シーン 101
辺りが暗くなり不干渉領域で初めての野営となった。
まだマンイーターが出没する湿原には差し掛かっていない。
今夜はなるべく見通しの利く平地を探して馬車を止めた。
ここには安全に過ごせる周囲を壁に囲まれた建物も洞窟もない。
身体を休めるのは馬車の中だ。
馬車自体は改修工事のおかげで以前より丈夫な造りに生まれ変わっているものの、この中に居れば大丈夫だと言うことはない。
テントを張って休むよりは安全だろうという程度の安心感だ。
今晩もアルマハウドが焚き火の番を買って出た。
本人曰わく、まとまった睡眠時間を取らなくても目を閉じているだけでも身体が休まるらしい。
夜は馬車の警戒にあたり昼間は極力動かずに目を閉じる。
これを繰り返せばこの旅の間くらいは平気で乗り切れるらしい。
見張りは気が休まる時間がないため慣れていないメンバーと交代するよりは効率的だ。
セシルもアルマハウドを信頼しているため特に警戒した素振りはなかった。
馬車の中に居てもパチパチと焚き火の薪がはぜる音が聞こえてくる。
微かに虫の音も聞こえるがそれ以外では不気味なほど静かだった。
周囲の気配を探っても虫以外の生き物の息遣いは感じない。
転生する前の世界なら当たり前だった安全と安心はこの世界に迷い込んでから忘れかけていたこと。
一歩町の外に出れば殺意をむき出しにした亜人や魔物に遭遇する。
それに、安全と思われる町の中でさえ突然の襲撃で命を脅かされる可能性があることもあるし実際に二度ほど体験もしている。
発展途上の世界を希望して何気なく選んだこの世界は人より優れようとする人々の思惑が、暴力と権力によって支配されている。
幼い頃から希望していた平穏な世界とまるで違い目には見えない欲望を顕在化したような場所だと錯覚するほど。
そんな世界の中で僕は何が出きるだろうか。
静かな夜を噛み締めながら物思いにふけた。
朝。
今日も肌寒さで目が覚めた。
毛布代わりに羽織っているマントではそろそろ耐えられない寒さだ。
事前に暖かい毛皮のコートを用意しておいたため明日からは出し惜しみをせずに着込むことにする。
出発の準備が整いいよいよ湿地帯へと足を踏み入れた。
今は乾季にあたるらしく湿地の水辺は普段に比べて半分程度と小さくなっている。
その代わりにわずかな水を求めてたくさんの動物たちが集まってくる。
もちろんそれらを襲う亜人も魔獣も例外ではない。
馬は足場の悪いぬかるんだ湿地帯を進んでいく。
並みの馬なら荷台の重みに耐え切れず立ち往生をしてしまう悪路だが今回のために用意した野生馬はそれをものともしない。
ちなみにこれまで馬車を引いていたのは競走馬のような馬体がシャープな馬。
それに比べて野生馬は北海道和種と呼ばれる「道産子」に似た大きな馬で身体も一回り以上は大きい。
体重は一トン近くになるだろうか。
速く走ることは得意ではないものの寒さに強く重たい荷物も粘り強く運ぶことができる。
一つ難があると言えば燃費の悪さだ。
身体が大きいだけに一日に消費する餌の量はこれまでの倍近くはある。
そのため休ませる場所も草地で草の豊富なところを選ばなければならない。
ただ、それに見合うだけの馬車を牽引する力強い歩きをしてくれる。
そのまま悪路を進むと普段あまり嗅ぎ慣れない異臭を感じ取った。
排泄物が腐敗した臭いは風に乗って西の方から流れてくる。
鼻を押さえながら臭いの方向を見ると小高い土塊が見えた。
高さは八十センチくらいだろうか。
「…マズいな」
不意に荷台のアルマハウドが声をあげた。
「どうした?」
「あれはマンイーターの糞だ。まだ新しい。近くにいるかもしれない」
「あの山が糞だって?おいおい…冗談だろ?」
「冗談ではない。糞の大きさからして体長は最大クラス。湿原の主かもしれないな」
「セシル、この道は安全じゃなかったのか」
嫌な予感が脳裏をよぎる。
湿原に入ってからこれまでに生き物の姿を見なかったことが気がかりだ。
不安を煽るように北から流れ込む寒気が冷たい風を運んでくる。
「…レイジ、止まれ!」
不意にセシルが声をあげた。
いつも冷静な彼女だが様子がおかしいのは誰が見ても明らかだ。
慌てて手綱を引き馬車を緊急停止させた。
「どうした?」
「最悪だ。発見が遅れた。ヤツが来るぞ!」
次の瞬間、前方から地響きを立てて巨大な何かが迫ってきた。
「マンイーター…」
現れたのは体長が二十メートル以上はある大蛇。
この場合芋虫と言う表現が正しいだろうか。
胴回りは直径が三メートル以上はある。
ちょうど石油製品を運ぶ大型輸送車のタンクより一回り大きい。
同じ大きさのモノで表現するなら二両編成の電車ほどになる。
頭を持ち上げた姿はまるで山が迫ってきたような迫力だ。
顔のほとんどは口で大きく開けば人間を丸呑みすることは容易いだろう。
蛇腹になった筒状の身体は何でも吸い込む掃除機のホースを連想する。
「私が出る!」
セシルは剣を手に飛び出していった。
右手の剣は雷を帯びバチバチと音を立てている。
人が触れれば感電して一瞬で黒こげになるだろう。
「セシルさん!」
気が付くとサフラも馬車から飛び出していた。
「サフラ、行くなッ!」
次の瞬間、マンイーターは頭を持ち上げ勢いをつけてサフラとセシルに体当たりをした。
間一髪と言うところで二人は攻撃を交わす。
直撃していれば全身の骨がバラバラに砕けてしまうだろう。
直撃は死に直結する。
猛スピードで向かってくる大型トラックを生身で受け止めるようなものだ。
「邪魔だ、下がっていろ」
加勢のつもりで飛び出したサフラはセシルにしてみれば足手まといだ。
サフラは武器を構えたまま距離を取るとマンイーターの攻撃対象はセシルに移った。
縮尺を比べれば小型犬が象に立ち向かうようなものだ。
誰が見ても体格の差に開きがあり過ぎる。
それでもセシルは臆することなく立ち向かっていった。
「サフラ、戻れ!」
「私は大丈夫。それよりセシルさんの戦いをこの目で見たいの。お願い、ここに居させて」
「…わかった。だが、もう少しさがれ!巻き添えになるぞ」
サフラは僕の指示に従ってマンイーターからさらに距離を置いた。
それを確認してセシルが迎撃行動に移る。
「はぁぁぁッ!」
脚力を強化して高く飛び上がり落雷のような一撃をマンイーターの頭に叩き込む。
並みの魔物なら真っ二つになり死体は黒こげだ。
しかし、マンイーターは体格の差による優位性から受けたダメージは小さく頭の一部が黒く焦げた程度だった。
「アイツ、遊んでいるな」
荷台にいたアルマハウドが御者台に移動してきた。
いつでも出られるようすでに準備が整っている。
「遊ぶだって?本気じゃないってことかよ」
「あぁ、彼女の実力はあんなものじゃない」
よく見るとセシルは笑いながら剣を振るっていた。
決して苦戦しているような顔ではない。
新しい遊び相手を見つけた幼い子どものようだ。
「…凄い。あれが噂に聞く「雷公」か」
ニーナも驚きを隠せないでいる。
同時に自分が憧れていたセシルの底知れない力の片鱗を知ったらしい。
「ちょっと待て、いくら彼女でもあれだけ雷の能力を使えば精神が疲弊するんじゃないのか?」
「心配ない。彼女は特別なんだ」
アルマハウドは何故セシルが人間の中で一番強い存在なのかを教えてくれた。
同時に魔具と呼ばれる道具に隠された秘密でもある。
元々、魔具は使用者の精神力を食らって能力を顕在化すると言われる。
しかし、実際は使用者の寿命を食べていると言う表現が正しい。
つまり使い過ぎれば命を落とすこともある。
一般的に出回っている烈火石などもこれに該当するらしい。
元々、魔具を作ったエルフは人間に比べて遥かに長命のため少し寿命を食べられたくらいでは死ぬことはない。
同時にエルフは人間やドワーフに比べて身体が弱いため劣っている身体能力を魔具によって強化しているようだ。
それらを踏まえた上で人間が魔具を使用すればエルフを上回る力を発揮することになる。
つまり、同じ魔具を持った人間とエルフが戦えば地力に勝る人間が勝つと言うわけだ。
これはクオルがエルフキラーと呼ばれる所以を裏付けている。
さらに、人間の中には「リンカー=適合者」と呼ばれる者が稀にいる。
リンカーは文字通り魔具に適合した者。
魔具との相性に適合して隠された能力を引き出せる者と言う意味だ。
リンカーは自身に適合した魔具を扱った際ほとんど精神力を消費することなく能力を発揮できる。
まるで自身の手足を動かすように能力を自在に操ることができるらしい。
特に「ゼロリンカー」と呼ばれる者はリンカーの中でもさらに特異な存在で一切のリスクを犯すことなく魔具の力を引き出せる。
「じゃあ、セシルはゼロリンカーだと言うのか?」
「そうだ。彼女はあのライトニングソードに選ばれた唯一の持ち主。私が彼女に勝てない理由でもある」
これが適合する魔具に出逢えていないアルマハウドとセシルを隔てる大きな違いだ。
現在確認されているゼロリンカーがセシルただ一人と言うのも彼女が人間の中で最強と呼ばれる理由の一つだ。
「羨ましいな…」
ニーナがポツリと呟いた。
彼女自身も魔具の使用者だがゼロリンカーはおろかリンカーですらない。
彼女が能力を使えば使っただけ寿命を消費して死期を早めていく。
それはクオルも同様だ。
彼もまた魔具に適合してはいない。
「見ろ、アレが出るぞ」
アルマハウドが声をあげるとセシルの剣が激しく帯電した。
最初に見せた技よりも眩しく激しい電撃が切っ先からほとばしる。
電撃はマンイーターに直撃すると激しく火花が散り同時に爆裂音を響かせた。
「な、なんだ!」
「あれは雷そのものだ」
「雷だって!?そんなことまでできるのか…?」
電撃を受けたマンイーターからは焼けた肉の臭いがした。
まだ息はあるようだがもう一度同じ攻撃を受ければ倒れるだろう。
虫の息になりながらも不干渉領域で最強の生物としてのプライドからか逃げ出す素振りはみえなかった。
「アイツ、何故逃げないんだ?」
「縄張り意識と言うヤツだ。この場所を離れればヤツの餌場がなくなってしまう。逃げたところで生きてはいけないのさ」
遺伝子レベルで刻まれた本能から逃げ出さないらしい。
元々、マンイーターを超える生物はこの不干渉領域に生息していないため、逃げるという選択肢は生まれた時から備わっていないというわけだ。
「さすがにタフだな。私の技を食らって生きていたヤツは久しぶりだ」
セシルは戦いの中で高揚していた。
それを黙って見続けるサフラを彼女は呼び寄せた。
「ちょっとこっちに来るんだ」
「はいッ」
「私はここで引く。留めはキミが刺せ」
セシルはとんでもないことを言い出した。
いくら手負いで虫の息とは言えのし掛かられただけで命を落としかねない化け物だ。
誰が見ても無謀としか言えない。
「はい、やってみます」
「ま、待てサフラ!お前には無理だ」
「大丈夫。信じてて。私、やってみる!」
サフラは闘志を燃やした。
いくら彼女がやる気でも相手との体格差で戦況は明らかに不利だ。
それに彼女の武器はショートソードよりも刃渡りの短いスティレットと打撃武器の鞭。
的確に急所を突いて倒すサフラの戦い方ではよほどの奇跡でも起きない限り倒すことは出来ない。




