恋という感情は知っていたはずだけど
騎士の誓いは、ノリや勢いでするものではない。
辺境候であり数多の誓いを受けている父に報告すれば、「わざわざワシに許可をとりにきたぞ?」と、ニヤニヤされた。
パトレシアだって、生まれて初めて騎士の誓いを受けたわけではないのだが……。
あの優しくて低い声が、耳から離れない。
ひざまづいて見上げてきた、澄んだ瞳と笑顔が、瞼の裏にやたらちらつく。
今だって、広大な前庭にいて、似たような隊服の警備隊の中から、彼だけを見つけてしまう。
遠目なのに、困っていることがわかってしまう。
赴任直後こそ長槍にふりまわされて、ワイバーンから転げ落ちてばかりいたが、そちらは慣れてサマになってきた。
が、本日は全くサマにならない。
辺境配属となって2年。未だ、必須と言われる広域通信手段「角笛」の音を出せないらしい。
パトレシアの甥たちには「ダセエ」とからかわれ、辺境軍の軍人たちには爆笑され、同じ都会からきた辺境警備隊員にも「隊長にも、できないことがあったんすね」と、笑われている。
相棒のワイバーン「ラウド」が、心配げに彼の隣に寝そべっている。
何故だろう。
パトレシアはちょっとモヤモヤした。
ウェンディを駆り、近くで降りて、角笛に奮闘するユーコウに声をかけた。
「苦戦されてますわね。先輩」
「いやー、面目ない」
弱ったな、と目尻を下げるユーコウ。
ウェンディとラウドは、嬉しそうにお互いの鱗を手入れしはじめた。今日も仲良し。産卵期間近のラブラブカップルである。
パトレシアは、ワイバーンたちを横目に、花がほころぶように笑った。
「ちょっとしたコツがありますのよ」
と、自分の角笛を彼に渡して、彼のを受け取る。
「壊れてはいませんわね。この辺りに下唇をつけて、ゆっくりと息を吐きますの」
低い澄んだ音が、風に乗って湿原に響く。
全くの無意識だった。
彼の角笛に唇を当てたことも、慣れた所作で音を鳴らしたことも。
だけど、あっけにとられている彼と視線が絡んだ瞬間、我にかえった。
「あ……」
パトレシアは焦った。
権力者にこんなことをされたら、彼の身分じゃ囲い込まれたのと一緒だ。
なのに、謝罪の言葉が出てこない。
なかったことにできない。
頬が熱くなって、喉のあたりで声が詰まって、うつむくことしかできない。
「お嬢様」
引き寄せられたように顔をあげれば、彼に困っている様子はなくて。
逆に、熱を帯びたまなざしに絡め取られた。
「あ……」
手袋をしたままの右手が、パトレシアの頬にふれた。
近い。近づきすぎだ。騎士と女伯爵の距離じゃない。
だけど唇を重ねられた瞬間、パトレシアは自然に目を閉じていた。
「まてい!!!」
筋肉の群に引き離されるふたり。
「てめー!!! パトレシアになにさらすんじゃあああ!!!」
泣きながら殴る父。兄たち。辺境軍の皆さんに、警備隊の皆さんが、ユーコウを殴る。殴る。タコ殴りになぐる!!!
「純真無垢なお嬢様に、この変態が!!!」
「顔と雰囲気でコマすの、反対!!!」
「いや、聞いてないけど、合意っすよ! なあ、ラウド? ウェンディ?」
甘んじて殴られつつ、しっかり受け身は忘れないユーコウに、ワイバーンのカップルは「きゅ!」「きゅ!」と頷いてみせた。
「コスい。お嬢様本人じゃなく、ワイバーンに聞くとこがコスい!!」
「思えば、ラウドがユーコウ隊長を選んだ時点で、ヤな予感がしてたんだよおおお!!!」
大騒ぎだ。
初めてのキスを奪われた本人を、置いてきぼりの大騒ぎだ。
パトレシア本人は、唇に指をあてたまま、硬直していた。
理由なんか、わからない。
いや、わかっている。
でも、いつから? どうして? 先輩も???
胸の奥から暖かくてくすぐったいような、気持ちが湧きあがってきた。
それは瞬く間に心を支配して、動悸が、めまいが、火照りが止まらない。
こういう感情を何というのか、知らないパトレシアではない。
フレデリック殿下に片思いしていた時だって、目が合えばドキドキしたし、彼を想って眠れなくなったりした。
だけど、こんなに心が満たされるなんて、なかった。
ここまで表情筋にブレーキがかからないなんて、もっとなかった。
嬉しすぎるくらい嬉しいのに、なぜ涙で視界が霞むのだろう?
いつの間にかダノン爺が突っ走ってきて、目にも留まらぬスピードでユーコウの襟首をつかんだ。受け身をとるタイミングを与えず、綺麗に投げ飛ばすダノン爺。
直後に腰を押さえて悶絶するダノン爺。
顔面から石畳に叩きつけられて、「いってえ!」と何かを吐くユーコウ。足元に転がる奥歯を目の当たりにして、パトレシアは青ざめた。
「先輩! 大丈夫ですか?!」
さらに殴ろうと集まる面々をひきはがして、彼の隣に片膝をついた。
右目のあたりが少し腫れていて、口の端を切っている。
ユーコウは、「謝らないっすよ」と、朗らかに笑った。
「謝ったら、怒りますわ!」
「……!」
反射的に起きあがるユーコウ。
逞しい両腕が、パトレシアを抱きしめてくれた。
「オレ、バカだから素直に期待しますよ?」
心から嬉しそうな問いかけに、コクコクと頷くパトレシア。
辺境の男たちが、「いやああ!」と両手を頬に当てて叫んだ。辺境軍には、武勲をあげてパトレシアの婿になりたい男はわんさかいるのだ。
辺境警備隊には「比較対象、フレデリック殿下だよな……?」と、尻込みされていたが。というか、ユーコウもそのクチだったが。
「貴女が好きです。騎士として、ひとりの男として、貴女を愛しています」
パトレシアは頷くしかできなくて、喋ったら泣きそうで、広い背中をギュッっと抱きしめた。
草と太陽と、ワイバーンと鉄と、汗と埃の匂いがする
暖かくて、心地がよくて、ずっと包まれていたくなる。
背後で父や兄や兵士たちが何か叫んでいるけど、そんなの聞こえない。手を離す理由になんか、ならなかった。
偶然か、確信犯か。
その日の夜、辺境候トニオ・アリストのもとに、フレデリック殿下から密書が届いた。
辺境警備隊で、全く目立つ活躍のない末端兵が、警備網を潜りねけて届けに来た。
つくづく、彼の暗部は潜伏先が謎である。
右上がりの宛名書きは、「読んだら燃やせ」の暗号でもある。封にした淡いブルーの蜜蝋は「証拠の手紙を残さなければ、決して秘密ではない」。
トニオは年代物のデスクに巨体を沈め、太い指でチマチマ封を開いた。
『レティシアの筆頭遣帝女内定が揺らいでいる。辺境伯を変更し、パトレシアに任命する案が浮上してきた』
つらつらとトニオが苦手な貴族らしい言い回しが続いたが、要約すると『遣帝女の絶対条件は生娘だから、早急に婿を娶れ』であった。
……なんてタイミングだ。
トニオは唸った。
パトレシアが袖にされたばかりの頃に命じられたら、激怒して反旗を翻したかもしれない。
だが、辺境伯に内定して3年。
パトレシアは、側妃をめざしていた頃よりも、ずっと生き生きしている。フレデリックに恋をしていた時より、ユーコウに愛を告げられた今の方が、何倍も幸せそうに見える。
意を唱える隙間がない。
思えば、あの王子はパトレシアの側妃入りを一度も肯定しなかった。私的には「ワイバーンを愛でるパトレシアに、狭い後宮は似合わない」と拒否され、トニオの頭髪が禿げ上がった。
公的には、是も非も言わず、のらくら結論を先送りされた。筆頭遣帝女に確定させない為だ。
だが、どうして期待せずにいられただろう?
幼い頃のフレデリックは、ワイバーンと空で戯れるパトレシアを見あげ、「すごい! きれい! かっこいい!」と、目をキラキラさせていたのだから。
成長した今も、空を駆ける彼女を見れば、眩しげに目を細めるのだから。
そんな彼は、パトレシアを自分の後宮に入れることも、筆頭遣帝女にすることも、望まなかった。
彼女自身の、最大多数の幸せを望んだ。
そうすることで支持を集め、基盤を固め、適任者に防衛の最前線を丸投げする目的であったにしても、だ。
筆頭遣帝女がいつまでも宙ぶらりんな件については
「どこかの身の程知らずが、宰相令息に降嫁したがって暗躍してるからだよ。私の権力が及ばん場所で。ほんと、ウザい」と、こぼしていた。
「アーチと同程度かそれ以上の顔と地位があれば、誰でもいいクセに」と。
それは、誰でも良いとは言わない。王女と同世代は国内ではフレデリックしかいないし。
「実は、今期の辺境警備隊長もアレから逃したクチなんだ。あと、アレが好きそうな顔の准騎士を、まとめて辺境配属にした。宜しく」とも言っていた。
防衛上の理由で社交界から縁遠いトニオに、正妃腹の王太子と側妃腹の王女の確執なんてわからない。
どちらの言い分が理に叶っているのかも。
もちろん、王女を筆頭遣帝女にしたいという利害が一致している以上、殿下への協力は惜しまないが。
「……そういえば」
トニオは濃い顎髭をさすった。
たまたま顔を出した夜会で、知らん若造ども聞かれたかもしれない。
「辺境警備隊に転属したユーコウ・クボは、王女殿下への恋慕に耐えきれず世を捨てたんですよね?」と。
違うともそうだとも言ってないのに、似たような雰囲気の若造たちが集まってきて「やはりそうでしたか!」「なんて切ないのかしら!」と、絶賛大会が始まった。
レティシア本人は否定も肯定もせず、「そうですの?」とニコニコしていた。
取り巻き連中はその後も、「永遠の純愛を捧げ続けるのですね!」「美しいわ!」「さすがは、姫様と姫様の騎士!」とかなんとか妄想話をヒートアップさせていたような。
その後、辺境では決して口にできない最高級ローストビーフに引き寄せられ、今の今まで忘れていた。
で、思い出した今も「それはないなあ」と思う。
妖精の様に小柄で華奢なレティシア王女は、絵に描いたように美しいお姫様だ。夢見る王都の10代には、さぞかしもてはやされるだろう。
が、辺境警備隊はだいたいが20〜40代。同じ系統の美人なら、母親のエリシア側妃こそが、大人気なお年頃である。
ちなみにユーコウは、そのエリシア側妃のファンですらない。
「やっぱ、王都じゃ、ミネルヴァ王妃が1番美人っす!」と言っていた。「たわわな人妻、最高!」とも。
……激しく同意するけど。大丈夫か? 不敬罪。
実は、陛下の希望もあって、親衛隊を外されたのではなかろうか。
いくら強くて優秀でも、後ろ盾のない一代貴族が2階級昇進なんて。不人気部署とはいえ、20歳で隊長に抜擢なんて。少々早すぎる。
辺境は実力主義だから、武勲さえ上げれば平民でも貴族に嫁げるし、婿入りもできる。だが最初から大尉で警備隊長なら貴族から平民まで好きな階級の嫁を選べるし、女辺境伯パトレシアの婿にも、アリスト家の孫娘たちの婚約者にもなり得る。
『誰でもいいから結婚して、2度と帰ってくるな』とか思われているんじゃなかろうか。風の噂によると、ミネルヴァ王妃もユーコウがお気に入りだったらしいし。うん、きっとそうだ。
「『是』と、伝えなさい」
トニオは、燭台の炎で書簡を燃やした。
警備隊員に扮する暗部は、音もたてずに闇に紛れた。
ミネルヴァ王妃は、ユーコウを可愛がっていて、やたら肉や燻製を下賜していました。
実の息子はぽんぽんが黒すぎて癒されないので、「可愛い息子枠」として。
フレデリック「ペット枠だろ……」




