シーン 102
サフラは武器を手に駆け出した。
マンイーターは頭を持ち上げて体当たりを仕掛けようとしている。
しかし、一度見た攻撃であれば軌道を予測するのは難しくない。
サフラは真横に飛んで攻撃をかわすとマンイーターの腹に短剣を突き立てた。
並みの亜人なら致命傷か即死するほどの傷だが、体格の大きいマンイーターにはせいぜい蜂に刺された程度だろうか。
多少の痛みを感じているだろうがダメージと呼ぶにはほど遠いだろう。
続けて鞭を高速で振るいマンイーターの身体に叩きつけた。
鞭と言うのは使用者の腕次第で先端部分は音速に達する。
新体操で扱うリボンを素早く振ると衝撃波を伴った大きな音が鳴るのと似た原理だ。
サフラの振るった鞭の先端部分は空気を切り裂いて音速に達した。
ミスリル製の鞭は拷問や調教に使う革製のものとは違い重さと強度を活かして恐ろしい破壊力を生む。
一度打たれれば生身の人間なら絶命までとはいかないものの骨が砕け激痛で意識を失うだろう。
鞭での攻撃は短剣を突き立てた時よりもダメージを与えていた。
雷に焼かれただれた皮膚は鞭で容易に裂け身体を徐々に削り取っていく。
「ほう、鞭の扱いが上手だな」
セシルは一仕事終えたと言う顔で馬車に戻り楽しそうに笑った。
僕にしてみれば一瞬たりとも気が抜けない状況が続いている。
相手がゴブリン程度ならここまで不安に思うことはないが今回ばかりは相手が悪すぎだ。
「何故サフラに代わった!お前なら楽に仕留められたはずだ」
「おかしなことを言うんだな。あれは彼女が望んだことなんだよ。私はお願いされて仕方なく代わったんだ」
セシルの表情は少し面白くないと言った顔に変わった。
彼女の言葉が本当なら耳を疑いたくなる。
確かにサフラは馬車を飛び出し自らマンイーターに向かっていった。
初めは勉強熱心な性格から言葉通り見ているだけだと思っていたが事前に打ち合わせていたらしい。
それに、危険があれば僕がすぐに助ければいいのだとも。
しかし、至近距離で戦う彼女に万が一危険が迫ればここからでは助けに入るのが遅れてしまう。
今まで通り銃を撃ってお仕舞いと言う相手ならこれほど不安に思わないが、仮に現在最高峰の火力を持つマグナム銃M500を使って応戦してもヤツを倒すことは難しい。
正確に頭を貫けば話は別だが巨大でよく動き回る頭部のどこに脳が収められてはいるかわからなった。
その間にもサフラは少しずつマンイーターの身体を削り取っていく。
このまま攻撃を続けつつマンイーターの攻撃を受けなければ勝機が見えてくるはずだ。
そう思った矢先だった。
マンイーターは頭を高く持ち上げるとまるで掃除機のように大きく息を吸い込んだ。
次の瞬間、サフラの華奢な身体が浮き上がりそのまま口の中へ吸い込まれていった。
それはまさに一瞬の出来事だ。
彼女の姿が見えなくなるその瞬間まで一体何が起こったのか理解が出来なかった。
「ち…ヤツもバカではないか」
セシルの舌打ちでようやく目の前で起きた出来事を理解した。
「サフラぁぁぁッ!」
僕は錯乱状態になり気付くと隣に居たセシルのライトニングソードを鞘から抜き取って吸引を続けるマンイーターに飛び込んでいた。
次の瞬間にはサフラと同様に身体が浮き上がりすぐに真っ暗な体内へと呑み込まれた。
真っ暗な体内は蒸し風呂のように暑く真っ暗なトンネルになっている。
少し呼吸は辛いが今のところ酸欠になるほどではない。
「サフラ!どこだ!!」
「レイジ!?」
闇の中で声が聞こえる。
サフラは無事だった。
ポシェットから烈火石を取り出して炎を灯すと闇の中で見慣れた少女の顔を見つけた。
「バカ野郎!あれほど無茶をするなと言ったじゃないか」
「ご…ごめんなさい」
思えばサフラに叱咤したのはこれが初めてだ。
いつも天才的な感覚で僕を驚かせることはあっても僕を困らせたことは一度もない。
ただ、今はゆっくりしている時間はない。
早くしなければこのまま胃の中に放り込まれ強い酸性の胃液に消化されてしまう。
アルマハウドから聞いたマンイーターの説明によれば今居る場所は胃に繋がる食道内の窪みだ。
悪食で大食漢のマンイーターはここで異物を選別し、消化できない不要なモノは外へ吐き出してしまうらしい。
ただ、吐き出す時は大量の胃酸と一緒に押し出されてしまう。
酸に触れた皮膚は火傷を負ったようにただれてしまうようだ。
安全に抜け出す方法は内部から身体を切り裂く他はない。
「ここから脱出する。これを持ってろ」
烈火石をサフラに渡しライトニングソードを構える。
扱い方は烈火石で炎を灯すのと同じ原理だ。
目を閉じて精神を集中すると刀身は帯電して光り輝いた。
同時に少しネガティブな気持ちになる。
魔具に精神を食われたらしい。
どうやら僕はこの剣に適合しないようだ。
それでも精神力を犠牲にすれば能力を扱うことができる。
「…サフラ、離れてろ!」
帯電した刃を真横に振り抜くと雷雲と同じ放電現象が起きた。
同時に高電圧の電撃がレーザービームのように放たれ、食道の肉壁に衝突すると水分が蒸発して大爆発を起こした。
「キャーッ」
サフラは爆発に驚いて悲鳴をあげた。
想像以上の爆発に僕の心臓も脈が早くなる。
しかし、そのおかげで肉壁には直径七十センチほどの大きな穴が空き外の景色が見えるようになった。
僕はうろたえるサフラを小脇に抱えると穴を帯電した剣で肉壁を切り裂いて外へ飛び出した。
「レイジだ!サフラちゃんも無事だぞ!!」
外に出るとニーナがアルマハウドを連れて掛けてきた。
アルマハウドは僕らの横を駆け抜けるとそのまま大剣を振り上げ、まだ息のあるマンイーターの身体に刃をめり込ませる。
強靭な力で引き裂かれた身体からは内蔵の一部が飛び出し、それが決定打になってマンイーターは動かなくなった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「レイジ、しっかりしろ!落ち着け、ゆっくり息を吸うんだ」
ニーナに言われるままゆっくり息を吸い乱れた呼吸を整えた。
まだ動悸が治まらないがこれは爆発に驚いたのが原因だ。
しばらくすると動悸も治まり冷静さを取り戻した。
「…すまない、心配をかけた」
「無事で良かった。二人が呑み込まれたのを見てさすがに肝を冷やしたぞ」
ニーナの顔に安堵が浮かぶ。
よほど心配してくれたのだろう。
ニーナに礼を言って立ち上がった。
「…ごめんなさい」
サフラはまだ自分の失態を反省していた。
実際、対応が遅れていれば無事では済まなかっただろう。
アルマハウドによると吸引を続けている間は食道の窪みに留まるが、それが終わってしまえば吐き出されるか胃に放り込まれかのどちらかの運命を辿ると言う。
つまり、あの時点で僕が駆け出していなければサフラは…。
考えただけで背筋が冷たくなった。
同時に無事に助け出すことができて本当によかった。
安心すると身体から力が抜けていった。
「…もういい。だが、あんな無茶は二度とするな!いいか?」
サフラの頭に手を乗せて念を押すと小さく頷いて応えてくれた。
僕自身、無我夢中だったのは事実だ。
事前にアルマハウドから対処方法を聞いておいて本当に助かった。
内側から斬り裂くと言う方法を聞いていたからこそ無意識にセシルから剣を奪っていたのだと気が付いた。
人間、極限状態では何をするかわからないが、今回ばかりは全てがギリギリで幸運が重なって今がある。
改めて倒したマンイーターを見るとその巨大さがよくわかる。
丸呑みにされたのも偶然だったが僕が間に合ったのも奇跡だ。
出来れば二度と同じ目には遭いたくない。
「…すまなかった」
セシルが申し訳無さそうな顔をした。
元はと言えば彼女が仕留めていればこんな事態にはならなかった。
自分で護衛役を名乗りながら僕らを危険な目に遭わせると誰が想像しただろうか。
「…これは遊びじゃないんだ。それに、次にサフラを危険な目に遭わせれば容赦はしない」
出来る限りの殺意を込めた目でセシルを睨みつけた。
さすがの彼女もこれには反省をしたらしく剣を受け取ると無言で馬車へ戻っていった。
心なしか彼女の背中が小さく見えた。
「レイジ、お前も中で休め。私が代わりに御者をやるから」
ニーナは僕を心配して交代を申し出てくれた。
最初は気丈に振る舞おうとしたが思ったより精神力を消耗したらしい。
足に力が入らずまるで生まれたての小鹿のようだ。
申し出に感謝しつつフラフラした足取りで馬車に戻ると、コルグスのために用意した土産の袋をソファー代わりにして背中を預けた。
気を失ってどれくらいの時間が経っただろうか。
気が付くと辺りが暗くなっていた。
心地よい揺れに眠気を誘われそのまま眠ってしまったらしい。
馬車が停車しているためこの場所が今夜の野営地らしい。
「気が付いたか?」
「あぁ…眠ってしまったんだな」
「それはもうグッスリさ。だが仕方ない、あれだけの力を使ったんだ。いくらレイジが強くてもリンカーのようにはいかないさ」
馬車の中は烈火石の小さな炎に照らされている。
傍らには看病をしてくれていたと思われるサフラが僕の肩に頭を預けて眠っていた。
「心配かけたな」
「あぁ、心配した。まあ、私より心配していたのはサフラちゃんの方だがな」
よく見るとサフラの頬に涙の跡が残っている。
きっと泣き疲れて眠ってしまったのだろう。
自分の失態で酷く落ち込んでいたし、今日は初めて叱咤もしてしまった。
だけど、それも全てサフラを心配してのことだ。
大切だからこそ感情的になってしまう。
その想いがちゃんと伝わっていればと、天使の寝顔の彼女に願いつつサフラが風邪を引かないよう毛布代わりのコートを掛けてやった。
「あれから変わったことはあったか?」
「いや、特には。まあ、強いてあげるとすれば公爵が積極的に動いてくれたくらいだ。今は外で男爵と見張りをしているよ」
「そうか…」
セシルの年齢は僕と大きく離れてはいない。
実際に聞いたわけではないが歳の差は六つくらいだろう。
つまり年齢は二十代の半ばほどと言うことになる。
若くして才能を開花させ今の地位に上り詰めたとは言え今回のような失態は経験がなかったのかもしれない。
僕が眠っている間に彼女がよく働いてくれたと言うことは一見すると仕事だと解釈もできるが、罪滅ぼしとしての意味合いもあるに違いない。
「…みんな、食事は済ませたのか?」
「あぁ、残りはキミとサフラちゃんだ」
「そうか。じゃあ、サフラが目覚めたら一緒に食べるよ」
それからしばらくしてサフラが目を覚ました。
彼女は目が覚めるなり僕に抱きつき涙を流した。
これでは可愛い顔が台無しだ。
僕が見たいのは泣き顔ではなく笑顔なのだから。
指先で涙を拭ってやると安心したのか彼女は泣くのをやめた。
「腹減ったろう?夕食の準備が出来てるぞ」
「ありがとう…」
サフラは僕の作った夕食を一口頬張った。
すると彼女の瞳から再び大粒の涙が溢れてきた。
本当にわけがわからない。
夕食が美味しくなかったのだろうか。
確かに僕好みの味付けにしてしまったため彼女には合わなかったとも考えられる。
少しスパイスを効かせ過ぎただろうか。
「ど、どうしたんだよ?コショウ、かけ過ぎたか?」
今晩のメニューは荒挽きのソーセージを焚き火で炙りバゲットに挟んだホットドッグだ。
ケチャップやマスタードはないが代わりに塩とコショウで少し辛めに仕上げてある。
「違うの…レイジの作った夕食が美味しくて…」
「料理ならいつも作っているだろう?今日は手抜きだから泣くほど美味しくはないんじゃないか?」
「違うの…レイジが作ってくれたから美味しいの」
「おいおい、だからって泣くことはないだろ?いつも作っているんだし」
「ご、ごめんね。おかしいな…嬉しいはずなのに、何で涙が止まらないんだろう…」
サフラはすすり泣きながらゆっくりと夕食を食べた。
結局、夕食が終わるまで涙が止まることはなかった。




