おでかけ
土曜日は雨だった。
窓の外を見つめたまま、凛は小さく溜息を吐く。肩を落とした背中が、なんだか可愛かった。
土曜日は凛の誕生日で、前から理玖と2人で動物園に行こうと約束していた。雨でも悪くはないが、何となく億劫に思えた。
「今日一日中雨なんだって」
ビーズクッションに沈み込んで携帯をいじる理玖に、凛は振り返った。
「雨かー」
「動物園行きたかった」
「雨だし今日はやめとこ」
「…うん、」
理玖は別段残念そうには見えなかった。楽しみにしてた分、理玖との温度差が残念に思えた。
「凛、行きたいとこある?」
「んー…わかんない。動物園行きたかったもん」
「あそこ、凛に似たトラいるよな」
「ホワイトタイガー?」
「あ、それそれ、去年生まれたやつ。大きくなってんだろな」
余計に行きたくなることを言う。携帯から目を離さず、理玖は「あぁ本当、一日雨だな」と呟いた。
それから、映画、ゲーセン、カラオケ、ボーリング、次々と理玖が提案しては凛が首を横に振る。
「我儘ちゃんだなー」
「だって、おれ誕生日なんだよ。なのに特別感がないんだもん」
「特別感ねえ」
少し考えてから、理玖は「あ、そうだ」と言った。
「…水族館は?」
「え、行きたいかも」
「決まりな」
凛は行ったことのない駅名だったが、理玖は迷うことなく歩いて行く。雨は強くなかったが、傘は必要だった。荷物になるからと一本だけ持ってきていて、それを理玖が差していた。
「来たことあるの?」
「一回だけな」
「誰と?」
「前付き合ってた子」
それが誰のことなのか、想像は付かなかった。彼女はすぐに変わる。だいたいは他校の子が多かった。だから、余計に凛は顔を覚えられなかった。
「ふうん。理玖ってさ、すぐ別れるのな。何でそんな続かないの?」
「なんでだろーなー。うちに構ってちゃんがいるからかなー」
「なにそれ、おれのこと?」
頬を膨らませる凛の肩を、理玖が引き寄せる。理玖が「間違ってはないだろ」と笑う。凛は「濡れるだろ」と睨め付けた。
水族館は入り口から混んでいた。何かのイベントでもあるのかもしれなかった。
「凛、手つなご」
理玖が手を差し出した。凛は唇を尖らせて、首を横に振る。
「繋がない。外でやったら変って哲也に言われた」
「あいつ、余計なこと言うのな。でも人多いよ。迷子なったら凛泣いちゃうだろ」
真面目な調子で理玖が言う。その言葉に急に不安になったらしい凛は、
「…つなぐ」
「ん、」
差し出された手を凛は握り、「へへ」と笑った。
***
「理玖、喉乾いた」
「あー。あっちにドリンクスタンドあるな」
水族館は広く、あちこちの展示場やら、水槽の前でイベントもやっていた。
そのせいか、見回っていてもなかなか先に進まない。人も多く、背の低い凛からすればどこまでこの人混みが続いているのか分からなかった。
「凛、ちょっとここで待ってな。なんか買ってくるわ」
「すぐ戻る?」
「結構並んでそうだから時間かかるかも。ここの方がまだ人の多さマシだから、座って待ってな」
1人分のスペースが余ってるベンチを指差し、理玖は手を離した。凛は、こくん、と頷く。理玖の背中はすぐに人混みに溶け込んだ。
携帯で撮った写真を見返す。海水魚の写真、淡水魚の写真、散歩ショー中のペンギンと撮れたのは嬉しかった。
理玖と2人で撮った写真もある。勝手に理玖だけ撮った写真もある。理玖と出掛けると、大概の人は振り返った。高校生になってからは当たり前みたいになっていた。
そりゃあ、理玖は見た目があれだけいいんだから。
その理玖が人混みを掻き分けて、こちらに戻ってくる。
あと少しで届く、というところで近くにいた女の子たちが理玖に声を掛けた。
ざわめきで声は聞こえなかった。でも女の子たちの表情で、何となくわかった。
理玖、またモテてんじゃん。
凛は面白くなくて、立ち上がる。理玖はおれのなの。おれが一番なの。どうにか理玖のそばまでたどり着き、腕に掴まる。
「りく、」
理玖は凛を見てから、女の子たちに向き直り、「ごめんけどそういう時間ない」とだけ言って凛に飲み物を渡した。
「連絡先だけでも交換とか出来ないかな?」
「無理。今日はこの子に独占されてるんで」
理玖は綺麗な笑顔を彼女らに向けて、凛の頭を片手で引き寄せると、自分の額をくっ付ける。
「だよな」
「…りっくん、近い…」
「何言ってんの、今日はおまえの誕生日だろ」
至近距離で凛を覗き込んでから、顔を離した。
「て、訳だからおれら行くわ」
ストローを咥える凛の身体を自分の方に寄せるようにして、理玖は歩き出す。ちょうど人混みが流れ出したところで、上手く波に乗った。
もうすぐクラゲの水槽があると表示板が知らせた。
「知り合い?」
「さっきどこかのエリアで会ったらしいけど」
「そーなんだ、理玖知ってた?」
「全然」
もちろん、凛も見覚えがなかった。そんな程度の関係性で話しかけてくるんだ。凛は感心した。
「理玖、ジュースありがと」
「でも、凛が飲めそうなの林檎しかなかったんだよなー」
「おいしいよ」
「それなら良かった」
人が多いままだったから、理玖は凛の肩を抱いたまま歩いた。こんなふうに外で長く密着していることなんて、普段はあまりない。
人混みは息苦しいのに、理玖の体温があるだけで家の中みたいで安心した。
「おれ、今日はりっくんの彼女のきぶん」
「あー…凛、女の子にも見えるもんな」
「え、そんなん言われたことないよ」
「そりゃ本人にあんま言わんだろ」
凛の耳元で理玖が笑いながら言った。凛は思ってもいなかったようで、少し俯いた。
「帰ったら筋トレする…」
「うわ、やめて。凛はそのままでいて」
するするとした凛の黒髪を、理玖は指ですく。それは癖のようで、理玖は何度もそうした。
「女の子に見えるのは恥ずいもん」
「そのうち見えんくなるから大丈夫だって」
「ほんと…? りっくんも女の子と間違われたことある?」
「…さすがに中学生ではないかな」
「ほらー!」
白く丸い頬がむくれる。人が多いからか暖房が効きすぎなのか、赤く上気している。
小さな頭を抱き寄せ、理玖は自分の頭を寄せた。
「怒んないの。ほら、30分後にアシカショーだって。席取りしよ。あとでアシカのぬいぐるみ買ってやるから機嫌直せって」
「…イルカがいい」
小さな唇を尖らせて、凛が言う。
「イルカな」
「約束だよ」
理玖は抱いた頭を離さなかった。




