この世界の美しさとあなたを、この身と心に刻んで
エピローグと2話連続更新です。
警備隊長が単騎で追放竜を屠った噂は、辺境中に伝わった。
単騎で魔獣討伐なんて、辺境ではトニオ・アリスト辺境候しかやらない。むしろ、できない。
パトレシアの兄たちや甥たちが顎がはずれるほど大口を開けて絶句したのは、言うまでもない。
古来より、魔獣狩りの基本は投槍である。
辺境警備隊に駆逐された追放竜は、目玉に無数の辺境槍が刺さった状態で野ざらしにされる。
野生動物や毒竜バジリスクの餌になって朽ち果てるのが通常だ。追放竜の発病を悼んだユーコウの初討伐は、デュポンから感謝されるという、伝説級の武勇伝になってしまった。
ユーコウ本人は武勲そのものには興味がないし、パトレシアも「先輩なら当然」とか思っているので、ふたりの間では大した関心ごとではない。
むしろ、今はーーー。
「庭のプールを広げるべきかしら……?」
執務室からワイバーンのプールを見下ろしながら、ため息まじりに呟くパトレシア。
ワイバーンの水浴び場所として作ったプールに、デュポンの子どもたちが遊びに来るようになった。
フレンドリーな性質のワイバーンたちは「かわいーね」「翼と鱗がきれいだねー」と幼デュポンたちを甘やかし、彼らも「ワイバーンのお兄様とお姉様だーい好き」と、懐いている様子である。
親達は交流する気がなさげだが、午後の影が長くなる前に子どもたちを迎えに来る。ユーコウと会ったときだけ、首を下げたり体をゆすったりと、リアクションが豊かだ。
言葉がわかるわけじゃないが、なんとなく気持ちが通じるんだそうだ。
いつか、ダノン爺が言っていた。
ユーコウはもしかしたら、とうに滅びた竜種の生まれ変わりではないか、と。
「本質的に、人の浮世には和まん御仁かもしれん。王都じゃ苦労なさっただろう」と、呟いていた。
竜の言葉を理解できる元ドラゴンライダーが言うのだから、本当かもしれない。
が、パトレシアの目には、人にも竜にもサクッと馴染むコミュ強にしか見えない。
なにはともあれ、辺境伯の婿殿は、竜たちの未来に影響を与えたらしい。
パトレシアはそれを誇りに思うけど、目下の問題はプールである。
「今は良いけど、デュポンて10年もしたら5メートルですわよねえ。拡張してさしあげたいけど、予算が」
翼竜デュポンは、全長3メートルくらいのワイバーンより、建物一階分でかくなる。翼を広げると、倍以上の面積になる。
「親御さんたちに、拡張工事でも頼みます?」
パトレシアの独り言を拾ったユーコウが、帳簿をめくりながら問いかけてきた。
「鶏の卵を拾ってきましょうか?」ってくらい、気安く提案されても。
「デュポンにプール工事をさせる警備隊長って、いったい」
パトレシアと辺境伯書記官たちのツッコミが、きれいにハモる。
「学園に送る途中で、デュポンの巣に寄りましょう。さ、お嬢様、仕事しますよ」
ワイバーンライダーの帰省帰りは、早朝に出ても到着が深夜になりがちで寮に迷惑をかけるので、たいてい一泊する。
みんな知ってることだが、みんな知ってるからこそ場の空気がなんとも言えない桃色になった。
パトレシアは赤らんだ顔を隠すように書類に向かい、書記官たちは聞かなかったことにして未来の辺境伯夫妻から目を逸らした。
ユーコウだけが、爆弾発言の自覚なく自然体だった。
辺境伯の婿殿は、いろんな意味で大物だった。
デュポンとの交渉は、パトレシアにはユーコウが一方的に喋っているだけにしか見えなかった。
他生物に興味のないはずの翼竜が彼に顔を向けていたから、全くの独り言でもないのだろうけれど。
パトレシアは少し離れた丘から、ウェンディと並んで待っていた。別れる時に笑顔だったから、ある程度は交渉が成立したのだろうか。
パトレシアとしては、沼の王者に労役を頼むのは申し訳なく、10カ年計画でプールを拡張する予算案をたてているのだが。
そんなことより、何日も前からユーコウに言おう言おうと思っていた誘いを口にするだけで、頭がいっぱいいっぱいだ。
葦の原をかきわけて戻ってきたユーコウに、思い切って尋ねる。
「先輩」
「ん?」
「い、一緒に見たい景色があるんです。野宿になりますけど……」
ユーコウは緊張で硬くなった手を取ると「喜んで」と、乾いた唇を押し当てた。
アリスト辺境候領の南端で、マンティカン侯爵領との領境に、風光明媚な火山帯がある。小さな噴火を繰り返す山もあるが、殆どが休火山だ。
数多の絶景が広がり、観光地にしたら人気が出そうだが、残念ながら人の足では到達できない。
ワイバーンに騎乗を許された者だけが見ることができる、自然群だ。
ビロードのような苔の群生や、奇妙な形の溶岩石、透明度の高い火山湖に、高山植物の花畑。
王都育ちで、他には辺境の大湿原しか知らないユーコウは、空色の瞳を輝かせた。
「国内に、こんな場所があったなんて……」
「ワイバーンを乗りこなせるようになった子どもは、遠足でここに来ますの。『国防の最前線で、サンドライトの全てを守りなさい』よりは、『この自然とワイバーンの空を守るために強くなりなさい』の方が、しっくりくるでしょう?」
「なるほど。遠足って記憶に残りますもんね」
「王都のロースクールでもありましたの?」
「森にピクニックってだけですけどね。楽しかったですよ」
並んでワイバーンを駆りながら、ふたりはたくさんのことを話し、笑いあった。
やがて、山の稜線に陽が沈む前に、パトレシアはウェンディから降りて、荷物を背負った。
ワイバーンは陽が落ちるとおねむになり、朝日と共にお目覚めバッチリな、健康的な生き物なのだ。
「テントを貼る場所に案内します」
道なき岩肌を、跳ねるように登るパトレシア。
「テント、持ちますよ」と言われたので、「先輩は山登りに慣れてませんでしょう?」と辞退した。
ちょっと悔しそうだけど、事実だ。
山の夕焼けは、グラデーションがひときわ美しい。
空気もきれいで、肺が洗われるみたいだ。
視界が開けた場所に登った瞬間、ユーコウは眩しさに目を細め、歓声をあげた。
「うわあ……きれいっすね!」
そこには、デュポンから貰った花ーーー月華炎花の群生が花開いていた。
炎に似た形の花びらを持つ花たちが、一面に咲き誇っている。
発光する性質を持つ半透明の花びら。夕日を受ければオレンジ色に、夕闇の中では青白く、夜になると満月に照らされて白く輝く。
ユーコウは小さな一輪を手折ると、パトレシアの髪に飾った。ガラス細工みたいな繊細な花びらが、大きなカールを描く赤毛によく映える。
「この花、本当に似合いますよね」
「そうかしら?」
「綺麗です。なんか、貴女の為に咲いてるみたいだ」
「ほ、ほんとですか?」
「お世辞が言えないオレが言うんだから、間違いないです」
フレデリックやアーチラインに、なんならファンクラブの女子生徒たちからも「月華炎花の化身」と讃えられるパトレシアだが、あまり本気にしなかった。
貴族の男性は女性を褒めるものだし、乙女は尊敬対象に夢を抱くものだ。
貴族らしい世辞が苦手なユーコウが言うなら、本当だろう。惚れた欲目だったとしても、嬉しい。
時間と共に花畑の色が変わる様を、ふたりは飽きることなく眺めていた。
やがて、満月の光が、自ら発光する花たちを照らし始めた。
パトレシアが夜風に身を震わせるとユーコウが上着をかけてくれた。
「ありが……」
お礼の前に後ろから抱きしめられた。あごを持ち上げられ、唇を塞がれた。啄むように何度も何度も重なる。
いつしかふたりは、正面から睦み合っていた。
「愛してます」
「……私も、です」
お互いの耳元で、愛を囁き合う。
「今夜、貴女をオレのものにしたい」
少しだけ身を離して彼の目を見れば、強く自分を求める眼差しから、目を離せなくなる。
「最初から、そのつもりです」
挑むように口角をあげると、またしても唇を奪われた。
息もできないほどの口づけから、髪を撫でる指先から、確かな愛情と自分だけに向ける欲望が伝わってくる。
「ま……待って」
パトレシアは、ユーコウからもらった花を、一輪だってなくしたくないのだ。
髪から抜いた花をそっとハンカチに包むと、今までで1番激しいキスが待っていた。
髪が、服が、激しく乱れる。
パトレシアは夢中になって、彼からの愛撫に応えた。
「先輩……大好き」
吐息のように呟く。
「お願い、名前で呼んで……」
思わず動きが止まるユーコウ。
「お嬢様だって先輩って」
「結婚したら、旦那様って呼びますわ?」
「だ……なにそのパワーワード」
「だから、お願い」
はだけた隊服に、とろける美人の敬語放棄。
勝てるユーコウはいない。
「喜んで。……愛してますよ。パトレシア様」
「……パティって呼んでください」
「え! ハードル高!」
「単騎で追放竜を倒すより?」
「貴女、ご自分が高嶺の花だって自覚、あります?」
「知りません。お願い。パティと呼んで? 旦那様にはパティと呼ばれたいのです。ダメですの?」
淑女然とした彼女がこんな駄々をこねるなんて、めずらしい。というか、初めてだ。
女神みたいに神々しい彼女だから、色んな意味でブレーキが効くわけで。
男としてのユーコウを求める、ひとりの女の子になられると……。
「愛称呼びするなら、敬語をやめますよ? 怖いとか言われても、後戻りできませんよ?」
「……嬉しい!」
ギュッと抱きついて無意識に胸を押し付けるパトレシアに、勝てるユーコウはいない。どこにもいない。
「わかったよ。パティ。……オレのことも、ユーコウって呼んでくれよ?」
唇を指でなぞれば、キラキラした目で頷かれた。
「はい! ユーコウ様!」
「違うから! ……可愛いけど。可愛すぎるけど」
「?」
「……っ! いつか呼ばす! それに、煽ったのはパティだからな?!」
蓋をしていた獣欲をおさえきれなくなった男が、愛する女に何をするか。身をもって知らされたパトレシアはウェンディに騎乗できなくなり、お姫様抱っこで寮に運ばれることになる。
「先輩、破廉恥が過ぎます」と呟くパトレシアのこめかみにキスをしながら「煽ったのはお嬢様ですよ♪」と笑うユーコウ。
なんだかんだいっても、明るくなったら、いつもの口調に戻るふたりだった。
ウェンディとラウドも時々頭をコツンとして、「仲良しだねー」「よかったねー」「赤ちゃん、楽しみだねー」と、大好きな友達同士の「結婚」を、祝福してくれた。




