追放竜と紅蓮の騎士さま
倒れているワイバーンは、首と胴体がかろうじて繋がっているだけ。ほとんど虫の息だ。
全身が、力なく痙攣している。もう間もなく息が止まるだろう。
空を舞うワイバーンは数を増やし、ギギギギと不協和音で鳴いている。
精一杯の威嚇だろうが、追放竜はかまわず巨大な口を開けた。
「くそ!」
ラウドは追放竜の眼前を飛び、ユーコウは至近距離から目潰しの粉をぶつけた。ワイバーンライダーが鞍に常備している粉薬だが、粒子が細かくて粘度があるので、目潰しに使える。
一時的に視力が奪われた追放竜は、反射的に目を掻いた。
その隙に、ワイバーンたちが集まり、瀕死の仲間を庇うように翼を広げた。
「ギギ! ギギギ!!」
もう助からない。だが、狂った翼竜の餌にはさせない。そう言っているみたいだ。
だが、追放竜からしてみれば餌が増えただけのこと。
咆哮を上げ、ふらつきながら獲物たちに迫る。
通常ならば、狂気を発症した時に同じデュポンに噛み殺されているはずの個体だ。
皮膚は裂け、翼は曲がり、もはやまともに飛べる状態ではない。今の彼を支配するのは、狂った食欲だけ。
ユーコウは追放竜とワイバーンたちの間に着地した。
思い出すのは、パトレシアに案内されたデュポンの寝床。
子竜たちを真ん中に、弱い個体を群れで守る姿に、同族愛を覚えた。銀色の鱗に朝日と水面が反射して、どんな名画より美しい景色だった。
「あんたは、去年オレが見た群れの中にいたのかな。違う群れだったとしても、あの頃は長老として敬われていたんだろうな」
追放竜に応える術はない。竜族は人間の言葉を解するが、スポンジのように溶けた脳では、ユーコウの言葉を拾えないのだ。
ユーコウなど見向きもせず、ワイバーンたちに襲いかかる追放竜。その傷ついた翼や尾、割れた爪の餌食にならぬよう身をかわしながら、辺境槍のバックルを回した。
かつて、フレデリック殿下から手渡された武器だ。ユーコウは今、自らの意思で最長まで伸ばした。
「オレが、あんたを殺すよ」
持ち手を握る掌に、力が籠る。
あの日と同じように、右手がしくっとなった。
だが、それだけだ。長い槍は狙いを違えず、柔らかな眼球を貫いた。
思った以上に手応えがある。
ずぶずぶと、イヤな感触が右腕を這い、全身にまわる。
「くそっ……!」
「ギャアアア!」
精神を削るような断末魔が、早朝の湿原に響いた。
地面に倒れ、のたうち回るデュポン。
ユーコウが手放した柄はとうに折れているが、脳に達した切先が抜けることはない。
命が先に消えるのは、追放竜か、餌にされかけたワイバーンか。
膝を手で抑えて肩で息をしながら、「これ見たら、お嬢様に怒られるナア」と呟く。
追放竜の狩は本来、小隊に分かれて連携をとりながら行う。
単体であたることはほとんどない。
学園時代にパトレシアから忠告された通り、追放竜の咆哮が人間の精神に悪く作用するからだ。
その発作は、すぐには来ない。
数時間から1日がかりで、まずは寒気からはじまり、ジワジワと精神に浸透する。
水辺に眠るデュポン達を目の当たりにするまで、ユーコウにとって彼らは人類の敵だった。
今は……消えゆく命に冥福を祈らずにはいられない。
追放竜は、やがて、首を変な方向に曲げた体勢で動かなくなった。
ユーコウは「ちょい手伝って」と、嫌そうなラウドに協力してもらって、首をまっすぐにしてやった。
デュポンの表皮は硬いので、ラウドだけではピクリとも動かない。
やがて、集まってきたワイバーンたちが「きゅ! きゅ!!」とぷりぷりしながら、硬い硬い首を動かして、ささやかな弔いを手伝ってくれた。
死んだ翼竜に、罪はないということか。
ワイバーンにとって追放竜は天敵だが、デュポンそのものは敵ではない。あまり交流がないが悪意もない親戚みたいなものか。
人間の感覚では一般的でないのかもしれないが、ユーコウには、しっくりくるような気がした。
もしも自分が追放竜のように狂ってしまったら、誰でもいいから殺してほしいと思う。パトレシアの手でそうしてもらえたら、いっそ幸せかもしれないと。
だけど、パトレシアがそうなったとしたら、命を奪える自信がない。他者に委ねるのも嫌だ。
脳障害を負ったデュポンがたびたび追放竜となるのは、翼竜たちの同族愛か。甘さなのか。
迷惑だけど、責められない。
責めはしないが、命は刈る。
それが、ワイバーンを友として生きる辺境の民の、翼竜との付き合い方なのだろう。
やがて、ワイバーンたちはこときれた仲間を運ぶために、青空に飛翔していった。
死んだ仲間を一箇所に集めて弔う習性があるのだ。「竜の墓」と呼ばれる聖地で、人間たちが足を踏み入れることはない。
「ラウドも行っておいで」と首のあたりの鱗を撫でると、黒い目を見開いてふるふると首を振った。
「仲間の弔いも大事だけどー! 追放竜の咆哮を聞いちゃったユーコウを、こんな湿原のど真ん中で、ひとりにはできないしー!」と、言っているみたいだ。
「ありがとう、ラウド」
ドラゴンライダーではないユーコウに、竜族の言語はわからない。だが、ワイバーンが何を考えているのか、ほかの飛竜騎士より明確に理解できている気がすることが、たびたびある。
ユーコウは微笑みながら俯くと、足元の花を手折り、追放竜の骸にささげた。
「オレ、デュポンも嫌いじゃない。あの硬い翼と鱗が綺麗で、高潔で、見るからに賢そうで」
風になびきもしない硬い鱗の間に、そっと花を挟んだ。
死んだ翼竜の鱗は銀色がくすんで見える。気のせいだろうか。
「好きで追放竜になったわけじゃないもんな。これからも、あんたの仲間が追放竜になったら、オレが狩るよ。せめて苦しまないように、できるだけ一撃で」
かつての自分は、この命の重さに怯んでしまったのだと思う。
年齢は幼くてもパトレシアやフレデリックにはそれを担う覚悟があり、彼ら大貴族に守られて生きていたユーコウにはなかった。
それだけの話だ。
今の自分は、命に責任を持つ立場になった。それは、辺境の女神の隣を許された男の責務であり、特権なのだろう。
貧乏子爵の三男坊の人生に、無関係なはずだった、重たい特権。
「それでもオレ、ここに来てからすっげー楽なんだよね」
「きゅ?」
さすがに疲れたから、遠慮せず相棒に寄りかかった。
瞼が、重い。そういえば、つまみ食いをして徹夜したんだった。
ユーコウは、目をつぶって微笑んだ。
湿気を含んだ風が、心地よく吹き抜けてゆく。
「オレは、ラウドたちが好きだ。もしかしたら人間よりも。人間はもちろん好きだし、1番好きなのはパトレシアお嬢様だけど。なんだろ? 同族って気がするのかな?」
「きゅ! きゅ!」
やっと自覚したかーと言わんばかりに頷くラウド。
やがてユーコウは、ラウドにもたれかかったまままどろんだ。ラウドも夏草の甘い匂いに誘われて、ウトウトしはじめた。
大湿原のど真ん中にいて、まるっきり緊張感のないひとりと1匹だった。
栗毛の騎馬隊が、朝の草原を駆ける。
伯爵邸から騎馬隊を率いて駆けつけたパトレシアは、信じられない光景を目の当たりにしていた。
未来の婿殿が、銀色の翼竜にかこまれている。
婿殿は立ったままラウドにもたれかかっている。気を失っているのか。そのラウドは、赤い鱗を逆立てて威嚇している。
あれらは、追放竜ではない。その数、100体ほど。若く健康なデュポンたちだ。
攻撃を仕掛ける様子も、敵意も感じないが……。
「先輩!」
戦慄したパトレシアは、馬を急がせた。
途中、怯えた馬が立ちすくんだので、その背から降りて駆け寄った。この時、パトレシアは自分の立場を、辺境伯を拝する大貴族であることを忘れた。
愛する人を案じる、ひとりの娘になっていた。
「お嬢様!」
「危険です!」
青ざめ騎兵たちもその後に続いた。




