辺境警備隊長は、戦女神に誓う
高等部2年の、夏が来た。
辺境の大湿原が、最も輝く季節だ。
試験が終わった日から、パトレシアは指折り、帰省の日を数えている。
(この私が、本当に辺境伯だなんて。人生は、何が起こるかわかりませんわね……)
パトレシアが王都で暮らすようになったのは、12歳の春からだ。
王都でデビュタントを果たした流れで貴族の学園に入学し、寮に入った。
12歳のパトレシアは、学園寮の華やかさや快適さに驚いた。濾過する必要のない綺麗な井戸水に驚いた。
いつからかこの暮らしに慣れ、甘くて繊細な菓子も、きらびやかな舞踏会も、当たり前になった。
これからの人生を、王都に生きるつもりだった。
故郷とは、決別したつもりでいた。
なのに、15歳の夏、フレデリック殿下から辺境伯に推薦された。
パトレシアは、深く傷ついた。
臣下としてこれ以上なく信頼されながら、女性としては全く相手にされていなかったことに。
17歳になったばかりの今となっては、少々重歯痒いのだが。
側妃に召された暁には、あの美しい王子から、身も心も愛されるのだと、思い込んでいた節がある。
マリアベルがあっさりしすぎていたから、寵を競う実感がなかったともいう。
側妃の地位に与えられるはずだった名誉、ドレス、宝石、優雅で華やかな生活を失ったことについては、何の憤りもなかった。
侯爵令嬢としてどうなんだと思うが、あの時に傷ついたのは恋心だけだ。
「後宮を潰して辺境伯を立ち上げたから、伯爵になってくれ」と言われて「大栄転だけど、失恋した!」と嘆く令嬢は他にいるまい。
たしかに、辺境には甘いショコラも、色とりどりのドレスが並ぶブティックもない。夜会もなければ、お茶会もない。
劇場も、美術館も、図書館もない。
大病院も、学校もない。
国家事業で上下水道と街道こそ整備されたが、石畳などで舗装された道もない。
たまに、流刑地だと勘違いされるくらいだ。
でも、広々とした大湿原と、むせるような湿気と、爽やかな風と、きらめく太陽がある。
ウェンディたちワイバーンが自由に闊歩する、広くて高い空がある。
素朴で力強い隣人たちがいる。
なによりも大好きな家族がいる。
それからーーー。
なぜか、デュポンを見つめていた辺境警備隊長の横顔が、慈しむような声が、やたら鮮明に浮かんだ。
パトレシアとウェンディは、生まれ育った侯爵邸には寄らず、初夏に居室が完成したばかりの伯爵邸に直行した。
まだ工事は続いていて、現在は、厩と砲台櫓を建設中だった。
「素晴らしいですわ……」
ウェンディの背でうっとり頬を染めるパトレシア。
伯爵邸には、200人もの辺境警備隊員が寝泊まりできる居室があり、地平線の彼方まで見渡せる物見の塔があり、50頭ものワイバーンが遊べる人工池があり、大湿原に続く広大な前庭がある。
外壁には漆黒の溶岩石が使われており、なんとも重厚で、質実剛健とした邸宅……いや、要塞であった。
一般的な女性が喜ぶ要素はひとつもないが、パトレシアは心から歓喜した。
伯爵領に指定された辺境候領の南部は、凶暴な魔物が多い。砦は強固に限る。
パトレシアは瀟洒な邸宅も美しい温室も好きだけど、自分が欲しいとは思わない。そんな資金があるなら、屋内闘技場が欲しいクチだ。
後宮の維持と管理が本職の側妃とは、実に趣味趣向が真逆な令嬢であった……。
さて、ウェンディと邸宅の屋上に降りたパトレシアは「あら?」と首を傾げた。
兵士たちが訓練に使う前庭に、3台の馬車が並んでいる。
辺境の領民たちのものでも、警備隊のものでもない。
長距離運搬用の太い轍がついているが、商隊でもなさげだ。
「何かしらね?」
「きゅ?」
ウェンディにも、よくわからないらしい。
とりあえず、休憩なしの全速力でぶっ飛ばしてしまったので、お腹がすいたし、着替えもしたい。
パトレシアはウェンディの鞍を外してブラッシングをすると、「またね」と手を振った。
真紅のワイバーンは、パトレシアの頭上を3周旋回してから、大湿原の空に飛び去っていった。
場違いな馬車の正体は、王都からの押しかけ女房だった。
食堂の前で家令につかまり、「押しかけ女房が6人もきて、警備隊長が困ってます!」と報告を受けた。
パトレシアは、目を丸くした。
「いくらモテましても、6人はちょっと。辺境に逃げたところで、修羅場は不可避でしたのね……」
「お嬢様……ぜんぜん違います」
計算が苦手な家令の目が、思いっきり座った。
わけもわからず、使用人用の食堂に案内されるパトレシア。
中央の大テーブルに、6人の女性と6人の警備隊員が着席していて、ユーコウはなぜか立っていた。
女性たちはパトレシアに気がつくと、立ち上がってカーテーシーをした。
「はじめまして……ではない方が多いですわね。いったい、どういう状況ですの?」
皆に発言させたら収拾がつかないと察したパトレシアは、まずユーコウに視線を向けた。
「ご存知のとおり、今期の辺境警備隊は新伯爵家立ち上げの建築事業に従事するんで、任期が8年になります。適齢期の淑女を待たせるには、あまりに長い」
不人気部署かつ重労働なので、給金や賞与にはだいぶ色がつくが、遊ぶ場所も時間もない。
喜ぶのは、亭主を財布としか思っていない妻だけである。
「まあ……面目ありませんわ」
「お嬢様の所為ではございません。皆の話し合いが足りなかったんでしょう。納得できなかった御令嬢がたが、こうして直談判にいらしたわけですから」
男たちは一様にバツの悪い顔をしているが、女たちは憤りを隠さない。
ユーコウ率いる新生辺境警備隊の准騎士は、ユーコウかパトレシアの知り合いが多い。
殆どがユーコウを尊敬してついてきた後輩か、放課後演習倶楽部でパトレシアが世話をした面々である。
さらに、女性のうち4人は、放課後演習倶楽部に差し入れを持ってきた可愛らしい女子生徒だった。
焼き菓子などを手に顔を赤らめていた乙女たちは、なけなしの貯金を手に結婚を迫る女傑に成長していた。
女たちの言い分をまとめると
「本当に私を愛しているなら、この地で結婚してくださいませ!」
……健気な女子たちは、女傑になっても健気だった。
「いや、だって、危険だし、贅沢させてあげられないし」
「とてもじゃないけど、王都育ちの女性が耐えられる環境じゃあ……」
「オレたちだって、ここの水に慣れるまでどれだけ腹を痛めたか。あ、いや、手を洗わないのが悪いんすけど」
男たちが口籠る。
パトレシアに忖度しているのか歯切れが悪いが、この地は本当に貧しい。娯楽がない。
そのくせ、帝国からの脅威だけはいらんほどある。
ネズミはでかい。虫もでかい。魔獣は超でかい。
男たちは恋人を想い、覚悟を決めて別れてきた……のだが。
「あなたがいない人生なんて、継母と異母妹にお給金をとられて搾取されるだけ。王都には、人の姿の魔物がおりますわ?!」
ひとりの娘がガタンと音を立てて、立ち上がった。
「いや、それは……付き合ってるときに言ってくれよ!!!」
「言えるわけないじゃない! 心配かけたくなかったんだもん!結婚しちゃえば、過去になって笑い話になるじゃない!」
けんけんがくがく。
「うちだって困窮してますのよ! 貧乏なんて慣れてますわ! どうして一緒に苦労しようと言ってくださらないの?」
「じゃあ、結婚するから!! 王都にいてくれ!」
「イヤよ! ここに置いてちょうだい! ご飯を作らせてよ! 繕いものをさせて! 子どもだって欲しいわ!」
けんけんがくがく。
けんけんがくがく。
「……我々は、席を外しましょうか」
6組ものカップルの痴話喧嘩にあてられたユーコウが、パトレシアに声をかけて退室した。
「くそ。あいつら、羨ましいなあ。あんな良い子たちに押しかけ女房されるなんて」
廊下に出るなり、ユーコウの口調がくだけた。
パトレシアもいたずらな笑みを浮かべ、「あの方たち、ユーコウ先輩のこと、チラリとも見惚れませんでしたわね」と、からかった。
「あー……オレ、多分お嬢様が思うほどはモテないんすよ?」
「またまた。ご謙遜を」
「たまに恋人ができても、だいたい3ヶ月くらいで振られるんですよ。剣術バカだからっすかね?」
おどけるユーコウの横顔を真っ正面から見つめてから、パトレシアはゆるく息を吐いた。
燃えるような赤毛に、空色の瞳。
身長と筋肉量の割に、スマートに見える体躯。
人懐っこい笑顔。気さくな性質。
なんかもう、モテるために生まれてきたのかってくらいの益荒男だ。
しいて弱点といえば、見た目や能力の高さと身分が比例しないことくらいか。
だが、彼の恋が成就しなかった理由も、なんとなくそこにあるんじゃないかと、パトレシアは思う。
「次の方とは、きっと添い遂げることができますわ? だって、ラウドと私とウェンディが、辺境警備隊長のご夫人を護りますもの! 先輩の大切な方を傷つける存在は、ラウドとウェンディに噛んでもらいます!」
ラウドは、ユーコウのワイバーンである。
他のワイバーンより口が大きくて、金剛石さえ咀嚼できる強靭な顎を持っている。
ユーコウはちょっとだけ目を丸くしてから、「頼もしいっすね」と笑った。深く、慈しむようなまなざしで。
パトレシアの胸の奥が、とくん、と跳ねた。
この人のこの視線は、なんか反則だ。
「そ……それより先に、お嫁様たちですわね。身の安全を考えて、伯爵邸に住み込みで雇いましょう」
学園卒の4人には書類仕事を任せられる。あとのふたりは平民だが、お針子と王宮食堂のウェイトレス。
新伯爵家は人手不足だから、猫の手も嫁の手も借りたいのだ。
「ひとつも問題ありませんわ!」と、胸を叩くと、ユーコウにガン見された。たいそう豊かなバストから、慌てて目を逸らす警備隊長。
「えーと、先輩?」
「なんか、あの。すんません。立派なものをお持ちで」
誤魔化すならもっとマシに誤魔化せ!と言いたくなる事態である。
「いや、なんていうか。本当にすごいなって思ったんで」
「お胸のサイズがですか?」
睨むパトレシアに、うっかり見惚れるユーコウ。
男性騎士の平均身長と遜色ない高身長のパトレシアは、胸の位置が高い。たいそう目立つ。 が、隠しも武器にもしないので、淫靡ではない。圧倒的に美しいというか。神の域というか。
ノーメイクでもフルメイクに見える華やかな美貌、長くしなやかな手足。正しい姿勢に美しい所作。大きなカールを描く長い髪。女神像を作る彫刻家たちは、競って彼女にモデルを乞うだろう。
「器が大きいんです。人間としての。やさぐれてた不良たちを立ち直らせたり、駆け落ち同然のカップルたちを即決で雇ったり」
パトレシアは、小首を傾げた。
褒められる意味がわからないのだ。
ユーコウはいつになく真剣なまなざしで、少々強引にパトレシアの指を掴んだ。そして、恭しく膝をついた。
「貴女は、戦女神の化身です。人生という戦いの最中、多くの人間に光を照らし、勝利をもたらす御方です」
「先輩……?」
「演習倶楽部だった連中はもちろん、オレも貴女に救われました。オレは、王都の花形部署で、いっぱしの騎士になったつもりでした。でも、実際は追放竜にとどめをさせなかった失態をずっと引きずってました」
「……」
「思い切って転属を願い出て、ここにきて、貴女に再会して、思い出しました。オレは武を鍛えて国を守りたかったんだって。今まで守ってくれた人たちを、この国防の最前線で守りたいんだって」
それは、パトレシアの力ではない。
ユーコウの資質だ。
だが、サンドライトの騎士は、パトレシアの指先に唇を落とし、まっすぐな眼差しを彼女に向けた。
「お嬢様。いえ、パトレシア・レガシィ辺境伯。貴方に騎士の誓いを捧げます。今までも、これからも、ずっと」




