手に思い込んでいた。

 けれど、それが間違いだと気が付いたのはマンイーターと戦った時だ。

 彼女がゴブリンやオークを倒せても並みのハンターと同等か少し強い程度。

 もちろん、この歳にしては驚くべき実力だがこの世界を一人の力で生きていくにはそれだけでは不十分だ。

 彼女には僕が必要だと再認識したのはマンイーターとの戦いを終えた後のこと。

 それと同じ…いや、それ以上に僕にもサフラが必要だと気が付いた。

 家族と言って保護者面をしてきたがどこかで僕は一人を怖れていた。


 生前、鍵っ子だった僕は、学校から帰ると一人ぼっちだった。

 誰にも寂しさをわかってもらえず共働きの両親に心配をかけまいと感情を押し殺していた。

 いつしかそんな気持ちにも慣れてしまい僕は一人でも大丈夫だと思い込んでいた。

 だけど、サフラに出会ってそんな思い込みは偽りだと気付いた。

 僕は誰かに必要とされたい。

 「一人は嫌だ」と。

 サフラに出会ってからそんな思いが日増しに強くなっていた。

 この旅に出たのも勢いで皇帝に啖呵を切ったからではない。

 無意識に「僕に何が出来るのか」その可能性を知りたくて僕は一歩前へ踏み出したのだから。

 これは生前の僕では考えられなかった変化だった。

 そのきっかけをくれたのは胸の中にいるサフラだ。


 「…ありがとな」

 「うんん、私は何もしてないよ…」

 「いや、お前が…サフラが居てくれたからここまで歩いて来れた。あの時、俺たちが出会わなければこうはなっていなかったよ」


 僕らの出会いは偶然だった。

 ただ、その偶然は僕にとってかけがえのないものになっていた。

 もし、あの時サフラを見捨てていたら今頃は一人で荒野をさまよい誰にも看取られずに死んでいたかもしれない。

 だけど、彼女が居たから「彼女を守る」と言う生きる希望を見つけることができたから今の僕はここにある。


 不意にこの涙の意味を理解した。

 普段何気なく過ごしていても前世の記憶や経験が邪魔をして自分を偽って生きていたのだと気が付いた。

 もちろん、それが僕自身なのだけれどそれは一人きりだった頃の話だ。

 今はサフラが居る。

 もう、昔の僕ではないのだから。

 この涙は「過去」と「今」の自分を分ける決意表明だと言うことにようやく気が付くことができた。


 「…レイジ、痛い顔じゃなくなってるね」

 「気持ちの整理、できたからな」

 「そっか…今のレイジ、すごくカッコいいよ」

 「い、今まで泣いてたヤツがカッコいいわけないだろ…」

 「ホントだよ」


 サフラはゆっくりと顔を近づけ頬に口付けをした。

 大人同士が愛を確かめ合うスキンシップにはほど遠い拙い仕草だ。

 しかし、これが今の彼女に出来る精一杯の気遣いだった。

 そう思うとサフラのことが一層愛おしく思えてくる。

 同時に顔が熱くなった。

 きっと耳も赤くなっているだろう。


 「な…何してんだよ」

 「いつも頑張ってくれるレイジにご褒美だよ」

 「ば、バカ言ってんじゃねぇよ!俺はこれからも頑張るんだよ。お前やみんなの為にな」


 サフラはもちろん僕に関わる全ての人を幸せにしたいと思っている。

 今、僕らがしなければいけないのはドワーフたちと和解だ。

 人間とドワーフのわだかまりがなくなればこの世界から争いの火種が少なくなっていく。

 それで全て解決というわけではないが僕はそれを成さなければいけない

 そう自分に言い聞かせた。

 それが今の僕の最優先事項なのだから。

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