エピローグ
19部と同時投稿です。
流れるように季節はめぐり、愛する人に愛されて、パトレシアはますます美しくなった。
豊かな赤毛、きらめく瞳、まっすぐな姿勢に、女性らしく魅惑的なライン。
彼女とすれ違って、振り返らない者はいない。
そんなパトレシアは、高等部三年の初夏に、王家に退学を申し出た。
ほぼ全ての単位を取り終えていて、夏前の考査が通れば半年の休学を経て卒業も可能なのに。
「やや子を授かりましたの」
パトレシアは、内定式に立ち合った王と宰相と大主教、そして王太子の前で、まだ膨らんでいない腹をさすった。
本人に他意はないが、数多の衛兵が何気に鼻を抑えている。
「辺境伯正式拝命式の日に、結婚式もしたいのです」
宰相には「いやあ、さすが辺境候の娘だねえ」とほのぼのされ、大主教には「若いもんはせっかちだのう」と呆れられ、国王陛下には「おめでとう」と暖かい笑顔と共に拍手をされた。
フレデリックは、「そうじゃないだろ」と、ため息を隠さなかった。
王族は世継ぎの関係で厳しく禁じられているが、貴族の婚前交渉は珍しくない。珍しくはないが、おおっぴらにするものでもない。まして、婚姻前に懐妊となれば各家庭で体裁を整えるものである。
「こんな堂々とした未婚の妊婦、初めて見た……」
「まあ殿下ったら。この子は、親を不妊に悩ませない孝行者ですのよ」
はやくも親バカを炸裂させるパトレシア。
「君が幸せなのは、喜ばしいけどさ。夏に退学するなら、学期末の音楽祭までは隠しなさい。風紀に関わるから。保健室に専門の医師を置くから、体調が悪いときは頼りなさい。良いね?」
大人たちが「祝いは何が良いかの?」などと円陣を組んで役に立たないので、フレデリックが保護者じみた説教をする羽目にあった。パトレシアは「おおせのままに」淑女の礼をした。
うるさく説教する割に心配性なフレデリックが、馬車で寮まで送ってくれた。
礼儀正しく、異性の友としての距離を守って腰を下ろす王太子を、パトレシアは心底美しい人だと思う。
何者にも替え難い美貌。優しげで凛々しい双眼。遠目にはほっそりして見えるが、この距離まで近づけば、日々の厳しい鍛錬を窺い知れる。
「殿下」
窓の外を見ていた碧眼が、こちらを向いた。
光の加減で、濃いサファイアの瞳が、薄い空色に見える。側妃候補だった頃は、この空色を見た日は幸運日と浮かれていた。今は「ユーコウ先輩は、さらに淡い空色ですのよね。見つめられると吸い込まれそうで……」と、うっかり思い出してドキドキしていた。
初恋って、なんだっけ???
「呆れてます?」
「いや、君の場合はお家芸だから。親たちの呑気さに呆れただけ。今更だけど」
国王陛下は、フレデリックができそうなことは全部丸投げする人だ。若手にしか手伝いをさせない人でもある。
信用されているというよりは、できて当然としか思われていない節がある。辺境伯の立ち上げも、王都でするべきことはだいたい丸投げだった。婚姻前のおめでたによる予定変更も、丸投げ王太子教育の一貫だろう。
「今更といえば。どうして私を側妃になさらなかったのですか? 旦那様に逃げられたくないので、後学のために至らなかった点を教えてくださいませ」
今もこの人に恋をしていたら、絶対に聞けなかった。
最初からはぐらかされる前提だ。返事は聞けなくてかまわない。失恋を過去にできたことに意義があったから。
フレデリックは前髪をくしゃっとして、しばらくは自分の膝を見ていたが、やがて、覚悟を決めたように話し始めた。
「君に落ち度なんて、ひとつもないよ」
建前を前提に会話をするべき立場の人が、きちんと目を見て、本音を語った。
「側妃や寵姫を娶ったら、私が欲しいマリアベルが手に入らなくなるから。それが嫌だったんだ」
「欲しいマリアベル様?」
「そう。私が彼女だけを愛してると信じてくれるマリアベルを手に入れたくて、婚約以来あがいてきたんだ。ずっと」
それはまた、王族としてはなかなか厄介な片思いである。
「もうひとつある。愛する男と子を成した君ならわかるだろうか。側妃と正妃になれば、気心の知れた学友ではいられなくなるだろう? 同じ男を夫にしたら、どうしたって関係性は変化する。君たちの友情を、失わせたくなかったんだ」
「……」
パトレシアは目をぱちくりさせた。
ようはこの人、婚約者と側妃候補の友情の為に、後宮をつぶしたのか。
彼の寵が誰にあろうが、マリアベルは自動的にフレデリックのものになるのに。
それじゃ、満足しないのか。
さらに、パトレシアも幸せじゃなきゃ満足しないのか。
思ってもみなかった理由すぎて、返答に困る。
「あまりに青臭くて、呆れた?」
「いいえ……」
困るけど、心の底がポカポカとあたたかくなってきた。
うちの殿下は頭はいいけと、意外とバカだ。
腹黒のくせに、変なところがお人好しだ。
あと、初恋をこじらせすぎだ。
「ありがとうございます。殿下。私の矜恃と、辺境の治安と、マリアベル様との友情を守ってくださって」
「礼にはおよばない。私が我儘でしたことだから。幸せにおなり、パトレシア。ユーコウ先輩は、間違いない男だ」
「……はい!」
今、伝い落ちる涙は、喜びの涙だ。
15歳の夏に流した失恋の涙とは真逆の涙。
パトレシアは指の先でそれをぬぐい、心の中で誓った。未来の王への忠誠と、我が夫への愛を。永遠に。
辺境史より抜粋
初代辺境伯パトレシア・レガシィは就任と同時に辺境警備隊長ユーコウ・クボを伴侶に迎え、その年の冬に第一子を出産した。
この地は帝国との戦争の際、主戦場となったが、停戦後に目覚ましい発展を遂げる。
側妃候補として高度な教育を受けて育ったパトレシアは、辺境の医療や学術の発展に力を尽くしつつ、ワイバーンライダーとして活躍し「辺境の戦女神」と讃えられた。
ユーコウ・レガシィは人間とワイバーンとデュポンの掛橋となり、災害の際は多大な恩恵を受けた。
辺境最強の騎士としても名高く、数々の武勲を誇るワイバーンライダーである。
ふたりは4男5女に恵まれ、長男ベルベットは幼少期にドラゴンライダーの誉れを得た。ベルベットは24歳で伯爵位を継ぎ、王家の珠玉ガブリエラ王女を妻に迎えている。
たいそう仲の良い兄弟姉妹で、成長後はワイバーンライダーとして、辺境の守護と発展に力を尽くした。
ーーー Fin ーーー




